地蔵院と潮待ち茶屋
ポニョと龍馬伝が鞆の浦の観光客を増やすのに役立っているようです。
魚屋萬蔵のことを調べていたら、鞆の浦は瀬戸内海の中心であるかのように説明してあるページがありました。
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こんな模式図も出ていました。満潮の時に瀬戸内海に流れ込む潮は鞆の浦でぶつかる、ような絵です。
ホンマかいな、と思っていましたが、
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地図で見ても、確かに鞆の浦は瀬戸内海の中心にあります。
鞆の浦は自然環境によって選ばれた港だったんですね。
横浜は、幕府とアメリカとの交渉で、妥協で決まった港です。
約束どおり神奈川宿近くを要求するアメリカに対し、
幕府は
横浜も神奈川の一部、と説明して、江戸から少しでも離れた場所を開港。
江戸に幕府ができたのも、秀吉が家康を三河から左遷したから。
東京・横浜の繁栄が人為的なものなのに対し、鞆の浦は潮の満ち引きで必然的に選ばれた港です。
私の父親の墓は鞆の浦の地蔵院にあります。
3回忌だったか、7回忌だったか、法事のあとの会食は地蔵院近くの潮待ち茶屋でした。
新鮮な魚を出してくれるお店でした。
鞆の浦に旅行しようと思っている方、食事は潮待ち茶屋がお薦めです。
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泊まるなら、仙酔島(連絡船のいろは丸に乗って)の錦水ホテルがお薦めです。
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