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テニスワールド 2006年秋 Peter Bodo:古い話題に関して |
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ピート・サンプラスとロジャー・フェデラーに関して、最近グスタボ・クエルテンが発言したのを読んだ人もいるだろう。読んでいなかった人へ説明すると、クエルテンは明らかに、サンプラスはザ・マイティ・フェドより「ずっと優れている」と語った。 私はそのスポーツについて全くもって何も知らないのだが(モンテカルロのような場所で、最も有能なドライバーたちが元気に大騒ぎする事以外は)、クエルテンは F-1自動車レースとの興味深い比較を引いて、アイルトン・セナの悲劇的な死に乗じてマイケル・シューマッハーが高位を不動のものとしたように、TMF(ザ・マイティ・フェド)はサンプラスがいなくなった空白に移動してきた、とブラジルのテレビ・グローボに語った。 私の印象はこうだ:誰でも自分の意見を言う権利が与えられているが、事実に即しているとは限らない。そして「より優れている」という表現は、構文としてあまりにも大雑把だ。もっとも、この場所で途方もなく大きなキャンプファイアーを始めるには、「ジョージア・ファットウッド」クラスの焚きつけではあるが。 訳注:ジョージア・ファットウッド。長葉の松の切り株から裂き割った焚きつけ材。抜群の火付き。 私がクエルテンの発言を引用するのは、つい先日「テニス」誌への寄稿家でテニス記者のダン・C・ワイルから電子メールを受け取ったからだ。そのメールにはサンプラスとフェデラーの話題について、若干の興味深い考察があった。これはダンが書いたものである: 一般に、フェドはサンプラスよりオールラウンドなゲームを持っていると認識されているようだ。私はそれが真実であるか、確信してはいない。クレーでは明らかに、彼はサンプラスより良いプレーをするが。サンプラスがフェドよりも攻撃的であれたのは、当時はボール、コートがより速かったからだ、と最近ヘンマンは指摘した。恐らく、もしサンプラスがフェドと同じ世代だったら、彼自身もベースラインをより重視したゲームをしただろう。 サンプラスのグラウンドストロークがどれほど優れていたか、忘れられているようだ。キャリアの終盤は、彼はよくバックハンドを深くチップし、ネットへ詰めた。だがキャリア初期には、彼のバックハンドはフェドより良かったと思う。そもそも彼が95年にUSオープン決勝でアガシに勝った時、第1セットを取り、そしてアガシの意志を砕いたのはバックハンドだった。ベースラインではフェデラーの方が動きが良いかも知れない。しかしサンプラスがそこでスローだという意味ではない。 そしてネットにおけるサンプラスのボレーと動きがフェデラーより良かった事については、疑問の余地がない――遙かにと言えるだろう。もちろん、もしフェドがサンプラスの世代だったら、より速いコートとボールで、彼のネットゲームは多分もっと上達していただろう。 今がフェドのピークであると想定して、もし彼らが各々の絶頂期にミディアム・スピードのハードコートで対戦したなら、サンプラスが勝つと私は思う。フェドが一貫して彼をパスで抜き続けられるとは思わない。そして本題を離れるが――もし絶頂期のサンプラスを現在のレベルにおけるナダルと対戦させたら、ハードコートではサンプラスが彼を叩きのめすと思う―― どんなスピードでも。サンプラスのネットゲームは、ナダルのフォアハンドを完全に無効化するだろう。そしてナダルには、フェドに対してするような準備の時間的余裕がないだろう……。 TMF とジェット・ボーイ双方のファンにとっては、挑戦的な言葉が並んでいる! 先日、フェデラー - サンプラスに関して書く事を考えていると述べた後、ハイジから*目を白黒させる*ようなコメントが来た。彼女は明らかに、2人の比較や GOAT(グレーテスト・オブ・オール・タイム=史上最高)論議にうんざりしていた。それを読んで、私は笑わずにいられなかった。だが TMF がこのような素晴らしい年を過ごした今、厳密な比較を行うにはかなり良い時機だ。 私のバックグラウンドはこのようなものだ:私が初めて本格的にピート・サンプラスを見たのは、1989年のUSオープンだった。衝撃は絶大だった。そして自分が考えた事を鮮やかに記憶している:これはパンチョ・ゴンザレス(ものうげな様子、しなやかさ、人を惑わすようなパワーの生み出し方ゆえに、彼はしばしば「ネコ科の動物」と描写された)が、子供として現れたのに違いないと。次に考えた事:ビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズを長年見てきたが、私はサンプラスを見て、プラトンが手書きした指導書を得ているように感じた:テニスをプレーするとは、こういう事なのだと。 さて、すっかり丸め込まれないでほしい:これはサンプラスが彼の先輩――あるいは後継者――より優れていた事を意味するのではない。ただ彼はベルベットで裏打ちされた、優雅で、クラシックで、爆発的なゲームをしていたという事だ。 対照的に、ボルグは道を誤ったホッケープレーヤーだった――素晴らしい脚力と両翼からの信じ難いスラップショット。マッケンローは、キュビスム絵画のテニス版(「階段を降りる裸婦」か誰か?)。 訳注:キュビスム。20世紀初頭にパブロ・ピカソ(1881〜1973)やジョルジュ・ブラック(1882〜1963)が創始した革命的な表現。ルネサンス以来の遠近法を放棄し、描く対象を複数の視点から3次元的に捉え、1枚の平面(2次元)の中に表現した。 「階段を降りる裸婦」。従来では考えられなかった様々な表現活動を行い、現代絵画の父とも呼ばれるマルセル・デュシャン(1887〜1968)の1912年の作品。 http://www.nmao.go.jp/japanese/b3popup/j_works_duchamp.html コナーズはまさに野獣で、彼のサーブには、熟練選手たちがゲーム全体に抱えるよりも多くの、際だった欠陥的要素があった。 おやまあ、思うに、テニス選手を再見するのは良い事だ。彼らがどんな風だったか、私はおおかた忘れていた! 私が最初に TMF を見たのは、1998年のオレンジ・ボウル(彼は決勝戦で、やがてはテニスの亡霊となるギレルモ・コリアを徹底的に負かした)だったが、同じような感銘は受けなかった。――だが、皆が考えるかも知れないような理由のためではない。 彼はサンプラスの成熟には遠く及ばず、全くもって印象的でもなかったのだ。TMF がキャリアの初期、グランドスラムで引きずっていた問題点に目を向けると、2つの理由のためであったと分かるだろう:感情面、そして精神面の鍛錬不足(それは過去の事だと言えるが)、そしてゲームの未熟さ。ショットの選択、見事なショットを打つよりもポイントを勝ち取るためにプレーするという点で、ロジャーがしばしば感じた(そして認めた)混乱に、それが現れていた。 それ以外にも、フェデラーのゲームには、私が「重量」とでも呼ぶ性質が欠けていた。もしそれが批判のように聞こえるなら、同じ事がロッド・レーバーのゲームについても言えたのを憶えている。もし TMF、あるいはレーバーがボクサーだったら、彼らはせいぜいミドル級かライトヘビー級の選手だっただろう(対照的にマラト・サフィンは、ずっとヘビーウェイト級である)。 同じく、フェデラーが魅力的なゲームを持つ以上の存在と運命づけられているのか、私は定かではなかった。ジュニアのテニスは常に、「重量」を持つ選手たちが占めるプロツアーへうまく移行できなかった素晴らしいボールストライカーを輩出してきたからだ。――「D」のデビス(スコット)やら「P」の(アル)パーカーやら(ニコラス)ペレイラを思い出してほしい。 今、これらの考えを書き留めてみて、TMF への新しい評価がもたらされた;ジュニア時代からプロへと、これほどの広がりで変化した選手はいるだろうか。それをチェックしてほしい、私は1人思い浮かべられる:ロッド・レーバー。 レーバーが子供だった頃、彼はボールをコート内にほとんどキープできなかった。 だが偶像的なオーストラリア人コーチ、ハリー・ホップマンは、懐疑的な傍観者に述べた:「心配はいらない。すべてのショットは、ある日コートに収まるようになる。そしてこの子供はチャンピオンになろうとしている」 余談:レーバーのあだ名「ロケット」は、初めはふざけた称号としてついたのだ。やせた小さい赤毛が打ちまくり、辺りかまわず「ロケット」を飛ばしたから……。 最も有効な比較の方法は、各技術的センスにおいて、問題となる選手たちが総じて誰に最も近いかに焦点を絞る事かも知れない。私は TMF を、ボールに語らせるすべを心得、なおかつ大きな勝利を収めた者;最も手ごわいライバルのパワーをいかに相殺するか知っていた、スムースな選手たちと同じグループとする。TMF の近親者は順不同で:レーバー、ケン・ローズウォール、マッツ・ビランデル、イリー・ナスターゼ、マッケンロー――恐らく彼のコーチ、「怠け者」のトニー・ローチも。 同じ基準で、サンプラスの近親者はゴンザレス、ルー・ホード、ジョン・ニューカム、イワン・レンドル、ボリス・ベッカー。フォアハンドやらバックハンドについては「部族の長老」に任せよう。その類の事については、彼らは私などより専門家であろう(やれやれ、これはダンロップやトッドのストライクゾーンか何かの問題なのか?)。 訳注:トッド。大リーグ、コロラド・ロッキーズのスラッガー、トッド・ネルソンの事か? 私自身の考えはこうだ:たいていのコートでは、全体的な武器としてパワー以上のものを持つ選手がパワーを賢明に使用する時、特に手数を掛けないという偉大な殺人者の本能が加味された時には、それに抵抗できる唯一のものは、大いなる多才さと絶対的な大胆さで構成されたカクテルである―― TMF がここ何年か、輝かしき年の間に披露してきたものだ。 無口なサンプラスが生み出した容易なパワーには文句を付けがたい――だが忘れられがちだ。しかし、フェデラーのグランドスラム成績という事実、タイトルをむさぼり喰うような近年の疾走が提供する証拠を論駁するのも、同じく難しい。もしこれらの男たちがあなたの人生のためにプレーしているなら、誰に自分の金を賭けるだろうか? |
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ユーロスポーツ マスターズカップより クエルテン: サンプラスはフェデラーより優れている 元世界ナンバー1のグスタボ・クエルテンは、ピート・サンプラスの方が「もっと優れていた」と力説し、ロジャー・フェデラーは史上最高のテニスプレーヤーだろうという主張を退けた。 クエルテンは続けて、アイルトン・セナはマイケル・シューマッハーより優れたドライバーだったと思うと、故郷ブラジルのテレビ・グローボのインタビューで語った。 「フォーミュラ・ワンでは、シューマッハーはアイルトン・セナの悲劇的な死に乗じてスポーツを征服した。フェデラーがサンプラスの不在によって勝利を得たように」とクエルテンは言った。 「両者とも優れたプレーヤーだが、僕はサンプラスを選ぶ」 クエルテンは3回フレンチ・オープンで優勝し、フェデラーとサンプラス両者を負かした事がある。 しかしながら、彼は近年苦しんでおり、2月中旬からツアーを休み、現在は1,113位である。 |
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チャン:フェデラーは最高の仲間入り 元フレンチ・オープン・チャンピオンのマイケル・チャンは、現在の世界ナンバー1ロジャー・フェデラーは史上最高の選手たちに匹敵すると考えている。2004年の初め以来、25歳のフェデラーは9つのグランドスラム・タイトルの内8つを含めて31タイトルを獲得し、232勝15敗という勝敗記録を掲げている。 「もし最高でないとしても、彼は確かにその中にいる」と、チャンは「ニューヨーク・タイムズ」紙に語った。34歳のチャンは2003年に引退したが、同じく次のように主張した。ベースライン・プレーヤーの世代でプレーする事はフェデラーの支配を助けており、もし彼がピート・サンプラスの時代にプレーしていたら、事は違っていたかも知れないと。 「彼らが双方の絶頂期に対戦していたら、興味深かっただろう」とチャンは続けた。彼は1989年にフレンチ・オープンで優勝し、史上最年少のグランドスラム・シングルス・タイトルの優勝者として記憶されている。 「最近はフェデラーにとって少し楽だろう。彼はたくさんの生粋のサーブ&ボレーヤーに対処しなくてもすむからね」 「ピートの時代には、(ボリス)ベッカーや(ステファン)エドバーグのような生粋のサーブ&ボレーヤー、そして同じく本当に強いベースライン・プレーヤーがいた」 フェデラーはシーズンを締めくくる上海での ATP マスターズカップの前に、マドリッド、バーゼル、パリの大会に出場する予定である。 |