2005年 春 早春号(36号)

 日本のあちこちから花見など、春の便りが聞こえてくる季節ですが、蘭越には中々春が来ません。窓の外には信じられない光景が広がっています。一面の雪・雪・雪…。畑にはまだ1m近い雪が残っており、つい先日もその上に雪が降り積もりました。なんてこった…
 北海道では5月の連休に平地で雪が降る事も普通にあるくらいですからこの頃の雪には驚く事も無いのですが、なにせ今年は冬の間から異常な大雪が続いています。昨年の年末にはなかなか根雪にもならず、極めて雪の少ないクリスマスだったので「今年の冬は楽だな…」と思ったのが大間違い。年を越してからの豪雪は記録的なもので、あちこちの古老の口からも「こんなに降ったのはほんとに久しぶりだ…」「こんな雪は記憶に無いなぁ…」という言葉が聞かれました。


 春になっても残雪が多いと、農家としてはとりあえずやれる事が無くなります…我が家では農園便りを作ったり大工仕事をしたりしていますが、この機会に私たちの地区では神社の修築をする事にしました。

 なぜか今年は町内会長!一応(?)私の指揮で神社の塗装と屋根の修理をします。その神社はこの山村ではちょっとめずらしい80年以上の歴史のある、小さいながらも由緒のある社です。この山の中の地区で大きな農園を拓き、孤児の自立を夢見た「小樽育成院」という孤児院の建立した神社です。80年を経過し何度も修築を繰り返してきたのですが、最近は外観も痛みが目立ってきたので防腐剤を塗り、壊れた屋根の飾りを直す事にしたのです。
さて、そこは農家集団。塗料を用意し、足場を組み、屋根の板金を剥がして腐った部材を交換し…。手持ちのユンボも出動し、高所作業に慣れた電気屋のT氏が10mの足場を組み、次々と段取りが進みます。こんな時ほんとに農家の実行力はすごい。戦後の開拓期には自前の水力発電をいち早くスタートし、進駐軍供給の小麦で山の小学校でパンを焼いていたほどの地域。その伝統が生きているのでしょう。
 本番は雨にたたられましたが準備が万端だったので高所作業も問題なく、ほとんどの作業は終わりました。数年来の宿題が解決して気分がいい。総勢12名の参加でわれらが神社もちょっと立派になりました。


 さて、いつもより余分の仕事が入ってきたのですがあいかわらず畑の雪はなかなか融けず畑仕事は始まりません。融雪剤(黒い粉です)を撒いては雪が積もり、その上からまた撒き直したり…。仕事は遅れ、雪解け後の作業はとんでもなく忙しくなりそうですし、なによりこんな時は野鼠の被害が深刻です。中々晴れない天候とにらめっこでちょっと憂鬱な毎日です。
 

 そんな時新聞に、あの中越地震で集団離村した山古志村の記事が載っていました。やはり地震で傾いた家々は今年の豪雪に絶えきれず、次々と倒壊したという。テレビをひねれば毎日花見のニュースでにぎやかなのに雪国の春は遥か…家屋の周りにある納屋やビニールハウスまで管理が間に合ったとは到底思えません。コツコツ積み上げてきたこれら生活基盤が農家の命綱なのです。我が家はゼロから造ってきましたからその深刻さは身にしみてわかります。
 今回の豪雪は、さながら弱いものいじめの様相を呈しています。昨秋台風の直撃を受け、果樹を中心に甚大な被害を被り再起が危ぶまれる北海道余市周辺も、記録的な豪雪にみまわれています。大きな天災を受けると生活そのものを維持するのでも大変な事で、山間部ではなおさらです。昨秋の号にも書いた通り、余市の美しい果樹園たちは台風に痛めつけられた上に、深く、固い雪で押さえつけられ、リンゴやサクランボの樹の枝が折れ、ぶどう棚が倒壊したところも少なくありません。
農家を11年間やってきて、少しは段取りというものができるようになってきた私たちですが、全く新しい日取りでの農作業、はたして何が待っているのか見当がつかない状態です。

 雪が融けるにつれて、あちこちの地域で折れた果樹、つぶれたビニールハウスなどが次々表れ、豪雪地帯の厳しさを思い知らされています。昨秋の台風同様、「無事では済まなかったが、まだいい方か…」といいたいのですが、我が家も雪が溶けて葡萄が芽吹くまで、何があるのかドキドキの春です。まずは野鼠の被害が無ければいいのですが…