嘉助・お吉編


お吉はいくつで嫁入り?
「祝言」を読んでいて気になりました。お吉が嫁いだのは、「湯の宿」に書かれている
「お吉は十六で小料理屋へ嫁に行ったが、一年ちょっとでやはり亭主に死別して・・・・・」ですよね。

でも「祝言」の中で、二十年近く前の大火事の話の中で、
「その時分、お吉はもう八丁堀にいたのか」
「嫁入りがきまってお暇を取る、ちょっと前だったんです。運がよかったって、みんなにいわれましたよ。実家へ帰ってたら、焼け出されてましたもの」・・・・・・

丸焼けになったが、その年の中に店を建て直した。
「なくなった旦那様のおかげなんです。・・・・・・・・・

るいの父親の親切を、お吉はなつかしそうに感謝した。
「天保五年というと、お吉はいくつだった」
「二十は越えていましたよ」・・・・・・・・
と続いていて、お吉は二十ごろ嫁入り話が、しかも実家がお店を・・まぁ父親は出てこないから、おっかさんがお店をしていて、お吉に再婚の話があったが、大火事で駄目になった?と考えれば平仄は、合うのですが・・・・・??

この謎はすずらんさんよりお知らせ頂きました。
「湯の宿」では亭主に死別して「亭主運の悪いところまでおっ母さんに似てしまったから、一生こちらにおいて頂きます」と庄司家へ出戻ってきましたよね。その後再婚の話があったとは今まで出て来ていないし、「祝言」での記述はやはり最初の嫁入りと考えていいのでは。とするとお吉は一体いくつで嫁に行ったんでしょうね。来月文庫の新装版が出ますが、「湯の宿」でお吉が嫁に行った年が訂正されているかも知れませんね。(管理人)


庄司家を切りもりしていたのは嘉助の女房? お吉の母親?
「恋娘」で、るいが12歳で母をなくした後の庄司家の家事は、嘉助の女房おくめがとりしきっていて5年前に亡くなったとあります。でも「湯の宿」(水郷からきた女)ではお吉の母お貞が、るいの母の生前から幼いお吉連れで奉公に上がっているのですよね。お吉は庄司家から16で嫁に行って1年ちょっとで亭主と死別して、庄司家へ出戻り、そこでお吉の母は庄司家の奉公をお吉に任せて箱根の息子の所へ行ったとなってます。と、言うことは庄司家には家事をまかなう奉公人が、嫁入り前のお吉を合わせて最低3人はいた、って事でしょうか...。いや、別に居ても良いんですけど、同心の家って、そんなにたくさん奥向きの奉公人がいるものなのでしょうか?るいが何歳の時に母が亡くなったかとも合わせて、幼いるいを助けて誰が家事を取り仕切ってたのか?仮におくめとお貞と一緒に奉公してたとして、どっちが「頭」だったのか?状況からして、おくめは「通い」ですよね、亭主(嘉助)と娘はいたはずだから....
この謎はほそももさんよりお知らせ頂きました。


お吉には弟が二人いる?
「冬の月」にお吉の弟幸吉が出てくる。結城の在に養子に行き・・とある。お吉の弟は二人いるのだろうか。
武一というのが箱根の塔ノ沢に養子に行き、お吉の母お貞はそこで一緒に暮らしている。ということはお吉の弟は二人とも養子に出されたのだろうか・・
これに対してほそももさんより新たな謎のお知らせを頂きました
箱根にいるのはお吉の弟ではなく、兄です。お吉よりも5歳年上。「湯の宿」に書いてあります。お吉の母お貞は、「一男一女に恵まれたところで亭主と死別、その時8歳だった長男を箱根に養子にやり3歳のお吉を連れて庄司家に再び奉公に上がった」となっているので、弟はいないはず。弟が出来たとすれば庄司家に奉公中(?!)の出来事で、お吉とは父親違いと言う事になります。ひょっとして、旦那様のお手がついた?!....そんなばかな、ねえ。←もしそんなことだったらビックリです!


嘉助の十手はどうなったのか?
「秋の蛍」で嘉助が長七の後をつけて、閻魔堂に行ったシーンで、「宿屋の番頭の悲しさで、長年、肌身離さなかった十手も、今はない。」とありますが、「秋の七福神」のかわせみでの立ち回りシーンで「嘉助の手には八丁堀をやめる時、歿なった旦那様のお形見ですからと、嘉助が泣いて上役に許しを求めて、とうとう手放さなかった十手が握られている。」とあります。いつ、嘉助の手元に十手が戻ったんでしょう?それとも、実は最初から持っていて、長七の後をつけた時は家に置きっぱなしで持ってこなかったと言う意味なんですかねえ?謎です。
この謎もAbeさんよりお知らせ頂きました。
この謎、実は作者もメモっていたのですが、Abe様からメールを頂きました。
「筆屋の女房」の中に、「古い樫の木刀は嘉助がまだ八丁堀のお手先だった時分、鍛錬のために愛用していたもので、御用の十手をお返し申してからの嘉助の唯一の武器であった」とあります。やはり十手はお返ししたようですね。(管理人)


嘉助の娘は?
「花冷え」の中で、るいは東吾と一緒に嘉助の娘の2人目のお産のために水天宮にお札を授かりに行く。嘉助の娘は日本橋の料理屋に嫁いでいるとあるが、確か嘉助の娘お民は一人娘で、神田飯田町の木綿問屋河内屋吉兵衛に嫁いでいるのでは・・

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