荒野の声 NO.41

アメリカ人であることの悲惨!

 自国を守ることとまったく無関係で、それどころか「他の国」を守るためにもならない、やらなくてもいい戦争をしている国家のために、召集され、自爆テロに合い、帰国した青年と結婚する花嫁の目は何を見ているのだろうか。つくづくアメリカ人でなくて良かったと思う。今のところは。

戦争の意味を問う一枚の写真「海兵の結婚」花嫁の視線の先にあるもの(机の上の空 大沼安史の個人新聞)投稿者 gataro 日時 2007 年 9 月 03 日 21:26:20: http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/
2007/09/post_32a1.html から転載。
2007-09-02〔コラム 机の上の空〕 戦争の意味を問う一枚の写真 「海兵の結婚」 花嫁の視線の先にあるもの  米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に、イラク戦争で負傷した米兵の「写真集」が掲載されている。 ニューヨークの女性写真家、ニナ・バーマンさんが撮影したものだ。写真を見て、息をのんだ。結婚式の記念写真。新郎と新婦、ふたりきりの。 写真のタイトルは「海兵(マリーン)のウェディング」。 写真右手に立つ新郎は、ティ・ジーゲルさん(24歳)。左手の新婦は新婦のレニー・クリネさん(21歳)。 昨年、アメリカ中西部の田舎で撮影されたものだ。軍服姿の新郎の左の胸には勲章がいくつか。どれがどれだか見分けはつかないが、そのうちのひとつが戦傷者に贈られる「パープル・ハート」勲章だという。海兵隊員だった新郎は2年前、イラクの戦地にいた。自爆攻撃で乗っていたトラックが炎上し、顔面を含む頭部を焼かれた。 テキサスの病院に運ばれ、整形手術を十九回、受けた。 頭蓋骨はプラスチック製に代わり、顔面から「目鼻立ち」と「表情」が消えた。  その新郎のそばにたたずむ新婦の「表情」に微笑みはない。 口を結んだまま、大きく目を見開いて、左前方へ視線を向けている。 怖いものを見たような彼女の視線は、写真を観る者の前を過ぎり、かすかに上昇しながら一直線に画面の右手に飛び出して行く。 その視線の先にあるものを、新婦を横から見ている(らしい)新郎もたぶん、知らない(花嫁に向かって、何を見てるの?と聞いているにも見える)。知っているのは、花嫁ただひとり。しかし、写真を観る者は、新婦が見ているものを想像することはできる。彼女はおそらく、その場の空間の一点に、ふたりの「運命」を決定付けたものを見て取り、直視しているのだ。「イラク戦争」を決定し、夫が「戦傷」する舞台を用意したものの姿を、彼女はその真っ直ぐな視線で、見極めようとしている。 「スライド・ショー」の解説記事の中で、タイムズ紙の記者は、ふたりの姿は「あまりに孤独」(と見えるかも知れない)だ、と書いている。戦場で戦傷した者の帰還は「生還」ではなく「死を携えての帰還」である。迎える者の喜びの中に死の影が射し込むのは、如何ともしがたいところだ。 が、タイムズ紙の書くところによれば、二人の結婚式は、喜びに満ちた、祝福されたものだったという。
 生よ竦(すく)むなかれ、死よ驕(おご)るなかれ! 白と黒のコントラストが鮮明な二人の写真は、死と生、苦難と希望、戦争と平和の区分を明確化する現代世界のポートレートのようにも見える。 花嫁のウェディング・ドレスと、花婿の正装の腹帯、首から上の「白」は、ふたりして生き抜こうとする決意の色であり、戦争を告発してやまない正義の色であるだろう。二人の写真は、イラク戦争の終結へ向けた、ささやかで、しかしながら決定的な記念碑的な一枚である。その写真に向かって、わたしも声をかけることにしよう。 おめでとう、お幸せに、と。


フリッツ・スプリングマイヤーとシスコさんの近況
 大山さんがシスコさんとフリッツに会ってきた。二人とも元気であるそうだ。フリッツは結局二度目の裁判にも負けたらしい。彼らはどうしても10年の刑期を与えるもののようだ。私の面会はカウンセラーによって拒否された。どうも書き方がまずかったらしい。再度、送るつもり。シスコさんは日本に講演しに来たがっている。実現できればいいのだが。