ヘンデスとグレテル

 お菓子の家で、グレテルはヘンデスの置手紙を読んでいました。

『グレテルへ。
 まだぐれているのかい。俺は先に行くぞ。ようやく、この迷いの森から抜け出す方法がわかったんだ。この家を出たら、ひたすらまっすぐ歩いて、分かれ道があったら、いい匂いのする方へ進めばいいんだ。分かれ道はいくつもあるが、全部その方法でいい。
 方向音痴のお前でも大丈夫だと思うから、俺は先に行って、どこか泊まれそうな所がないか調べておく。お前も早く来い。じゃあな。
ヘンデスより』

「何よ。こんなおいしそうなお菓子の山を目の前にして、どうして先を急がないといけないのよ。おなかいっぱいになってから出かければいいのに。ヘンデスが甘いもの苦手だからってことはお見通しよ。珍味の家とか乾物の家とかだったら長居するくせに。ばか」
 グレテルは、ウエハースの床をひっぺがして食べ、チョコレートのシャンデリアを叩き壊して食べ、クレープのカーテンを引きちぎって食べと、とにかく食べまくりました。

「さぁてと、おなかもいっぱいになったし、リュックサックにも詰められるだけお菓子を詰めたからヘンデスのわからんちんを追いかけるとしますか」
 グレテルは、食べられすぎて、すっかりおかしな家と化したお菓子の家を後に、迷いの森へと足を踏み出しました。
 言われたとおり、まっすぐ歩くと分かれ道があります。
「ええと、いい匂いのする方へ行けばいいのね、くんくん。あれ、くんくん」どちらの道からも、動物の糞や死臭といった悪臭は漂ってくるのですが、いい匂いはしてきません。「あれー、どうしよう。いい匂いなんてどっちからもしてこないよー。ヘンデスの嘘つきー」
 しかたなく勘を頼りに、先へ進むことにしたグレテルでしたが、うまれつきの方向音痴が災いして、気がつくとまた、お菓子の家が見える元の場所に戻ってきていました。
「ほほほほ、お嬢ちゃん、どうしたんだい。私の家をあんな風にして逃げるつもりだったのかえ?」
 悪いことに、森の魔女にも見つかってしまいました。
「うわーん。ごめんなさい。でも私は被害者なんです。いい匂いがする方へ進めばいいなんてヘンデスに騙されて、森に閉じ込められてしまったんです。可愛そうだと思って見逃してください。お礼ならこのリュックの中のもの全部あげますから」
「おやおや、お前は香料にまみれたお菓子の家に長く居すぎて、いい匂いが嗅ぎ分けられなくなってしまったようじゃのう。右の道からはバニラのいい香りがしてくるのにのう。もっとも、それがワシの狙いだったんじゃが。ほほほほ」魔女は意地の悪い微笑みを浮かべています。「おお、そうじゃ。お前さんの今の状態を何というか答えられたら見逃してやってもいいぞ」
「今の…状態? 悲劇のヒロイン? 迷える子羊のソテープロブァンス風香草添え? ああん、ふざけてる場合じゃないわ、急性嗅覚障害かしら?」
「ぶー。小娘にしては難しい言葉を知っとるとほめてやりたいところじゃが、それは、いい匂いも悪い匂いもわからなくなる病気じゃ。お前さんは、いい匂いだけがわからなくて、おまけにそれが元で道に迷うておる。こういう時にぴったりのがあるじゃろ?」
「わかんないよお。教えておばあさん」
「これがホントの──」魔女は魔法で出した座布団の上に座り、これも魔法で出した扇子で膝をぽんと打ち鳴らしてから続けた。「芳香音痴でございます。お後がよろしいようで」

(了)

<あとがき>
結局ダジャレかい!と怒らないでください(笑) これは第6回ファイトクラブ、テーマ「香」用に思いついた作品なのですが、出さなくて正解だったかもしれません。