仕事のできる男たち

「山本さん! 山本さん!」
 パソコンのディスプレイをついたて代わりにして居眠りをする山本を、年下の上司である鈴木が揺り起こした。
「だ、駄目です! 僕には家内と姑がおりますから!」山本は椅子から飛び上がりながら叫んだ。
 営業三課の人間の目が一斉に窓際に集まり、小さな笑いが起こった。
「山本さん──。どんな夢を見ていたのか知りませんが、不況の折、余剰な人員を抱えている余裕は当社にはありませんからね。しっかりしてくださいよ!」
 山本は、所在なさげに椅子に座りなおし、開いたままだったエロサイトの画面を、そそくさと閉じた。
「ところで、課長。わたしに何の用だったんですか?」山本は平然を装って言った。
「葵商事の徳川部長さんとの面会は、三時からじゃなかったんですか?」
 鈴木は山本の後ろにまわり、ブラウザの履歴から山本が閉じたばかりのサイトを再表示させながら言った。
「あっ、課長! こ、これはですね。徳川部長がその、かなりの好きもんでして、いいサイトがあったら是非教えてくれというもんですから──」
「嘘おっしゃい! 徳川部長は女性でしょ。いいから、早く行きなさい!」
「わ、わかりました! 行ってきます!」
 山本は、営業鞄に企画書の入った白い封筒を詰め込むと、鞄のロックを確認するのももどかしく、それを抱きかかえるようにして、部屋を飛び出していった。
     *
 営業三課を出て、最初の角を曲がるところで、山本は大失態をしでかした。うつむき加減に前方から歩いてきた女子社員と正面衝突をしてしまったのだ。相手は庶務課の早川里美であった。
「すみません」
「ごめん」
 二人は互いに謝りながら、それぞれ自分が落としたと思われる書類を拾い集めた。
 自分の分を拾い終えた山本が、早川の方を見ると、彼女はスカートの裾を手で下にひっぱりながら恥ずかしそうに拾い集めている。それでも真っ赤なパンティがちらちらと見え、第三ボタンまで開いたブラウスからは、それとお揃いのブラが覗いていた。
「怪我はなかったかい?」早川に拾い残しを渡しながら、山本は言った。
「ええ、大丈夫です」早川はまともに山本の方を見ようとせず、小さい声でそう言った。
「あの、言いにくいんだけど、ぶつかったショックでキミの、その、ブラウスのボタンが外れたみたいなんだけど……」山本は、顔を赤くして言った。
「いえ、いいんです。自分でそうしてるんですから」早川はそれだけ言うと、山本の脇をすり抜けるように走り去っていった。
「なんだよ。勇気のいる忠告だったのに。しかし待てよ。早川里美といえば、社内でも評判の箱入り娘だろ。いつから、あんな大胆な格好するようになったんだ? 女ってのは、わからないねぇ」
     *
 約束の三時を少し過ぎて、山本はようやく葵商事に着いた。
「すいません。南町物産の山本と申しますが、徳川部長殿にお取次ぎ願えますか?」
 受付の女性に山本は言った。
「失礼ですが、アポイントはございますか?」受付嬢は端末を操作しながら答えた。
「ええ、三時にお約束いただいておりますが」
「わかりました。そちらのロビーでしばらくお待ちください」
 山本はロビー内の机のひとつに空きを見つけると、椅子に腰掛けた。一息つく間もなく、開いたエレベータからコツコツとハイヒールの音を響かせて、徳川美鈴が歩いてくるのが見えたため、山本は点けたばかりのタバコの火をもみ消さざるをえなかった。
「遅かったじゃない」美鈴が冷たい口調で言った。
「すみません。ちょっとした事故に遭遇してしまったものですから。あ、徳川部長、いつ見てもお綺麗ですね。グレーのスーツがとてもお似合いです」
「お世辞はいいから、さっさと企画書を見せてくださらない?」
「は、はいわかりました。ちょっと待ってくださいね。今用意しますから」
 山本は鞄の中から白い封筒を取り出し、徳川部長に渡す前に中身を確認した。
「おい、参ったぞこりゃ。えらいことになっちまった」ひととおり目を通して、山本が呟いた。
「どうなさったの? 早くしてくださらない」美鈴は苛立った口調で言った。
「申し訳ありません。出直して参ります」山本は封筒を鞄に納めると、勢いよく立ち上がって美鈴に背を向けた。
「待ちなさい! 事情を説明してから立ち去るのがルールでしょ!」
「やかましい。謝っているだろ! 男には、男のルールがあるんだよ」
山本は玄関に向かって走り出した。徳川美鈴が後ろで何か言っていたが、耳には入っていなかった。

     *
 山本が会社に帰りつくと、パトカーで来た警察と、野次馬で、本社ビルのまわりがごったがえしていた。
「ちきしょう。遅かったか」
 山本は、喧騒の輪の中に倒れる早川里美を見た。状況から飛び降りたのは間違いないと思った。
「あ、こらこら、入っちゃいかん」
 警官の制止を振りほどき、山本は"キープアウト"と書かれた黄色いテープをくぐった。
「早川さん! しっかりするんだ。ごめん僕、君の封筒を間違えて持っていってしまったんだ。もう少し早く気がつけば、こんなことには……」
 山本は肩を軽く揺さぶりながら言った。
「……いいん…です わたし…、アレを…誰かに……渡したら…こうする…つもりだった…から…… おね…がい……します うら……みを…はら……して………」
 山本だけに聞こえる声で、そこまで言うと里美は事切れた。
「わかったよ。俺にまかせてくれ」山本は里美のあらわになった大腿がスカートでは隠し切れないとわかると、スーツの上着をそこにかけ、その場を離れた。

『遺書』
私は、死を選ぶことにします。
でも、緑川麗子、青山京子、赤石冬実の三人だけは死んでも許すことはできません。
緑川は私が、遠山さんと仲がいいのを妬んで、他の二人と組んで私を更衣室に閉じ込め服を切り裂いた上で、それを携帯電話のカメラで写したのです。
それからの日々は地獄でした。派手な下着を身につけさせられたり、制服のスカートを短くさせられたり、ブラウスのボタンを三つめまで開けるように命令されたり──。断ったら写真を社内中にメールでばらまくと脅されたため、誰かに相談することもできないでいると、今度は部長のオモチャになるようにと言われました。もう限界です。少ないですが百万あります。私が死んだら、これで恨みを晴らしてください。お願いします。さようなら。

早川里美

 小さな携帯ショップの事務室で、店長の通称"哲"、釣具店経営の"政"、そして山本の三人が遺書を囲んでいた。
「へぇ。女ってのは怖いねぇ。ヤクザと変わんねぇんじゃないの?」哲が最初に口を開いた。
「会社をやめれば済むことかも知れないが、こんな不況下じゃ、次の仕事もおいそれとは見つからない。そんな状況で彼女はどんどん追い詰められていったんだろうな。ああいう格好をすること自体が、彼女の寡黙な告発だと、男として気がついてあげるべきだったよ」山本が呟いた。
「山本さん。どうするんですか? まさか俺たちでその女狐を始末しようなんて言うんじゃないでしょうね」政が訊いた。
「冗談じゃない。そんなの警察に任せとけばいいだろ。悪いけど、俺は聞かなかったことにしてくれ」哲が言った。
「おい冷たいこと言うなよ。警察なんかに言っても、証拠不十分で釈放されるのがオチだよ。そもそも、調子に乗って、たかが電話にメール機能やらデジカメやら付けたりするから、こんなことになるんだろ?」山本が声を荒げた。
「それはメーカーの意向だろ! ショップとは関係ないことだ」哲が言った。
「わかった。俺ひとりで殺る。見損なったよ」山本は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。殺るったって、ひ弱な山本さんがいったいどうやって三人もの人間を始末するっていうんですか?」政が聞いた。
「俺にはこれがある」山本は、そう言うと、営業鞄の奥からペーパーナイフを取り出した。鋏を半分にしたようなありふれたやつである。「先を研いである。仕事サボって、公園で練習してきた甲斐があったよ」
 山本が勢いよく投げたペーパーナイフは、数メートル先の壁に貼ってある携帯宣伝用のポスターに突き刺さった。今売り出し中の女優の額が、見事に貫かれていた。
「す、凄いよ山本さん。なんかぞくぞくしちゃいました。でもね、実は僕もひそかに練習していることがあるんです」
 政がポケットから、錘の付いた釣り糸の輪を取り出すと、フライフィッシングよろしく、それを先ほどのポスターに向かって肘から先のストロークで投げた。釣り糸が螺旋を描きながら飛ぶと、錘がペーパーナイフの柄の丸い部分をくぐり抜け、そのままそれを釣り上げて手元に戻ってきた。
「釣果、ペーパーナイフ。162ミリ」政が言った。
「二人ともやるじゃないか! それだけのテクニックがあれば、なんとかなるかもしれないな。わかった。俺も乗るよ。その代わり、俺には緑川っていう女を殺らせてくれ。携帯文化を悪用する姿勢が許せないんだ」哲が言った。
     *
「ちょっと、何よ。こんなとこに呼び出して。私、寒いとこは苦手なんだからね」
 南町物産の屋上で、緑川麗子が、先に来ていた青山京子、赤石冬実に向かって言った。
「え? 死んだ早川さんの遺書が屋上にあるかも知れないから探そうってメール送ってきたのは、緑川さんでしょ?」青山が言った。
「あたしは、そのメールを赤石からもらって、ここに来たんだけど」緑川が寒さに首をすくめながら言った。
「私は青山さんから──」赤石はそこまで言って、顔からコンクリートに倒れこんだ。
「キャーッ!」青山が悲鳴をあげた。赤石の額にペーパーナイフが刺さっているのを見たからである。「わ、罠よ。これは誰かが仕掛けた罠だわ」
 扉に向かって走って逃げようとする青山。だが、ノブに手をかけようとした瞬間、のけぞるような形で首を押さえ崩れ落ちた。
「釣果、女。1615ミリ。外道につきリリース」
 どこからか声が聞こえ、既に息絶えた青山の首から外れた錘が、声のする方へと飛んでいき、物陰に消えた。
 その時、扉が開き、用務員らしき男が入ってきた。
「いったい、どうしたんだ? 社長から当分ここは立ち入り禁止だと言われているでしょう」
「おじさん! 助けて、私誰かに狙われてるの」緑川が駆け寄り、男にしがみついた。
「携帯電話も、使い方を間違わなければ便利なものなんだがな」男──哲──は、携帯のアンテナキャップを緩めながら言った。錐のように尖った先端が顔を出した。「もっとも、これも間違った使い方だけどな」
 哲は携帯を逆さに持ち、緑川の首筋に突き刺した。
「どう…して? はや…かわに……たの…まれたの…か?」緑川が虫の息で言った。
「三人の携帯番号を調べるのは職業柄簡単だったよ。後は故障貸出用の携帯に、あんたらの番号を順番に入れ、メールを送ればよかった。しかしメールってのは便利だね、黙っていても言いたいことが告げられるから。そんなことより、死んだ早川さんに言うことはないのか? ツボは外してあるから、ことによっちゃ助けないこともないぞ」
「ざまぁ…みろ ひと…の……おとこ…に いろめ…つかう……から」
「はぁ──。だめだこりゃ」哲は指をパチンと鳴らした。
 緑川の首に刺さった携帯に山本からの着信があり、バイブが激しく振動した。緑川の全身も、それにつれて痙攣を始めたが、5回めの振動が終わる頃にはぐったりとした。
 バイブから着メロに変わった携帯からは、葬送行進曲が流れていた。
     *
「山本さん! 徳川部長からお電話ですよ!」
 自席で、うとうとし始めた山本に、鈴木課長が怒鳴った。
「あ、しまった。例の企画書渡すのすっかり忘れてた!──あ、山本です。申し訳ありません。企画書すぐにお持ちいたします──え? その件じゃない??」

「山本さん。今度お食事でもいかがですか? 私、男の人から、あんな風に言われたの初めてで……。思わず"男らしい! 素敵"って叫んでしまいました。聞こえてしまいましたかしら? 他の人には内緒にしてくださいね。恥ずかしいですから」
 電話の向こうでは、徳川部長が電話コードをくねらせながら、妙なシナを作っていた。

(完)

あとがき:筆者は仕事人シリーズが大好きでした(笑)