譲れない思い

 

「・・・・アナタ、本気なの!?」

 深夜。

 特別寮のレイチェルの部屋で。

 二人の女王候補は向き合っていた。

 ・・・・・・いや、この表現は正確さに欠ける。

 正しくは―――明日即位の式典をあげる新女王アンジェリークと、その補佐官レイチェル―――。

 

 

 新しい宇宙の女王を決定する試験は、昨日をもって終了していた。

 その勝者は、大方の予想を裏切って・・・・・・栗色の髪の少女。

 試験の続行さえ危ぶまれていた程の、内気で、引っ込み思案で、泣き虫の少女。

 その彼女が、僅差とはいえ、王立研究院始まって以来の天才少女といわれたレイチェルを押さえての勝利であった。

 ライバルとして争った二人。

 ただ一つの女王の座を賭けて。

 けれど、二人の間にあったのは競争意識だけではなかった。

 初めは、アンジェリークのあまりの気弱さを、いらだたしく思っていたレイチェル。

 悪気はないとはいえ、特殊な環境のせいでデリカシーに欠ける物言いの多いレイチェルに、気後れしていたアンジェリーク。

 しかし、お互いを深く知るに連れ、二人の間に友情が育ち始めたのは自然な成り行きだった。

 あまりに違う二人。だからこそ、お互いを補う事でさらなる成長を遂げていた。

 いつしか・・・・・・無二の親友となっていたふたり。

 それを知った現女王から、今日の夕方、補佐官就任を要請されたとき・・・・・・レイチェルは一も二もなく頷いた。

 これからもアンジェリークを助けてあげたい。

 これからも二人で新しい宇宙を発展させたい。

 そう思ったから。

 それはアンジェリークも同じだと思ったから。

 でも・・・・・・。

 

 

 赤く、泣きはらした目をしたアンジェリークがレイチェルの部屋にやってきたのは、夕食からずいぶん経ってから。

 どこかに出かけていたアンジェリーク・・・・・・夕食はレイチェル一人で取った。

 それから部屋へ戻って。

 明日のための細々とした用意をしていたとき。

 部屋のチャイムが鳴った・・・・・・尋ねてきたのは、アンジェリーク。

 こんな時間に、一体?

 驚きながらも、ただならぬ彼女の様子を放ってはおけなかった。

 室内に招き入れ、椅子に座らせ、温かい飲み物をすすめる。

 たった今、外から戻ってきたらしく、身体が冷えていた。

 半ば無理矢理、カップに口を付けさせて・・・・・・その唇から、小さなため息が漏れて、身体の力が抜けるのを確認してから。

 おもむろに、質問を始める。

「さて、何のお話?どうしても、今じゃないといけないなんて・・・・・

 ああ、いいの!アナタが、何か大切な話がしたいって事は分かっているから。

『ごめんね』とか『迷惑じゃない?』とかのめんどくさい前置きはぬきヨ!さっさと本題に入りましょう?」

 いつもの調子でぽんぽん言っているようだが、アンジェリークを気遣ってかその口調は柔らかい。さりげなく話しやすいように、誘導するのは彼女の高い知性の賜である。

 あるいは―――アンジェリークに対する理解の深さか。

 いつも、見ている方が痛々しくなるほど他人に気を使う性格のアンジェリークが、こんな時間に尋ねてくるのは、よほどの事であろう・・・・・・そう考えたレイチェル。

 その推察は当たっていた。

 けれど・・・・・・アンジェリークの話を聞いたときには。その内容に流石に驚いて、大きな声が出てしまった。

 

『女王位は辞退する』

『外界に戻る』

 

『そして・・・・・・出来ることであれば、レイチェルに、自分に変わってアルフォンシアと共にあって欲しい』

 

「・・・・・・もう一度聞くわよ?ホンキ?本気で言っているの?」

 大声を出して、少し気持ちが落ち着いたのか・・・・・・改めて問いかける声は、もう普通の調子に戻っている。頭の回転もそうだが、気持ちの切り替えがはやいのはレイチェルの長所の一つであった。

 それでも・・・・・・『本気か』などと、アンジェリークの性格を考えれば、聞くまでもない質問を繰り返す辺り・・・・・・いかに、その衝撃が大きなものだったかが分かる。

 重ねての問いに、アンジェリークは小さく、でもはっきりと頷いた。

 

 ―――それじゃぁ、今までの苦労はいったい何だったの?

 

 まず、そんな思いがレイチェルの頭をよぎる。

 育成、視察、学習・・・・・・聖地での生活は、天才の名をほしいままにしたレイチェルでさえ、かなり厳しいものであった。それが、ごく普通の学生だったアンジェリークには・・・・・・どれほど辛いものであったか。

 それを乗り越え。あまつさえ自分に勝利して。明日は即位―――と、言う今。

 何を考えて?

 ―――心当たりは一つしかなかった。

「あの方の・・・・・・ヴィクトール様のせい?」

 そのなを聞いたとたん、アンジェリークの身体が震えた。

「そうなのネ?ヴィクトール様に何か言われたの?それとも・・・・・・?」

 確信を得て、さらに言い募ろうとするレイチェル。

 それをアンジェリークが、止めた。

「違うの。そうじゃないの・・・・・・ヴィクトール様は関係ないの」

 これは全部、私のわがままだから・・・・・・そう言って、大きな瞳を潤ませるアンジェリーク。

「関係ない?じゃぁ、何で即位を辞退するなんて言うの!?―――アナタのわがまま?そんなんじゃ、納得できない!」

 しかし、レイチェルとしてもここは引けなかった。

 アンジェリークが何を思ってそんなことを言いだしたのか・・・・・・それを知るまでは賛成も反対も出来かねる。

「ワタシを納得させてよ!そうでなきゃ、絶対にそんなこと許さない!」

 怒りとも取れる激しい感情。

 せっかくの二人の今までの積み重ねが、一方的に裏切られたという思い。

 それと同時に、こんな事を言いだしたアンジェリークに対する気遣い。

 心配・・・・・・あるいは危惧。

 そんなものがごっちゃになって。レイチェルの瞳にも涙が浮かぶ。

 それを見て・・・・・・アンジェリークも気持ちが決まったようだった。

 まだ赤い目で、まっすぐにレイチェルを見つめて・・・・・・話し出す。

 今日のことを。

 

 

 アルフォンシアに贈られたサクリアで、最後の惑星が誕生したと告げられたのは今朝方だった。

 守護聖、教官、協力者達には、夕べのうちに知らされたこと。

 女王が、彼女を呼んでいること。

 即位の式典は、すぐにでも行われること。

 王立研究院の職員と、宮殿の女官の二人が、朝一番に特別寮に来て。

 それを聞いたとき・・・・・・喜びよりもとまどいの方が強かった。

 もうすぐ新宇宙に星が満ちる。それは、誰よりも彼女と彼女の聖獣が一番よく知っていた。それを待ち望んでもいた。けれど・・・・・・同時に起こりうるもう一つの事態には・・・・・・。

 女王位につく。

 それを考えなかったわけではない。

 どんな女王になりたいか?

 どんな統治をしていくつもりか?

 何を考えて宇宙を発展させるか? 

 いろいろな人物から聞かれもした。自分でも思いを巡らせていた。

 でも、いざそれが自分に起こったときの―――この現実感のなさはいったい何なのだろう?

 その問いは。

「でもね・・・・何か思い残すことはない?・・・・気になる人とか、いないの?」

 伺候した宮殿の謁見の間で、女王にこう聞かれたとき・・・・・・一つの答えを見いだした。

 ある男性の面影と共に。

 言葉もなく頷くアンジェリークに、同い年の女王はこう言ってくれた。

「・・・・・貴方に一日だけ、時間をあげるわ。その人の所へ行ってらっしゃい」

 後のことは任せて。

 悔いのないように。

 その言葉に、背中を押されるように・・・・・・夢中で謁見の間を飛び出したアンジェリーク。

 行き先は、勿論―――学芸館。

 けれど。

 思いの丈を告白する少女に・・・・・・彼は、こう告げたのだった。

 

 すまない―――と。

 

 もう彼女とは、すむべき世界が違ってしまった、と。

 彼女の思いに答えることは、許されないのだ、と。

 自分のことは・・・・・・忘れろ・・・・・・と。

 

 誰がそんなことを決めたの?

 誰が何を許さないというの?

 どうして忘れることが出来るなんて思うの?

 

 言いたいことはたくさんあった。

 出来ることなら泣いてすがりつきたかった。

 自分を連れて逃げてほしかった。

 でも・・・・・・そのどれも、出来なかった。

 ただ、黙って・・・・・・部屋の扉を閉じた。

 涙は出てこなかった・・・・・・泣いたのは、寮の私室に戻ってから。

 後から後から、涙がこぼれてきた。不思議と泣き声は、出なかった。

 ドアを閉めたその姿勢のまま、黙って涙をこぼし続けていた。

 

 涙が止まったのは、ずいぶん経ってからのことだった。

 そのころには気持ちも決まっていた。

 再び、宮殿に向かった。

 女王は・・・・・・待っていてくれた。

 そして、アンジェリークのわがままを、少し困ったように―――けれど、笑って許してくれた。

 横に立っていた補佐官は、それでも何か言いたそうだったが・・・・・・アルフォンシアをレイチェルに同調させる可能性を示唆されて、ひとまず引き下がることにしたらしかった。

「成体になったアルフォンシアには、レイチェルのルーティスも融合されている可能性があると、エルンストから報告が来ているの。

 だから・・・・・・アルフォンシアの中のルーティスを通じて、レイチェルと同調させるって言う案はあながち無理でもないと思うのよ?

 そうすれば、新しい宇宙の女王にレイチェルがつくのは可能だわ。

 そうなれば、元々試験の結果も、アンジェリークと紙一重だったレイチェルが即位したって、文句はでないと思うのよ?」

 そういって、補佐官を説得してくれた女王。

 ―――私たちには与えられなかった選択の自由が、貴方にはあるわ・・・・・・だから、こそ悔いのないように生きていってほしいの。私たちが出来なかった分まで。

 補佐官に、王立研究院に向かうように指示を下した後。

 二人きりになった謁見の間で、こっそりと女王はそう言った。

 

 

「だから・・・・・・悔いのない様に・・・・・・ここを出ていくの?」

 レイチェルの言葉に、話し終えたアンジェリークは首を縦に振る。

「本当に、それがアナタの望みなの?」

 もう一度。

「ワタシを・・・・・・アルフォンシアを置いて?」

 もう一度・・・・・・ぽろぽろと涙をこぼしながら。

「ご・・・・めん・・・・ごめん・・な・・さい・・・・ごめ・・・・・・・・・・ごめんなさいっ」

 何度も考えた結果だった。どうしても・・・・・・どうしても・・・・・・謝ることしかできなかった。どんなにレイチェルや、他の人に迷惑がかかるか分かっていても。

 どうしても。

「アンジェリーク・・・・・・もう良いワ、分かったから・・・・・・ごめんね、ワタシこそ・・・・・・」   

 謝りながら、堰を切ったように泣きだしたアンジェリークを慰めるレイチェル。

 ―――もともと、女王になる気で聖地にやってきたのだ。

 アンジェリークの代わりというのが少々しゃくだが、本心では彼女より上手くやっていく自信があった。新たなる宇宙をこの手で発展させていくことに、多大な興味と関心もある。

 だから、レイチェルにとって、アンジェリークのこの申し出は渡りに船とも言えるのだった。

 でも。

 それでも、一抹の寂しさは拭えない。それがあんな言葉になって飛び出していった。アンジェリークを傷つけるのが分かっていて。

 レイチェルの、最後のわがまま。

「分かったから・・・・・・ワタシが女王になる。アルフォンシアもワタシが引き受ける!アナタよりも何倍も上手くやって見せてあげる。宇宙のみんなが、やっぱりワタシが女王になって良かったっていうくらい、ね。だから・・・・・・もう泣かないでヨ?アンジェリーク」

 本音とジョークを織り交ぜて。何とか泣きやませようとするレイチェル。

「最後の夜よ?ワタシに、アナタの泣き顔だけを覚えておかせるつもり?」

 だが。気を引き立てようとした言葉が、まずかった。

 最後の夜・・・・・・明日には、自分の代わりに、女王として新宇宙にむかうレイチェル。おそらく、もう二度と会えない。

「ああ・・・・・もう、何でよけいに泣くのよ?アルフォンシアが不安定になっても知らないわよ!?」

 アルフォンシア・・・・・・自分を選んでくれた聖獣。なのに、自分は彼を選べなかった。アルフォンシアを捨てて、聖地をでていこうとしている。

 全て、自分のわがままで・・・・・・そう思ったとたんに、申し訳なさと・・・・・・それでも、揺るがない決意とが、またアンジェリークに新たな涙を流させるのだった。

「ごめんね・・・・・・レイチェル・・・・・・・ごめん・・・・アルフォンシア・・・・・・ごめん・・・・・・ごめん」

 椅子に座っていることさえ出来なくなって。

 床の上で泣きじゃくるアンジェリーク。

 両手で顔を覆って、肩を振るわせて。

 

 ・・・・・・静かな聖地の夜の闇に、小さな小さな泣き声が解けていった。