明るい探偵事務所

―――2005年、一月。舎六穂難(しゃろくほむず)探偵事務所。

「先生、先生! またもや難事件です。殺人事件ですよ殺人事件!」
 日が落ち、電灯が灯ったばかりの、明るい探偵事務所に飛び込んできた男がいる。
「どうしたんだ? 綿村(わたそん)くん。毎度毎度のことだが、この日本において私立探偵に殺人事件の推理を依頼するなどという書き出しでは、賢明な読者でなくてもソッポを向くぞ」舎六は、愛用のロッキングチェアーに腰かけたままである。
「いや、大丈夫です。作者は2005年とわざわざ書いてますから」
「どうして2005年なら大丈夫なんだよ」
「それまでには、警察が民営化されて、私立探偵が堂々と事件の捜査をしているはずだということですよ」綿村は、そう言いながらコートについた雪を払った。
「おいおい、いくら民営化の恋文(こいぶみ)政権でも、警察までは民営化せんだろ」
「まあ、そう言わないで聞いてくださいよ。この前は密室殺人でしたが、今回はアレなんですから」
「なんだよアレって」
「推理小説といえば、密室かアレでしょう。ほら、ダイニング……ダイビング……あれ?」
「わざとらしい振りだな。ダイイングメッセージか?」
「そうそう、そのダイイングメッセージです。―――ところで、先生。新しい事務員を雇ったそうですが、早くクビにした方がいいですよ」綿村はガラステーブルの上に視線を向けながら言った。
「どうしてだね?」
「この料金不足で戻ってきた手紙の山を見れば誰でもそう思いますよ」
「ああ、これか。これはいいんだ。不景気だからな」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「いや、そういう問題なんだ。通信費は極力節約しないとな。お、そうだ。君にタダで電話をかける方法を教えてやるから聞いてなさい」そう言って、舎六は電話をかけ始めた。「えーと1、0、6と……」
「コレクトコールじゃないですか! なんというセコイ」
「しっ、黙ってなさい。あー、吉野三郎といいますがコレクトコールをお願いします。電話番号は090××××××××です」
「偽名ですか。探偵ともなると大変ですね」
「しっ! あ、そうですか。わかりました」
「どうしたんですか?」
「断られた」
「だーっ。どこがタダなんですか。断られてちゃしょうがないでしょ!」
「ふ。甘いな綿村君。どこがどう甘いかは後でわかるから、その前にそのダイイングメッセージとやらを聞かせてもらおうか」舎六はなぜか満足げである。
「あ、はい。あ、その前に約束してくれますか?」
「何をだね?」
「どこかで聞いたような話だなあ、とは決して言わないで欲しいんです」
「あい、わかった」
「この殺人事件の被害者は、知らない人以外は誰でも知っているという高名なタロットマスターなんですが、殺された時二枚のカードを握りしめていたんです」
「どこかで聞いたような話だなあ。どこかで聞いたような話だなあ」
「……うぅ…ここで言いますか? それも二回続けて……」
「僕は一回しか言ってない。あとの一回は読者の声を代弁したのだ」
「もういいです、勝手に話を続けます。その二枚のカードというのは、太陽のカードと月のカードだったのですが、このタロットマスターというのが、かなりの人物から恨みを買っている人物で、警察でも容疑者を絞りきれないでいるのです」
「とは言っても何人かには絞ってるんだろ?」
「ええ、まあ。確実なアリバイがある人間を除外すれば三人にまでは限定できています」
「順番に言ってもらおうか」舎六はパイプに火をつけた。
「一人目はイタリヤ人のコックのフォンド・ボー、二人目が中国人のマジシャン黄照津(き・てれつ)、三人目が日本人で新聞記者の文屋明(ぶんやあきら)です」
「中国人はないな」
「は? また、どうして?」
「中国人は推理小説の犯人にしちゃいけないんだよ。この業界じゃ常識だよ」

 *

「ただいまぁ。先生! お申し付けの品物、買ってきましたぁ。牛丼弁当三つでしたね」
「ああ、ありがとう。ひとつは綿村君に渡してくれたまえ。―――というわけで、時間も時間だし晩飯にしよう」舎六は、ガラステーブルの上の手紙を一箇所に集め、牛丼弁当を並べ始めた。
「はあ、すいません。しかし、何故、この事務員さん。僕が来ていることがわかったんですか?」
「鈍いやつだなあ。さっきのコレクトコールだよ」
「え? でもあれは断られたんじゃ……」
「鈍い、鈍すぎる! さっきの電話を思い出してみたまえ」
「え? さっきのって……あれは相手が出るのを拒否したんじゃ……」
「いやそうじゃない。実は、あの電話の相手が、ここにいる事務員の伊藤木国代(いとうきこくよ)君なんだよ。彼女には、こんな感じの問い合わせがあったはずなんだ『吉野三郎さんからコレクトコールですが、お受けになられますか?』とね」
「―――あ! そういうことですか! 吉野三郎というのは偽名ではなく、牛丼弁当を三つ買ってきてくれという伝言そのものだったんですね!」
「そのとおり。いつもながら掌編の時の君は冴えているね。これが長編ともなると、どうでもいいエピソードや故事格言、不要なボケまで入るもんだから、それだけで八十ページ程を費やしてしまうんだが。ま、そんなことはともかく、彼女とはいつもこの方法で連絡を取っているのだ。どうだ、うまい方法だろう? 電話代がタダというのはいいもんだ」
「すこぶるセコイとは思いますが、法には反してはいませんね」綿村は嘆息した。
「ついでに、もうひとつ節約法を教えてやろう。この封書をよく見たまえ」舎六はそう言って、例の料金不足の封書の束を綿村に渡した。
「あれ、よく見ると、筆跡がすべて違いますね」綿村は、手紙の受取人欄を順に見ながら言った。
「いいところに気がついたね。実は、これは戻ってきたんではなく、正常に配達されたものだとしたら、どういうカラクリがあると思うね? ちなみに相手は全国に散らばる僕の協力者達だ」
「これは難問ですね。でもわかりましたよ。差出人として相手の名前を書き、受取人には自分の名前を書く。その上で正規の料金に満たない額の切手を貼って投函すれば、料金不足のスタンプが押された上で、差出人、つまりこの場合は本来送るつもりだった相手に届けられるという寸法ですね」
「ご名答! 見事なもんだ。そろそろ規定の枚数だと思って巻きを入れたね。どうだね、郵便システムの盲点をついた、うまい方法だろう?」
「ううむ。これも法には触れていないような。でも、どうせなら切手を貼らずに出せばいいじゃないですか」綿村が、牛丼弁当をつつきながら言った。
「ははは。それはダメだよ。切手がない場合は郵便局でしばらく保管されてしまうんだ」
「そうなんですか? 裏は取ってあるんですよね? 最近の読者は厳しいですから、後で反論もらっても知りませんよ。あ、そんなことより、そろそろ例の事件の推理を聞かせてくださいよ」
「ああ、あれか。タロットのやつだったな。あれは日本人記者の文屋明が犯人だ」舎六はこともなげにそう言い切った。
「文屋がですか? その根拠は?」綿村はポカンとしている。
「なあに簡単なことだよ。被害者が持っていたタロットカードは、太陽と月、つまり日と月だろ? それを合わせれば『明』という字になるじゃないか」
「なるほど! 極めて単純でしたね」
(了)