V−3 開 発 教 育 と 自 治 体 の 国 際 協 力



『 自治体の国際協力と自治体ODA 』 第3章 自治体の国際協力の構想の前提
( 自治労自治研中央推進委員会、1995) より


                            開発教育協会 小貫 仁
                            地域と地球をつなぐ学びの広場主宰
                            http://www.ne.jp/asahi/onuki/hiroba/

1 はじめに

(1) 地域ですすむ国際協力

市民と協働する神奈川モデル
 本年、1995年は「自治体国際協力元年」。「国際交流から国際協力へ」のトレンドとともに自治体の国際協力は各地域で今後とも広く展開されていくものと思われる。
 特に目を見張るのは神奈川の事例である。神奈川はすでに20年前から地域の自立を促すものとして民際外交を手がけてきたが、1991年には「交流から協力へ」という方向性を打ち出した。その理念は、相互依存を深め世界と直結する地域の新しいあり方として、地域の生活に密着した課題解決への担い手としての使命を自覚するものであり、その施策実現に向けて、市民と協働して民際協力する事業展開を進めている。
 自治体の国際協力に望まれるのは、市民と共に携わる姿勢であるが、NGOへの支援と協働、情報のシェアと交流など展開形態としても望ましい。さらに、より根本的にはこれからの民際協力を支える「地球市民」のための教育(地球市民学習)が重視されている。神奈川の事例はこうした観点からみて注目すべきモデルと考えられる。
 神奈川モデルの結実のひとつは1985年からの開発教育教材「たみちゃん」シリーズである。これは協力活動を市民とともに進めるために開発教育の重要性を認識し、その教材たりうることを意識してNGOと協働で作り上げたものであった。一方、こうしたプロセスを通して、自治体職員が開発教育から世界の現状や国際協力のあり方を学んでいったことに着目したい。なぜ自治体が国際協力に取り組むのか、どういう国際協力が望ましいのかなどの基本認識を関わった職員は開発教育を通して学んでいったのである。その意味で、神奈川の地域展開が今日もいきいきと継続的に息づいている原点をかいま見ることができよう。
 このように単にNGO支援でなくNGOとの協働を志向していることは、情報提供でも単なる情報のシェアでなく市民との情報の交流を志向することにつながっている。KISコーナーでは市民のゆるやかなネットが構築され、市民との信頼感ある交流が行われたり、「地球どんぶり」と題する定期セミナーが開催されたりしている。また、全国に先駆けて助成を制度化した「かながわ民際協力基金」も単なる資金協力ではない。地域のNGOとの信頼関係がその前提にあり、市民との協働のツールとして機能している。

各地の開発教育を柱とした活動
 こうした本質を踏まえた事業展開はもちろん神奈川だけのものではない。「地球市民」のための教育との兼ねあいでみれば、東京では、1985年以降「国際理解教室」の事業展開で、地域住民の学習のための講師派遣依頼に応えている。大阪では、国際交流センターの活動(セミナー実施や開発教育教材作成等)を支援し、また、豊中ではNGOスタッフの採用人事を実現した。愛知では、国際交流協会の「開発教育セミナー」が教育委員会の協賛を得る段階にまできている。
 こうした展開は、地域の国際交流〜国際協力が開発教育を重視して展開されている動向としてに注目に値しよう。

(2) 国際理解から開発理解へ

国際理解をベースにする開発教育
 「国際交流から国際協力へ」というトレンドは、国際交流を否定して国際協力に傾注することではないだろう。国際交流をベースにして国際協力に取り組むことが重要である。このことは教育に当てはめることもできる。国際協力を考える教育として開発教育を重視するとき、それは国際理解を軽視するものではありえない。開発教育は、現状の国際理解教育をベースに一歩踏み込んだ教育領域として存在する新しい国際教育である。
 自治体職員が開発教育から世界の現状や国際協力のあり方を学ぶ意義は先に着目した。世界の各地と手を結ぶとき、世界の現状と課題を洞察しての単なる「近代化戦略」を超えた開発のあり方が模索されている。従来の開発援助に対する概念が揺らぎ始めているなかで、国際協力は開発教育の視点が重要になってきている。そのためにも世界の国際協力の動向に学びつつ、自治体ならではの市民本位のきめ細かい協力戦略が期待される。

政府の開発教育を支援
 政府も開発教育推進の意義を認めてきた。
 外務省は1986年に「開発教育を考える会」を設置し、その報告にそって88年以降、開発教育情報センターの設置、開発教育を推進するセミナーの開催等を支援し、92年からは開発教育地域セミナー開催も支援している。さらに94年からは、開発教育担い手会議の開催等新たな展開がみられる。また、欧米諸国の開発教育センターに類する施設として「国際協力プラザ」を設置し、運営を国際協力推進協会(APIC)に委託している。
 文部省は国際理解教育を推進する立場から一線を画している。しかし、これは文部省が国際協力に不熱心というわけではない。現状の国際理解教育は国際協力を明確な主題とするに至っていないが、そもそも国際理解教育の内にそうした観点は含まれている。

現代の開発問題への視点
 開発教育は、世界の現状を理解し、国際協力の大切さを認識し、よりよい社会に向けて参加する態度を養う。したがって、開発教育は「開発問題」を取り扱う。そもそも開発の対象と方向性が明確でなければ、協力行為は成り立たない。
 開発問題の対象は「貧困」「人口」「食料」「保健」「教育」「居住」「環境」などであり、これらは相互に関連していてひとつひとつを切り放して理解することはできない。さらに、開発は南の国々だけの問題ではない。各開発問題の本質を考えれば、国内にもさまざまな開発問題が存在していることに気づくのである。国際協力は、対外的な事項に関わるなかで国内の諸課題に気づき、いかに地域を作り変えて行くかの問題でもある。これは「内なる開発問題」で、地域の「外国人労働者」の問題に限らず地域の社会開発全般に当てはまる。

2 開発教育概論

(1) 欧米の開発教育

開発教育の誕生
 開発教育(Development Education) は、新しい国際教育として1960年前後に誕生した。当時は、戦前植民地だった国々が次々に独立を達成したが、植民地時代の後遺症と自由貿易下の垂直貿易で経済的にも社会的にも自立できず「南北問題」が露呈してきた時期であった。担い手の中心はNGOである。すでに以前からOXFAMなどさまざまなNGOが海外協力を行っていたが、活動を終えて帰ってきたボランティアたちによって南の国々の実情を知らせる活動が始められた。
 開発教育は、初期の段階では人道的援助を供与するための教育であったが、そうしたチャリティ精神のみにととまらず、南の現実の根本原因や北の責任を考える教育に発展してきた。さらに今日では、南北の関係だけでないグローバルな課題を視野に入れての教育が重要になってきており、今後は「公正で持続可能な未来」をひらく開発のあり方の学習がますます重要になるものと考えられる。

国連の関心と欧米での普及
 世界の開発教育は1961年から始まる「国連開発の10年」「第二次国連開発の10年」と連動している。経済協力開発機構(OECD)や国連貿易開発会議(UNCTAD)、国連開発計画(UNDP)等国連機関が充実し、欧米各国ではに国際協力の省庁が設置される時代背景のもとで開発教育は誕生した。
 開発教育は1960年代を通して普及していったが、70年代にはほとんどの先進諸国の援助省庁が開発教育に積極的に資金援助した。これは「第二次国連開発の10年」の実施計画条項が開発教育推進への財政措置をうたっていたことにもよる。
 こうして欧米では、援助省庁の存在と開発教育関連のセンターの存在が当たり前のものとなっている。例えばイギリスには現在までに50の開発教育センター(DEC)ができている。現在では、政府よりもNGOがDECを支えているが、各センターは地域に密着して機能している。

用語と定義
 「開発」という用語は "Development"の直訳である。これまでみてきたように欧米では相当に定着した用語である。もっとも原義は "de-envelop" で、封を解いて自己実現するといった幅広い概念である。日本のように短絡的に「経済開発」に直結してしまう用語ではない。あえて日本的に解釈するなら、人間の内に秘められている仏性が現れるという意味の仏教用語「開発(カイホツ)」に近く、人間性を最大限に高め発揮する社会の実現という説明が成り立つ。
 定義は国連でもさまざまに定義しているが、1975年の国連合同情報委員会の定義が代表的である。ここでは各機関との調整の結果、開発教育の目標を次のように定義した。
 「開発教育の目標は、人々を自分が属する社会、国家そして世界全体の開発に参加できるようにすることである。この参加のためには、社会的、経済的、政治的諸問題の理解に基づく、地域的、国家的、国際的な状況についてのきびしい自覚が必要である。
 開発教育は、開発国、開発途上国それぞれにおける人権、人間の尊厳、自立、社会的正義の問題と結びついている。低開発の原因や開発の意味するものへの理解の促進、そして新しい国際経済、社会秩序の研究方法とも関連している」

(2) 日本の開発教育

開発教育の登場
 日本の「開発教育元年」は開発教育シンポジウムが開催された1979年とされる。欧米よりも十数年遅れて開始された。
 日本は60年代にすでに国際協力を始めていたが、これは経済協力方式の賠償であって、こうした経済協力は国民の開発問題への関心にまで結びつくものでなかった。また、欧米のような植民地支配への反省の動機も希薄であった。国際協力への国民的関心の芽ばえは1965年からの海外青年協力隊のボランティア体験から生まれた。その端緒となる報告書が1977年に出されている。
 開発教育の普及は先の開発教育シンポジウムを第一歩とする。これ以降、開発教育研究会が発足し、公開研究会やシンポジウムを開催した
 開発教育協議会は、1982年、開発教育研究会が発展的に解消して設立された。それまでのシンポジウムは毎夏の開発教育全国研究集会に引き継がれた。協議会は、(1) 開発教育の普及・振興、(2) 国内外関係機関との連絡・調整、(3) 開発教育に関する研究、事例等の共有、などを中心とする全国組織である。そのための活動は併設されている開発教育情報センターの活動、政府支援の事業展開も含めると非常に多義にわたる。また、開発教育を次のように説明しているが、これが日本における定義の代表である。
 「これから21世紀にかけて早急に克服を必要としている人類社会に共通な課題、つまり低開発について、その様相と原因を理解し、地球社会構成国の相互依存性について認識を深め、開発を進めていこうとする多くの努力や試みを知り、そして開発のために積極的に参加しようという態度を養うことをねらいとする学校内外の教育活動」

行政支援の起点と展望
 日本の政府では外務省が、80年代以降開発教育を支援していることは既にふれた。87年の「開発教育を考える会の報告」がその施策展開の起点である。これは国際協力に対する国民の理解と支持の重要性を認識するとともに、政府のみでなく国民自ら協力活動を積極的に進めていくことの期待をうたっている。
 また、1993年の第6回開発教育を推進するセミナーは「開発教育推進のための提言」をまとめている。そこでは、今後の新しい戦略・戦術として次の4つを提言した。
1) 開発教育活動展開のためのセンター(拠点)をつくる
2) さまざまな地域での活動・経験を共有する仕組みをつくる
3) ナショナルな機関のもつ役割をあらためて明確にし、その機能の充実をはかる
4) 財政の基盤を強める
 ここでは行政レベルの地球市民学習のニーズの高まりも認識され、豊かな地域社会づくりのための手だての構築が課題とされている。

日本の開発教育に影響を与える国連機関
 日本の開発教育に大きな影響を与えた国連機関はユニセフとユネスコである。
 ユニセフは世界の開発教育を推進し、開発教育に関心を寄せる国連機関のなかでも最も積極的に地球市民涵養のための教育活動に関わってきた。開発教育シンポジウム(1979)の発起にもユニセフ駐日代表事務所が関わっている。
 今日では1990年代の人間的な指標で判断する新しい開発の概念に対応し、世界的な規模で開発教育を考えるものとして「開発のための教育」を提唱している。この名称は従来の開発教育よりグローバルな包括性を含むものとされている。
 一方、ユネスコは、1974年にそれまでの国際理解教育を新しい段階に押し上げる画期的な作業を行った。この「教育勧告」は世界の諸問題に真っ向から立ち向かうもので、それまでの国際理解のレベルを超えてより包括的な教育を勧告し、名称も「国際理解、国際協力および国際平和のための教育、並びに人権および基本的自由についての教育」(略して「国際教育」)と改めることを提唱した。これは開発教育の観点を主要な柱のひとつとするものである。
 さらに1994年、ユネスコは「勧告20年」を機にその見直しを行っている。そこでは歴史的文書としての性格をもつ勧告内容に問題はないとされ継続された。その上で今日の世界状況を踏まえて国際教育会議宣言を出し、「平和・人権・民主主義のための教育」を提唱している。

3 開発教育の現場から

(1) 地球市民育成への関心の高まり

学校の開発教育
 開発教育の担い手の中心は、その成立過程においても国際協力に携わる人々であった。学校では先駆的教師しか担い手になっていない現実は確かにある。けれども、自己中心でなく人類の幸福を願い、地球市民として世界の人びとと共に生きることを志す開発教育が学校教育に普及することの必要性は、国際協力やボランティアへの関心の高まりとともに認められつつある。
 学習指導要領は「国際理解の推進」をうたっており、学校で開発教育を実践する追い風がある。国際理解とは互いの国や文化を理解するだけのものではありえない。「国際化」には人間の普遍的なあり方として互いの尊重と協働して課題に取り組むことの両方が求められる。それが開発教育で展開されている。
 開発教育は幼児からの継続的な学習であるから、学習者の発達段階に応じた段階構造がある。学習する開発問題の内容には「文化領域」と「課題領域」がある。開発理解は文化理解をベースとするものであり、両者はどの段階でも相互に関連している。
 学校では教科の内外を問わずあらゆる教育活動で実践事例がある。また、学校内だけでなく、開かれた学校として市民と交流したり、校外施設を利用したりする工夫もある。

社会教育の開発教育
 社会教育では、NGOが何よりもその活動経験から豊富な人材と教材を蓄積している。それだけに日本の開発教育の貴重な推進母体である。今後財政的に力をつけてくるとともにその役割は一層大きくなろう。また、行政や学校との連携も深まるものと思われる。
 NGOの教育活動は、視聴覚教材の作成・上映、スタディツアーやワークキャンプ、講演会・学習会や講師派遣といった形態が中心で、たとえばシャプラニール=市民による海外協力の会のビデオ「わたしの国わたしの村―バングラデシュ」、PHD協会の「草の根生活塾」、日本国際ボランティアセンターの「市民理解講座」などである。
 その他の社会教育は、公民館などの公的機関やYMCAなど民間の関係団体が開発教育を進めている。労働組合や協同組合等の諸団体の活動も含めて、地球市民学習の場は幅広い。

参加型の方法とさまざまな教材
 ところで、開発教育は「教わる」のでなく「学ぶ」ものである。従来の知識注入型に偏した受動的な授業は開発教育の形態としてふさわしくない。開発教育が学習の過程を重視するのは、開発問題の原因や方策を問う学習が必然的にオープンエンドな模索学習になること、一方的な知識伝達では自ら気づき生き方を見直すことに結びつかないことなどによる。こうして、開発教育の特徴のひとつは多様な学習形態の存在である。ランキング、シミュレーション、ロールプレイ、ゲーム、プランニング、ルールメイキングなどである。最近普及し始めたディベートとともに、今後はこうした参加型学習が普及するであろう。 また、日本にも視聴覚教材をはじめとしてさまざまな独自の教材が出てきた。例えば、『開発教育教材カタログ’95』(開発教育協議会編)には全部で300を越す各種教材が紹介されている。これらの有効活用の事例も蓄積され共有されていくものと思われる。

(2) 開発教育の課題と展望

学校と社会の現実と課題
 日本での開発教育推進のためには克服すべきさまざまなネックがある。
 日本で開発教育が欧米諸国に比較して普及していない理由は、用語の問題、広報の不足等指摘できようが、そもそも開発教育を受け入れるニーズが不足していたことも否定できないだろう。ニーズがなかった理由は日本に「市民社会」が成熟していないことが関わっている。今日、国際協力の機運が高まっていることは開発教育普及の背景が整いつつあることを意味するが、いまだその土壌が十分に育っていないという危惧もある。
 学校には、自主性より画一を好む管理体質、一方的知識注入授業による主体的意思決定能力の阻害、受験競争での自分本位な利己心の助長、金銭万能社会の反映としての価値観のゆがみなどの現実がある。ここには心の教育が欠如しやすく、市民育成の場になりにくい。また社会には、横のつながりのないタテ社会、会社のために余りに多くを捧げる会社人間の生活などの現実がある。ここには家庭と地域とが欠如しがちで、市民としての生活が営みにくい。
 しかしながら、日本でもボランタリーな活動が各地で息づいてきている。若者の関心も非常に強い。このことはいみじくも阪神大震災で確認されたが、日本の市民社会の新しい展望である。これからは、正しい歴史認識に基づいての地に足のついた開発教育の展開が期待される。

国際教育の課題と開発教育
 日本が歩むべき国際教育において教育界に混乱があることもネックとなってきたが、それについてここで建設的に整理しておこう。
 1974年のユネスコ勧告の重要性については既にふれた。しかし、国際教育はカリキュラムのための目標や内容構成が明確にされず、主体的活動を組み込む多様な学習方法も提示できなかったこともあって、日本では十分に展開できていない。
 日本の国際理解教育は「我が国の文化、伝統を尊重する態度を育てるとともに、世界の文化や歴史についての理解を深めること、国際社会に生きる日本人としての資質を育てること」という教育課程の基準に則って推進されている。しかし、「我が国の文化、伝統を尊重する態度を育てる」ことの方に偏りすぎているのが現実で、実際、欧米中心の異文化交流、外国語でのコミュニケーション、帰国子女教育の充実などが中心である。これでは本来の国際教育が持っているはずの地球的諸課題への対応が希薄である。特に第三世界への焦点がボケている。
 この現実の中で、開発教育は「国際教育の今日的な課題を学習する一領域」として推進されてきた。そして、今日では開発概念の広がりとともに「国際教育と大きく重なる内容をもつ一体系」ともなりつつある。いずれにせよ日本の教育にとっては、国際教育の実質的展開が一致した課題である。

注目すべき行政支援
 新しい展望としては、「開発教育推進のための提言」(1993)で提言していたような開発教育活動のためのセンター(拠点)の設置がある。行政支援で最も注目すべきは、それに類する場がさまざまな自治体によって用意されている事例である。そこでは、NGOを中心とする市民が集ってさまざまな活動を展開している。今後は欧米のように、開発教育教材もそうした場で作成されるのが望ましく、その拡充は行政の大きな課題となろう。

4 開発教育の視点と自治体の国際協力

(1) 現代の開発教育の視点

基本のコンセプト
 開発教育には発展段階がある。1960年代の第一世代は人道的援助を供与するための教育を重視した。1970年代の第二世代は南の実情の根本原因や北の責任を考える視点を重視した。そして1980年代の第三世代は南北の関係だけでないグローバルな課題を視野に入れて取り組んできた。この歴史から、開発教育の次の視点を取り出すことができる。
1) 開発教育は人道的な共生の精神に基づいている
2) 開発教育は公正の観点で現実を分析する
3) 開発教育は環境の持続可能性に留意する
 このように開発教育の原点は「公正で持続可能な共に生きる未来をひらく」ということである。開発問題に対して「開発のあり方」を考えるからこそ開発教育なのであるが、その開発のあり方の価値基準はここで抽出した「共生」「公正」「持続可能性」という三つの基本概念に関係している。

開発のビジョン
 今日、開発援助の基本的な目標を再定義することが世界の重要課題となっている。これまでの開発概念によっては、文化の多様性が尊重されずに一元的価値観が押しつけられたり、トリクルダウンが機能せずに貧富の格差が逆に拡大したり、環境破壊で「貧困と環境破壊の悪循環」が生じているという現実も否定できない。こうした現実のなかで、「近代化論」に対して「もう一つの開発論」や「内発的発展論」などが提起されている。1995年の社会開発サミットでは、独自の文化と歴史に見合った、経済中心でなく人間中心の社会開発の重要性が指摘された。ここでの最も根源的な問題は、D.コーテン(米)が指摘するように「私たちのものの考え方、すなわち経済成長を第一の目標とし、それを追求し続けられるという考え方そのものにある」のかも知れない。
 また、世界の貧困は統合された世界市場で経済的な力が北の多国籍企業の手へと渡り、地域社会が経済的に支配されて自らの決定権を失うという構造的なものである。したがって、開発に必要なのは経済の地域化・分権化の視点である。そのことは北の南の相互依存関係で言えば、南からの収奪なしには生きられなくなっている私たちの地域が自立することの重要性を物語る。

(2) 自治体の国際協力の視点

施策展開の課題
 最後に、自治体の国際協力について開発教育の立場から施策上の課題を上げてみよう。
A.各担当者が開発教育の視点で:
 どのような国際協力にも何らかの開発概念が伴う。つまり「開発のあり方」に関する 見解がその国際協力の内容を決定する。政策担当者は開発教育の視点で国際協力の基本 的な目標を定義し、魅力ある開発ビジョンを提示することが期待される。
B.国際協力を支える教育に支出を:
 開発教育の必要性はここに繰り返すまでもないであろう。各担当者だけが開発教育の 視点で施策展開するのでなく、国際協力を支持する地域住民と協働で事業展開される体 制づくりが期待される。
C.地域をいかに作り変えるかの視点を:
 「開発」「低開発」という概念は日本にも当てはまる。国際協力はいかに人間中心の 地域に作り変えて行くかが重要である。すなわち、南の国々との関係のなかで、よりよ い地域社会の実現を図って地域の自立を実現することが期待される。
D.主体たる市民と共に:
 地域独自の協力を地域のNGOと協働しながら展開していくことが重要である。その ためには、NGOへの支援と協働、情報シェアと交流システム等を確立し、そのための 場を設置していくことが期待される。

参考文献
・ 「開発教育を考える会の報告」(外務省経済協力局、1987)
・ 『たみちゃんと南の人びと』(21世紀をともに生きる地球の仲間、明石書店、1987)
・ 『地球家族』(開発教育協議会、1988)
・ 『開発教育の進め方を考える』(開発教育協議会、1988)
・ 『地球社会におけるNGOの役割』(NGO活動推進センター、1991)
・ 『開発教育ハンドブック』(開発教育協議会、1990)
・ 『NGOによる開発教育ワークショップ報告書』(NGO活動推進センター、1992)
・ 『”地域”は世界を変えていく』(開発教育協議会、1993)
・ 「開発教育推進のための提言」(第6回開発教育を推進するセミナー、1993)
・ 『開発教育実践の手引き』(国際協力推進協会、1993)
・ 『全国開発教育担い手会議報告書』(全国開発教育担い手会議事務局、1994)
・ 『新しい開発教育のすすめ方』(開発教育推進セミナー、古今書院、1994)
・ 『開発のための教育』(日本ユニセフ協会、1994)
・ 『機関誌「開発教育」論文20撰』(開発教育協議会、1994)
・ 『<新版>貧困』(西川潤、岩波ブックレット、1994)
・ 『南北問題と開発教育』(田中治彦、亜紀書房、1994)
・ 『ODAと環境・人権』(多谷千香子、有斐閣、1994)
・ 『第2回全国開発教育担い手会議報告書』(全国開発教育担い手会議事務局、1995)
・ 『開発教育教材カタログ’95』(開発教育協議会、1995)
・ 『援助と開発』(開発教育協議会、1995)
・ 『NGOとボランティアの21世紀』(D・コーテン、学陽書房、1995)


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