母と過ごす日々(アルツハイマー介護日誌)


2015〜2016年の記録
12/26
先週の母は妙にハイで、相手をする私が疲れ果ててしまうほどだった。ホームからも再度の精神科受診の求めもあり、年明けに予約する。
ただ、この頃また名前も割によくわかり、reikoちゃんという言葉がよく出てくる。reikoちゃんは○○だから、という形容詞に笑ってしまうのだが、とにかくも、少ないボキャブラリーで漫才は続く(笑)。
週1回でしかも実質3時間程度の時間を過ごすだけというのは本当に申し訳なく思っているものの、その時間は私自身にとっても楽しみな時間。
作ったズボンを結構気に入っていてくれるし、スタッフの配慮か、訪問日に履いていることも多い。ドライブ大好きな母にとっては、自宅へ戻るより、周辺のドライブ中の方が楽しそうでもある。それで、父の誕生日が22日だったこともあり、 今月2度目だが、墓参りにも行き、家に少し滞在。帰りは暗くなってから、近くのクリスマスの電飾が綺麗な場所を通ってから送り届けた。

「きれいでしょ?」「うん!」と言いつつ、電飾の方を向いているんだかいないんだかよくわからないが(笑)、まあとにかく見せたことに自己満足しているだけだろう。
話しかけ続けることが一番いいと思うので、私も頑張らなくっちゃ!

12/6
日曜日の母は機嫌もよく、我々のこともよく判り、一緒にお墓参りをしてから連れ帰る。わずかの時間ながら、家で過ごし、また送り返す。
先日デパートで可愛いクマ柄のバスタオルを買って持っていった。枕カバ―代わりにバスタオルを使っている。早速交換してみると、クマだとすぐにわかり、かわいいね、と言ってくれた。凄く気に入ってくれた様子。ほっとした。

このところ、母の周りは一層カワイイものだらけになった。私の自己満足ではあるのだが。

ホームは新しい入居者が2人増え、ちょっとざわざわした感じもあるが、母はマイペースで何とか過ごしている様子。
ただ、ベッドから立ち上がれないことがあり、手すりの利用も考えることになった。体を横にすればまた起き上がれるのだが、起き上がり方がわからないのか、筋力が落ちたのか、判断が微妙なところだそうだ。

相変わらず水分の補給が問題で、なかなか飲んでくれない。食べ物も、プリン1個を途中で「もういい」とやめてしまうほど。ちょっと気になる。
83才になったけれど、人によってはまだまだ元気で普通の生活ができる年齢。母にとっては、アルツハイマーと判明してからもう8年にもなる。思い返せばいろいろあったが、今が一番お互いに穏やかに過ごせているかもしれない。
ホームの生活も1年半。当初と比べれば、自分の部屋だという意識がはっきりあるようだ。ただ、自宅は十分認識できているが、どうやら結婚前に住んでいた家という認識のようにも感じられる。

話に出てくるのは母にとっての両親、特に父親。「お父さんは優しいから〜」といつも話している。
戦争はあったけれど、きっと幸せな子供時代だったのだろう。母にとって良い思い出の中に生きているのかもしれない。それは、たぶん、今がそれなりに幸せだということだろう。・・・そう思うことにする。

11/26
今週は23日も含めて頻繁に訪れたせいか、とても反応がよかった。名前もすぐに出て、出張で来られなかった妹の名前も何度も出てきた。やはり人と話をするのが良い刺激になるのだろう。そう思うと、週1回では申し訳ない気になってくる。
今日は私が縫ったもう1つのズボンを穿いていた。ホームのスタッフも多分気を遣ってくれているのだろう。で、母も履き心地が良いと言ってくれてうれしかった。

一進一退の状況ながら、笑顔の母に会うのは何よりの安らぎになる。インコ柄の布を買ったので、クッションカバーにして、交換してきた。分かるかな〜。

11/20

暖かく天気もよかったので、23日の予定を早め、私一人で行ってきた。(内視鏡でポリープ切除を受けたため、本当は安静が必要。でも短時間の運転だし、もう3日経ったのでまあ大丈夫。)
先週の母は私がちょっとわからない感じだったが、今日もかな、と思ったら、ホームを出るときに母から「Reikoちゃんは〜」と名前を呼んでくれた。
この頃やはり食が細くなり、水分を取らないので心配だという。体重も2キロ落ちたとか。食事はまたゼリー等で補充もできるが、水分はとても大切なのでスタッフがとても気にかけているそうだ。

今日は私が縫った花柄のズボンを穿いていて、とても御機嫌だった。笑顔がなかなか良くて、スマホで何枚も写真を撮ってしまうほど。
先週買った暖かい手袋とカシミアの真っ赤なネックウォーマー(バーゲンで。)を身につけさせて、家に連れてきた。今日はインコ達の大歓迎が特に嬉しかったらしく、珍しくすぐ隣の席に座りなおして相手をしていた。

帰りにケアプランの説明をじっくりうけたが、激高することはほぼなくなり、以前よりかなり穏やかになったという。薬がうまく働いているのだろう。
ただ、自分から何もしなくなりつつあり、いろいろ誘っても「私はいいわ。」と加わらないことも増えたとか。ある程度仕方ないことだろう。
母と同年代の訃報が続く中、もう少しこの穏やかな時間が続いてくれたら・・・。

インコ柄のカワイイ布を見つけたので、さて今度は何を作って持って行こうかな。

10月某日
今日の母は穏やかだったものの、終始「お姉さんはいつも優しいから好き。」だった。スタッフによると、排せつの失敗が増えてきたので、リハビリパンツの使用も考えていよいかとのこと。ただ、リハ・パンを使うと認知症が進むので極力しないで済むよう努力しているという。
母の下着はいつも漂白剤で真っ白になっている。スタッフが毎回汚れたものを洗ってくれているのだ。有り難いと思っている。パットも使ってみたがうまくいかなくて、ということだったが、それは私もよくわかる。
むしろ、家にいたときは私も年中洗っていたので、ホームに入って1年半、よくぞ今まで頑張ってお世話してくれたと感謝あるのみ。

食事は相変わらず、朝食べないらしい。なぜか顔をしかめ、水分も取りたがらないそうだ。ただ、無理強いはせず、昼と夜は食べるので、見守っている、と。また、どう食べたらいいか分からないときがあるとも。
家族と週1回会うときにはわからなくても、確かに認知症は確実に進み、それはもうどうしようもないだろうと思う。悲しいけれど。

ただ、優しくされればすぐにわかり、いやなことにはすぐに「もうやめて!」と言うので、母の気持ちに沿うように、嫌がることをせず、穏やかに一緒に過ごせるよう努めるだけだ。
寒くなってきたので布団や着るものを入れ替えたが、パジャマがヨレヨレになっていたので新しく注文した。その際、パジャマのズボンだけネットで売っているのに気づいた。若者が、上はTシャツで、ズボンだけパジャマを穿くためらしいが、介護にも使えると思った。
ただ、おなか周りはどんどん太くなるし、オムツにでもなれば間違いなくLサイズながら丈が長すぎる。・・・ここまで考えて、そうだ、これまた縫えばいい、と思い当たる。
パジャマのズボンを縫うのは普通のズボンより更に簡単。しかも、これなら布地も豊富にそろっている。
さあまたカワイイ柄のを作ってあげよう!あとどれだけ母との意思疎通ができるか分からないが、母に何か作ってあげられるなんて本当に幸せだと思う。ミシン買い換えて、本当によかった♪

10/9、2016
先週は山に行っていたので2週間ぶりの母。先週は朝食拒否が続いていると妹が聞いてきて、ちょっと心配だった。
今日は特に何もスタッフからは伝言もなく、予約した美容院に連れていく。新しいミシンで作ったズボンを穿かせてみると、結構気に入った様子。何より花柄が気に入ってくれたようで、じっと眺めて模様を触ったりしている。
美容院では母のような相手に慣れているので、いろいろ手早くこなしてくれるが、だんだん嫌がるそぶりが増えてきた。洗髪などは嬉しいようだが、髪を切るためのガウンを着たり、頭の向きを変えられたりが気になるらしい。あと何回連れていけるだろうか・・・。

前回良かれと思って買った新しい室内履きが、少し前のめりになって危ないというので、再度別のものを購入し、もっていった。せっかくなので今度もちょっと高いが綺麗な赤い花柄にしてみた。これも好評で、何よりスタッフがすぐに気づいてくれてうれしい。
今日はまた少し変な笑いも見られたし、ズボンを穿き替えるときに、ちょっと声を荒げたりしたものの、私の顔を見るとすぐに柔和な笑顔に戻ったのでほっとした。
薬を変えて、劇的な変化はやはり望めないものの、スタッフと少し話すと、やや穏やかにはなったようだという。それでよし、としよう。

家では伸びた指の爪を切り、一緒に和菓子を食べて、少し山のビデオを見てから送り届けた。また綺麗な布地を探して、カワイイ柄のズボンを縫ってあげたい。

9/26
薬を変えてもらってから初めて会う母。様子が気になる。いつもの通り、車に乗せ、お彼岸なので墓参り後、家に連れ帰る。
車の中の会話はほぼ変わらず。ホームで母の箪笥の引き出し整理をした際、丈の短いブラウスで屈んで少し私の背中が出たら、何と母が手を伸ばして、直すように引っ張ってくれた。
家では穏やかで、異様な笑い声は無いようだ。夕方また送り返し、スタッフに尋ねると、まだ少し怒りを爆発させることはあるが、以前のように激しくはない、という。妹とも、「今日は凄くよく分かっていたし(二人とも名前ですらすらと呼んでくれた)、 変な笑いもなかったよね、凄く穏やかだったね、と意見が一致。これは効果があったのだろうか。

もう少し様子を見ないと分からないが、アリセプトをやめたのはちょっとほっとする。もっとも、精神科の薬は新たに増えているのだが。
この調子で穏やかでいてくれたら本当に有り難いのだが。

9/15
予約していた専門病院に連れていく。検査結果は予想通りながら、中程度の認知症、アルツハイマーで間違いなし、とのこと。CTで見るとだいぶ脳の萎縮が進んでいるようだ。
専門病院だけあって、非常に職員も親切で、母も不安なく検査が受けられたようだ。
こちらの不安・疑問も丁寧に聞いてもらい、ホームの嘱託医と緊密な連携を取って、投薬管理などを進めていくことになった。まずは、アリセプトを止めて良いということで、ほっとする。また、嘱託医から処方されていた精神薬は別のタイプに変更することに。後日、直接、嘱託医の方に郵送してくれることになった。

心理テストも、久しぶりに受けたが、流石に出来は悪い。100-7は全くできず、時計の文字盤も全く書けず、書いたのは外枠の〇だけ。その中に文字で10時10分と記入。確かに、10時10分ではある(笑)。

久しぶりに困ったのは、車で迎えに行って、載せたとたんに異臭が。ん?と思ったが、ズボンにシミはない。まあいいか、と病院で検査を受けるうちに、あ、シミが!
大慌てで売店に行き、パジャマとパンツを買い、車いす用のトイレでお召し替え。ズボンの方は臭いもきついので、結局持ち帰ったが洗う気力がなく、処分することにした。(以前は何度も洗ったけれど、今はちょっと…。)
でも考えてみれば、ズボンを縫えばよいのだ!!簡単だし、母のサイズに合う物が作れるではないか。そうだ、自分のスカートより先に母のズボンを縫ってあげよう。(おしゃれなデザインでなければ、縫うのは簡単。ミシンで楽勝!ウエストはゴムでいいし(笑)!)

とにかくも、血液検査でコレステロールが高いのは仕方ないとして、これで母の全身チェックも完了し、大変だったけれどほっとした。

9/8
考えてみると、母の足指のトラブルは、靴下のきつさによるものかもしれない。靴下も値段はピンキリ。先日量販店で安かったので、つい2足組を買って持って行ったのだが、実際に履かせると足首が非常にきつく、跡が残ってしまった。 履物のほうは、以前水虫に悩まされた反省もあって、幅が調整できるものや、夏ならメッシュの専用の履物を使っているが、これも念のためチェックしないと。

例えば伯母たちへの贈り物には、結構高い靴下を送ることもあるのだが、まずは母から始めないと、と反省。ネットで調べて、足首だけでなく足先にもゆとりのありそうな靴下を調べて頼んだ。名前を書く欄が作ってある靴下もあって、これは便利だと思う。何にでも名前の記入が必要で、着るもの陽には 名入りのテープを作ったり、アイロンで名前の府ロッキーシールを貼ったりしているものの、回転の速い肌着類は相変わらずマジックだ。

前回はちょっと元気がなくて心配だった。週末には少し元気になっているだろうか。靴下と靴が届くのは敬老の日に間に合うかどうかという感じらしい。とにかく、早く履かせてあげたい。

9/3
今日はお墓参りドライブに連れ出す。薬の効果で、少しおとなしくはなったらしい。お天気も良かったので、まずはお墓へ。
相変わらず誰に対しても、フフフ、ハハハ、と笑いかけてしまうが、先週末のような攻撃的な言動はない。
家へ連れ帰り、久しぶりに足湯をする。足は案の定ふやけて、かなりひどい状態。爪もまた1p以上の伸び方だ。バスクリン湯でマッサージ兼垢すりをしていると、足の指の間がなかなか離れないほど。よく見れば、皮がむけて痛そうだ。

入浴中も急に立ち上がったりして相当手がかかっていた様子なので、やはり足の指の間までホームで綺麗にしてほしいと望むのも現実的には難しいと感じている。だから家で(時々)お手入れする者の、夏はやはり不衛生になり、かわいそうだった。(そう、私が手抜きしたからだが。)
家ではゼリーを食べさせ、オレンジジュースを飲ませる。今日は足の手入れが終わるや否や、何だか疲れたのか、「お姉ちゃんと一緒に家に帰る」と言いだした。ホームと自宅の区別がだんだん曖昧になってきたのかもしれない。
気が変わらないうちにホームに連れ帰る。まだ残暑厳しく、ホームが非常に涼しいので、外出は暑かったのかもしれない。勿論、車の中も家の中も27度くらいには設定してあるのだが、ホームは多分25度以下。年中一定の温度になっている方が、体温調節に無理が無くていいのかもしれないが。

今月は専門外来の診察予約を取ってある。やっと懸案の、薬の取捨選択ができそうだ。
早く母を少しでも楽にしてあげたい。アリセプトもメマリーも、飲まなくてよいとなれば有り難いが、新たに精神安定剤も加わって、なかなかすぐには判断が難しそうだが・・・。

ともかくも、無為よりは遥かにマシ、と思う。もう少し母と静かな時間を過ごせたら、と思うのだが。

8/30
台風の余波も残っていたが、妹も午後半休を取ってくれたので、二人がかりで母を大きな病院へ連れていく。ホームの担当医からの紹介状を貰い、CTとレントゲンを撮った。
この天気のせいか、少し待っただけでどんどん検査、診察へ。肺だけでなく、ほぼ全身CTで輪切りにした結果、「その他の臓器も問題ありません。」とのこと。本当に 胸をなでおろした。 もしガンでも見つかれば、私にも遺伝する可能性があるわけだし、ただ事では済まされない。

今日は私は母の「お姉ちゃん」になっていた。姉妹だから嬉しい、と言う。少し穏やかに感じられるのは、精神安定剤が効き始めたからかもしれない。
ともかく、母の真の意味での健康診断が出来て良かったと思う。体の方には問題なしというお墨付きをもらったので、あとは精神科受診のみ。ここでもよい薬の加減ができれば、母のQOLもきっとずっと良くなることだろう。

妹とともに、ほっとした1日だった。

8/25
ホームから電話。他の入所者と派手な喧嘩をしたらしい。それ自体はよくあることなので、精神安定剤を処方してもらってもよいか、と言う内容。
驚くというよりは、やっぱりそうなったか、と言う感じ。このところの言動からは容易に想像できる。が、これを良い機会とし、先延ばしにしていた、精神科専門医への受診を決めた。ただ、混んでいるので予約日は来月半ば。

それでちょっとだけほっとしていたら、再度ホームから電話。今度は、先日の検診の結果、肺に影が映ったからCT受診せよとのこと。
この頃急に様子が変わったり、食欲が落ちたというのはこれが原因かも、と思う。スタッフも、どうも7月初めから食欲が落ちてきたようだという。
怒りっぽくなったり攻撃的になったりは認知症の進行過程では「よくあること」だし、父の時に経験済み。それを薬でかなり抑えられるのもわかっている。

が、腑に落ちなかったのが、なぜ急に、だった。きっと何か理由があるはず、そう思いたい、と考えてきたが、ひょっとしてこれが原因かもしれない。体の苦痛から、不機嫌になったりするのは十分ありうる。幼児と同じで、 適切に体調の説明ができないため、十分に察してあげないと。
これはホームの提携病院が近くになるので、来週初めに受診することに。・・・ここへきて急にいろいろ忙しくなった。今までが静かすぎたのかもしれないが。
父のことを思い出し、妙にいろいろ納得してしまった。

でも、私もさすがにちょっと落ち込む。
が、これはあれこれ私が悩んでも仕方ないので、早く結果を出すことだろう。気持ちを切り替えないと、前に進めない。

8/21
スタッフに尋ねると、今日はゴキゲンがいいという。ただ、相変わらず食が細い、とも。
天気が良かったので少し長めにドライブすると、いつもの上機嫌になる。一安心して、家に戻り、一緒にテレビを見る。この頃不思議と、私のまねをする。足をテーブルに投げ出すと(←行儀悪い!)、母も足を載せようとする。当然、ちょっと短いからすぐに不自然な姿勢 になって、足を下す。
今度は同じクッションを膝に乗せ、私と同じ柄の向きに合わせる。同じ、ということが好きらしい。

ところが、なんでもない言葉(全く無関係の言葉)に急に反応していきなり怒り出した。本人は、なにかがダメだときつく言われたと解釈し、「そんならもう一度トイレ行ってくるよ!」と戻ってきたばかりのトイレにまた行く。
妹と二人で顔を見合わせ、え???

更に戻ってきたらすぐにもう一度、「トイレにいけばいいんでしょ!」と3度目。
ドアを開けたところで「お帰り〜」(^^)/ と言うと今度は元に戻って超ゴキゲンモード。おやおや・・・。

相変わらず突然大きな声を出したり、体を動かしたりするが、先週ほど不自然ではない。よくわからないままに、とりあえずまた夕方送り届ける。
スタッフは相変わらず「大好き!」で、「お兄ちゃん!」とか呼びかけている。

まあ3歳児(今どきはもっとお利口さん?)だと思えば、突飛な行動もなんとなく理解できる・・・かも。

8/15
母の様子が刻々と変化してきた。先日は体を急に動かすのに驚かされたが、土曜日に訪ねると、介護拒否?をしているらしい。朝から食事も水も取らないという。
訪ねると部屋で寝ていた。ともかく、もらったスポーツドリンクを飲ませ、連れ出す。ちょうど父の命日でもあり、お墓参りドライブでゴキゲンは治ったかな、と思ったが、家に帰るとやはりいつもと様子が違う。

何というか、ハリネズミのようにとげとげした顔つきと反応が随所に見える。ちょっとしたことに大声で怒鳴る。今日は冗談が通じない。介助の手を振り払う。う〜ん。

あの手この手でなだめすかして、水分はかなり取らせた。そのあとカステラ二切れ、サンドイッチ一切れとお菓子を食べさせて、ホームに送り届ける。スタッフもそれを聞いて安心したようだ。
どうもこの不機嫌モードは時々見られているらしいが、私たちに対してもそれが現れたのは初めて。でも、ああ、既視感があるなあ、この様子。家で介護していた時も、そして父と苦闘?していた時も、こんな感じだっだっけ。
新しい段階に入ったということだろうか。

ただ、食事の拒否には入れ歯の不具合もありえるらしい。様子を聞いて、歯医者さんにはまた連れて行った方がいいかもしれない。
病気の進行だとすべてを決めつけるのではなく、可能なことは解決していきたい、と思う。でもその一方で、本当に自分勝手な発想も脳裏をよぎる。専門の精神科に見せた方がいいと思うが、連れていくのに一苦労。妹にも会社を休ませなければならない。ああ、大変・・・。

介護は長く続くもの。改めて今までのしばしの静穏な日々が懐かしい・・・。(*_*;

8/4
定期健診に連れていく。ついでに、薬の相談をしてみた。まだ飲み続けた方がいいという担当医。でも、家族の希望なら、ということで、ホームで経過を見て、ダメなら元に戻すということで、とりあえずメマリーの方を半量(で10g)に変えてもらうことになった。 ただし、8月分はもう処方したというので、9月からの変更。
また、まだ軟便気味で下着が汚れて酷いので、整腸剤も種類を変えてみることになった。これで多少は改善されるといいのだが。

ホームの方からは、最近食が細いという。また、今日は美容院にも連れて行ったのだが、なんだか体を急に動かすことが目立ち、気になる。不随意運動のようにも感じられるが、首や腕、足をかなり大きく急に動かすので、散髪がちょっと危なかった。
う〜ん、どうしたのだろう。とりあえず、気になる心電図は異常なしではあった。

台湾のお土産を送った叔母からお礼の電話。先日亡くなった叔父が83才だったのだが、母も11月で83才。叔母は元気だが、80になった。夏の暑さの中で役所の手続きに追われるのは辛いだろう。
みんな順番に年を取っていくのだが、高齢になるほどその質が大きく異なってくる。
いろいろ考えさせられるこの頃だ。

7/17
怒涛の夏期講習が一段落して、やっと少しだけ落ち着いた。それでも毎週母には会っている。うふふふふといつも笑っているのは変わらず。日によって私が母にとって姉になったり妹になったりすることもあるが、 今日は「うちの長女」とスタッフに紹介してくれた。(^^)/
少し曇っていたせいで猛暑ではなく、そのままうちへ連れ帰る。○○ちゃん(妹のこと)は?と聞かれ、あとからくるよ、というと喜んでいた。今日はとてもよく分かるようだ。

家では毎度インコたちが大歓迎。母もいつもニコニコだ。今日は気になっていた、上腕の垢すりに挑戦。どうしたらこんなにザラザラになるかなあと思いつつ、今日こそは、と濡れタオルを持ってきて、ふやかしてからそっと擦る。
出るわ出るわ、変色していた肌の色が明るくなっていく。かなりの成果が出て、母も「とっても気持ちいい。」と言う。そのあとクリームを塗って、本日はこれで良しとする。冬は足湯で足の垢すりをしたが、夏も気になるところではある。
スタッフも入浴時に丁寧に全身を洗うのもなかなか大変なのだろうと思うが、まあ文句を言ってもよくなるとは思えないので、黙ってこちらで処理するのみ。

ただ、母はホームのスタッフが大好き。今日もハイタッチをしてから出かけるほど。それで充分。それに、先週はまたいろいろ会話が楽しかった。
「今日は何の日か分かる?」「そうだねえ・・・」「7月10日なんだけど・・・」「あ、そうか、ナットウの日だね」「ピンポ〜ン!よくわかるね!」と言う具合。ユーモアを感じさせる対話もある。ただ、確かにこの頃ちょっとむくんでいるような気もする。 体の方はバイタル以外はよくわからない。近いうち定期健診があるので、薬の服用も含め、とりあえず担当医と相談してみようと思っている。

母にはいつまでも笑顔が残ってほしいものだ。

5/28
このところ、母がへらへら笑うのが気になって、精神科医に見せようと、私と妹の在京の同級生を考え、ちょっと尋ねてもみたのだが、結論から言うと結局見せても変わらないなと思い、思案中。やはり、ホームのかかりつけ医に相談する方がいいかもしれないと思っている。
アリセプトやメマリーをいつまで継続したらよいのか、そろそろやめてもいいのではないかというのが私の最大の懸念である。
ホームで尋ねると、「みなさんまだ飲んでいらっしゃいます」とのこと。ネット検索しても、様々な意見があり、一概には判断できない。問題は、そのへらへら笑い続けることと、薬のせいかもしれない軽い軟便がず〜〜っと続いていることだ。
ホームではいつも気にかけてチェックしてくれているが、本人もきっとスッキリしないのは嫌だろうなと思う。もう症状が良くなることもないし、また、これ以上急激に悪くなることもないのでは?と思うのだが、やはり素人には判断がつかない。

それでいて、専門家と言っても経歴も経験も方針もさまざまなようだし、一度引退されたU先生が、また某所で嘱託で診察されているので連れて行ってもいいのだが、薬の継続についてはどういうお考えなのか・・・。いろいろ迷うばかり。
これ以上母にいろいろ検査を受けさせるつもりはないし、悪化させても困るのだが、あまり精神科的な薬は飲ませたくない。
かくしてなんとなく現状維持という結果になってしまうのかもしれない。
とにかく、先週は私が泊りがけで留守だったせいもあり、明日は母とゆっくり話をしよう。喜んでくれるかな。

4/24
先週は妹に代わってもらったので、今週は私が訪ねた。土曜日早めに寄り、お墓参りのあと連れ帰った。車に乗る距離が長いので母はゴキゲンだった。載せてもらってうれしい、と数回言う。自分では運転できないから有り難い、とも。
墓石に自分の名前があるのは分かるが、父の名前はどう思っているのだろう。季節もよく、お花も綺麗だった。

家では1時間ほどの滞在になってしまったが、風邪気味の妹を後に載せて、ホームに送っていく。ホームで手をつないで自室に誘導中にホーム長とあいさつ。「私の姉です」・・・よその「お姉さん」ではなく、姉妹だと思っているようだ。このところ、姉妹になっていることが多くなった。今回は家に連れ帰るとき、初めて「昔の家だ」といった。ホーム暮らしもちょうど1年。 ホームが自宅という感覚になってきたのか?いつも「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言われているからか。とにかく、ホームの居心地はよさそうで、この1年を振り返ると私もずいぶん楽になったと思う。
経済的には大変だが、お互いに次善の策としては最高の環境と言わなければなるまい。共倒れで傷つけあうよりはるかにマシ。 穏やかな母の顔をいつまでも見ていたいと切実に願っている。

3/26
やっと母に会えた(笑)。お墓参りをし、短いながらも家に連れ帰った。この頃は、誰を見ても「お兄さん、ありがとう」と言う。言われて困る言葉ではないので構わないが、コンビニのお兄さんにも言うので相手はちょっとびっくりしている様子。
車に乗っている時間が長いと、いつも「運転してくれて有り難い」「ドライブは楽しい」「申し訳ないね〜。」とよく口にする。景色が変わるのは本当に刺激になるようだ。
整理したアルバムを少し見せたが、並んで写っている人は「親戚のお兄さん」だそうだ。連れて行ってもらった、というのは分かる様子。

ホームに連れ帰ると、「この頃はゴキゲンが悪いか、いつもニヤニヤしているか、どちらかですね〜。」という。そうか、ゴキゲンが悪い時もあるのか、と思うが、悪い時のお相手はプロにお任せし、 とりあえず、私といるときは超ゴキゲンなので、もうそれ以上理由は詮索しないことにする。

でもやっぱり反応の種類が少なくなってきているんだろうなと思う。Sさんによれば、お母様は最後の方は自宅に連れ帰っても喜ばなくなった、という。うちはまだそこまで行っていないので、これからそうなるのかなと思う。
まだトイレも何とか大丈夫なので、この1年位はできるだけどこかへ連れ出した方がよさそうだ。とはいえ、ついつい自分の予定を優先してしまう親不孝娘なのであるが・・・。

3/12
先々週は妹の引っ越し手伝いで二人とも行けず、先週はポリープ切除後で運転できずに妹だけ行かせたのだが、「家に帰りたい」と繰り返したとか。
気になったので今日久しぶりに母を訪ねるとほかの入所者さんと楽しそうにテレビ(ビデオ)を見ていた。コートを着せて車に乗せ、途中でまたコンビニおやつを一緒に買い、家に連れ帰った。終始ゴキゲン。

インコ達のいつもの『熱烈歓迎』に大喜び。一緒にコメディドラマを見て、おやつを食べ、それから久しぶりに足湯をしてあげて、夕飯に合わせて送っていった。
「いったん帰るけど、またすぐ来るからね。」と言うと、「うん、すぐに来てね。」で無事おいてきた。やっぱり母も私の顔を見ないと不安だったのかもしれない。今日は珍しくReikoちゃんとか言ってくれたし。(笑)

ご近所の民生委員の方の話では、いつも老人ホームに傾聴ボランティアで行くが、その活動時間が1時間とか。母との会話が1時間と持たない妹は、さしずめ傾聴ボランティアか。
母の足湯はマッサージと垢すりを兼ねているが、いつもお湯の汚れかたは凄まじい。しかし、入浴剤も入れて素手で擦ったり揉んだりすると母もとても喜んでくれるので、やりがいがあるというものだ。ボケているとはいっても、 やっぱりそこはオジイサンとは違う点だろう。ボケても感謝を忘れないオバアサンは介護され上手、ある意味で得をしている。

ドライブ楽しいねといつも言うので、来週はお墓参り、そのころには桜も咲き始めるかもね、そうしたらお花見行こうね、美容院も行こうね、とおしゃべりしながら、私も負担なくゆったりとした時間を共有できている。 自分自身にとっても、ちょっとほっとする時間でもある。まあ、常に気を遣っているのも事実だけれど。

2016年 2/21
判で押したような生活が続いている。しかし、週1回の母の笑顔は、今は私のビタミン剤。どうもこの頃は私は母の(本物の)「姉妹」で、妹はまたよその「お姉さん」になっているようだ。
母のホームで先週はインフルが出て、予防のためにスタッフ・入所者とも全員がタミフルを飲むということで許可を求める電話をもらい、一瞬悩んだが、おととし同様の処置をして何事もなかったというので、同意したのだが、幸いその1人で収まったそうだ。 去年は母がインフルにかかって一大事だったが、今は万一かかっても、自宅に返されることもないのは助かる。

穏やかな日々は続いているが、この母はいつまで持つのか一瞬不安になる。別の入所者さんは、穏やかだが、「ありがとうございます」の一言しか言わない。そして、目を離すとティッシュを口に入れたりする。もしかして、いや、やっぱり、母もいずれこうなるのだろうか。表情は柔らかくても、 相手とコミュニケーションが取れない人になるのだろうか・・・。

ホームはとても居心地の良い空間で、母は特に男性スタッフが大好きなので、軽口を飛ばしながらもよくなじんでいる。
外出時に、「バイバイ!」と「お兄さん」(=スタッフ)に言うと、「お兄さん」が「○○さん、すぐに帰ってくるじゃないですか。」という。
それに対して私の方を見て小声で、「冗談だってば。」ふふふ。と笑う。そして「行ってらっしゃい!」と送られて出ていくのだ。おお、冗談言えるんだ、とちょっと感動。

車に乗るのも大好きで、家の近くに来ると、どこまで理解しているか、ちょっと聞いてみる。
「今度はどっちに曲がろうか?」「あっち。」
「次はどっちに曲がろうか?」「こっち。」・・・大体、家の500m以内くらいはまだわかっているようだ。

いつまでこの状態が保てるか、いや、できるだけ長く保たせるのが今の私の目標だ。
今日も足湯で「いい気持!申し訳ないねえ〜。」と言いながら一緒にテレビを見て、そして送っていった。週1回くらい、「家族の時間」を大切にしなければ!

*****↑2016年*****

12/27
今日は父の墓参りへ。先週は誕生日だったのに行かれなかったし、新年を迎えるのにやはりお花位供えてこないと。
ホームへ迎えに行くと母はテレビを笑いながら見ていた。その顔を見てホッとする。寒いので、ハイソックスに履き替えさせ、コートを着せて駐車場へ。それからお墓参りをして、今度は家へ。
余り滞在時間が取れそうにないので一瞬迷ったが、家に戻ると母も安心するので、1時間くらいだが連れ帰ることにした。先週は足湯でスッキリさせたし(当然記憶にない)、すぐにお正月なので短時間で我慢してもらう。

ホームに送りがてら、「ホームは暖かいし、夜も誰かが必ず起きていてくれるから、家にいるよりずっと安心だね。」「そうだね〜。」
「みんな優しいでしょ?」「ありがたいの一言だね。」
「もうすぐお正月だから、大掃除をしてきれいになったらまたすぐ迎えに行くからね」「そうだね」

で送っていくと、スタッフの若いお兄さんに早速「お兄さん大好き!優しいから」とニコニコ。自室に送っていき、手を洗わせ、コートを脱がせて帰ろうとすると、「一緒に帰ろう!」・・・むむむ。
今までの会話は何だったんだ〜!と思いつつ、これが今の母なのだ。「すぐ戻ってくるからね」とにっこりして、そっと部屋を出る。すぐに夕食なので、きっとまたスタッフが上手に相手をしてくれるだろう。
母は今が一番幸せだ。私はそう思うことにしている。

12/19
今日は母を連れ帰って、懸案の「足湯」にトライ。寒い日なので、浴室暖房をかけ、脱衣所のストーブもつけてから母を呼んでくる。
大きなバケツにお湯を張り、ズボンを膝までまくり上げてから足を入れてもらう。
「寒くない?」「大丈夫。」
それから片足を外に出して、かかとを軽石でそっと擦ろうとすると、くすぐったいらしく足を引っ込める。 そこで素手でマッサージしてみると、まるで1枚薄い靴下でも履いているかのように皮膚がゴワゴワ。

そのあと、爪のあたりと指の間を古い歯ブラシで「ブラッシング」。そのあとお湯の中でしっかり両手でマッサージ。するとゴワゴワの皮膚がどんどん剥がれ、その下はつるつるになっていく。
勿論母も気持ちよさそうで、「あら〜悪いねえ。でも気持ちいい。暖かいよ。」とニコニコ。
両足をしっかり擦って垢を剥し、最後はバケツに入浴剤を溶かして漬けてもらう。いい香りだ。ちょっぴり温泉気分になってくれたかも。(笑)

指の1本1本まで丁寧に洗ったので、私もやりがいがある。ここまでゴワゴワにしてしまって、母には申し訳ない気持ちでいっぱい。でもこれからはまた気を付けてお手入れしてあげようと思う。
これで母も気持ちよくお正月を迎えられるだろう。

12/9
今日は平日だが時間ができたので、母を美容院に連れて行った。ホームでも切ってもらえるのだが、どうも出来栄えが、おばあさんだかおじいさんだか分からないようなザンギリ頭にされてしまうので、今度こそ、と髪が伸びるタイミングを計ってやっと実行、という訳。
車で行けて、老人にも優しい美容院を検索。よさそうなところを見つけたので予約し、「認知症なんですが」と断ったうえで受けてもらった。

母は私の姿が見えないと不安になるので、顔が見えるところに座らせてもらい、手際よくシャンプー・カットをしてもらった。鏡に映る母はいつもニッコリ。美容師さんも初めてなので様子が分からずおっかなびっくりという雰囲気だったが、最後は慣れた様子で、これならお互いに次回もお願いできそうだ。
連れ出すときに、外は寒いので長い靴下に履き替えさせようとしたら、あらあら、爪がまた動物的に伸びている。手も少し伸びていたので、スタッフに爪切りを借り、切りそろえた。

なかなか爪まで手が回らないのだろう。特に文句を言うわけでもなく、そのまま爪切りを返しておいた。借りただけでたぶん気づいてくれただろう。
それよりも、次に家に連れて来たら、足湯でもしてやって、丁寧に洗ってあげようと思う。足もカサカサで、とりあえず乳液を塗ったものの、ハンドクリームがいりそうだ。(でも、顔はしっかり乳液などをつけてくれている。無くなったから買ってきてほしいといわれたので。)

なんでもかんでもお任せで楽々、というのは理想だが、お互いで何とか補完していくしかないだろう。
でも今週末は妹に頼んだ。私は山〜!(笑)

11/24
土曜日に母の所へ行くと、リビングでテレビを見ていた。声をかけると、「私?」というように指で自分の顔を指差した。ありゃりゃ、とうとう私のことも分からなくなったのかと驚く。
しかし自室に連れて行ってから、「私は誰?」と尋ねると「Reikoちゃん。」と答える。う〜ん、先週会えなかったので忘れちゃったのかな。(^_^;)
ドライブも好きなので、お墓参りに連れて行ってから、家に連れ帰る。一緒にテレビを見て、ずっと話しかけ続けるのでちょっと疲れる。夕方、またホームに連れ帰る。ちょっとほっとする。

忘れ物があって、日曜日もちょっと訪ねてみると、テレビを見ながら一緒に大きな声で歌を歌っている。そう、歌は大好きなのだ。ドライブしている時も、常に音楽には反応する。そして、何かにつけて手を叩く。ノリのいい曲は好きなので、車にマイケル・ジャクソンを録音したのでそれを流し、 一緒に叫んだり、リズムに合わせて手を叩くと喜ぶ。どうやらMJは母に合うようだ(笑)。
日曜日は用事を済ませ、母に見つからないように(笑)さっさと帰って来たのだが、少しずつ進んでいるのだろうなと思う。元気で楽しく過ごしてくれればそれでいいのだが。

去年の今ごろは箱根に1泊で出かけていたのを思い出す。母にとって1年は長い期間なんだろうな・・・。

10/26
私も体調がようやく元に戻りつつあるので、先週、今週と母の所へ。先週は久々に自宅に連れ帰ったが、昨日はお墓参りをして、それからファミレスでおやつを食べ、ホームに送って行った。
相変わらずご機嫌もよく、こちらから話題を振れば、それなりに答えてくれるし、新しい内容も口にするのは嬉しい。

ただ、どうやら父[=夫]のことはすっかり抜け落ちて、「お父さんのお墓参り」(私から見て祖父)という認識らしい。
で、これまた面白いことに、「お父さんは警視総監だったから。」という。(一体、何階級特進したんだろう(笑)。)そう言えば、97歳になった新潟に居る伯母も、「オバマさんも安倍さんも知り合いだ。」という。テレビで見ているからかもしれない。
まあ、警官だったことはよく覚えている訳だ。お父さんと一緒にお出かけした、とも言う。長女だったから、きっと可愛がられたのだろう。記憶から消えてしまったらしい父が、まあちょっと可哀そうではあるが。

昨日は部屋に送って行って、「じゃあ、また来るからね」と言うと、「戻ってこないと泣いちゃうよ〜」と言う。
びっくりして、「え?いつもちゃんと来てるじゃない。」と言い返すと、「冗談だよ〜。」とニコニコ笑っている。あらびっくり。

で、「Reikoちゃんも○○ちゃん(妹のこと)も愛してるよ〜!」・・・「大好きだよ〜」から更にパワーアップ?!「愛してる」なんて、一体どこから出てくるんだろう。
ともかく、ずっとご機嫌もよく、週末の3,4時間が楽しく過ごせたのは何より。
ショートに2週間、デイサービスに週6日×2週間のサイクルと比べて、ほぼ毎週母を訪ねることはちょっとだけ大変だが、その位は当然と思わないと。話しかけてあげれば何とか話が通じるが、ちょっとでも相手ができない状況だとすぐに気が散る様子。一人で大人しく座っていることは無理だ。
いろいろ変化はあるものの、意志の疎通が出来れば十分。母を訪ねるのが私の楽しみであり続けてほしい、ただそれだけ。

9/20
先週は妹任せだったので、午後母の所へ。敬老の日も控え、お花のアレンジを持って行った。ついでに、良さそうな軽い靴を買ったのでそれも持参。行ってみるとお昼寝中。
靴はちょうど良さそうで、天気もよいのでお墓参りに。この頃はちょっと足元がおぼつかない。デイサービスに通っていた時に比べると、圧倒的に運動量が少ないからだろう。出来ればもう少し歩く練習などをして、筋力の維持を図って貰いたいのだが、 やはりそこまで要求するのは憚られる。

車で出かけるのは大好きで、助手席はお気に入り。お喋りしながら明るい墓地へ。時節柄、お参りの人も多い。さてその後はどこへ連れて行こうかと迷ったが、都内もまだ車が多そうなので諦めて、ファミレスでおやつにする。かなり混んでいる。
昨日の高尾の写真をカメラの小さな画面で見せながらひとしきり話をすると、ただ相づちを合わせて打っているだけではあるが、それなりの興味を示す。
ところが、一旦それが終わって、デザートが運ばれるのを待つだけとなると、やはり集中力がなく、そわそわし始める。会話が途切れると、とても居心地が悪そうにさえみえて、私もちょっと焦らされる。
幸い、限界かなと言う頃にやっと注文の品が運ばれて切れ、ご機嫌もよくなり、ニコニコ顔で口に運んでいる。やれやれ。

その後は周辺をミニ・ドライブしつつ、夕食前にホームに送って行った。
前回(先々週)も今回も、職員に私を「妹です。」と紹介してくれた。おやおや・・・。(あえて訂正はしない。)
まあ、家族だと分かっているだけましかも。また来るね、と言って手を振って出てきた。この頃はあまり追い掛けて出てくることもなく、助かっている。母にとって、最善ではないにせよ、何とか安心に暮らせる場所で、そこが自分の部屋だという意識も 生まれてきたのだろうか。それなら有難いのだが。

8/29
先週末は裏磐梯で遊んでいたので妹が行ってくれた。今日は代わりに私が。
また美容師さんが来たようで、髪は更に短くなっていた。ああ、今回は私が外へ連れて行こうと思っていたのに・・・。本人はこれでいい、というが、ザンバラ髪で私は不満。
小雨なので近くのホームセンターへ連れて行き、母の新しい下着を買い、レストランで一服しながら、おやつ。
少し歩くと疲れるようで、エレベーターを待つのも間が持たない。常に話しかけているためちょっと大変だが、ご機嫌はよく、ニコニコ。

ホームに早めに連れ帰り、一緒に3時のおやつ。
ベッドの上で並んでテレビを見ながら、おしゃべり。相変わらず語彙は少ないが、帰り際に、「ありがとね。嬉しいよ。大好きだよ〜。」と言われた。
施設のスタッフに対しては年中「大好き」を連発しているものの、 私に対しては初めて。とにかくも、安心して部屋を出る。

ただ、スタッフから、最近、飲み込みが良くないと聞く。食事を余り咬まずにごっくんと飲もうとして、のどにつかえることがあったそうだ。「見守っています」とのこと。トロミをつけて解決するものでもありませんよね、と私が言うと、まだ安易にトロミを使いたくないという。 食事時は入所者9人に対して3人以上いるので本当に安心だ。こちらから伝えたことは全スタッフに浸透していることもよく分かる。ここに預けて良かったと本当に感じる。

心身共に、病気が少しずつ進行していき、変化も現れてくるのだろうけれど、いつも優しい笑顔のスタッフに囲まれて、母は落ち着いて暮らせている・・・かな。

8/19
先週母の所に行き、3時間ほど一緒に過ごして、夕飯のテーブルに着いたのをきっかけに戻ってきた。一緒にテレビ番組を見て、それからリビングで懐メロを一緒に歌ってきたが、大きな声で歌うので驚いた。ホームの人もよく分かっていて、母がリビングにでてきたら番組をナツメロの録画に変えてくれた。この辺りの細かい気づかいが 有難い。母は歌っていると手を叩き、とても楽しそうだ。その姿を見て安心し、さあ帰ろうと思ったら、スタッフに一言。「今日は妹が来てくれてね」・・・ありゃりゃ、「妹」じゃないんですけど。

家族と分かっていればよしとするか。でもちょっとショック。
今週末はちょっと行けないが、週の半ばでまた行ってこよう。今度は分かるかな?(笑)。

8/12
母はホームでの暮らしにかなり慣れてきたようだ。先々週は私が行かれなくとも妹だけで大丈夫だったし、妹のこともよく認識していたそうだ。余りに暑いので、外出させることさえ躊躇われるが、私の誕生日だったので土曜日は家に連れ帰った。
一緒に野球の録画を見て「S校頑張れ―!」と腕をあげて声援を送り、帰りの車の中では校歌を一緒に歌ってくれた。
相変わらず語彙は少ないが、「そうだよね〜。」とか、結構うまく相づちを打ってくれる。一緒にいることだけで安心してくれるようだ。

ホームに戻り、あとをお任せして帰ってきたが、よく面倒を見てくれるので安心だ。何より、去年の夏はエアコンをかけて寝かせるものの、途中でトイレに起きたまま階下へ降りるのではないか、とか、勝手にエアコンを止めやしないかと、気がかりで安眠できなかった。それが、 今は涼しいホームで落ち着いて寝て居てくれると思うと本当にほっとする。自分の部屋があることで、随分落ち着いてきたのかなと思う。

先月は、外へ連れ出さなかったものの、1時間以上母の部屋のベッドの上に並んでテレビを見た。これだけでも落ち着くようだ。家族と一緒にいるという感覚が何よりなのだろう。前のように、帰りたいとは言わなくなったし、 まあ時々は迎えに行くと顔を見て、「さあ、うちに帰ろう。」と言うが、その割にはホームに送って行っても嫌がらない。またすぐ来るからね、というのが嘘でないと分かってくれたのだろう。

母が落ち着いていると私達も本当に気持ちが楽だ。ようやく安心して泊りの山にも出かけられるようになったし。
勝手と思いつつも、週末は必ず会いに行くし、それで我慢して貰うとして、あとはお互いの人生を充実させることを目標としたい。

6/29
よくあることながら、昨日はうちの前に救急車が停まった。この辺り、老人ばかり。暫く動かないので様子を見に外へ出てみると、お向かいのお宅。倒れているという奥さんの声がするので、大事には至っていない様子だが、救急隊員に囲まれている。
別のお隣さん夫婦が玄関から入っていく。中を見れば、ご近所の民生委員の方もいる。ああ、これなら大丈夫かな。

お向かいさんは普段高齢のご夫婦のみ。よく挨拶し、奥さんは母と同い年。杖はついているものの、普通に外出もされている。もしもご夫婦だけなら、一緒に病院までついて行ってさしあげようかと思ったが、必要なさそうだった。
隣組の人たちが出てきてあれこれ手伝っている様子を見て、とてもほっとした。下町ではないが、まだまだ人情味溢れる隣人が暮らしている界隈なのだ、と。

それで、今朝はそのご主人がわざわざ挨拶に見えた。もう退院したそうで、お騒がせしました、とのこと。
ご近所付き合いがよいのはお互いにいざという時心強いものだ。何かあったらいつでも助け合える環境だからこそ、母もぎりぎりまで家にいられただと思う。

母は徘徊はしなかったが、勝手に家に帰ってしまった時に、やはり別のご近所さんが助けてくれた。こういうネットワークがあれば、認知症でも安心して暮らせるはず。明日は我が身、お互いさま、という気持ちが地域を守るのだ。

6/23
90代後半になった伯母。「超現実的」な内容も含まれるものの、まだ会話のキャッチボールは成り立った。勿論、私と妹は分かった。
母とは一回り以上違うのに、ボケ具合は良い勝負かも。持って行ったアレンジ花をとても喜んでくれた。8月の誕生日にもまた送ろう。

日曜日は流石に疲れて、どうしようか迷ったが、妹とやはり母の所へ。ファミレスでおやつを食べたり、お買い物をしたりで、2時間ほどで送り返した。これでちょっと責任を果たした感じはするが、 なかなかの強行軍で、それなりに疲れた・・。

6/14
週1回ペースで母を訪ね、外出させているが、今日は久しぶりにまた家に連れてきた。3時間強の滞在だが、母も落ちついているので助かる。いつものように一緒に買い物をしてから家に戻り、お茶を飲んで韓国ドラマと山のビデオを見ながらおしゃべり。その後 おやつを一緒に食べて、「夕飯を食べに行こうか。」で一緒に外出、そのまま送り届けるというコース。
家に戻ればインコたちが大歓迎。山のビデオを見ながら、○○にも一緒に行ったね、綺麗な景色だね、などと話しながらソファに並んで座って過ごす。

昼間寝ている時間がとても少なくなったというので安心し、連れ帰ればもうお食事中だったが、スタッフを見るなり「お兄さん大好き、お姉さん大好き。」なので助かる。一緒に食べよう、と言われてしまってちょっと困るが、食卓に座らせ、「食べていてね。またすぐ来るから。」で さっと「消え」てしまうことになる。
昨日の高尾山で二度寝をしてしまい、お昼を一緒にできるようにという計画はあっさり失敗したものの、まあそれはそれで、母の顔を見て並んで座れば十分と思うことにする。 それにしても、結局妹は月1,2回が限度のようだ。これではまた「おおねえさん」と呼ばれるのでは・・・。(笑)

5/28
週末は泊りで山に行っていた。その間、妹が母を訪ねたが、トイレに立って戻るたびに「Reikoは?」と数回聞かれて閉口したそうだ。ふむふむ、むべなるかな。
とはいえ、妹こそまめに顔を出さないと結局後悔することになるので、頑張って貰うとして、やはり気になるので今日母を訪ね、また家に連れてきた。途中で「お昼は何を食べたい?」 と買い物をし、大山の写真を見せて説明し(「うん、きれいだね」と判で押したような返事を繰り返すのみだが・・・)、それからホームはきっと和食ばかりだろうから、コーヒーとパンでお昼にする。さっきかったローストビーフを半分こ。

その後韓国ドラマを1本一緒に見て、買ってきたスイカを食べ、4時間後にホームに送り届けた。
車の中は結構聞き分けよかったが、帰る時は玄関まで「お見送り」についてきてしまったので、スタッフが、「おやつを食べましょう。」と手を引いて食堂に連れて行ってくれた。だが、この感じはショートの時もよくあったので、特に心配にはならなかった。 迎えに行った時も喜んでいたものの、一緒に布団を入れ替えたり、服を少しまた出し入れする間、大人しく待っていてくれ、だいぶ馴染んだことが良く分かった。

私は私のペースで母と過ごし、妹は週末にできるだけ訪ねる。
これで十分だと思う。これからも介護については嘘をつかず、何でも一応説明して、それなりに納得してもらう方針。ホームのスタッフは年配の人や男性も多く、その意味でとても家族的。また、先日はカルタ取りをしたそうで、百人一首が得意な母には嬉しい体験だったことだろう。スタッフが、一生懸命母の好きなこと、得意なことを探してくれている。
「歌がお好きですね。」「百人一首はお上手なので読んで頂きました。」など。
母も嬉しそうに一応謙遜していたのが微笑ましかった。母にとっては一番良い居場所が見つかったと思う。またお互いに無理なく余り我慢せず・させずに暮らしていけたら、と思うばかり。

5/22
この週末は母のもとへ行かれないが、火曜日に行ってきた。時間がなかったこともあるが、家には連れ帰らず、近くの大型ショッピングモールに連れて行った。
靴下や下着を一緒に選び、ブラウスも買ってから喫茶コーナーへ。コーヒーを飲んでお菓子を食べてからまたホームに送って行った。

「週末出かけるから家には連れて行けないけど、ここは別荘みたいなものだからね。また今度連れて帰るから」と言って帰ってきたが、手を振って何事もなく別れることができた。
転ぶと怖いのでもうずっと手を繋いで歩いているのだが、スキンシップで安心するのは本当だろう。また、一緒に何かを選んだり(実際にはどれでもいいよ、と言う感じだが)自分のために何かしてくれているという感覚が 強いので、『見捨てられたわけではない』と感じてくれるのだろうか。

入所1ヶ月でケアプランが決まったため、スタッフから説明も受けたのだが、確かに一人一人よく見てくれている感じがする。母の部屋にスタッフが入る時も「失礼します」と自然に声をかけてくれたのが嬉しかった。
母が安心して暮らせる場所がみつかって、よかった・・・。

5/17
発表会の会場で準備をしていたら携帯が鳴る。ホームからだ。母に何か、と思い慌てて出ると、「新しいケアプランができたので、今月中に来て下さい」とのこと。胸を撫で下ろした。先週は頻繁に訪れたのに、今週は土日ともこないので連絡してきたのだろう。 しかし、発表会の最中に何か起こったらどうしよう、と後になってたっぷり冷や汗をかいた。(流石に中止はできないし。)

これから週末はちょっと泊りが続くのでホームに行けない。平日の昼間にちょっと顔を出す位しか出来ないが、母はどう反応すだろうか。いや、 当初の予定では、父の時のように、私と妹のどちらかが週末に顔を出して、近場でお茶でもしてまたホームに返すというつもりが、毎回家に連れ帰って一緒に過ごしてきたので、その落差が心配だ。

ホームに入れた時点で、ある意味でけじめをつけなければならないのだろうが、会えばまだまだ話しが通じるし、一緒に過ごす時間を大切にしたい 気持ちが強くなる。
とはいえ、私も山の予定が目白押しで、更に計画中の山行もいろいろあって、全く頭が痛い。
妹に早くペーパードライバーを卒業して貰い、ホーム行きももっと代わって欲しいのだが、まずもって、車庫から出すことからして難題。事故でも起こされては元も子もないし。

ああ、頭が痛い。

5/10
母の日。うちに連れて帰るのは今週3度目。2時頃妹と迎えに行き、一緒に生協でお寿司を買って、家に戻る。録画した番組を3人一緒に2本見て、5時になったので夕食。
それから一休みしてホームに連れ帰ったのが6時過ぎ。他の入所者は既にそれぞれ自室へ戻り、寝ている様子。どうしますか、と聞かれ、私が着替えさせて、布団に入る。
「家に帰って寝るの?」と言っていたが、「さあ布団に入ろうね。」と言うと大人しく布団に入ってニッコリ。「じゃあまた来るからね、お休み。」と言って電気を消して部屋を出た。

車から降りるのが面倒なので、迎えに行った時は妹だけ降ろし、連れて来て貰ったのだが、妹曰く、「お姉さん宜しく」になっちゃったよ。「あらま。まあ、私とは貢献度が違うからね。」と思わず漏らしてしまった。
が、家に戻るとすぐに「○○ちゃん」に戻ったので、「あ〜よかった。」…さて、今度私が一人で迎えに行くとどうなるかな(笑)。

相談せずに用意した母の日のプレゼントは二人ともお花だった。かぶるかなと思ったが、お花が沢山だと母も喜ぶだろうと思い、特に妹に知らせずに用意したのだが、それもホームに運び、暫くは母の目を楽しませてくれることだろう。
さて、来週から少々忙しく、週末にゆっくり過ごすのは難しそうだ。
かえって寂しがらせることになるやも知れず、気がかりだが、余り頻繁に連れ帰るのもまたどんなものなんだろう。
母の不安を少しでも払拭させてやりたいが、まだまだ手探りが続く。

5/3
昨日また母の所へ行ってみた。前回は顔を見るなり「さあ帰ろう!」と言う感じだったが、今回は落ち着いていて、まず私が追加の荷物を持ち込んで整理している間、大人しく待ってくれた。「じゃあ、家に行こうか」と言って車に乗せ、連れ帰る途中でスーパーに寄って、「おやつに何食べたい?」「何でもいいよ」「じゃあ、いちごにしようか」「それがいいね」でおやつ決定。
家に戻って一緒にビデオを見ながら楽しむ。今日は甲子園のS高の試合。一緒に校歌を歌ったり、大声で声援を送ったりしながら並んで盛り上がる。

その後いちごを食べ、更にテレビに戻ると天皇賞だったので、それを見て、そろそろ時間なのでホームに送っていく。
「またすぐ迎えに行くから、寝るときはホームのお部屋にしようね」というと大人しく従ってくれた。新しい環境にも少し慣れたのだろうか。あるいは、今日も家に帰れて少し安心したのだろうか。何よりも私自身がとても安堵した。
週末に4時間程度一緒に過ごせばお互いにほっとするし、出かけるときは平日に顔を出してみようと思う。
こういう生活に母が慣れてくれれば、私もどんどん山にも行けそうだ。今週はGWなので、明日もまた今度は妹と行く予定。少し早い母の日と言うことで、ランチにでも連れて行こうかな。

4/27
品切れだった箪笥が届き、半分組み立ててからホームに搬入。『お値段通り』の○○○の商品だけあって、箪笥と言っても素材は合板。34キロもある。
2つに分けて梱包されていたものの、一人で持ち運びが無理なので、一人で引き出しだけ組み立て、持ち運べるようにした。
昨日妹と搬入してようやく完成。母の衣類もやっと整理できた。

行ってみると昼食後のお昼寝中。あれ、っとおもったが、顔を見るなり、「迎えに来てくれたのね、嬉しい。」と言う。
まだ1週間だが、布団カバーは交換され、見たことのないシーツと防水シーツ。それぞれホームから借りている模様。洗濯を頻繁にしてくれるようでほっとするが、慌てて予備を注文することにした。

暑くなってきたので布団を薄くして、さらに半袖等の衣類を持ち込み、毛糸のセーターを持ち帰るようにする。

さて、問題は箪笥を組み立ててから。とりあえず外出、ということでお墓参りに。ホームからは近くなった。その後、迷った末、自宅に連れ帰ることにする。「途中でおやつを買って帰ろうね。何が食べたい?」と尋ねると、「何でもいいよ。」という。更に 尋ねると、「じゃあ、一緒に見て決める。」と言う。

コンビニで一緒に選び、家に戻ったのが3時すぎ。おやつを食べ、一緒に百名山の録画で霧が峰を見て、「行ったことあるんじゃない?」「うん、そうかもしれない。」と言う。新緑の季節の映像は心を和ませる。

その後、「じゃあ、選挙もあるし、又出かけようか。」「じゃ、ついていくね。」で車に乗せる。
何となくホームまで連れて行って、「お食事できてるから。」と言うと素直に一緒に入って、靴を脱ぎ、自分の部屋に戻って手を洗ってから、既に食事中の皆さんの中に加わる。
「またすぐ迎えに来るからね。」と言って、す〜っと玄関へ。スタッフが声をかけてくる。少し血圧が高いそうだ。薬は従来の物を飲んでいるが、上が150位、下が90だそうだ。新しい環境で少し興奮しているのかも。様子を見ることで合意。
ともかくも、母の顔を見て少し一緒に過ごせて、母もちょっと安心したのではないだろうか。いや、一番安心したのは私かも。

4/19
グループホームに入所して2日目。妹と午前中に衣類を運びがてら訪ねた。他の女性と一緒にテレビを見ていた。
ホームに連れて行った時は、自室を見て「いいね、きれい。」と言っていたが、今日は少し話すと、「やっぱり自分の家が一番いい。本音を言うと、早く家に帰りたい。」という。・・・あ、と思った。
今までは一度も家に帰りたいと言ったことはなかったが、考えてみればこの3ヶ月、殆ど老健に泊りきりだった。 そうでなくとも、ショートステイが終わって迎えに行くと「よかった、迎えに来てくれて。」といつも言っていたっけ。

母なりに私に気を使って、いろいろ我慢していたのだろう。そう思うと「ここにずっといて。」というのがとても辛かった。「自分の家がいいよ。住み慣れたところでずっと暮らしたい。」と今日ははっきり口に出して言った。 私の都合のよい感覚としては、家具も持ち込み、自分の部屋と思えそうな環境がやっと整って、母も安心してくれると思ったのだが、母にとってはやはりアウェイなんだろう。
勿論、介護スタッフはとても優しくて、とても気に入っている様子。でも、・・・なんだろう。
週1回以上は訪ねる予定だが、さて、今後どうしたものか。

母の気持ちに寄り添っていきたい。
でも、私もそろそろ自分の生活に戻りたい。

この相反する気持ちにどう折り合いをつけるか。母を犠牲にしているという罪悪感とどう向き合うか。
これが最後まで残る介護の悩みである。

4/7
検診の結果が出て、ホーム入所には問題なしだったが、心電図に異常があった。「陳旧性心筋梗塞の疑い」とある。
以前心筋梗塞を起こした形跡があるということらしい。昨年2月に気になる様子を見せた母。すぐに診察を受けたが、詳しく調べるのは本人の状態から無理ということで、ニトロを貰って様子見となっていた。あれはやっぱり 心筋梗塞の症状だったということだろう。
今後も発作が起きる可能性があるということだろうが、早く気付いて早く処置して貰う他に方法はない。いや、発作が起きなければいいのだが、爆弾のようなものかもしれない。
認知症だと、結局、調べても本人が的確な応答ができないので、判断が難しい面がある。また、24時間心電図をつけて調べてもよいのだが、本人の負担を考えると「やめておきます」と答えざるを得なかった。
それは今も変わらない。ホームの方に気をつけて貰うのが精いっぱい。

4/1
入所に向けての準備は多い。まず健康診断。感染症の検査も含めて項目が多く、2万円を超えた。
それから本人の経歴・習慣や生活に関して幼少期から現在まで詳細に記入が求められる。これは特に認知症の人の話に合わせたり、適する環境を整えるためには必要なことだ。
が、書くのは結構大変かもしれない。私はずっと同居なので分かっているが、一緒に居ない場合には面倒だろう。
それから引っ越しに関しては、ベッドなどを運び込んだり、カーテン(防炎仕様)を買ったりと準備がいる。父の時は普段使っている飯茶碗、箸、湯呑みを持ち込んだが、母の方は箸と湯呑だけでよいそうだ。ただし、タオルや衣服を含めすべてに記名する手間も。

最後に必要書類がいろいろ。住民票から所得の証明、印鑑証明も要る。何かと大変と言えば大変だ。しかし、父の時に一番大変だったのは、本人にグループホーム入所を納得させることだった。(いや、本当に一番大変だったのは、入院させる時だった。この時は万策尽きたので、伯母も動員して、半分騙して入院させた。その後、グループホームへは病院から移ったので、 父にとっては病院から出られる点ではプラスであり、説得の困難度は多少少なくはなっていた。)

この点、母はどうかなと思ったら、拍子抜けするほど楽だった。「あの」父の時でさえ、どんな時も(唯一の例外の入院時を除いて)必ず嘘をつかずに説明してから従って貰った。母の方にも 割と最近、「階段の上り下りも大変になったし、24時間私ではもう見て上げられない。昼間ずっと話し相手をするのも大変だし」と言ってから、「特養のショートステイよりずっと少ない人数で、自分の部屋もあるから安心なところを用意する」と 言ったら、「いいよ、それでいいよ。」とすんなり同意してくれた。

多分、もう余り状況が理解出来ていないのだと思うが、母の場合には、誰かがいつも見ていてくれて、親切に面倒を見てもらえることが何よりのことで、その条件が満たされるならOK、ということのようだ。
それに、今まで、デイサービスにしろ、ショートステイにしろ、スタッフの「お兄さん・お姉さん」は全員親切で、だから大好きなのだ。それゆえ入所と言われても拒む理由がないということなのだろう。

これは本当に有難い。今は入所直前で、またおそらくそれが決定すると決まっているので、特例で年末から連続で1ヶ月、2,3日空けてまた1ヶ月というステイを繰り返して3ヶ月目になっている。私達もその間、母と余り会えないので寂しいし、 母も、余り時間の感覚が無いとはいえ、寂しいだろう。(ただし、私とは、定期的な通院やインフルエンザでの看病などで2週間以上会わないことはなかったのだが、妹はその間全く面会していない。)
数日家に戻った時も、妹が居ると「○○ちゃんがいてママは嬉しいよ〜!」とにっこりする。自分の姉妹はかなりあやふやでも、自分の娘は非常に良く分かっている。それがあるから、私も介護を頑張って続けられたのだけれど。

今月中の入所まで、またショートステイに戻って貰ったが、順調に入所でき、気に入った自室になるようインテリアも考えてあげようと思う。

もう一息がんばろう。

3/28
グループホーム側との面談でOKが出た。あとは健康診断書を出して通れば終わり。来月半ばの入所日もほぼ決まった。
週末にしか荷物を運べないので大変だが、もう部屋は綺麗にしてくれたそうなので、少しずつ搬入することになりそうだ。
母にもだいぶ辛抱してもらったので、早く移してあげたい。

3/11
いつもの診察日で物忘れ外来に連れていく。診察を終えて出てくると大声が。
見ればお爺さんが若い女性(施設の職員?)に罵声を上げている。受付を終えたその女性は力づくでお爺さんを椅子に座らせたが、お爺さんは更に大声で叫ぶ。 「皆さん、助けて下さい!この女が私を無理やり連れて来たんです!助けて下さい!」

確かに一人でここへ連れて来て診察を受けさせるのは大変だと分かる。が、つい、こんなに抵抗されたりせずに済むのではないかと思ってしまう。もっと別の方法は無かったのだろうか・・・。
とはいえ、父の時は大変だったし、このお爺さんも認知症が進んでいるからだろうが、優しく話しかけたら何とかなりそうだと思えてならず、お爺さんに同情してしまった。

母をつれて病院を出てからも、気になって仕方ない。
お爺さん、あの後どうしたかな・・・。

3/2
特養で1ヶ月単位で3ヶ月預かってくれることになっている。この間にグループホームへの引っ越しが終わっているはず、なのだが。
やっと今日から一息ついて、少し時間が出来たと思ったら、母のことが頭に浮かぶ。特養でどうしているかな・・・。

仕事に追われているときは全くと言っていいほど思い出さない。つまり、気持ちにかなり余裕が出来たということ。そうなると、早く迎えに行ってやりたくなるが、実際には 自分のお遊びの予定があって無理。もう1週間我慢してね、と心の中で呟く。

2/14
特養でのショートを再開してくれて、朝送っていく。母には申し訳ないが、私も仕事最盛期、その上先週はかなり生徒をお休みにして貰った反動で、この先仕事で手いっぱい。ゆっくり面倒をみる余裕がなく、暫く預かって貰うことになった。
今朝は、ケアマネさんが来てくれ、頼んでいたグループホームも来月中に入れそうだという報告を受け、ほっとする。

来月はいろいろ自分のお遊びの予定が忙しく(笑)、母がまたダウンしてしまうと大変。何とかインフルB型にはかからず、穏やかに過ごしてくれるといいのだが・・・。
いや、その前に私の方がダウンしそうかも・・・。

2/12
かなり元気になって、今朝は服を着せて起こした。洗い物をしていると母がトイレに。ところが、暫く立っても出てこないので心配して声をかけると、ちょっと待って、ちょっと待って、という。
あ〜これは!と思いドアを開けると悲惨なことに・・・。強烈な臭いと共に現れたのは、両手はおろか、足首まで○○まみれの母。その手で触ってトイレの中も・・・。

やられた!と思ったが、もう仕方がない。手袋を嵌めてざっとふき取り、洗濯意欲がわかない下着はそのまま丸めてビニール袋へ。それから風呂場でお湯を出し、綺麗に流して、暖房のきいたリビングへ。新しい下着一式を着せてひと段落。

それから覚悟を決めてトイレ内の掃除、洗濯。全て片付けて部屋に戻ると母はニコニコしてテレビを見ている。・・・ま、いっか。
「だって出ちゃったんだもん」としか言えない母。確かにそうだろう。よく、認知症の人が部屋の中を汚物で塗りたくって、という話を聞くが、 実際、どうしていいか分からなくてしてしまうのだから責められない。その姿に困り果てた母の顔が重なる。
まあこれがトイレ内だっただけ随分マシだったと考えよう。

風邪が治って一段落、とはいかないのが介護。一瞬爆発しそうになったが、ほぼ『鎮火』して対応できた自分を褒めよう!(^_^;)

2/11
いよいよタミフルも飲み切り、熱も平熱で、夕方には家族一緒に食卓を囲んだ。幸い、ショートステイでまた受け入れてくれるそうで、土曜日からお願いした。
昨夜は1度だったが、一昨日は何と夜中に4度も起き出して階下へ降りようとし、その都度センサーの音で起こされた。やれやれ・・・。

救急外来へ清算に行き、確認したらインフルはA型だそうだ。ショートでもA型が流行っているそうで、やっぱり、だった。その割に軽くて本当によかったが、今度はB型にかかる可能性もある訳で、もう運を天に任せるしかなさそうだ。
昨夜は久しぶりに入浴させ、洗髪してあげたのでとても気持ちよさそうだった。母は優しくされることにとても敏感。「ありがとう」、「なんだか悪いねえ」、「優しくしてくれて嬉しいよ♪」と言ってくれるのは有難い。

さて、今夜はおとなしく眠ってくれるだろうか??(^_^;)

2/9
今朝は35度6分まで下がり、元気になった母。驚いたことに、夕方一人で階下に降りてきた。わ、大変!あわてて部屋に戻して、少し一緒にテレビを見てあやす。それから夕飯を持って行くとまた寝ていた。
10時過ぎにSさんに電話で相談していると、またもや母が出現!「インコちゃんが呼んでるみたいだから」とか何とか。大慌てで部屋に戻す。

きっと寝てばかりいたので、体が楽になったら昼夜逆転してしまったのかもしれない。早く治ったのは嬉しいが、これではあと2,3日の安静の間、何が起こるか心配。
この辺りが、普通の年寄りと認知症の大きな違いだろう。ああ、一難去ってまた一難?ま、何とかなるけど(笑)。

2/8
特養で貰ってき来たインフル。多分、潜伏期間が長かったのだと思う。帰宅予定の前夜に電話。急に8度を超えた発熱と水様便という。幸い、発熱から3時間で診察、すぐにインフルの結果が出てタミフルと解熱剤を貰ったせいか、2日間はかなり辛そうだったがすぐに熱も下がった。
金曜の夜が最高で38度1分、翌朝も8度1分、夕方に7度8分、今朝は6度6分、午後には6度5分まで下がって、ほぼ安心。殆ど咳も出ず、鼻水も殆どなし。薬が良く効いたのか、ワクチンのお陰か(私の献身的な看病で!?)どうやら峠を越したようだ。

初日と二日目は、異常行動も心配で、2時まで起きていたので、朝がちょっと辛かった。が、母は食欲もあり、今日の午後はかなり元気になり、本当によかった。
家に居ても四六時中見ていることはできないので、たとえ発病したとしても特養において貰って正解だったと思っている。様子も詳しく病院に説明して貰い、連携もよかった。母は本当に運が良い。でもインフルの型が違えばまだかかるかもしれない。まだまだ用心、用心。
問題は、私。さて、感染するだろうか・・・。

2/4
今日でグループホーム見学4か所目。本当にそれぞれ違うので驚かされる。ただ、今は殆どのところで看取りまでするということに本当に驚いた。
病院併設のところは何だか特養のようで、管理されている感じで、入居者もイマイチ元気が無い感じ。また、あるところは共用部分(居間兼食堂)が本当に広いが、 広すぎてホテルのロビーのよう。逆に何だか落ち着かない。

お部屋も、備え付けの棚やロッカー、洗面台があるホームもある。本当に自分の家のようなアットホームな感じのするホームは、職員も制服でないからかな、と気づいた。
今は数年前と違って、自宅のある区や市のホームにしか申し込めない。父の時は多摩川を渡って向こう側まで車でせっせと通ったものだが、今では遠くても20分程度。自転車でも可能な範囲だろう。ただし、どこも入所待ちが数人ずつ。

一ヶ所、割に早く入れそうなところがあり、ちょっと高いのだが、もうそこに決めようかなと思う。
早く母も居場所が決まって、落ち着いてくれたらなあと思う。

2/3
昼間ショートステイ先から電話。またインフルエンザが発生したという。
年末にはそれで1週間短くなって、早速に迎えに行ったのだが、今回はどう考えても無理。早朝私が出かける日もあるし、何より、母が家でインフルを発病したら仕事に出られない。(←何て薄情なんだ!!!)
かかった人は個室に隔離したそうなので、幸運を信じて、預けたままで、とお願いした。
発病したらしたで、むしろショートにいた方が安心かもしれないし、とも思う。看護師がいるし、常に見守ってくれるだろうから。
が、いつ電話が鳴るかと思うと・・・。

1/29
母がショートに入ると、どっと疲れが出る。入所翌々日位までは何も手につかない。3,4日するとやっと溜まった家事や自分の仕事に取りかかる気力が出てくる。
手のかからない母ではあるが、常に気を遣っているせいだろうか、やっぱり今朝も母の夢を見てしまった。あ、危ない!と思ったら夢だった。大声で寝言でも言ったかも(笑)。

グループホームでの穏やかな暮らしがやっぱりよさそうだ。でも順番待ちが数人ずつ。人気の施設ほど「先着順」だという。母にとっても終の棲家にもなりうる所があり、それが第一候補。
なるようにしかならない、というのが父の時からの実感。あとは最大限の努力をするだけ。
でも、やっぱり自転車で行ける位近いところがいいなあ。

1/25
母の居場所についてケアマネさんといろいろ相談。施設を探すことにした。
前日に、あきる野市の施設に空きが出たと連絡を受けたが、今すぐ入れるには、流石に場所が遠すぎる。
家族の判別がつく間は、近くに置いておきたい。で、探すべき施設も絞り、今週中にもあちこちあたってみることになった。適当な場所が見つからない場合には、 仕方ないのでしばらくは「お泊りデイ」を利用するつもりだ。

父の時とは違い、最終段階だと療養施設になるだろうとのこと。(月額35万にもなるという。ウッソ〜!!)
とにかく、先をいくら予測しても不測の事態は避けられないので、当面の最善・次善の策を講じていくしかない。幸い、妹もかなり身軽になったので、なんとかなりそうだ。

それにしても、今回はショートが1ヶ月空いたので、年末年始もからみ、流石の私も疲れが・・・。体もそうだが、常に母のことを考えているので神経が疲れる。自分で体の不調を訴えることができないため、寒くないか、汗をかいていないか、エアコンが適温か、等々気配りは不可欠。
夜中のトイレも、時々流した音がしてもしばらく出てこないことがあり、心配して見に行くと、流れる水を眺めながら「水が止まるか気になって」という。
「大丈夫だから、また寝ようね。」と言うと安心して布団に入る。

1年半程前あたりが一番大変だったような気もする。今は本当に受動的だが、不思議と失禁がなくなり(軽い便もれは毎回。)、手がかからない。
だが、多分、ちょっと状況が変われば一気にまた症状が進むことも当然予測できる。
今の母にとって一番大切なことは、常にだれかが気にかけて側にいてくれることだろうと思う。家族にそれが無理ならば、それが可能な所を探してやらなければ。

特養の順番待ちで、意外と空きが出る施設も多いというので、明日から電話してみようと思う。

1/19
認知症、アルツハイマーという言葉から思い浮かぶ要介護老人の姿はどんなものだろうか。徘徊?物盗られ妄想?
母がそうだと分かった時がそうだった。

しかし、いろいろあったものの、今の母は本当に穏やかだ。昼寝させて起こすと、ご機嫌が良い時は「じゃあ、Reikoちゃんと一緒に起きますか。」とにっこり笑う。

食事を終えてソファに移ると、5分も経たずに「もう寝ていいかな?」という無表情の母でも、横に座って一緒にテレビを見、時々話しかけると、驚くほど反応がいい。
勿論、母に向いた番組(喜劇ドラマ、動物もの、子供が出るもの、クイズ番組など)なら尚更。別人のように表情豊かになって、会話も弾み、勿論、1時間経っても「もうちょっと、ここにいてもいい?」と言う。

朝も私の都合で着替えを少しでも急がせると、一気に表情が硬くなるが、手伝いながら1つ1つ渡せばご機嫌よく起きてくれる。
まさにつきっきりで対応出来れば、本当にまだまだ自宅で暮らせるだろう。・・・
しかし、そうなったら私は全く仕事ができない。まだまだ面倒を見てあげたいという強い気持ちがある半面、もう限界だと感じることが多くなって来た。
特養入所までの間に、もうどこか探さなければ。

1/16
母の月例通院日に私がウイルス性胃腸炎でダウン。運よく家にいた妹に半休を取ってい、何とか車で送り届ける。帰りはタクシーを呼ぶように言い、私は近所の内科へ。
途中でメールが入り、早く終わって薬も貰い、今バス停前という。ありゃりゃ・・・。

この頃母は歩くのが更に遅くなり、先日はコンビニまでも辿りつけずに戻ったこと、更にはこの寒さでバス停に立たせたくないからのタクシーだったのだが、妹にすれば、バス停までも「大した距離じゃない」し、バスに乗れば安い、 という論理。お互い良かれと思ってのことだが、この際文句は言わずぐっと抑える。

やはり、私がダウンしたら母の面倒も見られないし、逆に朝になって母が高熱を出せば、その日の仕事を休むしかなくなる。小さい子を持つ働く母親と全く同じ立場。安心して預ける場所がなければ仕事に出られない。
私の場合は塾講師の仕事。当日休むなど、極力避けたい。が、最悪の場合、当然母を取るしかない。

今までは何とか切り抜けたものの、これから仕事が増えればその可能性も高まる。いろいろな意味で、やはり在宅介護の限界を痛感する出来事だった。

1/4
明日からやっとデイサービスが始まる。年末のインフル騒ぎで想定外の帰宅となり、23日から今日まで長かったこと!
2日間位は妹がかなり対応してくれたが、丸1日在宅だと、相手をするのが本当に大変。今日は近所のコンビニまで散歩に連れ出したが、途中で「帰りたい」と言いだしたので戻ることに。
息苦しいのかもしれないし、数日殆ど歩いていないので足が萎えているのかもしれない。が、自分の状況を適切に説明することが出来ないので、常に様子をしっかり見て対応しなければならない。

インフルの蔓延で、初詣もやめ、買い出しに連れていく時もマスクをしっかりさせ、何とか乗り切ったが、まだまだ流行しているので心配。
今週は塾の仕事も毎日入り、またデイの送り出しのために自費サービスを頼んでいる。この期間に何事もないことを祈るばかり。

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2015年1月1日現在の母の1日:

朝、起こしに行って、前夜に揃えた服を下着から順に1枚1枚手渡して着て貰う。(この間に目を離すと寝巻の上に重ねて着たり、服を着たまま、また布団に潜り込もうとする。)
一緒に階段を下りる。両手で手すりを掴ませ、私が先に2段程下を歩き、万一の落下に備える。
洗面所で1つ1つ指示しながら入れ歯の手入れ、洗顔、うがいをさせ、リビングに連れていく。

テーブルに座らせ、食事を出す。食後は用意したその日の薬を飲ませる。「1錠飲んだら水も飲んでね。」「残った水も全部飲んでね」と言う感じ。
その後はソファに座らせて、デイサービスのお迎えのバスを待つ。(休日はデイが無いのでもう大〜変!)

[休日バージョン]
片付けや洗濯の間、何とかテレビに「子守り」をさせる(が、目を離すと二階の自室に戻ろうとするので常に聞き耳を立てている。)
仕方ないので一緒にテレビを見てお昼まで過ごす。食事を取らせすが、すぐに「もう寝ていい?」と言うので、 私の気力があって天気が良ければ、短い散歩か、買い物に車で連れ出し、何とか3時頃まで持たせる。
夕食まで昼寝させ、ちょっと一息つく。

[平日バージョン]
3時から4時半の間にデイから戻る(ので、用事で外出していも、必ずそれまでに帰宅しておく)。
普段は仕事中のことが多いので、中断して自室へ連れて行き、昼寝させる。

夕飯ができたら起こし、30分〜1時間一緒にすごしたのち、また連れて行って寝かせる(か、稀に入浴介助。)
寝巻をきちんと着るまで、またつき切りで指示し、布団にくるんで消灯する。
私が寝る時に、センサーをセット。廊下を通過する(階下へ降りようとする)と鳴るので、起きて部屋へ戻す。
夜中に2〜3回トイレに起きるとき、大体私も目が覚めるが、耳を澄ませ、自室に戻ったのを確認する。(母の部屋の隣がトイレ、向かいが私の部屋)。


母の状態:

自分から何かを話すことは殆どないが、話しかければ反応する。語彙は非常に減った。しかし、読書が趣味だっただけに、文学系の話題には意外とまともな答えが返るし、デイでも漢字などは結構書けるらしい。
誰かが一緒に居れば、テレビを2時間位見続けることも可能。しかし、普通はすぐに飽きてしまう。
嚥下障害はなし。ただし、何でも1つのおかず等を全部食べ終わってから次のお皿に進む。魚は骨があるので一人では食べられない。
「〜してもいいよね?」「トイレはすぐそこだよね?」などと1つ1つ確認を求めることが多い。

自分の兄弟姉妹は分からない。私と妹だけは分かる。その他の人は、男性は全て「お兄さん」、女性はすべて「お姉さん」と呼ぶ。
介護関係の人はみなとても親切なので、母は大好き。人見知りもほとんどない。ショートステイ期間もマイペースで過ごしているそう。ただし、この頃は、送っていくと、『一緒に帰ろう』と言うようになった。(職員さんが とても慣れているので、上手に対応してくれ、問題はなし。)


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