経営と知財
弁理士 遠山 勉

 この記事は、知財ブログからの転載です。(05/07/20更新)


(1)技術的変換

(2)情報蓄積体としての企業

(3)ヒトの結合体、カネの結合体としての企業

(4)矛盾と発展のマネジメント

(5)知財戦略

(6)情報的経営資源

(7)知的財産の所有者依存性

(8)情報的経営資源の性質

(9)差別化戦略の要諦

(10)差別化戦略


June 01, 2005
技術的変換>経営と知財(1)

 下記の「ゼミナール経営学入門」によれば、原料や商品を仕入れ、それらを加工し、何らかのサービスを付加して、原価以上の利益を乗せて販売するのが企業であり、このIN「仕入れ」とOUT「販売」の間の作業を経済用語で「技術的変換」という。企業の仕事の中核的実体はこの「技術的変換」である。この「企業のinとoutの間の技術的変換が付加価値であることを認識し、その効率化を追求することで、優位性を確保することができる。技術的変換には、何らかのノウハウ・技術・人的チームワークなどを必要とする。そして、そこには必ずといってよいほど「知財」が存在する。「技術的変換がまさしく知財として保護されるなら、企業はさらに優位になる」ということを確認したい。

参照;「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)

June 06, 2005

情報蓄積体としての企業>経営と知財(2)

 ○企業には多くの情報が蓄積していく。このことを意識的にとらえ、経営に反映させているだろうか。言われてみればなるほどそうだ。という程度だとしたら、情報に対して認識が甘いということになるのではなかろうか。

 「需要に応えるための技術的変換を行うためには、変換のための技術が必要である。DVDの需要があっても、DVDを作る技術がなければ、その需要に応えるための技術的変化(サービスの提供)は不可能である。企業は技術と需要をつないでいるのである。・・企業は技術のポテンシャルを発見し、自ら蓄積しようとする。基礎研究所を設立し、大学と変わらない資源を基礎研究に投入する企業もある。さらにおもしろいのは、知識や情報が事業活動を普通に行っている中でも起きるということである。・・それが可能となるのは、人間が学習する存在でその学習が仕事の場で行われるからである。こうして、企業は、需要についての知識・情報・技術ポテンシャルについての知識・情報の巨大な集積を持つことになる。・・・企業は、組織的な情報蓄積体なのである。「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)より。

 意識的に特定の情報を蓄積しているか。意識的・無意識的に自分の企業・職場にどのような知識の蓄積があるのか、きちんと認識しているか。誰がその知識を有しているのか。どの知識が使われ、あるいは、使われていないのか。それらにどのような価値があるのか。情報の管理はきちんとされているか。漏洩のリスクはないか。

 このような管理は、すべての部署で必要であり、特に、法務部や知的財産部でのリーガルリスクマネジメント、開発におけるナレッジマネジメント、人事管理(情報は人に蓄積される)等で考慮される必要があろう。

June 09, 2005
ヒトの結合体、カネの結合体としての企業>経営と知財(3)

 今回は、経営資源の内のヒトとカネについて考察し、知的財産との関係について言及してみたい。

○知的財産は、それが特許権等に形式化される以前は、きわめて属人的である。人により創出された知的財産は、それ自体が直接的に、あるいは、知的財産の使用により生成されたモノを通じて間接的にカネを生むことになる。知的財産はヒトとカネを結ぶ媒体としての性質を有すると言えよう。特許権等に形式化された場合、それは、ヒト、企業から離れて、単独であるいはモノとともに流通することは可能となるが、知的財産の客体である発明等をだれが、どのように実現するかにより、生かされも殺されもする。その意味では、知的財産は形式化されたとしてもなお属人的である。

 ヒトとカネについて、「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)では、「情報蓄積や知識創造を行うのはすべて働く人々である。そもそも企業の行う技術的変換そのものが働く人々によって行われている。・・・企業は多くの人がまとまりをもって行動することによって、個人では達成できない技術的変換をしている集団なのである。企業は、・・カネを出して材料を買い、製品を売ってカネを受け取るという存在である。カネの流れを円滑に行うには、カネ(資金)が必要である。性質の異なるさまざまなカネの結合体として企業が存在する。常にヒトの結合体とカネの結合体という二面性を有するのが企業なのである。」とある。ここに、上記のような知的財産を位置づけて考察していただければと思う次第である。

June 21, 2005
矛盾と発展のマネジメント>経営と知財(4)

 保守と革新。政治の世界では対立するのが常だ。しかし、企業の経済活動では双方が同居するようだ。企業環境はめまぐるしく変化し、企業に変化と革新を要求する。一方、組織は規律と安定を要求する。一見矛盾するように見えるこの両者をうまくマネジメントしていかなければならない。。
 これをどうするかが、矛盾と発展のマネジメントだ。矛盾をどう解決するか。よくよく考えて第三の視点から見ると、矛盾が矛盾でないように見えるかもしれない。
 ここには知財の種がありそうだ。矛盾を嘆かずに楽しめるようになれそうだ。

参考「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)p13〜15

June 23, 2005
知財戦略>経営と知財(5)

 知財戦略という言葉がよく使われる。知財戦略は企業経営のための戦略の一つである。よって、知財戦略は経営戦略に貢献するものでなければならない。そして、経営戦略とは・・・企業がその利潤を追求するための戦略である。

 戦略というと何か「かっこいい」。企画を組み、「・・戦略」と名付けるとなんとなくそれらしい気分になる。でも、よくよく考えてみると取るに足らなかったりする。そこで、戦略について調べ・考えてみた。

 広辞苑によれば、「戦術より広範な作戦計画。各種の戦闘を総合し、戦争を全局的に運用する方法。転じて、政治社会運動などで、主要な敵とそれに対応すべき味方との配置を定めることをいう」とある。
 三省堂「大辞林 第二版」では、【戦略】〔strategy〕 長期的・全体的展望に立った闘争の準備・計画・運用の方法。戦略の具体的遂行である戦術とは区別される。とある。
 経営学の分野になると、例えば、東京大学 経済学部 新宅 純二郎教授によれば、「戦略とは、企業がその「強み(strength)」を創造・活用し、「弱み(weaknesses)」を補いながら、環境の「脅威(threats)」と「機会(opportunities)」に対応するための行動」となる。(新宅教授のHPはhttp://www.e.u-tokyo.ac.jp/~shintaku/)  

 「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)では、戦略とは、「市場の中の組織としての活動の長期的な基本設計図」であるとし、さらに、「企業や事業の将来のあるべき姿とそこに至るまでの変革のシナリオ」と言う。

 これに対し、戦術とは、三省堂「大辞林 第二版」によれば、『【戦術】 〔tactics〕 (1)個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。普通、長期・広範の展望をもつ戦略の下位に属する。 (2)一定の目的を達成するためにとられる手段・方法。 「牛歩―」』である。

 こう見ていくと、知財戦略といいつつも、その中身を見たとき、それが、戦術レベルで終わってしまっている場合があることに気づく。

 知財戦略が、知財という枠内で語られてしまうとき、それが、実は戦略ではなくて、戦術で止まってしまう可能性が高くなることに気がつかねばならない。戦略という気持ちの良い言葉に惑わされてしまっていることに気づかなければならない。単に、戦術で使う、武器を作っているにすぎないのか、注意すべきであろう。しかも、役に立たない武器を作っていたのでは意味がない。
 経営という大きな枠の中での位置づけを考え、経営方針に従った必要な知財を確保し、一つ一つの知財の最適な配置・活用をする必要がある。経営戦略上の最適な方向(ここが間違っていたら仕方がないが)に向けた知財の戦略が要求されるのであろう。

June 30, 2005
情報的経営資源>経営と知財(6)

 知財は知識であり情報のひとつである。「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)によれば、「(経営資源の内)企業の最も特異性が高いのは企業の内外に蓄積された知識としての情報的経営資源である。企業内部に蓄積されたノウハウ、技術、熟練、顧客情報、企業の外部に蓄積された当該企業についての信用、イメージ、ブランドなどが、情報的経営資源の例である。組織能力の実体はこうした知識としての情報的経営資源なのである」とする。

 ○ノウハウ、技術、熟練、顧客情報、信用、イメージ、ブランド・・いずれも、知財の保護対象である。知財という形でとらえたとき、見えざる経営情報が、形式化され、経営資源として認知されることになる。しかし、見えない情報をいかに認知し、しかも、形式化していくか・・。これには、かなりの能力が必要とされる。それが、このブログで追求しようとする、知財発想的なものの見方である。知財を長く扱っているとその先に見えてくるものである。

 企業は、情報的経営資源の認知システムを速やかに導入する必要がある、とつくづく思う次第である

July 07, 2005
知的財産の所有者依存性>経営と知財(7)

 知的財産の価値評価が難しいと言われる。なぜか。

 「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)によれば、ブランド、信用、技術、組織文化、企業モラルなど、目に見えない情報的経営資源は競争上の優位性の源泉となるとのこと。そして、情報的経営資源は、特異性が強く、固定的であるとしている。固定的とは、外部から調達しにくく、つくるのに時間がかかることを意味する。

 ○しかし、情報的経営資源すべてが特異性があり固定的であるというのではなかろう。特異性が強く、固定的である情報的経営資源が、優位性を持つのである、ということであろう。そして、ここに、知的財産価値評価の難しさの理由が潜在するように思える。
 知的財産は企業に根付いて初めて、すなわち、固定化して初めてその本領を発揮するからである。すなわち「持ち手を選ぶ」のである。ある企業に親和性の高い知財は導入し固定化しやすい。すでに当該技術を受け入れる基礎技術がある場合などである。知財を外部から導入しても活用できなければ、全くメリットがない。そういう意味で、知財の価値を決めるのは、持ち手自身なのである。

 かつて、第2次対戦中に日本がドイツからUボートのディーゼルエンジンの設計図を入手し、設計図通り製造したが、動かなかったという話をTV番組で聞いたことがある。理由は、駆動軸の工作精度が要求精度を満たせなかったというのである。

 このような場合、新らしい知財を受け入れるための施策が必要で、事業遂行のためのインフラとともに導入することが必要である。となると、インフラ導入のための手段が必要となり、究極にはM&Aという手段も必要となろう。

July 08, 2005
情報的経営資源の性質>経営と知財(8)

 「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)によれば、情報的経営資源は同時多重利用が可能であり、使い減りせず、しかも多重利用から新しい情報的経営資源が生まれる、という。
 しかし、多重利用には一定の注意が必要である。多重利用をしているうちに、企業の外部に流出し、コモディティ化し、結果として優位性を失うことになりかねない。ブランドなどは希釈化しないように、維持管理しなければならない。知的財産部が他の部門に意見できない組織では、ブランドの維持管理は難しい。
 一方、外部に情報的経営資源を解放することで、外部からの異なる血を導入することも可能となる。これにより、同一企業内で行き詰まってしまったイノベーションに、何らかの突破口を与えることができるかもしれない。ただ、解放の仕方は注意が必要だ、完全なオープンであると、情報的経営資源の特異性を生むことができなくなる。ある程度解放され、ある程度クローズな世界というのがおもしろそうだ。そういう意味で、最近はやり始めた、クローズ型のソーシャルネットワーキング(参加に一定の条件をつけているサイト)も利用できるかもしれない。

July 14, 2005
差別化戦略の要諦>経営と知財(9)

 「差別化は、競争相手との違いを顧客が認め、実際に自社の製品を選んで買ってくれてはじめて、完成する」(ゼミナール経営学入門・伊丹敬之・加護野忠男;日本経済新聞社)
 ここで、重要なのは「顧客」が差別を認識するかどうかであり、かつ、選択に値するほどの「価値」の差異があるかどうかである。
 前者については、顧客の視点を忘れ、自己満足の世界で単に違うことを追求してしまうことがあることに注意する必要がある。
 後者は、違いはあるが価値の相違がない場合があることに注意する必要がある。これは、単なる区別である。さらに注意すべきことは、価値の差異が顧客の価値感に共鳴するかである。

 よって、何を顧客の価値とみるのかが重要である。実業で成功された方の成功談を聞くと、けっこうおもしろいことがわかる。当該顧客の価値を選択する場合、多くの場合、周囲の反対があることである。そんなのだめだよ、と言われたものを成功に結びつける。また、一度はだめだったものを成功に結びつける。前者は、だれも見いだせなかった潜在的価値の抽出であり、後者は、価値観の合う顧客ターゲットの絞り込みである。

July 15, 2005
差別化戦略>経営と知財(10)

 「ゼミナール経営学入門」伊丹敬之・加護野忠男(日本経済新聞社)では、差別化の種類として、@製品差別化、A価格差別化、Bサービス差別化、Cブランド差別化を掲げる。

 製品差別化には、機能、品質、デザインの差別化がある。この中で、日本人が上手いのは、機能と品質である。デザインについては、時に優れたデザインが創出されるが、日本の文化として根ざしているかというと、総合的にみてそのようなデザインは、現代にはあまりないように思える。デザインに関しては、伝統的な工芸(たとえば、漆器など)の世界の方が地に足ついたものとなっている。イタリア的な洗練されたデザインは、どうも日本の文化の中に馴染みにくいように思える。こう思うのは私だけだろうか。

 上記「ゼミナール経営学入門」では、さらに、「個性の主張という差別化」があるという。これこそ「知財」だといいたいところである。ただし、何をもって「個性」というのであろうか。ここは思案のしどころである。個性というべきものを企業の何に求めるのか。これは、各企業が自ら決すべき問題である。貴殿の会社、一言で、言ってみてください。私の会社は・・・・という個性を有している。私の会社の、コア・コンピタンスは・・・・である。言えますか?

 「ゼミナール経営学入門」では、「日本企業には、横並びが多すぎる。それは戦略の基本に反する」という。日本人は、個性の主張が下手な人種である。小さなとこから、勇気をもって差別化を進め、その蓄積を重ねてみよう。大きな差別化が成立する。

 なお、価格差別化というと、コストダウンのみを指すように思えるが、価格を下げる方向の差別化だけでなく、価格を上げる方向での差別化も考慮すべきであろう。コストダウンは、勢い品質の低下も招きかねない。必要とされる品質に応じたコストは、消費者は支払うものだ。