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         CONTENTS 無理矢理ベンチャー日誌・バックナンバー

      
   vol.1 探偵をやることになった

    10月17日 (火)
    探偵をやることになった。いや、マジで。

    いまその打ち合わせから、帰ってきたところだ。
    自己紹介のコーナーに詳しく書いた通り、おれもいい加減いろいろな仕事をしてきたが、
    まさか探偵までやることになるとは思わなかった。びっくりした。

    探偵の鉄則として、依頼人と調査内容のことには詳しく触れられないが。これがマスコミ沙汰
    になったら大変なことになる、と依頼人本人はファミレスで周囲を見回していた。連絡も必ず
    事務所ではなく携帯にしてくれ、と声をひそめた。(もっとも、俺は、考え過ぎじゃねーのと思い
    ながら、「秋のイタリアンフェア・バジルとキノコの特製ピッツァ」をパクついていたが…)

    「英語が喋れて、しかも喋れるだけじゃなく、タフな交渉が出来るのはオマエしかいないんだ」
    と依頼人は言った。要するにこれを普通の言葉に直すと、「ハローとサンキュー以外の単語を
    なんとか100以上は発音できて、しかもガラが悪く、このクソ忙しい世の中で、パートタイムの
    探偵なんか引き受けられるようなバカは、オマエぐらいしか思いつかない」という意味になるが、
    まあ、当たってなくもないので、引きうけることにした。

    調査期限は2000年いっぱい。
    起業準備中の未来の青年実業家というのは、世間の濁った目から見ると、どうも単なる怠惰
    な失業者に見えるらしいのである。
    まあ、いいけどね。

    今日の一言 : 世の中の、人はなにとも、言わば言え、
              我の為すことは、我のみぞ知る      by 坂本竜馬


         
   vol.2 井の頭公園のフリマに乱入、完全に見込み違い

    10月23日 (月)
    前から気になっていた、井の頭公園のフリーマーケットをのぞきに行ってきた。

    御存知の方も多いと思うが、吉祥寺は東京の中でも高円寺と並んでエスニック度の高い街で、
    特に駅前の丸井横から井の頭公園にかけての細道は、karako、むげん堂、チチカカをはじめ、
    エスニック雑貨店が数多く集まり、衣料に、陶磁器に、訳のわからん不思議グッズにと、それ
    ぞれ特色を出しながら、エスニック密度の高い場所を作ってる。

    当然、エスニック関係の飲食店も多く、レベルも高い。少々話はそれるが、丸井横と並んでエス
    ニック度の高い東急裏地区にある「トムヤム」(「タイの田舎のオバちゃんの頑固なもてなし」
    がコンセプトらしい)のパパイヤサラダなどは、そこいらのインチキ・エスニックとは一線を画
    した絶品の味で、ぜひオススメしたいッす。

    さて、それで何で井の頭公園に行ったかと言えば、我々もこのエスニックの殿堂・吉祥寺
   
に、デビューできないかと考えたから。もちろん、店を構えるなどという金のかかる真似は望むべ
    くもないが、公園のフリマなら、ゴザ一枚あればコト足りる。
    ネットに店を開いたはいいが、そこが閑古鳥なんて時に、土日のフリマで多少なりとも直の取引
    ができれば、米と味噌くらいは買えるのではないか。ことによると、帰りに「びっくり寿司」でトロ
    の一つもつまめるかもしれない、と考えたわけだ。

    それで、フリマをやるなら、やっぱ吉祥寺だろうと──

    だが結論から言うと、完全に見込み違いだった。
    「こんなところにゴザを敷いても、トロはおろか、イカもタマゴも、カッパ巻きすら口に入らないの
    ではないか」というのが、私の率直な感想だ。

    確かに、池のまわりには2、30の、それぞれなかなか個性的な店があった。日曜ということで、
    人出もかなり多い。
    だが決定的に、何かが欠けているのだ。

    一言で言うなら、『祝祭の空気』とでも言えばいいだろうか。モノを売る側も、それを冷やかす
    側も、妙に落ち着き払っていて、文字通り地べたに足が着きすぎているのだ。どこにも浮き足
    立ったところがない。

    売る側は「ボクらはココでなごんでるだけだもんね、だから売れなくたって全然OKだもんね」
    という態度だし、それを見る側も「アタシらしみじみしたいだけだかんね、だから特別なモノ
    なんて全然期待しないもんね」という感じなのだ。
    実際、小1時間ほどぐるぐる回って、何かが取り引きされるのを見たのは、手作りのバッチに
    50円を出した小学生だけだった。

    これが時代の空気というものか──
    バブル経済の前期、中期、絶頂期に大学生を8年もやり、その後も浮きに浮いた態度で、およ
    そ“まっとうな日常”というものとは、縁なく暮らしてきた私にとって、逆に奇異にさえ映る光景
    だった。

    もちろん、なごみやしみじみが悪いわけではない。だがエスニック雑貨というのは、あくまでも
    祝祭の側に属するモノのはずだ。どんなに単価が安くても、イトーヨーカドーやダイエーに並ぶ
    3足980円のソックスとは違う。非日常のチープな贅沢品だ。

    考えてみれば、井の頭公園にはタコ焼きも焼きそばもアンズ飴のオジさんもいなかった。どこ
    の誰が、何を思って締め出したのかは知らないが、刺青がのぞく毛むくじゃら腕から、食中毒
    ギリギリの買い食いをするスリルが否定されるような場所では、エスニック雑貨もあまり売れる
    とは思えなかった。

    ただ独り、何か特別なものを手に入れようとしたあの小学生が、少し気の毒になった。

    昔のお祭り並みとまでは言わないが、せめて運営委員会主催の焼き鳥とビールとおでんの
    屋台くらいは許されている、風紀の乱れたフリマをさがそうと思う。

    今日の一言 : 家族の幸福は諸悪のもと  『家族の幸福』 by 太宰治

          
   vol.3 「愛があるとはこういうことだ」 クソッたれ!e-コマース本

    10月25日 (水)
    所用で新宿に行ったついでに、e-コマース本を立ち読みしてきた。

    所用などと書くと、いかにもビジネスかなにかのように響くが、なに、要するに会社員のムンク
    に忘れ物を届けに行っただけの話だ。
    起業準備中の青年実業家というのは、パートタイムの探偵も引き受ければ、ヒモの真似事
    もしなくてはいけないのである。朝だってちゃんと早起きして、駅まで送ってるしね。

    とはいえ、せっかく電車賃を使って(往復で420円だぞ!)新宿まで出たのだから、紀ノ国屋
    でe-コマース関係の指南書でもさがそうと考えた。事情があって、年明けまで実際の開業は
    出来ないのだが、そろそろ『サーバー・レンタル』やら『買い物カゴシステム』やらのことも、勉
    強しなきゃなと、ちょうど不安になり始めていたのだ。

    自慢ではないがポンポコ浦澤、つい一年前まではEメールすら使えず、「@」のことを「エーの
    変なの」と発音していたくらい。ホームページ・ビルダーのおかげで、なんとかこの画面は立ち
    上げているものの、CGIだのSSLだの言われると、途端にまたアレルギーが復活してくる。

    どこかにこんな俺を治療してくれる、色っぽい女医さんのような指南書はないものか──

    そんなわけで、俺は勇躍、紀ノ国屋本店3階ビジネス書売り場に乗り込んだ。
    ──すると、ありました、ありました。e-だのITだの誇らしげに横文字を並べ立てた派手
    な色彩の本が、選ぶのに困るほど積み上がっておりました。

    ──だが、
    しかし、
    BUT──5冊、6冊と立ち読みするうちに俺はだんだん腹が立ってきた。前々から思っていた
    のだが、こういうビジネス本の業界ほど、上っ面だけのインチキ安物本が平気でまかり通る
    世界はないのではないか。
    なんというか、一枚7千円で50枚ずつ、その辺の3流ライターが5、6人集まって、ろくろく取材
    もせずに1週間で書き上げた、といった内情がモロに透けて見えるのだ。

    例えて言うなら、顔グロ、チャ髪のコギャル・アルバイト風俗穣みたいなもので、ただ新し気な
    外見だけが目を引くだけで、中身はガラガラのスカスカの厚底靴。こんなものに勃起した(買っ
    た)ら、自分でも人間のクズだと自覚して滅入ってしまいそうな、プロの矜持のかけらも無い本
    ばかりだった。

    俺は思わず「ZOO〜、ZOO〜」と(『愛をください』のことネ、菅野美穂の)口ずさみたくなった。

    ビジネス書に限らず、そもそもこうした実用書、専門書のたぐいは、その対象が簿記であれ会計
    であれ、はたまた昆虫採集であれ女子高生の制服であれ、その道のプロ中のプロ、オタク中の
    オタクが、意地とプライドにかけて執筆してこそ、そこに愛がにじみ出て、人をうならせる価値を
    持つのではないだろうか。

    愛のカケラもない安直な本が、多すぎるのである。

    ちょうど良い機会なので、“愛ある本”とはどういうものか、ここでその好例を紹介させていただく。
    前々から取り上げたかったのだが、「ロクデナシの本棚」ではその趣旨にそぐわず、困っていた
    のだ。

    鈴木了司著・『寄生虫博士の中国トイレ旅行記』(集英社文庫)という本である。

    著者の鈴木氏は高知医科大学名誉教授。寄生虫学の専門家であり、その学識を買われて、
    長年、中国農村部で寄生虫感染予防と排泄物処理の問題に取り組み、技術指導にあたって
    きた。平たく言えば、トイレとウンコの先生である。

    本のタイトルは『──旅行記』であるが、内容は長年に渡る著者の中国農でのトイレとウンコに
    関する詳細なフィールドワークと衛生技術指導の成果をまとめた、たいへん真面目な本である。

    以下に引用するのは、著者がある農村のトイレで、偶然発見した「襄木」に関する記述の一部。
    ちなみに「襄木」とは、日本では“くそべら”、“すてぎ”、“しゃぎ”などと呼ばれていたもので、
    要するに、木や竹を幅1〜2cm、長さ20cmほどの短冊型に削った、用便後に尻を拭うヘラの
    ことである。

    一九九五年、広西壮族自治区でいつものように農家のトイレをのぞいていると、竹べらが二、
    三〇本ほど入った籠が入口の天井からぶら下がっていた。
    「襄木では?」
    まさかと思ったが、近づいてその竹を取り上げた。まちがいない。念のため、家の主人に聞いた
    ら、まさしく襄木であった。一九九五年五月のことだった。襄木が二十一世紀間近の現代に使
    われているとは思いもよらなかった。

    この襄木の発見は中国での最高の驚きだった。写真を撮る手が震えた。胸の鼓動がすぐにお
    さまらず、襄木を持ったまましばらくは声も出なかった。

    繰り返しになるが、襄木とは“くそべら”、用便後の尻を拭う竹のへらのことである。
    「愛があるとはこういうことだ」ときっぱりと言っておきたい。


    今日の一言 : 「多くの心優しき男たちが女によって橋の下に追いやられている」
                          by ヘンリー・チナスキー (『詩人と女たち』チャールズ・ブコウスキー)

         
   vol.4 パートタイム探偵 その 「俺はYAWARAちゃんで行く!」

    11月02日 (木)
    パートタイムの探偵稼業について、その後の活動報告。

    そういうつもりは無かったのだが、前回の「探偵をやることになった」は、ずいぶん思わせぶり
    な文章になってしまった。
    誤解のないようにもう一度説明しておくが、俺が関わっているのは、まったくのセコイ調査で、
    その内情を知れば知るほど、調べているコッチの方が気恥ずかしくて、舌をかんで死んじまい
    たくなるような種類のものだ。

    具体的に書けなくて申し訳ないが、とある公的な立場の人物(世間的の見れば、確かに“偉い
    ヒト”の分類の中に入るんだろうけどな)の、『悪』とさえも呼べないような、みみっちくて、情けな
    い不正を暴こうとしているだけなのである。

    別に暴けたからといって、何がどうなるわけでもない。ただその“チンカス野郎”がどこかに消え
    て、別の“チンカス”が、そこに代わりに収まるだけの話だ。
    もちろん俺としても、なにかの奇跡でも起こって、そこに“水戸黄門”みたいなオヤジが現れる
    のを期待したいが、どううまく転んでも、“うっかり八兵衛”がいいところだろう。

    なにしろ、平成ニッポンなんだから。

    話はまったく飛ぶが、国会も今時は、まあヒデエもんだ。
    起業準備中の青年実業家というのは,忙しそうに見えて(見えないかも知れないけどさ)実は
    たまには(いや、本当にタマにね)昼間にテレビを見る機会もあるわけで、それで、たまに気ま
    ぐれを起こして、(いや、ホントにタマだって)「Mrチンのお宅訪問」とか「亭主改造計画」の合間
    に「国会中継」なんぞをのぞいてみるのだが、

    それこそチンカス野郎の見本市みたいなもんだ。

    首相が学生時代に売春宿でパクられたのパクられないの、官房長官が女房のいな隙に女を連れ
    込んで寝室でニャンニャン写真を撮ったの撮らないのと、延々鳩ちゃんと森ちゃんが頑張っている。

    俺はホント、泣きたくなったよ、マジで…

    女を買うのをどうこう言うつもりなんてサラサラ無い。女房のいない隙にオンナを連れ込んだって、
    そういうコトも、まあ、あるだろう。だが最低最悪に情けないのは、それを突っ込まれた時に「それ
    がどうしたんだ」と、言い返せないコトである。

    「おいハト、テメエはスッこんでろ!そんなことは俺と女房が、それこそ密室でカタをつければいい
    話だ」──そう言えないのは、ヤツらが政治家として何の仕事もしてないからだ。プライドも意地も、
    誇りも矜持も無く、ただ自分の地位にしがみついているだけのチンカス野郎だからだ。
    そんなことは、たぶん小学生にだって見破れるだろう。

    考えてみれば、俺なんかが小学生の頃はまだ良かった。国会で「ピーナッツ」だの「ピーシーズ」
    だの言っていても、まだそこに自分たちが及びもつかない、“悪”の匂いぐらいはしたものである。
    しかし今の国会に漂っているのは、それこそ“チン”と“カス”しかない。

    だいたいやってることが、セコ過ぎるのである。どうせ不倫するなら、カリブ海にクルーザーでも
    浮かべてナオミ・キャンベルの肩を抱きながら、「だからどうした?」とでも言えばいいのである。
    そうすれば心有る小学生は納得するだろうし、民主のハト坊ちゃんだって、「うらやましいな」と
    指をくわえて沈黙するしかないはずなのである。

    ああ、猛烈に腹が立ってきた。こんなチンカス野郎共に比べたら、クズと呼ばれた俺の方がよっ
    ぽどマシ……、と一瞬思ったが、それじゃあ、あまりにも比較の対象が情け過ぎるもんな。
    目標は、やっぱり高く持たないと。
    高橋直子ちゃんとか、田村亮子ちゃんとか…。

    そうだそうだ、あんなチンカス野郎のことなんか忘れちまえ。
    俺はYAWARAちゃんで行くぞ!

    今日の一言 : 「天地神明に誓って…」
                          by いつかの国会答弁

        
   vol.5  モード事件」を読む 餓鬼地獄に嵌りこんだ俺

    11月06日 (月)
    相棒のムンクが借りてきた「i モード事件」(松永真理著)を週末に読んだ。

     i モードについても、松永真理氏についても、いまさら説明する必要はないだろう。爆発的な
    ヒットを飛ばしたi モードの誕生秘話を、その「生みの親」が語るといった趣向の本だ。

    前々から、自分で買うほどではないが多少は気になっていた本で、たまたま手元にあるのなら
    じゃあ読んでみるかと、軽い気持で手にとった。
    読んでみて驚いた。

    いや、驚いたというのは本の内容についてではない。本を読んでの、自分の反応にだ。なんと
    いうか、読みながら、俺は松永氏やそのまわりのスタッフに嫉妬を感じたのだ。つまりあんな
    社会的影響力のある大ヒット商品を、苦しそうに、でも楽しそうに、作り上げた彼らが俺は羨ま
    しかったのだ。

    この反応は自分でも意外だった。
    社会的影響力だのヒットだの、そんなラットレースは関係ないね。俺は俺自身が、気持ち良く
    納得して生活の糧を稼げれば、それでいいんだ。自分のスタンスとは、そういうものではなか
    ったか──

    どうやらまだまだ邪念もあるらしい。

    考えてみると、最近どうも「商売、商売」と思い込み過ぎているような気がする。ビジネス雑誌
    の編集者時代には、月に10冊も20冊も、クールに突き放して“ビジネス成功本”を読み飛ば
    していたのに、今は1冊1冊が、どうにも重く腹にこたえる。常に自分と比較して、「どうもにも
    俺のはスケールが小さいな」などと感じてしまう。

    端的に言えば、もっと儲かる商売プランはないかと、スケールや金を求め、拘り、餓鬼地獄に
    嵌っている俺がいるのである。
    まだその「スケールが小さい商売」すら始めていないというのに。

    おい、おい、しっかりしてくれよ、ポンポコさん。

    もちろん商売を始める以上、金にこだわるのは当然のことだ。そういう言い方はできる。だが
    特に俺の場合、「気持ち良く、納得して」、そしてできれば「楽しんで」という本来の目的を忘れ
    たら、もう終わりである。逆説的だが、きっと商売もうまくいかないだろう。

    そんな気がする。
    まだ何も始めていない以上、あくまでもただのカンにしか過ぎないのだが……

    なんだか俺は恐ろしいよ、これからもっと恐ろしくなるんだろうけどな、ワクワク

    今日の一言 : 思い浮かばず…

              
   vol.6 “むかしクラス委員だったような女” vs “俺”

    11月10日 (金)
    誤解をうけているかもしれないが、俺の本業はあくまでも起業準備中の青年実業家で、あやし
    い探偵稼業は仮の姿に過ぎない。(例の調査の方はただいま苦戦中だ:vol1vol4参照)

    で、そろそろ本業の方でも「具体的な成果を出さないと」、と最近少々あせり始めている。
    幸い資金の目途がようやくつきそうなので、年内にタイ、インド方面に1回、出来ればジャマイカ、
    キューバ方面にも1回ずつ、仕入れの旅に出たいと思っている。

    となると急に不安になるのは、「じゃあ具体的に、いったい何を買うのか?」という問題で(いま
    ごろなに言ってんだ、という気もするが…)、いままで「出たとこ勝負!」「自分の感性に響いた
    ものを──」などとノンビリ構えていた自分が、急にアホに思えてくる。

    そんなわけで、最近遅まきながら、いろいろなエスニック・ショップをネットでのぞいている。
    で、出た結論──
    「こりゃ、あかんわ」
    「どう考えても、こいつらには負ける」
    「少なくとも“勝”ちはないな」──だった。

    おい、おい、そんなに簡単にあきらめるなよ。とも言いたくなるが、事実は事実である。
    どこのショップも、本当にみな驚くくらい努力している。
    品揃えは、確かにどこも似たりよったりだが、こまめなメールへの対応、友達感覚のお喋り、数種
    類のメルマガの発行、マスコミへの頻繁な露出、etc

    たぶん俺にも、似たようなことは出来るとは思う。だが同時に、こうした教科書通りの真面目さ競争
    に無理して参加しても、最終的には俺に勝ち目が無いこともよくわかる。なぜなら、基本的に俺は、
    不良で不真面目で非勤勉で、しかも“男”だからだ。

    勝つのは“むかしクラス委員だったような女”だ!──

    まったくの直感だが、正しい判断ではないだろうか。不良で不真面目で非勤勉で、しかも“男”であ
    る俺は、まったく別の土俵で戦うしかないのだ。
    じゃあどうするのか?

    いままで俺は、商品の“売り方”にはこだわっても、“仕入れ”そのものには、さしてオリジナリティは
    必要ないと考えていた。だから「出たとこ勝負」だの「感性」だのと言っていたのだ。だがこれはまっ
    たくの間違いだった。

    勝負するなら仕入れの段階から、まったくのオンリーワン。他店との違いが一発でわかる唯一無二
    の存在にならなくては、開店しても一年と持たないだろう。

    エスニックというベクトルを変えるつもりはない。だが雑貨という括りは、少々変える必要があるかも
    しれない。秘策は、…まあ3割5分くらいはある(心細いなあ)。次回の報告を待て!

    今日の一言 : 
          インタビュアー 「人生で一番辛かったことはなんですか?」
          サルトル    「(沈黙、やがてゆっくりと口を開く)…顔だ、この顔の問題は過酷だった」

          
   vol.7     『理性のゆらぎでゆらいでしまった

    11月14日 (火)
    『理性のゆらぎ』(青山圭秀著:幻冬舎文庫)を読んで、ゆらいでしまった。

    いわゆるサイババ・ブームの火付け役となった本として、7年ほど前、一時話題になった本だ。
    当時からある関心はあったのだが、幸か不幸か本屋では目につかず、と言ってわざわざ注文
    してまでという気にもならず、そのままになっていた。

    ところがここにきて、来春ひらくエスニック雑貨屋の商品として、サイババ関連のグッツも扱い
    たいと思い始め、そんなことから、『理性のゆらぎ』という本のことも久しぶりに思い出していた。

    たぶんそのことが伏線になっていたのだろう。

    たまたま出かけたある私鉄の駅で、たまたま時間があまり、私はたまたま、駅前の古本屋に
    入った。そして目にした最初の棚で、私はこの本と、およそ7年の時を経てようやく出会うこと
    になった。

    偶然を無理やり必然に置き換える、持ってまわったような上の文章を読んで、すでに大半の
    読者の方はお気づきのことと思うが、そして私は一気にサイババにはまってしまった。
    『理性ゆらぎ』にゆらいだのである。

    もともと私は、人知を超えるもの、いわゆる西洋科学では割り切れない現象に対して、常に
    肯定的な人間である。幽霊も信じているし、UFO信じている。というか、それを頭から否定で
    きる人間の感性の方が信じられないし、むしろ非科学的だと思う。

    だからサイババの存在や、サイババの起こす奇跡について、最初に噂を聞いた時も、「まあ
    そういうことも、あるかもしれんな」「聞けば金儲けでも、邪心があるわけでもなく、立派な人
    らしいし、そういう超能力使いのオッチャンがいても、いいんじゃねえの」くらいには思ってい
    た。

    深く、考えもせずに…

    『理性のゆらぎ』を半分も読み進まないうちに、だが私は、自分がまったくの認識不足であっ
    たことに気づかざるをえなかった。
    サイババは超能力者などという枠に、くくれる存在ではなかった。“神の化身”とまで言える
    かどうかはわからないが、だがそれに近いもの、ある種の“絶対”を体現している存在だと、
    認めざるをえないのではないか…

    私はそれを、理解するのではなく、感じてしまったのだ。

    これはかなりの衝撃だった。
    私は常々、人間には五感以上の能力があると、信じて疑ったことはなかったが、そのことと
    神とは、まったく次元の違う問題だった。奇跡とは人間の隠れた能力が生み出すもので、
    絶対の存在としての神、創造主としての神、畏れ敬う対象としての神など、まるで信じては
    いなかった。

    人間とは偶然の産物である。多少のエネルギーが残ることはあっても、基本的には死ねば
    それで終わり。──ただ、それだけ。この認識は、私にとって、ある種の哲学ですらあった。

    ──だが違うのかも知れない。
    ページを読み進むごとに、私はどんどんゆらいでいった。

    この年末、私はタイからインド、ネパールにかけて仕入れの旅に出る予定でいる。その中で、
    サイババの住むプッタパルティにも足を運ぶつもりでいた。
    むろん信仰心からではなく、あくまでも商売人としてだ。サイババの門前町に行けば、それだ
    け珍しいサイババ・グッズが手に入るだろうし、バッチやTシャツ、サイババ人形なんてのも、
    あるかも知れないなどと、気楽に考えていたのだ。

    だが今となっては、そう気楽にプッタパルティに乗り込むわけにはいかない。あのような無私
    の聖人(“神の化身”であるかどうかは別として、私はこのことに、もはやほとんど疑いを抱い
    ていない)を商売に利用して良いものかどうか、私は正直、不安なのである。つまりサイババ
    を、畏怖しているのである。

    もちろん正当な商売をするのだから問題などない、と言えないこともない。あるいはなにかの
    条件つきで(例えば儲けの1割を慈善事業に使うとか)許されるのかも知れない。わからない。
    もしかしたら恐るべき大罪とみなされる可能性だってある。

    神は慈悲深いとか言うが、人の目から見れば、何をしでかすかわからないヤツとだって言え
    る。もし神様がいたらの話だが、オーストリアにスキーに出かけただけの中学生をなぜトンネ
    ルの中で焼き殺したりするのか。なぜそんな判定を下せるのか。彼らは何の罪をあがなった
    のか。まるっきり人知を超えている。

    サイババを、どんな存在と見て、どう対処したらいいのか。今の私にはわからない。ただ正直
    に言えば、サイババ・グッズを仕入れて売りたい。売れそうだからである。だが罪を宣告され
    て、表現は悪いが殺されたりするのも困る。とにかくもう少し、研究してみるつもりだ。

    いずれにせよ、年末にプッタパルティには行ってみるつもりだ。そこで本人に直接聞いてみる
    のも手かも知れない。
    報告を待て!

    今日の一言 : 「かんべんしてくれよ、俺はただの雑貨屋なんだからさ」
                                            by ポンポコ浦澤

  PS  俺自身はまったく正気のつもりなのだが、
      上の文章、何かおかしいだろうか? 誰か何とか言っとくれ、マジで。

       
   vol.8   エスニック雑貨屋改め、
             踊るアジアのTシャツ屋
「亜州的楽天人」その全貌が遂に明らかに!

    *既にご紹介したポンポコの店舗サイト
    www.asian-t.com からの転載です。
    さらに詳しく、という方はそっちもみてね

Asian Latino
Asian Latino
Asian Latino
Asian Latino
Asian Latino
Asian Latino
Asian Latino
Asian Latino


亜州的楽天人
 
ニッポンのラティーナ&ラティーノに
  着ているだけで元気になる地鶏の卵のようなTシャツを売る!


 

 ●亜州的楽天人? ─ アジアン・ラティーノ宣言 ─

  「どんな人にお客さんなってもらおうか?」
  ──最初にそう考えた時ふと、ラテンな奴!ニッポンのラティーナ&ラティーノ!
  なんて言葉が浮かんできたんです。

  酒好き、祭り好き、恋愛好き!
  とにかく難しいことは言わずに人生を楽しんじまおうって人たち。
  僕もその一人なんです。

  でも日本に生きてるわけですからね、やっぱ南の島のようにはいかない部分も
  多々あるわけで…
  それに日本人には日本人なりの、良い部分もいっぱいあると思うんです。

  そんなわけで、アジアン・ラティーノ。
  俺たちは俺たちなりのラテンな生き方をさがして行こうと。
  そしてそんな
日本のラテン男・ラテン女の皆さんと一緒に、この店を作っていく。

  とりあえずこれが、この店の名前・「亜州的楽天人」の由来です。

 
●アジラテのシャツ? ─ 元気の出る地鶏の卵 ─

  突然なんですが、地鶏の卵って、やっぱうまいと思いません?
  単純に味が濃いし、食べてるとなんだか、その土地土地の太陽や空気や土の
  匂いがするような気がして…。なんだか元気が出てくるよね。

  例えばダイエーとかユニクロで売っているTシャツ。
  緻密にコストを計算して、マーケティングして、中国あたりの工場で
デザイン
  あたり何千、何万と大量生産するのがブロイラーの卵なら、僕らが売りたいのは
  地鶏の卵のようなTシャツです。

  なんと言ってもたかがTシャツです。世界中のどこでだって簡単に作れます。
  コスト計算もマーケティングも、本当は工場だって要りません。
  極端な話、その辺の兄ちゃんが無地のTシャツを買ってきて自分でペイントして
  も、それでオリジナルTシャツの一丁上がりです。

  でもだからこそ、それが作られた土地の、作っている人たちの、いまの気持や
  匂いや温度が、一番素直に現れてくる。
  それがTシャツの良さ、世界の果てまで出かけて行って、Tシャツを集めてくる
  意味ではないでしょうか。

  日本のラティーナ&ラティーノに着てもらうんだから、お洒落で個性的なデザ
  インはもちろん、そんな地鶏っぽさにもこだわっているのが、亜州的楽天人!
  
アジラテのシャツなんです。

  どうですか、着てるだけでなんか元気が出てきそうでしょ?
         
 ●
シャツ専門の理由  ─ 世界の果てまで行ったるzetto!

  
最初は普通に「エスニック雑貨店」なんてことを考えていたんです。
  でも考えれば考えるほど、なんか中途半端って気がしてきたんですね。
  加えてすでにライバルも多い。よっぽど特色のある店作りをしないと、単なる
  その他大勢で終わってしまいそう…

  とにかく何かに特化しなくては、と思ったわけ。
  例えばエスニックじゃなくてアジア、アジアでも広いからベトナム専門にする
  とか。そうじゃなかったら、25〜35までの都市在住の独身女性の嗜好のみ
  に商品を絞り込むとか。

  でもね、
   「ベトナム専門にしたらベトナムしかいけないじゃん!」
  加えて
   「俺は10代の青い果実も、40前後の熟れた魅力も捨て難いんだよ!」
  って言うんですよ、店主のポンポコが。

  そんなこんなで、出てきた結論が前述の:
  
ニッポンのラティーナ&ラティーノに、着ているだけで元気になる地鶏の卵の
  ようなTシャツを売る!

  だったわけです


  それだったら10代だろうが、40代、50代だろうが、ラテンな人ならOKだし、
  もちろん男性だって相手にできる。

  Tシャツ専門だから、そのぶん深くなる、そのぶん安くできる。
  カッコイイTシャツ求めて、世界の果てまで行くことだって可能だzetto!

  完璧だな…

  能書きはこれくらいにしときます。
  どうぞごゆっくりショッピングを楽しんでいってください。
  店主より


                   
その他、ご質問、ご要望等ございましたら
                   下記までお気軽にお問い合わせください。 
                    質問・要望box :
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      こんな、とこなんすけど、どーすかね?
      とにかく決めたからには懸命にやるしかないよな。
      で、さらに詳しくなぜこのようなコンセプトが出来あがったのか知りたい人は、バックナンバーを遡って
      “むかしクラス委員だったような女” vs “俺” をクリック!


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