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山形米沢の12ヶ月
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小学校の頃、雪が降ると午前中は授業どころではなかった。雪がとけないうち
に雪合戦をやろうと、先生をせっついて授業をさせなかった。雪が降ることなど
めったにない瀬戸内海の小学生にとって、雪は天からの貴重な贈り物だった。遠
い国から落ちてくる、すぐにとけてしまう、思い出のように淡くはかないものだ
った。その同じ雪が、貴重でもなければ、はかなくもない、全く別のものになっ
た。
こちらに越してきてすぐ米沢は記録的な大雪に見舞われた。スノーモービルは
一夜にして雪に埋まった。屋外に車を一晩停める時は、雪に埋まった時のために
棒を立てておくと聞いたことがある。聞いた時には半信半疑だったが、その現実
を目の当たりにした。
雪かきをしようとしたが、どこをどうかけばいいか分からない。とにかくかい
た。出入口、ウッドデッキなど、ダンパーでかいて林間コースに落とした。雪が
とける心配はない。どのように扱っても雪はなくならない。安心して好き勝手に
雪と戯れることができる雪かきという作業は、楽しかった。そう、最初の頃は。
雪はそれからも延々と降り続いた。楽しい作業はすぐに辛い労働になった。朝
起きると身体が動かない。全身が痺れてなかなか起き上がれない。一体いつまで
降り続くんだろう。かいてもかいても雪はなくならない。シーシュポスの神話が
頭を過ぎる。神から大きな岩を山頂まで持っていくという刑罰を課されたが、山
頂まで持っていくと、すぐに岩は転がり落ちてしまうので永遠に運び続けなけれ
ばならなかったシーシュポス。この神話は、死ぬ存在でありながら、どんなに辛
くても生きなければならない人間を象徴しているといわれている。その不条理を
自覚し受け入れることが尊いのだと若い頃学んだ。学んだだけで身についていな
い。どうしてオレがシーシュポスに、などと好きで雪国に来たくせに。
雪は1月中旬には止み、それから晴天が続いた。八甲田の悲劇は天が見放した
からだが、私は救われた。雪かきが大変なので翌年は除雪機を買ったが、この年
は雪があまり降らなかった。
遠い国から落ちてくる雪には楽しい思い出だけでなく、辛く厳しい現実もある
ことを知った。だからこそ一層美しく清らかなのだろう。先人たちはすべてを受
け入れて生きてきたのだ。その美しさの中には、人間の尊さもあるに違いない。