荒野の声 No.10   2004・5・3

パッション・オブ・クライスト

メル・ギブソンという俳優が作った「パッション・オブ・クライスト」という映画が上映されています。私は見て、大変、感動しました。細かいところはいろいろありますが、全体としては聖書に忠実で、ぜひ、言ってほしいという言葉はほとんど入っていました。

よく言われている、残酷だという鞭打ちと十字架のシーンは、事実そうだったのだろうと思うので、別に違和感もなく、むしろ、主イエス様の苦しみが良く表現されていると思いました。

サタニストで占い師だったが、キリストによって救われたデイヴィッド・メイヤー氏は、この映画を酷評しています。その理由は次のようなものです。

1.        金を払ってでなければ見ることが出来ない特別な場所(映画館)でキリストが語られること。

2.        キリストを演じるべきではないこと。キリストは一人しかいなかった。

3.        マグダラのマリヤを演じているのがポルノ女優であること。

4.        脚本が聖書以外のカトリックの尼僧エンメリックの見た幻などの影響を受けていること。

5.        キリストを演じる俳優がカトリックのお守り(本当の十字架の破片というものなど)を持っていると言っていること。

6.        十字架にキリストの手を釘付けした釘を持っているのはメル・ギブソンの左手であって「左手の結社」という邪悪な結社はキリスト教の破滅を計っている事。

 私はメイヤー氏の機関紙を読み、いつも教えられている者ですが、この評論は素直に納得できません。

映画というメデイアでキリストを語るということが、良いのか悪いのかですが、現代社会で人に何らかのことを伝達する手段の一つである映画でキリストを語ることは聖書しかなかった時代とは違って許されることだと思います。キリストを演じるべきではないという考えは、それでは歴史上の人物の誰も描けなくなります。また見るものたちは、演じている俳優をキリストとは思わないでしょう。

 エンメリックについては、私も少し知っていますが、私はカトリックを完全否定することは出来ないと思っているので、カトリックに現れる幾つかの超自然的な出来事の全てを否定することは出来ないと思っています。またメル・ギブソンの左手については、彼自身がその結社員かどうかは判りませんが、普通、右利きの人は左で釘を持つと思いますから、そこまで考えなければならないのかなあと思います。

 幾つかの問題点はあるにしても、全体としては聖書に忠実であり、作り手の意図がどこにあるかは判りませんが、受け取る側、映画を見るものにキリストの苦難を伝え、私たちの罪の贖いの業を強烈に印象付けるという点で、私はこれも一つの伝道だと思いました。

 ハリウッドという悪徳の町からこのような映画が、今この時期に現れたというのは不思議です。私は皆さんがぜひご覧になることをお勧めします。