2000年 新年号   私のワイン造り(ページ1)

今年もよろしく!

 皆さん,新年をいかがお過ごしでしょうか。「ミレニアム」などというばか騒ぎとは無関係に、今年も作物にとってよい年でありますように。
  農家となり、農村に住むようになって、「今年」の話題のまず第一は「夏が暑いか寒いか」になりました。現在のところ北海道は記録的な小雪・暖冬。12月には何度も雨が降り、アルバイトに通っているスキー場も浮かぬ顔。雪投げが楽だし、雪解けが早くなれば農作業も楽になりますが、「寒い冬」が「暑い夏」を持ってくる、と言われているこの地方ではちょっと気がかりな毎日です。

「なにもしない」ワイン

 広島から小樽に移り住みワイン造りを生業にし始めた頃、同じくこの地のワインに引き寄せられた東京出身の同僚のM氏と、自分たちの作っているワインについてよく話し込んだ。
  彼は言う。「うちのワインのよさって、結局なにもしていない事なんだよね」。工場に来た葡萄を急いで絞り、木枯らしの中で醗酵させる。仕上がったワインは葡萄の状態がほとんどそのまま表れ、よくも悪くも「葡萄そのもの」になる。
  彼は東京の大学で醸造学を学んだのだが、その時の卒論が「いかに葡萄から食用葡萄臭さを取り除くか」だった。一般にデラウェアやキャンベル、ナイアガラなどのアメリカ系食用葡萄に特有の香りは「弧臭」と呼ばれ(どこがキツネなのかよくわからんが)、一流のワインにはそのようなヨーロッパのワインに無いような香りがあってはいかん、と言われていた。日本では最近までヨーロッパ原産のワイン専用品種はごくわずかしか生産されず、そのため2級品の食用葡萄がワインの原料にされる事が一般的で、そのワインをいかに「本場ヨーロッパ風」に仕立てるか…。その事に多くの醸造家が取りくんでいたのである(ちょっと悲しい)。
  しかし当時の小樽の工場では、葡萄は順調に醗酵が終われば、必要な手順を踏んでほとんどそのまま製品となった。欠点(と言われていた特徴)をかくす事は無かった。そして、私には驚くべき事に、そのワインが、徐々にではあるが、「絶大」な支持を受けたのである。(悲しい話だが、今、その工場から出荷されるワインはかなり当時と違うモノである。生産量も一桁上がり、万人向けに「加工」されたそのワインからは葡萄の強烈な個性は感じられなくなった。)
  しだいに私が確信したのは、「葡萄は嗜好品」なのであり、その価値は「買って飲む人が決める」という当たり前の事でした。日本人には日本人の、長い間培われた嗜好があり、ワインも欧米と違って当たり前なのだ、という事。無理矢理「標準」に合わそうとせず、葡萄の持っている個性を信じる事。 ワインの酒としての最大の魅力は、他の酒と比べて圧倒的に豊富な、産地・生産者による個性にある。そして、ワインの個性の多くは「その土地の葡萄」に由来する事を思えば、ワイン造りとは「その土地にあった葡萄を育て」、そして「その個性を最大限生かしてワインに生まれ変わらせる」事に他ならない。 そのため、当然ながら「はじめに葡萄ありき」。この蘭越町・上里の土地でどんな葡萄ができるか、未だ確信はありませんが、少しは自信も持てました。その上で、どんなワインが作れるかの試行錯誤がいよいよ本番になります。私たちのワインの個性を見つけていくための今までの取り組み、そして迷いの歴史です。

新鮮なワインを造る

  北国の葡萄はなかなか完熟しない。年によるムラが激しく、南国のような糖度の高い、濃い味のものにはなり難い。これはある意味では致命的な欠点です。 しかし反面,高い香りと複雑な酸味を持つ、上品なものになりうる。この香り、酸味を生かしたワイン造りに世界中の高緯度産地(寒い地方)、ドイツやブルゴーニュなどの農家と醸造家が取り組んできました。


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