麻生・神林・天野家編


明治編再開時の麻太郎君は何歳?
今日は成人式ですが、自分の成人式はというと・・・もう思い出せないほど遠い昔のことですが、さてそれでは明治編に突入した「かわせみ」キッズ達の年齢は、と考えてみました。

大政奉還が1867年、翌68年に明治と改元されています。この年に麻太郎は留学に出発。帰国はそれから6年後ですので、明治編開始は1873〜1874年ということになります。また麻生家の事件は麻太郎の留学前、御維新のどさくさの最中に起った事件ということで1867年頃かと思います。

一方麻太郎は「浮かれ黄蝶」の中で14歳と記載されています。またるいさんは江戸期最後の話の「公孫樹の黄ばむ頃」で42歳と判明。春霞さんの説により、「捨てられた娘」の中で東吾さんが言った「金の草鞋をはいても見つけて来て嫁にもらえというのは丑年の女だっけ」からるいさんの干支を丑とし、逆算すると1817年丑年生れ。そうすると「公孫樹の黄ばむ頃」は1859年頃の話となる。当時麻太郎が14歳とすると、英国留学はそれから9年後。ということは麻太郎は23歳で留学し、29歳で帰国したことになる。

更に今度は別の方面から。最終話でるいさん42歳で千春ちゃんは8歳。ということはるいさんは35歳で千春ちゃんを産んだことになります。これは当時ではかなりの高齢出産ではないでしょうか。
そもそも東吾さんが軍艦操練所に出仕するようになったのは、軍艦操練所が出来て間もなくの頃とある(「恋文心中」)。幕府が築地の講武所内に軍艦操練所を創設したのが1857年。とすると出仕したのは1857〜1858年頃と思われる。維新まで約10年。東吾さんとるいさんが祝言をあげたのは同じ年の6月。前年の大晦日に花世ちゃんが誕生している。花世ちゃんと同い年の源太郎君が7歳の時に千春ちゃん誕生。ということは千春ちゃんが生まれたのは祝言をあげて5年後。あれれ、今度はそうすると維新の頃、千春ちゃんはまだ4、5歳?こう考えてくるとどうも「捨てられた娘」で東吾さんが言った「丑年の女」というのは一般的なことでるいさんが丑年とうことではないような。なにより「公孫樹の黄ばむ頃」の話が1859年頃とすると、祝言をあげて1、2年、まだ千春ちゃんは生まれていない・・・
うーん、やっぱり「かわせみ」の中で、年齢に関しては永遠の謎ですね。

小説を読んで受けた印象では、麻太郎君も源太郎君も二十そこそこか少し越えたぐらいというところでしょうか。ちょうど江戸「かわせみ」で東吾さんが初登場した頃・・・本当はこうやって小説の中の出来事を捉えて年齢を考察するのは、やってはいけないことなのかも知れませんね。本当の年齢は作家の心次第。そして読者である私達の心次第ということなのかも。


麻生家は何回か引っ越しをしている?
(1)「幽霊殺し」では 麻生邸は小名木川が新高橋をすぎて舟堀川と名を変えるあたりにあった。
(2) 「幽霊亭の女」では  屋敷は本所割下水にある。
(3) 「雪の夜ばなし」では 本所一ツ目にある麻生家の書院は灯台がいくつも並べられ、金屏風を前に向かい合った花婿花嫁の上気した顔を明るく照らし出していた。
(4) 「虹のおもかげ」では 東吾は六間堀に架かる猿子橋で麻生家の門前にいる宗太郎と七重を見ている
  「宮戸川の夕景」では 東に常磐町がありその先に太田摂津守の下屋敷があることから「虹のおもかげ」と同じ場所と思われる。
この謎はTAさんよりお知らせ頂きました。


母方の実家は?

またまた重箱の隅をつつくような「謎」ではあるのですが、宗太郎の家庭の事情については「忠三郎転生」(鬼の面)の中で初めて書かれています。宗太郎の母親は今大路成徳の姉娘の浜路で、宗太郎を産んで間もなく病没し、その後妹の糸路が後妻となり、宗二郎、宗三郎の二人を産んでいます。しかし「ひゆたらり」(八丁堀の湯屋・文庫版)の中には、母方の実家は今小路家となっているではありませんか。いつの間に、大が小になってしまったのでしょう・・・

後で調べてみたら、「ひゆたらり」単行本では「今大路家」のままで、文庫版で今小路となったようです。しかし「かくれんぼ」単行本では既に変っており、以後は今小路家となっています(管理人)


天野宗二郎・宗三郎兄弟
天野宗太郎の弟二人は、「忠三郎転生」で宗太郎が東吾に語ったところによると、「今大路家は娘二人しか子供が居りませんので、我々の兄弟の中から一人が養子に参って今大路家を継ぐことになっていまして、それで弟の宗二郎が行きました」。自分は好きな相手が一人娘なので養子に行きたい。天野の家は宗三郎に継いで貰いたいと。ところが「紅葉散る」では宗三郎は母の実家である今大路家を継ぐことが決って居り、天野家は、宗太郎が麻生家へ養子に入った後、次男の宗二郎が跡継ぎと決ったとある。そして、一番最新の「冬の桜」では、「宗太郎が他家へ出た結果、宗二郎が母方の今大路家の跡取りとなり、宗三郎が天野家を継ぐことになっている」とある。またまたひっくり返って元のようになっているが、はてさて宗二郎、宗三郎兄弟のどちらが天野家を継ぎ、今大路家を継ぐのでしょうか・・・


天野宗一郎、 宗太郎?

「美男の医者」で寒井千種と名乗って颯爽と登場した御典医天野宗伯の子息天野宗太郎だが、実は初登場の時は天野宗一郎となっていた。その後も「川越から来た女」「神霊師・於とね」と宗一郎で登場し、「岸和田の姫」で天野宗太郎と変わっている。(なお、文庫版では初登場の時から、既に天野宗太郎となっている。)
ちなみに宗太郎の異母弟は宗二郎、宗三郎、ともに弟想い兄想いの仲のいい3人兄弟である。



麻生家の「およねさん」

「女がひとり」の冒頭、香苗さんは東吾さんを供に柳橋の信濃屋に出かけた。香苗さんの乳母だった「お米さん」が信濃屋に再婚して、その病気見舞いということだった。
一方、「能役者、清大夫」でやはり香苗さんは東吾さんと一緒に「およねさん」の還暦の祝いに出かけている。
このおよねさんは、香苗の母の小間使いの女中で、南日本橋の新両替町の諸国銘茶問屋の静好堂の後妻となっている。あれれ、麻生家には「お米さん」と「およねさん」の二人のおよねさんがいたのでしょうか?
それとも、字は違っても一人のおよねさんだとすると、一体どちらへ後妻にいったのでしょう?


香苗さんはいったい幾つ?
香苗さんの年代なのですが、確か七重さんより、七つ上だった筈、七恵さんは、東吾より5歳年下。とすれば、東吾より、2歳年上となります。一方、通之進は東吾より、一回り以上違い、香苗さんがお嫁に来たのは、東吾が10歳くらいのころで、東吾を子供扱いして、母親のように接したとか。さらに、香苗さんは、通之進を、長年想い慕って、結婚したそうです。やっぱり、女の人の年齢は、良くわからないということなんでしょうか。
この謎はtaquichoさんよりお知らせ頂きました。

もし香苗さんが東吾さんより2つ年上なだけとすると、香苗さんはわずか12歳で10歳以上年上の通之進さんに嫁いだことになりますね。いくら当時が早婚だとしても12歳はないでしょう。。とするとやっぱり香苗さんの年もまた「謎」の一つになりますね(管理人)


神林通之進はどちらの与力?
神林通之進は吟味方与力の要職にあるが、第1話の「初春の客」では北町奉行所の与力とある。(taquichoさん情報によると文庫版では南町奉行所と変わっているそうです。
しかしその6話後の「江戸は雪」では南町奉行所の与力とある。一体どちらの奉行所に勤めていたのでしょう?それとも奉行所間で今の警察みたいに転勤なんてあるのでしょうか?(奉行職はどちらにも任命されたようですが。)一代限りと言っても実際には世襲であった与力、同心職。転勤があったとは思えないし、これもまた謎です。


麻生源右衛門はいくつ?
「江戸の子守唄」(御宿かわせみ・上)の中で麻生源右衛門の古希の祝いが行われている。とするとその時麻生源右衛門は70歳。しかし、その後「大川の河童」(鬼の面)の中で父の年を聞かれた七重さんが「五十八になります。」と答えている。あれれ、なんと12歳も若返っています!
かわせみ開始そうそう70歳ではあまり長生きは出来ませんよね。登場人物を亡くしたくない作者はなんと一気に12歳も若返させる策にでたのでしょう。おかげで源右衛門は未だ健在。
この謎はたまこさんよりお知らせ頂きました。


麻生源右衛門は下戸?
「江戸の子守唄」で麻生源右衛門の古希の祝いの場面で、「酒を嗜まない源右衛門のために料理は特に吟味されていた」とある。しかし、その後東吾は兄通之進の使いで麻生家に「加賀の銘酒」を何度か届けている。
「子はかすがい」では、源右衛門を老いても斗酒なお辞せずを豪語する老人と書いてある。いったい源右衛門は下戸だったのか、それとも大酒のみだったのか・・
ちなみに通之進は大の甘いもの好き。東吾はよく兄のために評判の菓子を買って帰った。またかわせみにもまめに饅頭だの団子を持って行った。一度など桔梗屋の団子を4日連続で買いに行き、4日目にとうとう桔梗屋の主人から「ご贔屓にして頂きまして、本日はお代は頂きません。今後とも桔梗屋の団子を末永く可愛がって下さい。」と挨拶されてしまう。


義姉上の父上は?
「王子の滝」に東吾が「義姉上の実家から、舅殿が見舞いに来られた」というと源三郎が「頼母殿ですな」と答える場面があり、お目付本田頼母殿として登場している。これより先の「江戸の子守歌」では香苗の父親は西丸御留守居役を勤める麻生源右衛門とある。一体香苗・七重姉妹の父上はどなたなのでしょう?
この謎はZANさんよりお知らせ頂きました。

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