2005年 初夏 出荷記念号(37号)

 お待たせしました。ワインの到着です。いつもこの日は晴れがましくも気恥ずかしく、そして、かなりドキドキして迎えます。昨年から今年の私たちの仕事のひとまずの区切りの日ですから。
 このワイン、皆様の食卓でどんな表情を見せてくれるのか。私たちは試飲を繰り返し、ひとまずの目処は持ってきましたが、飲まれる方それぞれのお宅でまた違った印象を持たれる事でしょう。いつもの事ながら、今の時点では私の方からはこのワインの採点は控えさせて頂きます。まずは、味わってみて下さい。秋にはまたアンケート葉書を同封しますので、率直な印象を聞かせて頂ければとてもうれしいです。
 今農園では、遅れやってきた北国の春の「劇的な」訪れに追われて大忙しです。半月遅れの雪解けのためにあらゆる農作業が大幅に遅れていましたが、雪も融けてしまえば暦どおりに暖かい日もやってきて、葡萄の芽も雑草も一気に元気づいてきました。
 気がついてみれば、私たちの小さな農園のワインも初めてみなさんに出荷してから10年目になります。今年のワインは記念すべき「第十号記念酒」ということになりますね。ワインの出来も、葡萄の収穫量も、そして私たちの生活も北国の夏の暑さのごとく年によって浮いたり沈んだり、千変万化ですが。
 それでもこれだけの長さ続けていると、どこからかいろんな形で噂が伝わり、私の農園を訪ねてくれる方が増えてきました。特に、最近ではワインや食に関する仕事を志す若い方の来園が増えています。


 最近の雑誌のワイン特集を読まれたりして、国産のワイン事情をご存知の方はよくわかっておられると思うのですが、最近ワイン醸造を志す若い技術者がだんだん増えているようです。老舗のワイナリーの後継者として始めたり、果樹農家の後継者がワイナリーを立ち上げたり、新しいワイナリーが誕生してそこでのワイン造りを若い技術者が担ったり。これは日本酒の世界でも耳にする事が増えてきました。
 今から20年も前に、私が「おたるミュラー」に出会い北海道行きを決意した頃には、酒類業界にいた私でさえ、日本のワイン業界の正確な現状は把握してはおらず、それを知るすべもほとんどありませんでした。ワインを生業にする人の言葉に触れる事もほとんどなく、流布されているイメージと、時たま手に入るワインだけで「ワイン業界」を想像したものです。
 田崎真也氏の活躍、そしてその後のワインブームからワインの注目度も上がり、インターネットの普及により造り手のメッセージにもかなり容易に(しかも正確に)触れる事が出来るようになりました。あの当時とは比較にならないほど多くの情報を手にして、ワイン造りの可能性を感じて若い方達がこの世界に身を投じる、これはちょっとワクワクする話だと思います。


 ここ北海道は土地柄か、私がやったタイプのワイン造り、つまり、「自分がデザインしたワイン造りを、自ら拓いた畑で葡萄を作るところから始める」というスタイルを志す若者が多いようです。広い大地に可能性を見るからでしょう。
 私が自分のワインを夢見て北海道のあちこちを廻っていた15年ぐらい前。その頃の希望に満ち、でも不安や迷いで一杯だった気持ちを今の彼らの言葉の中にも見る事が出来ます。人ごとながら、これからの苦労を思えば私も一言二言とおせっかいな忠告をせずにいられません。まだまだ自分の畑だけでも十分把握できていない身でありながら…
でも、彼らの思いの多くが「思い込み」「勘違い」に支えられていたとしても(まさに私がそうでした)、若い一時期を自分の夢見た物にすべて賭ける事が出来る幸せを私も知っています。私は多くの幸運に助けられ(その多くは家族をはじめとする人との出会いである事は間違いの無い事です)、今もワインを造り続ける事が出来ています。その将来に希望を持ちながら。10年前のような、生活のすべてを賭けるほどのエネルギーが今の私に残っているのか自信はありませんが、訪ねてくれる若者たちから少しずつエネルギーをもらって、ちょっと見えてきた次の段階へ挑戦したいという気持ちも膨らんでいるのです。なんと幸せな事だと思います。
吹雪が続く三月のある日、チーズ造りを志す若いカップルが農園を訪ねて来ました。函館の近郊で牧場を拓きたい、というそのカップルは新しいチーズ造りの夢を色々語ってくれました。その言葉のむこうにはもう草を食む牛たちの姿が見えるようでした。
私の机の窓からは、昔、毎日毎晩夢見た葡萄畑が広がっています。決して満足のいく畑ではありませんが、間違いなく姿を現した私たちの夢の畑です。そしてもう一度、その葡萄畑に続く次の光景を夢見てみたい、そう思わずにはいられない今日この頃です。