「荒野の声」 No.5 2003/12/05
クリスチャンの奇妙な論理
クリスチャンと言うものは奇妙な考え方をするものだとつくづく思います。
私がビリー・グラハムはフリーメーソンだと言ったときに、ほとんどの反応は、私がおかしいと初めから決めてかかることでした。これは100%、絶対的な反応で、他にはありませんでした。まるでビリー・グラハムは神聖不可侵であるかのようなのです。そこには私の言うことを調べてみようという冷静で、真摯な態度は全くありません。問題は私の言うことが事実か事実でないかでしょう。どうして何の調査もなしで、私が間違っていると決められるのでしょう。
私はビリー・グラハムを辱めるために言っているのでありません。もし彼が本当に神の器なら私は神に逆らうものとなることぐらい当然のことだとわかっています。私は事実を事実だと言っているのです。
私は次の4人からビリー・グラハムがフリーメーソンだと言うことを聞きました。
1.フリッツ・スプリングマイヤー (反キリストの組織のフリーメーソン・イルミナティの研究者、現在、無実の罪で監獄に居る)
2.シスコ・ウイーラー (元イルミナティの高位の人物。その後、キリストによって救われた)
3.ユースタス・マリンズ (反キリストの組織のフリーメーソン・イルミナティの研究者)
4.カッテイング・エッジというウエブサイト http://Cuttingedge.org/n1082.htm
また、キャッシー・バーンズ著「ビリー・グラハムとその友人たち」という本がありますが、これはあまりにも長大で翻訳できないし、日本で出版しても売れるはずが無いから日の目を見ることは無いでしょう。
ある人がどうして一つや二つのわずかな情報でそんなことが決められるのかと言いました。しかし、たとえ一つでもそれが真実だと確信できる内容ならそれで十分ではありませんか。カッティイングエッジというサイトの「ビリー・グラハムはフリーメーソンであるとフリーメーソンサイトが報じている」というものは一度読むだけで十分納得できるものです。ただ少々ファナテックには感じる書き方ですが。
私はその内容についてはここに書きません。きりが無いので。しかし、お願いしますどうぞ一度自分で調べてみてください。そして思い込みと偏見はどちらにあるのか調べてみてください。