キリスト教ついでに取って置きの話をしよう。これは数年前に知ったことなのだが、あまりにも重大なので公表をためらってきたことである。一般の読者にとってジョン.ウエスレーと言っても「誰だ、それ」という問題だろうと思うが、キリスト教会では最大の尊敬を持って数えられている人物である。十二使徒、アウグスチヌス、ルター、ジョン・ウエスレー、ビリー.グラハムと並び称される重要人物なのだ。ウエスレーの神学はプロテスタントのほとんどが受け入れている最重要な教理である。メソジスト、ホーリネス、その他ウエスレーの息のかかっていない教団教派を探すことの方が難しいだろう。と言うことは、このようなことを言うということは、完全にプロテスタントからパージされることを意味する。さすがに私も中々口に出せずに来た。しかし、もう良いだろう。私もそんなに長くはない。今さら私への評判が良くなるわけもなく、今こそ時だと思う。
ウエスレーの神学の特徴は「清め」である。聖書にはクリスチャンに対して、清くあれ、正しくあれと教えている。しかし、もしこれが過度に強調されると、それは信仰の束縛となり手かせ足かせとなる。清さには限界というものはないから、クリスチャンは深刻に考えると自由と喜びを失うことになる。ところが、キリスト教とは元々が自分の努力によらない救いの宗教なのである。人間は神の前に正しく清くはありえないから、イエス.キリストが身代わりになって下さって、その功績により自分の努力無しで救われるというものである。
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、: 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。ローマ3:20〜24
ところが、清めという教理を追求するうちに、この恵による贖い、許しという最重要課題がないがしろになって行く。クリスチャンは自責の念と、及びもつかない要求に板ばさみとなって喜びと解放を失って行く。
私はかねてからこのウエスレー神学に疑問を感じていたのだが、ある時、このウエスレー神学を標榜する団体の牧師が女性問題を起こし、その相手が自殺したというニュースを耳にした。その時、こういう場合、彼らはどうするのだろうと思った。そして、ウエスレーについて、かねてから抱いていた疑問、ウエスレーはフリーメーソンではないかという問題を調べて見ようと思った。幸い、英語に堪能でこの道に詳しい有能な友人が居たので彼に調べてみてくれないかと頼むと、すぐに返事が来た。「あったよ。Famous Freemasonsというサイトに載っているよ。」
このサイトはフリーメーソンのもので、有名なフリーメーソンを誇らしげに載せているものだった。その中にはビリー.グラハムも書かれていた。ところが!!我々がアクセスした直後にこのサイトからウエスレーとビリー.グラハムの名が消えた。丁度そのころ、オーストラリアのCutting Edgeというクリスチャンの団体が同じようにこの問題を取り上げていた。やがて、奇妙なことに「これらの人はフリーメーソンではない」という記述が現れ、その中に懇切丁寧にウエスレーとビリー.グラハムのことがかかれるようになった。今、このFamous Freemasonsには同じような立派な「フリーメーソンでない有名人」というリストがある。(興味のある方は英語のYahooでFamous Freemasonsと検索されるといい。)
私は非常に奇妙だと思う。例えば日本の○○組が、全く関係ない人間をわざわざ、当組の組員ではないと発表するだろうか。それも本人の迷惑にならないように配慮して。
あの友人は私に「どうしてウエスレーがフリーメーソンだと思ったのか」と聞いてきた。それはそうだ、キリスト教の大本を疑うなんて正気の沙汰ではない。しかし、私には一つの疑惑があった。
サタンのキリスト教会攻撃の手には大まかに二つある。一つは正面からの攻撃である。迫害、脅迫、殺害、教会閉鎖などである。もう一つは内部からの攻撃である。神学的まやかし、聖書翻訳への介入、異端の創設、そして非常に厄介なのが、極端な「清さ」の追求である。これは間違ったことではないので否定する方がおかしいことになる。しかし、窮屈で喜びも解放もない信仰になる。数年前、日本でイギリスの著者の書いた本がベストセラーになった。その著者は謙遜にも自分の名を明かさなかった。その本は敬虔で清さに満ちた文章であった。私は婦人集会でそれを取り上げ、勉強したのだが、次第に苦しくなってきた。そしてついに途中で止めることにした。婦人たちもほっとしたと言っていた。
ウエスレーには疑惑が多い。まずよく知られているのが、オカルトで異端のインマヌエル.スエデンボルグとの親交である。これはかなり長く続いたが晩年分かれたことになっている。しかし、瞬時にもせよ、この男と親交があること自体ありえないことである。スエデンボルグはもちろんフリーメーソンとして知られている。ウエスレーの伝記は美辞麗句に書かれているが彼自身の日記は暗号で書かれている。また彼の妻は彼の元を去った。私にはまだそれほど彼についての知識はないのでさらに研究を続けようと思う。それにしても何でまた誰にも喜ばれない研究をしなければならないのか....。