初めにーー能書きたれます


 学生の時、授業中に落書をした。ワシは四輪駆動車の絵をしばしば書いた。ルーフキャリアにキャンプ道具や予備の燃料を積み、ボンネットからは渡河用のシュノーケルが延びている。フロントのバンパーには補助灯、更にはウインチや無線用アンテナも装備される。あるときは密林、あるときは砂漠、いずれも人跡まばらな辺境を目指す冒険者がキャンプを張り、束の間、憩の時を過ごしている。辺りに人工物は何もなく、静寂が支配する。彼等はキャンプファイアーを囲みグラスを傾け、芸達者がハーモニカを奏でる。空は満天の星、流れ星が天空を駆けた。明日は熱帯の濁流を超え、陽炎ゆれる砂漠に分け入り、遥か未踏の地を目指す。

 この光景はどこか特定の場所を描いたわけではない。自然の中を旅したい。ずっと終わらない旅を続けたい。人跡未踏の場所を旅したい。自分の心象を下手な絵で表わしただけなのである。唯一イメージの下敷きがあるとすれば、NHKの「シルクロード」で見たタクラマカン砂漠の冒険であっただろうか。それから幾星霜、受験、就職を経て少年の日の憧憬は、わずらわしい日常に埋没していた。そんな92年12月、ふとしたことからワシはオーストラリアに旅立つ。そこで目にしたものは、数学のノートに書いた落書そのものであった。心象風景は実存したのだ。

 オーストラリアの面積は日本の22倍、対して人口は2,000万人に満たない。しかも、人口の90%が気候の穏やかな東南海岸沿いに集中する。したがって、人口の密集地帯を離れると、周囲は辺境と呼ぶにふさわしい様相を呈し、人為の密度がきわめて希薄になる。人為の過疎とはすなわち純度の高い自然の存在を意味する。

  一言で自然と言っても、この広大な大陸では様相も多様である。有名な大珊瑚礁や巨大な赤い岩は勿論のこと、何年もの間降雨のない乾燥した大地から、緑したたる熱帯雨林へと大地は姿を変え、その無限を誇示する。世界第五位の大河は汚染を知らぬ極南の大洋に注ぎ、湿原は氾濫と乾燥を繰り返し、奇岩は月光に浮かび上がる。更に、忘れていけないのは、豊かな動植物相。特に多彩な鳥類はこの大陸の旅に一層の彩りを添える。

  そしてひとたびそれらを求めて街を離れると気の遠くなるような距離を移動しなければならない。まさに終わり無き旅なのである。これは明らかにワシの心象風景と合致する。たちまちにしてこのアウトバックと呼ばれるオーストラリア辺境の虜になった。赤い大地、荒野、蜃気楼、南十字、蟻塚、この土地はワシの放浪心に火をつけた。

  しかし、いい話はここまで。壮大な自然のショーを求め、勇躍、街を後にすると、たちまち熱と乾燥と距離と虫の洗礼を受ける。時にはいかずちに打たれ、濁流が行く手を阻む。そう、ここは人間を拒む場所。過酷な環境が人間の搾取、開発を遅らせ、結果 として自然の版図がいまだに残るのである。甘美なイメージは打ち砕かれ、人は過酷な環境との闘争に身を置くことになる。

  日中40度を超える酷暑に耐え、1時間に1リットルの水分を補給し、まとわりつく蠅を追い払う。次のサービス(水、食料、燃料等の補給できる場所)まで、100キロはあたりまえ、時には300キロ以上を走らねばならない。いくら終わりのない旅がいいと言ってもつらいものはつらい。日没とともに、蚊の大群が襲来する。夜間、砂漠地帯では、気温が急激に下がり、北部の熱帯地域では濃密な湿度が睡眠を妨げる。数学のノートには描かれていない厳しい現実である。


  さてさて、ここから先は人それぞれの選択。当ページはそれでもアウトバックという方々を対象にしている。写真に解説を添えるという形でオーストラリアの奥地を紹介していきたい。アウトバックを旅したときの濃密な時間を来訪者の方々と共有できればとてもうれしい。日本に戻っても"あの思い"を忘れられない方々に是非立ち寄っていただきたい。

  また、残念ながら都市部に比較して、一部の有名観光地を除くとアウトバックを旅するための情報は十分ではない。出発前の情報収集にも利用してもらえれば幸いである。

 更新の際は、何かテーマを決めて(例えば今度は動物に関してとか、カカドゥに関してとか)行っていく。

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2001.01.11 掲載
2002.07.25 アクセス解析対応


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