ロシア人形の秘密

(問題篇)

 その事件が起きるまで、ノアには200人の人間が生活していた。
 ──ノア、それは居住型シェルターの名前である。ハルマゲドンを前に国連がそれを建設したのは、人類の破滅だけは阻止しようとの考えがあったからであり、100の国と地域から男女2人ずつが毎年交代で選ばれ、そこでの生活を強いられた。
 恐れていたことが現実のものとなった時、日本からは、明智粍五郎(あけち・みりごろう)、金田一二三(きんだいち・ふみ)の2名がノアに赴任していた。名前からわかるように、2人とも名探偵の子孫である。

「おい、誰か倒れているぞ!」
 外部を映し出すモニターを監視していた、アメリカ人のガッツ・シューコックが声を張り上げた。
 夕食後、思い思いの趣味を楽しんでいた者たちが、モニターの中に見たものは、見慣れたガレキの山々と、一際大きなガレキの端に横たわる、白い防御服であった。それはうつ伏せに倒れ、背中にはナイフが突きたてられていた。
「おい、今日の巡回当番は誰なんだ!」
「ペレスです。ロシアの科学者、ペレス・トロイカです」
「じゃあ、ペレスがあそこで何者かに刺されたというのか」

 ノアの外の世界は、高濃度の放射能が充満し、防御服なしでの外出を拒絶していた。防御服は男性用、女性用の各々1着ずつしかなく、男性であるペレスが殺されたということは、女性用を着てペレスと同時刻に外に出ていた人物が犯人だろうと誰もが思った。
しかし、事件は、そんなに単純ではなかったのである。出入り口に取り付けられたビデオカメラには、外へ出た一人と、外から帰ってきた一人しか写されていなかったからである。巡回は週に一度と決められており、それ故7日分しか録画としては残されていないのだが、7日以上前に外に出てペレスを待ち受けるなどということが(日々の点呼があるため)不可能であることを考えると、一気にそれは難事件の様相を呈してきた。

「どこへ行ってたのよ! 大変なことになってるのよ」粍五郎を見つけると、二三(ふみ)は声を荒げた。
「ごめんごめん。どうもスペイン料理ってのは合わなくて、あれを食べると必ず腹の調子が悪くなるんだ。で、何があったの?」粍五郎はハンカチで手を拭きながら言った。
「逆密室殺人よ!」
「なんだよ、逆密室って?」
「被害者のペレス以外、全員がこのノアという密室に閉じ込められているのよ。だから逆密室ってわけ。外の世界は、見た目には無限の広がりを見せているけど、実際には極めて立ち入ることが困難な閉鎖された場所、そういう意味でも逆密室といえるわね」二三は得意そうに持論を展開した。
「ちょっと待ってくれよ。密室はともかくとして、まだ殺人事件と断定されたわけじゃないだろ」粍五郎がようやくモニターの光景に気付いて反論した。
「だって、あの刺され方は自殺ではありえないわ」
「自殺か他殺かなんてことを言ってるんじゃない! まだ、ペレスが死んでるかどうかわからないと言っているんだよ!」
「あ、本当だ! まだ助かるかも知れないじゃない! ちょっと、誰か見てきてよ!」
 二三の問いかけに名乗りをあげるものはいなかった。こういう場合は、男が行くのが相場なのだが、残された防御服は女性用だけだったからである。名探偵の子孫ゆえに好奇心旺盛な二三が自ら行くというのが一番自然な成り行きでもあったが、あいにく彼女は大女であった。
「やっぱり、あんたしかいないわね」二三は粍五郎に言った。
「あーあ。そうくると思ったよ。先祖が小五郎だからかなんか知らないけど、ミリ五郎なんて名前をつけた両親を、僕は恨むよ。名は体を現すっていうのにね」粍五郎は嘆息した。
「男だったら、つべこべ言わないで行きなさい!」

 粍五郎は、防御服着脱場へ入った。そして、女性用の防御服を壁から外した。服とはいっても硬質の素材でできているそれを、頭、腕、胴、脚とパーツごとにわけて、各々を側面からパカと開き、自分の体を順番に包んでいった。

モニターには、ゆっくりと歩く粍五郎が映し出されていた。ペレスを担いで戻るのは困難だと判断したのであろう。両手で、ゴミ投棄用のカプセル車を押している。
やがて、ペレスが倒れているところまでたどり着くと、粍五郎はペレスを揺さぶったり、マスクを覗き込んだりしていたが、しばらくすると、立ち上がってかぶりを振った。
モニタールームはため息に包まれた。

粍五郎が戻ってきて、エアシャワー室から、粍五郎と変わり果てたペレスが出てきた時、最初に嗚咽を洩らしたのは、ペレスと同じロシア出身の、メノウエーノ・タンコフであった。
「ペレス! おうペレス。誰がこんなことを……」
「メノウエーノさん。お気を確かに。彼の無念は、私が晴らしてみせます。ご先祖さまの名にかけて!」二三は、そう言ってメノウエーノの肩をそっと抱いた。「まずは、ペレスさんの部屋へ案内してもらえないでしょうか? 何か手がかりがあるかも知れない」

 二三と粍五郎、そしてメノウエーノの3人は、ペレスの部屋に足を踏み入れた。
「どう? 何か変わった様子は?」二三がたずねた。
「ないわ!」
「何がないんだい?」粍五郎が部屋を見渡しながら言った。
「彼が一番大切にしていた、ロシアの人形がないの!」
「ロシアの人形か……。あ、もしかして、そういうこと!」
「なんだい。何かわかったのか?」粍五朗が二三の顔を覗き込んだ。
「謎はすべて解けたわ! トリックも犯人も何もかもね」二三は目を輝かせた。

(問題篇・終わり)

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(解決篇)

「メノウエーノさん。無くなった人形というのは、マトリョーシカですね?」二三はたずねた。
「ええ、そうです」
「やはり、そうですか。さてと、それでは、この殺人事件の種明かしをするとしましょうか。モニタールームへ行きましょう」

「この事件の最大の謎は、ペレスさんと一緒に外へ出た人間が誰であったかということでした」二三は、全員を前に言葉を選びながら喋り始めた。
「誰なんだ。あんたは、わかったんだろ?」ガッツ氏が言った。
「わかりました。ペレス氏と一緒に外へ出た人間など、本当はいないということが」
「どういうことだ? それじゃあ、解決したとは言えんだろ」
「わたしたちがモニターで見た防御服の中は、からっぽだったんですよ。ペレス氏が殺されたのは、我々がモニターに釘付けになっていた、まさにあの瞬間だったのです。言い方を変えれば、あれは衆人の目をモニターに向けさせるために、犯人が仕掛けた罠だったのです」
「するとなにかい、犯人は、女用の防御服を着て、男用のをあそこまで運んだっていうのかい? でも、それはおかしいな。ビデオカメラには、そんな様子は写っていなかっただろ」粍五郎が口をはさんだ。
「皆さんは、マトリョーシカというロシアの人形をご存知でしょうか。人形の中に、それより少し小さい人形が入っていて、その小さい人形の中にも、またさらに小さい人形が入っているという民芸品です。犯人は、そのマトリョーシカのように、女性用の防御服の上から、男性用の防御服を着て外へ出たのです。そして、ガレキの山の裏側で男性用を脱ぎ、背中にナイフを突き立ててから、何食わぬ顔でノアに戻ってきたのです」
「しかし、ミスターアケチはペレスの遺体を運んできたではないか? あの防御服がもぬけの殻だったなんてことは……。え、まさか……」ガッツが声を失った。
「そう、辛いことですが、犯人は明智粍五郎です。彼は、カプセル車の中に、ノアの中で殺したペレスの遺体を積み込んで、ここを出たのです。そして、ガレキの裏側で彼に防御服を着せて、ここに戻ってきたのです」
「見てしまったんだよ」粍五郎は呟いた。そして、上着のポケットから、マトリョーシカを取り出した。「3つめまでは、普通の人形だった」
 粍五郎は、外側の人形から順番に、皮を剥ぐように、マトリョーシカを開き始めた。
「だけど、4番めからは、真っ白な人型にびっしりとロシア語が書いてあったんだ。ほら、このとおり。ここに何が書いてあると思う? 人類を破滅に追い込んだ、あの最終兵器の製造方法さ。ペレスこそが、50億の人間を死に追いやった張本人だったんだよ」
 粍五朗が床に崩れ落ちた時、誰もがただ黙って彼を見ることしかできなかった。

(了)

あとがき:簡単すぎたでしょうか?