MONEY GAME(ほぼ完全版)

(一)

「一、十、百、千…」
 美和子が震える手で握っている小切手の数字を、高志が数えている。
「…百万、千万、一億。一億かよ!おふくろ、すげーじゃん、一億だぜ一億!」

 夫が不慮の事故で亡くなって一週間後。未亡人となった美和子宛てに一通のエアメールが届いた。そこには、遺言状と小切手が入っていた。死亡確認後、自動的に美和子の元へ送られてくるようになっていたのだ。
 そして、今日。顧問弁護士である藤岡立会いのもと、美和子は、まず小切手の方を高志に見せたのだった。定職にもつかず遊んでばかりで、親のところへも滅多に帰らない息子。父親の葬式にさえ顔を出さなかった息子だったが、遺産の話だと言うと、すぐに帰ってきた。噂ではサラ金にも数百万の借金があるという。父親の仕事になど、一向に興味を持たない息子だったが、ヤバい筋からも金を借りていて切羽詰まっているということもあり、いくらかでも金が手に入れば、と考えてのことだった。

「お金の配分に関しては、こっちに書いてあるわ。聞いてちょうだい」
 浮かれている高志に美和子が言った。そして、遺言状を読み始めた。 

 ━━美和子へ
 これを、おまえが読んでいるということは、俺の身になにかがあったということだろう。同封の小切手は、こっちで俺に不幸があった場合に、俺に対して支払われる退職金と保険料を合わせたものから、端数を削った額が記入されているはずだ。端数は会社の拡張費として寄付することになっている。額面がいくらになるか現時点ではわからないが、当分食っていくのには困らないと思う。

 今の俺があるのは、良妻であるおまえのおかげだと思う。本当なら、賢母という言葉もつけ加えたいところだが、伝え聞く高志の様子では、それは言い難い。俺にも責任のあることだから、おまえだけを責めることはできないことはよくわかってるつもりだ。だから、俺なりに考えた。わがままかも知れないが聞いてほしい。

 遺産のすべては、不動産を含め、妻である美和子に残す。だが一億円は高志にくれてやれ。ただし、高志にはその金を使うにあたって、ひとつだけ条件があると伝えて欲しい。それは、遊び以外には使うなということだ。人間、邪念があるうちは一人前にはなれない。本当の遊びとは何か。それを見つけるまで高志を遊ばせてやって欲しい。

「え、俺がもらってもいいのか?」高志は、あっけにとられている。
「遺言じゃしょうがないわ。法律では遺言は法定相続より優先されるの。あなた用に一億円を入れた通帳を作っておくから、好きなように使いなさい」美和子は、こわばった声でそう言うのがやっとだった。

「奥様、よろしいのでしょうか?」高志が去った後、藤岡が心配そうに言った。「旦那様は小切手の額面金額を予想できなかったのでしょうか?」
「遺留分減殺請求のことを言っているのね」「ええ、遺言によって不利益を被る相続人は、一年以内なら一定基準の額を取り戻すことができるんです」
「わかってるわ。そのために、藤岡。あなたにお願いしたいことがあるの」

(二)

 翌日。約束どおり、高志は一億円の入った口座の通帳を美和子から受け取った。そして、その日から、高志の豪遊が始まった。

 まずは、サラ金からの借金を完済した。五百万近くあったが、今の高志にははした金だった。
 そしてギャンブルだった。パチンコに始まり、競馬、競輪と毎日のように遊びまくった。一日で百万負けることもあれば、百万勝つこともあった。だが、悔しくもなければ、嬉しくもなかった。口座にある金を考えると、その程度の浮き沈みでは感情に作用することはなかったのだ。
 ある種の才能もあったのだろう。残金は一億円をはさんで推移していた。

 そんな高志がギャンブルでの昂ぶりを覚えたのは、競馬場で出会った男の影響からであった。にわか成金を地でいく風体のその男は、派手に賭ける高志に、こう持ちかけてきたのだ。
「若いのに、使いっぷりがいいですなあ。しかし、こういう所で儲けられる金なんてのは知れてます。どうです、私の知っている秘密カジノにきませんか?競馬の十倍百倍稼げますよ。まあ、その逆もありますがね」
 男は、そう言って地図の書かれた名刺サイズのカードを高志に握らせた。

(三)

 地図を頼りに辿り着いたカジノは、目立たない場所にあった。扉を開けると、中には人相の悪いいかにもといった感じの男が二人して高志を出迎えた。
「何か、身分を証明するものはあるか?」男の一人が言った。
「警察手帳でもいいのか?」
「てめえみたいなおまわりがいるものか?ふざけたこと言ってんじゃないぞ」
「こんなものしかないんだ」高志は藤岡に貰ったカードを取り出して見せた。
「まあ、いいだろう。はいんな」

 中では、十数人の男女が、バカラやポーカーに興じていた。そして、ポーカーのテーブルから競馬場にいた男が声をかけてきた。
「お待ちしておりましたよ。さ、こっちへおいでなさい」
 ポーカーなど、遊びでしかやったことはなかったが。数回やるうちにコツをつかんだのか、高志は少しずつ資金を増やしていた。手役にも恵まれていたし、そうでない時も、はったりがうまく決まっていた。
「なかなか、やりますなあ。どうです、最後に私とサシの勝負をしませんか?」男は、そう持ちかけてきた。
「いいよ。そのかわり、せこいのはいやだ。参加料を五百万にし一本単位で上乗せすることにしよう」
「一本?十万のことですかな?」
「桁が違う。百万だ」
 カードが配られた。高志のカードは7とQのツーペアだった。(ついてる)高志は眉をぴくりと動かした。
 高志は強気に出た。だが男も負けてはいなかった。お互いレイズを繰り返し掛け金は千七百万になった。
「ショウダウン」ディーラーが勝負の時を告げた。男が、高志の三百万のレイズをコールしたのだ。総額は二千万になった。
「俺はツーペアだ」高志は自信を持ってカードをオープンにした。
「はったりじゃなかったんですね。私の負けです」男はカードを開くこともなく、その場を去っていった。

「どうしてAのスリーカードを開けなかったんです?」休憩所でディーラーは男に訊いた。
「豚は太らせてから、食えってことさ」男はそう言って笑った。

(四)

 男の思惑どおり、次の日も高志はカジノにやってきた。だが、昨日の好調が嘘のように負け続けていた。手役は悪く、はったりはすぐに見破られていた。
「おやおや。今日はついてないようですな」負けが一千万ほどになった時、男が言った。「どうです?昨日のリベンジをさせていただけませんか?」

 手役は、またしてもツーペアだった。(これで取り返せる)高志はそう思った。高志と男はお互いにレイズを繰り返し、総額は四千万になった。
「今日はわたしからですね」男はそう言って、Aのスリーカードを広げて見せた。
 男が目の前の四千万を鞄に詰め込むのを、高志はただ見つめるしかなかった。

「まあ、こういう時もあるわよ。どう?私今日はついてるの。一杯奢らせてくれない?」真っ白な意識でカジノを出ようとする高志を、一部始終を見ていた女が誘った。そして、高志はヤケ酒を浴びるように飲んだ。
 気がつくと高志は、女と同じベッドの中にいた。そして再び目覚めた時、女はいなかった。何か話をしたような気がしたが思いだせなかった。鞄から、通帳と印鑑が消えていたが、そのことと、女との会話が関係あるのかどうかも思いだせなかった。

(五)

 一年後、高志は再び、美和子の前に現れた。いつもきちんとセットされていた髪には、ほつれ毛が目立ち、服装も質素な物に変わっていた。そんな美和子に高志は言った。
「おやじの遺言の真意がわかったんだ。男にとっての本当の遊びが何かということがね」
 高志は輸入代行会社の社長になっていた。あの日の女のおかげだった。女は、高志に、金持ち相手の個人輸入をやってみないかと持ちかけたのだった。「もう苦労はさせないよ。一緒に暮らそう」
「血は争えないわね。あなたのお父さんも、個人輸入から財を成したの。あなたとは違って少しでも安い物を買いたいという人種が相手だったけどね。でも高志、私は、あなたの世話になる気はないわ。伊豆の別荘にでも行って、のんびりしたいの」
「そう…。わかった。でも、これだけは受け取ってほしい。おふくろの苦労も考えず受け取ってしまったことだけが心残りだったんだ」高志は、一億円の小切手を美和子に押し付けて踵を返した。

(六)

「ひとつだけ訊いてもよろしいでしょうか?」美和子に向かって、藤岡が切り出した。
「ええ、どうぞ」
「奥さんは何故高志君に介入する気になったのですか?あのまま、遊ばせても彼ならそれなりにギャンブラーとしてやっていけたかもしれない」
「私の賭けだったの。あのまま遊ばせていたら、いずれは私のカジノ以外の暴力カジノの餌食になっていたことでしょう。そうなれば、私も狙われることになる」
「すべては保身のためというわけですか。あなたは恐ろしい方だ。でも、よかったですね。あなたが裏で糸を引いたとはいえ、高志君の事業は順風満帆じゃないですか。一億円も戻ってきたことだし、結局あなたは遺産のすべてを手にしたことになる。しかし、あの時、小切手を見せるとは、大胆な賭けに出ましたね」藤岡が言った。
「ええ、さすがに手が震えたわ。それより、あなたが選んだ二人はきちんと役目を果たしてくれたようね。礼を言うわ。これで、あの子が私の本当の取り分に気づくことはないでしょう。もっとも、減殺請求のできる一年は過ぎてしまったけどね。さあ、今度は私が遊ばせてもらう番よ。たぶん、一生かかっても使いきれないだろうけど」

 そう言って美和子が鞄から取り出した小切手は、あの日握り隠していた$(ドル)記号の部分だけが少し滲んでいた。

(了)