日本の歴史認識 > 近代日本の歩み > 参考文献(第1章)

 参考文献_第1章 明治維新 関係

以下、著者名のアイウエオ順(外国人の著者は日本語読み)で掲載しています。

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※2 著者の経歴はその著書に記載されている内容をもとにしています。

アーネスト・サトウ著・坂田精一訳「一外交官の見た明治維新(上)」、岩波文庫、1960年9月25日(原本は1921年ロンドンのシーレー・サービス社から出版された)

  • <寸評> 著者アーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow 1843-1929)は、スウェーデン出身の父とイギリス人の母の間に生まれ、図書館で読んだ日本に関する本に触発されて、18歳のときにイギリス外務省の試験に合格し、1862年9月、横浜に赴任した。1869年2月帰国したが1870~83年には書記官として来日、1895~1900年には公使として日本に駐在した。この本は日本滞在時の日記などをもとに書いたもので、上巻では1862年の赴任から67年の6月頃まで、下巻はその後、イギリスに帰る1869年2月までになっている。
    著者は、横浜の様子を次のように書いている。{ 街路は一般の人々の利便をかまわず、また、あまり将来のことを考慮せずに設計されていた。馬車の時代は日本ではまだ始まっていなかった。}(上巻P23)、{ 日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨むものには相手がだれであろうと容易に服従する。殊にその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。}(上巻P141) このように当時の日本の情景や民衆の様子などが頻繁に出てきて、まるで現代人がタイムマシーンに乗って当時を訪れているような気分にさせられる。

アーネスト・サトウ著・坂田精一訳「一外交官の見た明治維新(下)」、岩波文庫、1960年9月25日

  • <寸評> 下巻は明治維新前夜から、東京への遷都、函館五稜郭の戦いまでが描かれているが、イギリス人を殺害した犯人が切腹・斬首するシーンが実にリアルに描かれている一方で、戊辰戦争の勝利が確定し、薩長の志士などと吉原でどんちゃん騒ぎをする様子も書かれている。
    半藤一利氏が言うように「その時代と人物が彷彿として浮かんでくる面白さがある」。

家近良樹「孝明天皇と「一会桑」」、文春新書、2002年1月20日

  • <寸評> 著者は1950年生まれ、大阪経済大学客員教授、専門は幕末維新史(2017年8月時点)。ペリー来航から、鳥羽伏見の戦いまでの幕末維新史を孝明天皇と一会桑(一橋慶喜、会津藩松平容保、桑名藩松平定敬)の3人に焦点をあてて書いている。

家近良樹「西郷隆盛」、ミネルヴァ書房、2017年8月10日

  • <寸評> 著者については上記を参照。西郷隆盛の誕生から死までを描いたもので、単行本(B6版)全600頁にも及ぶ大著である。多数の史料をもとに、西郷の行動を細かく分析しており、明治維新を研究する人たちにとって必読の書であろう。

一坂太郎「木戸孝允」、山川出版社(日本史リブレット)、2010年7月20日

  • <寸評> 著者は1966年生まれ、現在は萩博物館特別学芸員、専攻は日本近代史。この本はA5版87頁のコンパクトサイズで、木戸孝允の誕生から死までを要領よく、簡潔な文章でとても読みやすくわかりやすく、まとめている。

一坂太郎「吉田松陰とその家族」、中公新書、2014年10月25日

  • <寸評> 著者については上記を参照。標題通り、吉田松陰とその家族に関する伝記である。

伊藤之雄「伊藤博文 近代日本を創った男、講談社学術文庫、2015年3月10日(原本は2009年)

  • <寸評> 著者は1952年生まれ、京都大学大学院法学研究科教授。法学部出身だが、山県有朋や明治天皇、原敬などの人物史も書いている。著者によれば、伊藤博文(1841-1909)についての従来のイメージは、(1)木戸、大久保など有力者の間を巧みに渡り歩いて出世した軽佻浮薄な人物、(2)保守反動的な憲法を創る中心となって日本の民主化の可能性をせばめ韓国の民族主義を弾圧したために暗殺された、というものだった。本書において、筆者は史料を丹念に精査し、伊藤博文は理念を持った政治家であり、剛凌強直な性格の人間だった、と結論付けている。
    伊藤之雄氏の教え子でもある瀧井氏の著書は、伊藤博文の政治・思想に焦点をあてているが、伊藤之雄氏のこの著書は私生活や伊藤の政治全般について史料を提示ながらていねいに伊藤の生涯を描き出している。

伊藤之雄「山県有朋 愚直な権力者の生涯、文春新書、2009年2月20日

  • <寸評> 著者については上記を参照。山県有朋(1838-1922)は、1871年に兵部省の実質トップになって以来、西南戦争、日清・日露から第1次大戦までの長期にわたって軍(特に陸軍)のトップとして君臨し、軍の組織や軍政及び風土の形成を主導した。この本は山県有朋の生涯を私生活を含めてわかりやすく書いており、日本軍の成立過程を知ることができる。のちに満州事変などで暴走する日本軍は山県がその礎を礎を築いた、とか、山県は「狡猾・陰険・陰気」な人柄だったとか、悪いイメージで語られることが多いが、伊藤氏は「山県の陸軍は統制のとれた組織でそれがのちの暴走につながったわけではない」、また、人柄については「自分の利害や人気を勘定に入れずにやるべきと考えることを全力でやる”愚直”という言葉がふさわしい」と言う。
    人柄の当否はさておき、山県の死後10年も経たずに“暴走”が始まる組織を作った結果責任は逃れられないのではないだろうか。

井上勲「王政復古 慶応3年12月9日の政変、中公新書、2013年3月30日(電子書籍 原本は2010年6月30日)

  • <寸評> 著者は1940年生まれ、東京大学文学部卒業、本書出版時点では学習院大学文学部教授、専攻は日本近代史。本書は、慶応3(1867)年12月9日の王政復古の宣言をゴールとして、序章と第1章でペリー来航から慶応2(1866)年までを概観したあと、同年春の4候会議から大政奉還、王政復古の背景、経緯、をかなり詳しく書いている。興味深いのは事象を淡々とならべるのではなく、様々な史料をもとにして、登場人物たちが何を考え、なぜそうした行動を選択したのかを実証的に考察しているところである。簡潔な独特の文体はとても読みやすく、明治維新を知る上で必読の書ではないかと思う。

井上勝生「幕末・維新 シリーズ日本近現代史①、岩波新書、2006年11月21日

  • <寸評> 著者は1945年生まれ、京都大学文学部卒業、本書出版時点で北海道大学名誉教授、専攻は幕末・維新史。本書はペリー来航から西南戦争までを対象にしているが、明治の新政府成立以前にやや重点が置かれている。開港・開国、攘夷・討幕運動、そして明治新政府の成立という政治的な動きについては、新史料などをもとに従来からいわれてきた明治維新を必要以上に美化する動きを牽制している。著者が最も言いたかったのは、農民や商人など民衆の視点でみた明治維新を明らかにすることであろう。それは次のような言葉でまとめられている。{(近代)社会が必要とする勤勉や、規律や衛生は、実は江戸民衆社会に、欧米のそれとは形態が違っていたかもしれないが、成熟をとげた形で存在したのである}、{幕末日本の大方が攘夷で沸き立っており、その中心に天皇・朝廷がいたという神国思想や大国主義で色揚げされた物語こそ、… 「無稽の謬説」の一つであった。その物語は、近代日本がつくりだした、あたらしい天皇制近代国家の国家創世「神話」にほかならなかった。}

井上勝生「開国と幕末変革 日本の歴史18、講談社学術文庫、2009年12月10日(原本は2002年)

  • <寸評> 著者については上記を参照。本書は18世紀後半のアイヌ民族とロシアの動き、ならびに日本経済の変革や百姓一揆、などから始まり、天保の改革、ペリー来航と尊王攘夷運動を経て戊辰戦争の直前あたりまでを対象にしている。活動の中心になった「維新の志士」たちの華々しい活躍よりも、民衆の動きや関係国の内情などについて、詳しく分析している。著者はあとがきで次のように述べている。{ 同じ欧化への道であったとしても、その後の近代の東アジアにとって、日本はもっと道理にかなった「近代」をつくる、さまざまの可能な道があったように思える。}

岡義武「明治政治史(上)」、岩波文庫、2019年2月15日(原本は1962年11月刊)

  • <寸評> 著者・岡義武(1902-90)は、1926年東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、吉野作造に師事してヨーロッパ政治史を研究、その後近代日本の政治史に取り組み東大教授を経て1963年退官後も日本学士院会員など、20世紀を代表する歴史学者・政治学者といってよい。著者にはリベラル知識人としてのイメージとニヒリスティックな傍観者というイメージがつきまとっている。(本書「解説」より)
    著者は明治維新を「民族革命」と位置付ける。{ 民族革命とは、民族の独立確保あるいは民族の対外的勢力拡大を目的としてなされる国内政治体制の変革をいう。}(本書P131) 幕府の開国策も長州などの攘夷論も、その根は同じ独立確保にあるとする。
    上巻では幕末から明治憲法制定までの史実を実証的に追跡しながら、「なぜ、それが起きたのか」を分析している。特に力を入れているのが自由民権運動以降で、それまで独立の確保の意識をほとんど持たなかった民衆を、政府はどのように「国民」にしていくか、について教育勅語や鹿鳴館などの洋化運動の位置付けを分析する。
    明治維新史としては古典に属する本で、{ 個々の論点については今日の研究水準からすれば再考されるべきものも少なくないだろう。}(本書「解説」P488) が、一方で他の研究者とは異なる視点でみる明治史に新鮮さを感じる。

岡本隆司「清朝の興亡と中華のゆくえ」、講談社、2017年3月21日

  • <寸評> 著者は1965年生まれ、京都大学大学院文学研究科卒業、執筆当時は京都府立大学教授、専攻は近代アジア。あとがきで、「清朝の興亡をたどることで、戦乱から平和に向かう17世紀・繁栄をきわめる18世紀・平和から相克に向かう19世紀の東アジアが一望できる」と述べており、そのことに違和感は全く感じないが、この見方は学界では異端だという。一般にこうした歴史書は、史実を丁寧に記述した上で、それをどう見るかを簡単に記述するパターンが多いが、この著者の場合、史実の記載は必要最小限にとどめ、どう見るか、どう理解するか、ということに力点を置いている。それ自身は歓迎すべきことなのだが、事実関係の記述が簡単なので因果関係がよく理解できない場合もある。

小川原正道「西南戦争」、中公新書、2007年12月20日

  • <寸評> 著者は1976年生まれ、慶應義塾大学法学部教授、専門は近代日本政治史、政治思想史。標題通りに、西郷が征韓論で下野してから西南戦争で自決するまでの史実を克明にかつわかりやすく記述しており、西南戦争の全貌を掴むには好適な書である。

落合弘樹「秩禄処分」、講談社学術文庫、2015年12月10日

  • <寸評> 著者は1962年生まれ、明治大学文学部教授。本書の標題は「秩禄処分」となっているが、「武士という身分はどのようにして消滅したのか」が主題になっている。織田信長が、それまで兵農混在状態だった軍団を軍役専門の部隊に編制したときから近世の武士が始まり、戦闘がほとんどなくなった江戸時代もそのまま維持されて明治維新を迎え、明治9(1876)年8月の秩禄処分によって武士という身分は廃止された。本書では、明治維新後に武士が廃される過程とその後について述べている。

勝田政治「大久保利通と東アジア」、吉川弘文館、2016年2月1日

  • <寸評> 著者は1952年生まれ、早稲田大学第一文学部卒業、本書出版時点で国士舘大学文学部教授。
    本書は明治初期の大久保政権による東アジア政策として、征韓論と朝鮮との国交樹立、台湾出兵、樺太問題、の3点を、国家目標との関連で論じたものである。著者によれば、{ 大久保(政権)の東アジア政策は、征韓論に象徴される国権拡張主義による力の政策 }(本書、P5) として説かれることが多かったが、著者は多くの関連史料を分析し、{ 不平等条約体制から脱却し、「万国対峙」を実現するためには「民力」を基盤とした国家富強が最重要課題であり、それを実現するための最大阻害要因である対外戦争を避ける避戦論(非戦論ではない)を重視した外交を推進した。}(本書,P191) と主張する。確かに、開国した日本が短期間で欧米列強に肩を並べるまでに成長した理由のひとつがこの大久保の政策にあった、と考えるのは妥当であろう。

勝田政治「大政事家 大久保利通」、角川文庫、2015年3月25日(原本は2003年)

  • <寸評> 著者略歴については上記を参照。著者は「本書は評伝ではない」として、大久保利通(1830~1878)の私生活などについては一切書かず、1862年の寺田屋事件の頃から暗殺される1878年までの政治活動について記している。この間の大久保の政治活動についてはわかりやすく書かれているが、やや美化しすぎているように感じる。

勝田政治「廃藩置県」、角川ソフィア文庫、2014年10月25日(原本は2000年)

  • <寸評> 著者略歴は上記を参照。標題の通り、戊辰戦争後の版籍奉還と廃藩置県について論じている。この2つによって封建制が瓦解し、天皇を中心とする中央集権体制が確立されることになるのだが、その変化が極めて大きな変化であるにもかかわらず、スムーズに移行できたのはなぜか?著者はその原因の一つに藩財政のひっ迫をあげるが、もう少し巨視的な視点で考える必要があるのかもしれない。

姜在彦「新訂 朝鮮近代史」、平凡社、1986年1月16日/1994年8月1日(新訂版)

  • <寸評> 著者の姜在彦(カン・ジェオン)は1926年朝鮮(済州島)生まれ、執筆当時は花園大学教授で専門は朝鮮近代史・思想史、朝鮮戦争後は日本に在住し2017年没。(Wikipedia「姜在彦」より) 本書は19世紀から第2次世界大戦により朝鮮が日本から解放されるまでの政治史を中心に書かれている。日本による植民地支配は、「民族内部を分割して統治する方法によって、同族内部の相互不信と疑心暗鬼による人間性の破壊までもたらし、その後遺症は今日においてさえ癒えることがない」と述べる一方で、朝鮮側での歴史認識にも問題があることを指摘している。(あとがきP323-P324)
    見慣れない漢字がたくさん登場するなど、読みにくい部分もあるが、価値ある一冊だと思う。

北岡伸一「明治維新の意味」、新潮選書、2020年9月20日

  • <寸評> 著者は1947年生まれ、東京大学大学院法学研究を卒業後、東京大学教授、国連大使などを経て、2015年から国際協力機構(JICA)理事長。
    平易な文章(うまいとは言えないが)で、専門的なことも補足説明しているので、一般の読者にも読みやすいと思う。北岡氏は明治維新を「日本が直面したもっとも重要な課題に、もっともすぐれた才能が、全力で取り組んでいた」(本書「あとがき」) と絶賛しており、本文でも随所に明治維新を美化するような表現が出てくるが、時々オーバーランする。例えば、{(壬午事変と甲甲事変で)日本は清国に敗れた。その理由は海軍力の差であった。当時清国は定遠、鎮遠など、世界最大級の7000トン級の船を保有していたのに対し、日本は最大で4000トン級だった。}(本書P251)とあるが、この2つの事変は朝鮮の内乱で複雑な事情があり、単純に清国に敗れたということには違和感があるし、定遠、鎮遠が就役したのはこれら事変の後である。
    北岡氏は近代日本史への造詣も深いようだし、本書で参照している史資料は一次資料も含めて膨大な量にのぼっており、史実を大きく取り違えているところはなさそうだが、例えば、攘夷を過激化させた孝明天皇についてはほとんど触れていない、など歴史書として読むには難がありそうである。明治維新を愛する人向けのノンフィクション「明治維新物語」としての価値はあると思う。

久住真也「王政復古」、講談社現代新書、2018年1月20日

  • <寸評> 著者は1970年生まれ、大東文化大学准教授、専攻は日本近世・近代史。筆者は序文で次のように書いている。{ 復古の君主像(第1章)、宮中参内という儀礼を生み出す政治の転換(第2章)、政治君主としての天皇の登場(第3章)、以上の3つの視点を切り口として、王政復古、ひいては明治維新の一端を捉える試み }(本書、P7) 朝廷の儀礼や武士との応対が、明治維新によりどう変化していったか、が中心になっており、王政復古というイベントを朝廷側から見たような形になっている。

坂野潤治、大野健一「明治維新 1858-1881、講談社現代新書、2010年1月20日

  • <寸評> 本書は、明治から戦前昭和に至る我が国の民主化努力の成果と挫折を、通説に疑問を投げかけながら描き続けてきた政治史家(=坂野氏)と、アジアやアフリカに頻繁に足を運び、いままさに工業化せんともがいている途上国政府との政策対話に挑んでいる開発経済の実践者(=大野氏)とのコラボから生まれた(本書「まえがき」より)。
    アジアやアフリカの開発途上国が必死になって経済力の強化に取り組んでいる一方で、幕末日本が比較的早く近代化を成し遂げることができたのは、なぜか、が本書のテーマになっている。著者らはその主な要因として、登場人物たちの目標設定や連携の柔軟さ(著者は「柔構造」と呼ぶ)を指摘し、それを具体例を用いて論証していく。例えば、身分を問わず優秀な人物を登用したこと、他グループとの連携のために目標の優先度を変更することを厭わなかったこと、など。また、経済発展を支えた物流や情報交換の手段、西洋のブルジョアに相当する「豪商」たち、などが既に存在していたこと、などを指摘する。とても興味深い本である。明治維新で何が起きたかを知っていないと理解しにくいだろう。

成美堂「図解 幕末・維新」、成美堂出版、2014年

  • <寸評> ―――

高橋秀直「征韓論政変と朝鮮政策」、史林75巻2号、1992年3月

  • <寸評> 征韓論政変において、西郷隆盛は朝鮮への使節として平和的に修好関係を樹立しようとした、という毛利説に反論し、西郷は戦争をしかけようとした、と主張する論文。

高橋秀直「征韓論政変と政治過程」、史林76巻5号、1993年9月

  • <寸評> 同上

瀧井一博「伊藤博文 知の政治家、中公新書、2010年4月25日

  • <寸評> 著者は1967年生まれ、京都大学法学部卒業、2006年兵庫県立大学経営学部教授、2007年より国際日本文化研究センター准教授。本書により第32回サントリー学芸賞受賞。伊藤之雄氏のゼミでの出会いが伊藤博文に本格的に取り組むきっかけになったという。伊藤之雄氏の研究成果を生かしつつ、「文明、立憲国家、国民政治の3つの視覚から伊藤博文の生涯をたどり、伊藤の隠された思想・国家構想を明らかに」したものである。それは、「強大な天皇大権を定めた明治憲法を創って軍国主義への道を開いた」政治家としての伊藤博文ではなく、「近代日本を代表するデモクラシーの政治家」=知の政治家として実証的に論じている。

瀧井一博「大久保利通 知を結ぶ指導者、新潮選書、2022年7月25日

  • <寸評> 著者略歴は上記を参照。大久保利通は冷徹な独裁者というイメージ持たれているようだが、著書は「はじめに」で、地縁や血縁といった直接的な人間関係とは異なる「知」のネットワークを築き、そのつながりから国民国家を立ち上げようとした、と言う。
    本書は大久保利通の生誕から死去までの伝記の形をとっているが、明治維新の中心人物だったこともあって、大久保の眼を通してみた明治維新史として、とても興味深い。

田中彰「明治維新と西洋文明」、岩波新書、2003年11月20日

  • <寸評> 著者は1928年生まれ、東京教育大学文学部卒業、本書執筆時点では北海道大学名誉教授、専攻は日本近代史。本書は岩倉使節団の公式報告書「特命全権大使米欧回覧実記」などをもとに、岩倉使節団が米欧訪問で何を見て、何を感じ、何を考えてきたかを、政治・経済・社会・文化などそれぞれの視点からまとめたものである。

田中・菊池・加藤・日野・岡本・梶谷「図説 中国近現代史」、法律文化社、2012年3月30日

  • <寸評> 1988年に発行された同名の書が数回の改定を重ね、「中国現代史研究会」に参加する若手研究者によって2020年に更改されたのが本書である。見開き左側に本文、右側に関連した図版という構成で、19世紀の清朝から21世紀現代中国までを対象としており、中国近現代史の入門書としておすすめできる。

遠山茂樹「明治維新」、岩波文庫、2018年4月17日(原本は1951年)

  • <寸評> 著者は1914年生まれ、東京帝国大学卒業後、東大史料編纂所、横浜市立大教授、専修大学教授などを経て、2011年死去。専門は東アジア近代史。(以上、Wikipediaによる)
    本書は、第2次大戦後に一世を風靡した唯物史観(マルクス主義史観)に基づく明治維新論で、明治維新を封建制から絶対主義に転換する革命と位置付けている。そのため、随所に資本主義の発達状況や、ブルジョアとしての豪商・豪農あるいは農民一揆などが出てくるが、ヨーロッパの歴史をもとに作られた唯物史観を日本の歴史に適用することには違和感を感じる。一方で、現代の明治維新史にはあまり出てこない史実や分析があり、明治維新の古典的研究書として読んでみる価値はあると思う。以下、歴史学者による評価を掲げる。
    { 三谷博は唯物史観や階級闘争史観などに対して厳しい批判を向けているが、その上で次のように評している。「本書を通読してみて、その広汎な史料研究を基礎においた大ぶりな思考の展開には、あらためて感銘を受けざるを得なかった…」。}(本書、P385<解説>)
    { 遠山『明治維新』は、今日でも古典的労作としての評価が高いようであるが、それは維新政治史の基本的骨格を作り上げたことへの賛辞なのであろう。しかし、その検討内容は維新を構成する個別分析や維新全体の歴史的位置づけといった点に関してまではおよんでいない。}(明治維新史学会編「講座 明治維新」,P64)

西川武臣「ペリー来航」、中公新書、2016年6月25日

  • <寸評> 著者は1955年生まれ、横浜開港資料館・横浜都市発展記念館副館長、専攻は日本近世・近代史。横浜開港資料館所蔵の画像をふんだんに使って、わかりやすくペリー来航(琉球訪問も含む)について述べている。

野口武彦「長州戦争_幕府瓦解への岐路、中公新書、2013年2月28日(電子書籍 原本は2006年3月25日)

  • <寸評> 著者は1937年生まれ、神戸大学文学部教授を経て文芸評論家。長州戦争とは、一般に第1次/第2次長州征討又は幕長戦争と呼ばれるもので、徳川幕府が凋落するきっかけになった戦争である。主として幕府側の史料をもとにしており、{ 幕府が戦争に踏み切ったことがいかに危なっかしい選択だったがおのずと見えてきた。}(あとがき) というのが著者の感想であり結論であろう。軽快な文章で読みやすい本である。

半藤一利、出口治明「明治維新とは何だったのか」、祥伝社、2018年5月10日

  • <寸評> もと文藝春秋編集長で日本近現代史の研究者である半藤一利氏(1930-2021)と企業経営者・立命館アジア大学学長で西洋史に詳しい出口治明氏(1948-)の対談集。

M.C.ペリー、F.L.ホークス編纂 宮崎壽子=監訳「ペリー提督日本遠征記(上下合本版)」、角川ソフィア文庫、2016年9月24日(電子書籍 原本は2009年4月万来舎から刊行された「ペリー艦隊日本遠征記下」)

  • <寸評> ペリー自身の日記と公式書翰を中心に隊員の記録も利用し、牧師で歴史家でもあるF.L.ホークスが編纂したもので、1856年に米国議会上院へ提出された「アメリカ艦隊の中国海域および日本への遠征記-1852-54年」全3巻のうち、第1巻の日本語版である。(以上、横浜開港資料館編「ペリー来航と横浜」ならびに、本書内の「解説」より)

藤田覚「幕末から維新へ」、岩波新書、2015年5月20日

  • <寸評> 著者は1946年生まれ、東京大学名誉教授で専門は日本近世史。本書は18世紀後半から戊辰戦争直前までを対象に、{ 社会史や経済史、さらには思想史などの成果にも目配りしながら、政治過程を中心に叙述 }(本書あとがきP215) している。著者が専門としているペリー来航以前の江戸時代後期についての叙述が全体の6割を占め、維新の部分はポイントを要約しているが、両方とも、事実を並べるだけでなく、「なぜ」に相当する部分が簡潔に書かれており、とても読みやすい。維新を理解するには、その前の時代が政治・社会・経済的にどのような時代であったかを知ることはとても大事であり、そのための入門的な書としておすすめしたい。

保谷徹「戊辰戦争」、吉川弘文館、2007年12月1日

  • <寸評> 著者は1956年生まれ、東京大学史料編纂所教授。本書は、鳥羽伏見の戦いから箱館戦争まで、戊辰戦争の全過程を軍事史の観点からわかりやすく書いている。{ 戦史そのものではなく、戦争をささえた体制や仕組みに注目し、かつ戦争や戦場の実態を「戦争の社会史」として描こうとした。}とあとがきで書いている通りのものである。

保谷徹「幕末日本と対外戦争の危機」、吉川弘文館、2010年2月1日

  • <寸評> 著者略歴は上記を参照。本書は、薩英戦争と下関戦争について、主としてイギリス側からの視点で描いたのもので、特に下関戦争については日本との全面戦争に備えて具体的な計画を策定していたことには驚かされる。武力で目的を達成しようとする帝国主義政策にただ猪突猛進するのではなく、併行して国内・国際の世論を考慮してそれを正当化しようとする努力をしていることにも注目したい。

町田明広「攘夷の幕末史」、講談社学術文庫、2022年4月12日(原本は2010年)

  • <寸評> 著者は1962年生まれ、執筆当時は神田外国語大学准教授。専攻は日本近現代史(明治維新史・対外認識論)。
    本書は幕末史を攘夷の歴史ととらえ、1章から3章で攘夷の思想的理論的側面から「日本的華夷思想」の生成、ロシアの脅威、勝海舟や坂本龍馬の攘夷思想などを分析した後、4章で攘夷の実行として1863年5月の幕府による「攘夷宣言」をめぐる混乱、5章でそれに関連した朝陽丸事件について述べている。
    町田氏は、「幕末史」は尊王攘夷vs公武合体と捉えるのではなく、一旦開国して国力増強を図ったのちに「日本型華夷帝国」を築こうとする「未来攘夷」とただちに攘夷を実行する「即時攘夷」との抗争と捉えるべきだと主張する。そして、幕末の攘夷は条約の勅許を得られた慶応元(1865)年10月に終焉を迎えた、と言う。「幕末史」としてはそれでいいかもしれないが、「明治維新史」としては、それ以降も、第2次長州征討(1866年)、大政奉還・王政復古(1867年)、戊辰戦争(1868-69年)…と続き、それは「幕末史」と連続性があるはずだが、それをどう考えるかは本書には書かれていない。
    ただ、この時期の政治を主導した武士層においては、町田氏が指摘するようにほぼすべてが攘夷思想をもっていたことは間違いないだろう。また、4,5章で朝廷の出した攘夷令と幕府の出した攘夷令が異なっていたがために混乱した、という指摘は新鮮だった。

松岡英夫「安政の大獄 井伊直弼と長野主膳」、中公文庫、2015年2月6日(電子書籍 原本は2014年12月)

  • <寸評> 著者は1912年生まれ、東京大学文学部卒業後、毎日新聞論説委員などを政治評論家、歴史家として活躍し、2001年死去。井伊直弼とその家臣長野主膳を中心にして{ 安政期の幕府と朝廷の関係を軸に安政の大獄が引き起こされるに至る経緯を扱っている。}(家近良樹氏の解説より) ジャーナリスト出身らしく、こなれた文章はとても読みやすい。

松沢裕作「自由民権運動」、岩波新書、2016年6月21日

  • <寸評> 著者は1976年生まれ、慶應義塾大学経済学部准教授、専門は近世・近代移行期の村落社会史研究。自由民権運動というと現代の自由と民主主義のイメージを想像する人もいるかもしれないが、明治初期のこの運動は「近世身分制社会」にかわる新しい社会を作り出そうとする運動、と著者が位置付けているように、実際に行われたのは単なる反政府運動的なものや百姓一揆のようなものまで、「自由民権」という現代人の感覚からは程遠い運動が少なくない。この本で取り上げているのは、戊辰戦争後から大日本帝国憲法の発布と国会の召集が決定し、板垣退助が創設した自由党が解散する1884(明治17)年頃までを対象にしており、自由民権運動の入門書として価値ある一冊だと思う。

三谷博「維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ、NHK BOOKS、2017年12月25日

  • <寸評> 著者は1950年生まれ、東京大学名誉教授、専門は19世紀の日本・東アジア史。筆者は「まえがき」で次のように述べている。まず、明治維新では「武士という支配身分が解体されたが、その犠牲者数はフランス革命などと比べて格段に少なかった」、これを説明するために「維新の過程で生じた政治的諸事件を丹念に記述するという古来の方法に立ち戻って行う」が、「主体中心の記述をやめ、課題の認識とその解決の模索というモデルを使った」という。また、明治維新が始まったときに「認識された政治課題は、公議・公論と王政であり、この2点を中心に政治動乱が展開した」、とした上で、「言論と暴力がいかにして袂を分ったかという問題も取り上げる」と述べ、最後に「維新の世界的背景と維新から世界へのインパクトを概観している」。
    この本には、まさにこれらの内容がわかりやすく書かれている。

宮地正人「幕末維新変革史(上)」、岩波現代文庫、2018年10月16日(原本は2012年8月刊行)

  • <寸評> 著者は1944年生まれ、本書刊行時点で東京大学名誉教授。専攻は日本近現代史。著者は本書の冒頭で次のように挑戦的な言葉を投げかけている。「本書の基本的視角は、幕末維新期を、非合理主義的・排外主義的攘夷主義から開明的開国主義への転向過程とする、多くの幕末維新通史にみられる歴史理論への正面からの批判である。…」これに対する回答に該当するのかどうかわからないが、筆者はあとがきで次のように述べている。「変革の第一段階は19世紀後半の世界資本主義に対峙し得る新国家権力への模索と樹立の時期であり、第二段階はこの新国家権力が全国各地域を上から強力に掌握しようとするさまざまな試みと、それに抗し全国各地から国家権力を規制し、国家中枢部に人民の総力、即ち「国民形成機関」国会を定置させようとする国民運動との激突の時期となる」。
    いずれにしろ、”はじめに”で挑戦的な言葉を投げかけてはいるものの、個々の史実の認識が他の歴史家と180度違っている、ということはなく、史実の詳細を提示するとともに、下級武士や民衆(といっても豪農商層)の見方や動きを詳しく記述している。その意味で貴重な著作であると思う。なお、上巻では、19世紀前後の前史から慶応1(1865)年の条約勅許までが対象である。

宮地正人「幕末維新変革史(下)」、岩波現代文庫、2018年11月16日(原本は2012年9月刊行)

  • <寸評> 下巻は薩長同盟成立から、西南戦争までを記したのち、最終章と補章で自由民権運動について述べている。

明治維新史学会編「講座 明治維新 第3巻 維新政権の創設、有志舎、2011年11月10日

  • <寸評> 明治維新史に関する論文集。この巻に記載の論文と執筆者は次の通り。
    総論:維新政権の創設(松尾正人)、①戊辰戦争の軍事史(保谷徹)、②草莽と維新(藤田英昭)、③東京奠都と東京遷都(佐々木克)、④公議所・集議院の設立と「公議」思想(山崎有恒)、⑤明治初年の太政官制と「公議・公論」(藤田正)、⑥開明派官僚の登場と展開(柏原宏紀)、⑦府県の創設(奥田晴樹)、⑧版籍奉還と廃藩置県(松尾正人)

明治維新史学会編「講座 明治維新 第4巻 近代国家の形成、有志舎、2018年8月30日

  • <寸評> 明治維新史に関する論文集。この巻に記載の論文と執筆者は次の通り。
    総論:近代国家の形成(勝田政治)、①文明開化政策の展開(今西一)、②征韓論政変と大久保政権(勝田政治)、③近代化と士族(猪飼隆明)、④自由民権運動と明治14年の政変(大日向純夫)、⑤太政官制の構造と内閣制度(中野目徹)、⑥国境の画定(麓慎一,川畑恵)、⑦明治天皇の形成(坂本一登)

明治維新史学会編「講座 明治維新 第12巻 明治維新史研究の諸潮流、有志舎、2012年3月20日

  • <寸評> 明治維新史に関する論文集。この巻に記載の論文と執筆者は次の通り。
    Ⅰ-1維新政治史の研究(三谷博)、Ⅰ-2 明治維新論争とマルクス主義史学(佐々木寛司)、Ⅱ-1 立憲国家と明治維新(勝田政治)、Ⅱ-2 資本主義と明治維新(谷本雅之)、Ⅱ-3 帝国と明治維新(小風秀雅)、Ⅱ-4 明治維新はなぜ可能だったのか(高木不二)、Ⅱ-5 地域社会形成史と明治維新(奥村弘)、Ⅱ-6 女性史と明治維新(薮田貫、Ⅱ-7 フランス絶対王政と幕藩体制(岡本明)

明治維新史学会編「明治国家形成期の政と官(維新史論集2)、有志舎、2020年10月25日

  • <寸評> 明治維新史に関する論文集。この巻に記載の論文と執筆者は次の通り。
    1.大隈重信の政治的・行政的基盤と事務局(小幡圭祐)、2.参議兼工部卿伊藤博文と工部省の政策過程(柏原宏紀)、3.明治政府草創期における国是・完成と福岡孝弟(友田昌弘)、4.金内嘉十郎と衆議(三村昌司)、5.勝海舟と静岡藩の御貸人(樋口雄彦)、6.統帥権の独立と山県有朋(大島明子)、7.征韓論政変と岩倉具視(中川壽之)、8.大久保利通と宮中改革(勝田政治)

毛利敏彦「明治6年政変」、中公新書、1979年12月20日

  • <寸評> 著者は1932年生まれ(2016年逝去)、九州大学法学部卒業だが、専門は日本近代史。この本は標題の「明治6年政変」(=征韓論政変)について、筆者独自の分析をしたものである。
    通説では、{ 政変は、征韓論の西郷隆盛派(外征派)と非征韓論の大久保利通派(内治派)との衝突から発したもので、… 西郷らが征韓を期した動機は国権確立もさることながら、不平士族の不満をそらし、没落士族の活路を求めたから…}(本書「まえがき」より) とされているが、著者によれば、西郷はあくまで交渉によって朝鮮との修好を求めたのであって、西郷自身を殺害させることによって出兵させようとしたわけではない。また、大久保が西郷派遣に反対(延期)したのは、三条・岩倉の懇請によるもので大久保本人は必ずしも反対していなかった、さらに、その頃発覚した長州派が関連する汚職・不祥事を追求する江藤司法卿らと長州派の対立がこの政変を醸成する重要な要素になった、と主張している。
    現在では、西郷はあくまで修好を求めたという説や大久保自身は西郷の派遣に反対していなかった、という毛利説は種々の史料をもとにした研究により否定されている。
    著者は「おわりに」で、{ 史料を理解するにあたっては、その史料が作成された主観的意図と客観的状況との関連に気をつけた }と語っている。確かに、書簡や日記などがどのような意図で作られたかは重要だが、それは他の史料などを含めて総合的に判断することになるはずである。ところがこの本では、そうした実証的な論拠ではなく、著者自身の主観、或いは結論ありきでそれが作られているのではないか、と思われる個所が多いように感じた。

横浜開港資料館編「ペリー来航と横浜」、横浜開港資料館、2004年4月28日

  • <寸評> 横浜開港資料館の調査研究員が分担して執筆したもので、資料館保有の図版を多数掲載しており、おすすめ。A4版95頁で\900+税(2024/4月現在)は格安。オンラインショップもある。

吉澤誠一郎「清朝と近代世界 19世紀」、岩波新書、2010年6月18日

  • <寸評> 著者は1968年生まれ、東京大学大学院文学部教授、専攻は中国近代史。標題通り、主として19世紀の中国で起きた主な事件、特に対外的なものが中心だが、当時の中国の思想や社会についても、わかりやすく書かれている。

若尾政希「百姓一揆」、岩波新書、2018年11月20日

  • <寸評> 著者は1961年生まれ、一橋大学大学院社会学研究科教授、専攻は日本近世史・思想史。この本のタイトルは「百姓一揆」だが、著者が終章で「本書は日本近世の政治常識(仁政イデオロギー)に着目して、現代とは異なる政治常識がどのような過程をへて形成され、社会に一般化し定着したのか、考察した」というように、百姓一揆そのものを分析したものではなく、主としてそれを記録した「一揆物語」がどのような思想環境――具体的には「太平記」の注釈書である「太平記評判秘伝理尽鈔」が描き出した理想的な統治者モデル――で生成されたのかを考察したものである。