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山形米沢の12ヶ月
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暑い日だった。何もしなくても汗ばんでくる、米沢高原には珍しい陽気だっ
た。真夏の陽光に灼かれながら草を刈っていると、今晩祭りがあると、隣のペン
ションの人が知らせてくれた。すぐ近くの刈安の神社であるという。ペンション
の人も出店するらしい。場所が分からなかったら夕方迎えに来てあげるという
が、すぐそこだ、そんな面倒をかけるわけにもいかない。
夏の祭りといえば盆踊りか花火大会くらいで、神社の境内の夏祭りなど知らな
い。騒々しいだけで夏の風情や祭りの情緒が皆無の盆踊りや花火大会とは違う夏
祭り。心が躍った。日中の作業でかいた汗をシャワーで流し、そよ風に吹かれな
がら黄昏の中、祭りを探しに出かけた。
以前住んでいた松戸でも御輿が繰り出す祭りがあった。御輿は住宅街の狭い路
地を通っていく。担いでいる人は鉢巻に法被と本格的だったが、見る人もなく路
上駐車の車を避けながら力無く進むその姿には、祭りの持つ非日常性といったも
のはなく、野生動物を大都会に放したような違和感と、哀れさを感じた。
刈安の夏祭りが始まったのは、お金を使うことのない子供達のために、お金の
使い方を慣れさせるためだという。今ならお金を使う所はどこにでもあるが、か
つてはなかったのだろう。この村の人々がどう生きてきたのか、その一端を垣間
見る気がした。
森に囲まれた小さな神社の横には焼鳥、焼きそばなどの屋台が並んでいた。目
の前は田圃だ。夜店の回りは電球で明るいが、遠くに目をやると、漆黒の闇が広
がっていた。発電器の音に混じって蛙の鳴き声や虫の音が聞こえる。出店の横に
テントが張ってあり、中には知った顔が何人もいて、ここ、ここ、と招いてくれ
た。この祭りには華やかさはないが、温かく迎えてくれる笑顔があった。
人出もつきて祭りも終わると、売れ残りの商品を持ってすぐそばの刈安公民館
にみんなで集まった。テーブルにはさまざまな料理が並んでいる。売り上げの計
算をしながら酒を飲み、あれはこうだ、これはああだと反省会。我々はニューフ
ェイスなので、紹介される度によく来たねぇといわれる。そこにはウェルカムと
いうよりサプライズという響きがあった。よほどのものずきと思われているのだ
ろうが、このような人の輪の中にいられるだけでも幸福なことではあるまいか。