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山形米沢の12ヶ月
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チェーホフの作品に「すぐり」という短編がある。小役人のニコライは、書類の山
に埋もれた生活に人生を感じることができず、灰色の都会生活に見切りをつけ、豊か
な自然に囲まれたのどかな田園生活を夢見る。田舎暮らしのロシア版のようだが、描
かれた作品世界は全く違う。ニコライは地主屋敷を買うため、すさまじい倹約生活を
し、お金持ちの後家と愛情のない結婚をする。その屋敷を兄のイワンが尋ねて行く。
夜、兄は奇妙は声を聞く。弟のニコライがすぐりの実を食べながら「ああ、甘くて、
おいしい」と言っている。その声は夜中じゅう聞こえる。聞きながらイワンは涙を流
す。イワンの涙に、若い頃の私は、人として生きることの哀しさを感じた。
引っ越してすぐ、ふるさと情報館が物件購入者に苗木を3本プレゼントしてくれる
という。そのリストにすぐりがあったので、さっそく選んだ。冬が去り、春が来て、
夏になると、小さな苗木のすぐりは小さな実をつけた。
斜面の横を見ると、草木に覆われるようにして似たような雑木があった。近くに寄っ
てよく見るとすぐりだった。植えたばかりの苗木と違って、たくさんの実をたわわに
つけている。鮮やかな赤の丸い実だ。どうして気づかなかったのだろう。自然の中に
暮らしていると驚きの連続だが、これには驚いた。さっそく実を採って口に入れた。
すっぱい!そのままでは食べられず、ジャムにした。
イソップのキツネは、手の届かない所にあるぶどうをすっぱいぶどうだと思う。現
実はままにならないと誰もが知っているが、現実をありのままに受け入れる人はあま
りいない。ままにならない現実を、多くの人は思うことでままにする。甘いぶどうが
すっぱくなったり、すっぱいすぐりが甘くなったりだ。
広い草原と森に囲まれた地主屋敷、庭にはあひるの泳ぐ池、家のまわりには果樹園
があり、そこにはすぐりの木が植えられている。ニコライが夢見た風景だが、実際は
理想とはほど遠いものだった。工場の排水のために小川の水はどす黒く、果樹園もな
ければすぐりの木もない。彼が夜中に食べていたすぐりは自分で植えたものだった。
理想がすぎると思うことが先走り、現実が見えなくなるが、理想のない過酷な現実
に耐えられる人はあまりいない。イワンの涙は誰にとっても現実ではなかろうか。