[2020] 届いたんですか! こでまり 投稿日:2003年2月22日<土>17時43分 Rumi様、安寿様 もうお手元に届いたんですか。書き込みを羨ましく眺めている人たくさんいらっしゃると思います。(こでまりも) 何かオリジナルビデオならではの特典などありましたら、また教えてくださいませ。 シロ様、百楽天様 いらっしゃいませ。 ハンドルネームに登場人物の名を使われる方、結構いらっしゃいますが、シロちゃんが登場するとは。。。シロちゃんその後、どうしているのでしょうね。 百楽天様、いよいよご本家に登場ですね。本も楽しめると思いますよ。 読み出すと止らなくなるので、ご注意を! |
[2019] はじめまして 百楽天 投稿日:2003年2月22日<土>15時14分 たまこさんのところから飛んできました。 じつは「御宿かわせみ」、ボクはまだ読んだことがないんですよ。 このサイトに書かれてあることを読んでいくうちに、読んでみたくなってきました。 明日にでも書店で買ってこようと思います。 ところで、深川長寿庵の長助が、 「信州からよい蕎麦粉が届きましたので・・」 といって、かわせみに蕎麦粉を届けたということですが―― 江戸では、中野あたりで採れた蕎麦を使うことが多かったようです。 信州産のものを使うにしろ、粉に挽いたものを陸送することは、まずなかったでしょう。途中で雨に降られたら、もうおしまいです。 蕎麦の実から粉にする過程は、それだけをやる専門の職人が蕎麦屋をまわってやっていたようです。粉にしたものが届けられたとしても、蕎麦の実の状態で江戸に届いたのちに加工されたものと思われます。 百楽天 題名:まっ白な蕎麦 投稿日 : 2003年2月23日<日>05時51分 まっ白い蕎麦粉といえば「さらしな蕎麦」でしょう。 今では、変わり蕎麦を打つときにもよく使われています。 このさらしな蕎麦、古くからの老舗で出しているのでずっと昔からあったものと思われているようですが、じつはそうでもないんです。これは、蕎麦粉をどうやって作るか、そのへんから理解する必要があると思います。 収穫後、天日乾燥した玄蕎麦は、まず果皮(殻)に付着している茎や葉、泥やゴミ、砂利、小石などを取り除きます。 昔はその玄蕎麦を石臼でそのまま挽きつぶし、そののちに蕎麦殻をふるいで除去する製粉方法でした。 現在では、粉に挽く前に「挽き抜き」という工程があります。これは外皮を除く工程です。 これによって、出来るだけ割れないように丸粒のまま種実を取りだして製粉することができるようになりました。 この皮をむく時に出た粉は「花粉」といって蕎麦を打つ時の打ち粉(麺帯をたたんだときにくっつかないように、表面に打つ粉)に使います。 「挽き抜き」で外皮だけがきれいに取り除かれ、割れないでそのままの形をとどめているのものを「丸抜き」といいます。これを粒のまま米と同じように炊くと蕎麦飯で、炒って味噌・砂糖などと絡めて蕎麦味噌にしたり、料理材料や菓子の原料などにすることもあります。 「挽き抜き」で得た「丸抜き」を、石臼を使って軽く(ハガキ一枚くらい開けて)挽くと粒の三角形が崩れて割れたものも出てきます。二つから三つに大きく割れたものを「上割れ」、完全に五つ位に割れたものを「小割れ」といいます。量としては、はじめの「丸抜き」の三割くらい。 この「上割れ」を、製粉したものが「さらしな粉」です。 色がまっ白で、ホシ(「へた」の部分の粉砕物)が一つもなく、香りがほとんど無い純度の高い粉です。「御膳粉」ともいいますね。 「上割れ」を除き、軽く挽いて最初に出たものが一番粉。色は白くでんぷん質が主体で少しホシはあり、すばらしいといえるほどの色や風味はありませんが、特有のほのかの甘味と香があります。しかし、蛋白質が少ないため粘りが少なく、そばを打つのにつながりにくい。「さらしな粉」と混同されることもあります。 「一番粉」をとったあと、さらに挽砕を続けて製粉されたのが「二番粉」。香りや味に優れ、一番粉より上とされています。淡緑黄色で蕎麦の栄養素や香味成分に富む。 一・二番粉の挽砕を経た製粉による「三番粉」は、「二番粉」と同じ香味で栄養素も多く含まれています。蕎麦本来の風味からいえば一番すぐれているといえるでしょう。ただ、甘皮まで挽き込んでいるため繊維質が多く、食感は一・二番粉に比べて劣ります。 上記は石臼による製粉ですが、多くはロール式製粉によるものです。 麻生花世 題名:人力で挽いていたのですね 投稿日 : 2003年2月23日<日>00時13分 蕎麦粉を挽くというと、水車で挽くイメージでしたけど 米搗きと同じく人の力で挽いていたのですね。 熟練がいるのでしょうか・・よく冬になると信州の人が出稼ぎにやってきて力仕事を引き受けていた(椋鳥と呼ばれていたそうですが)蕎麦粉を挽いていたのもそういう人たちだったのでしょうか?「椋鳥」という言葉はどうも江戸の人たちはあまりいい意味で使っていないというのも意外に感じました。 百楽天 題名:変わり蕎麦 投稿日 : 2003年2月22日<土>23時31分 柚子や抹茶、けしの実などを練りこんで打った蕎麦切を「変わり蕎麦」といいます。 江戸の昔から変わり蕎麦はいろいろ作られており、現在では数十種はあろうかと思われます。 「白菊蕎麦」は聞いたことがありませんが、「菊切り」という変わりそばがあります。 菊花を裏ごしにして練り込んだ変わりそばです。 ボクがやった方法は―― 食用菊の花びらをむしり取り、湯通しする。上記をすりつぶし、さらに裏ごしにかけて糊状にする。 そば粉の重量の一割五分ほどの分量を混ぜ込んで打つ。ほのかに菊の香りのする蕎麦です。 ボクは、黄色い菊でしかやったことがありません。 なお、蕎麦切の長さは、25センチくらいが適当です。「饂飩一尺、蕎麦八寸」といいます。 たまこ 題名:こちらでもよろしくお願いいたします 投稿日 : 2003年2月22日<土>20時53分 百楽天さま、御本家にもようこそ、初めてS.ファロウのほうから新しいお仲間をご紹介できて何だか鼻が高いという感じです。蕎麦を粉に引く職人というのが別にいたとは全く知りませんでした。長寿庵には実の状態で届けられ、そういう職人が粉にしたものをかついで持ってきてたのですかねー。廻りの職人ということなのでなんか訳ありそうな人が長寿庵に来たりとか、なかなか物語的にも面白く使えそうですよね。 「白菊蕎麦」というのは、かわせみ登場の食材の中でも気になっているものの一つです。 冬休みに娘が高校生フォーラムみたいな物で合宿に行って蕎麦打ち体験をしたのですが、とても難しくて「最高で10cm、だいたいは5−6cmの長さの蕎麦」しか食べられなかったそうです。 管理人 題名:はじめまして 投稿日 : 2003年2月22日<土>19時44分 百楽天さま、はじめまして。 たまこさんのS.ファロウでお名前は存じ上げておりましたが、「御宿かわせみの世界」へようこそお訪ね下さいました。 ぜひ、また「かわせみ」から新しい話題を提供して頂けたらと思います。 「信州からよい蕎麦粉が届きましたので」というと蕎麦粉の状態で届くものと思っていました。蕎麦粉一つにしてもまだまだ知らないこと、知識があるものですね。 そういえば、「露月町、白菊蕎麦」では普通一般の蕎麦とはちょっと違った白菊蕎麦と名付けられた蕎麦が登場しましたね。 蕎麦粉を更に細かく挽いては篩にかけ、また、挽いてはいうようにくり返し、きめの細かな独特の蕎麦粉を作り上げ、それを使って蕎麦を打つ。つなぎも今までの江戸の蕎麦より、やや多く使って、しっとりした舌ざわりのものを考案した。蕎麦の色も、一般のよりは白っぽく、なめらかで、太さも細い。 こういう蕎麦もこの時代に本当にあったのでしょうか。とうとう東吾さんは食べ損ねてしまいましたが、もしお店が続いていたら珍し物好きのお吉さんのこと、きっと食べに行ったことでしょう。 百楽天 題名:蕎麦殻の枕 投稿日 : 2003年2月22日<土>19時15分 蕎麦が中国から入ってきたのは8世紀のことで、蕎麦殻の枕は正倉院にもあったようです。 しかし、蕎麦殻の入った枕がいつ頃から普及したかは、わかりません。 ところで、江戸では蕎麦切を作るとき、つなぎとして小麦粉を使うようになったのは、元禄を過ぎてから普及したようです。 今では蕎麦粉100パーセントの蕎麦切が珍重されているようですが、昔は小麦粉のほうが高価格で、つなぎに小麦粉を使うようになって食感が改善され、嗜好食品としての地位を築いていったようです。 蕎麦は「大きくとって小さく打て」といわれます。 「大きくとる」とは、つゆについて。 蕎麦切に加工するには、少量がいい。 ところが、化政期になると蕎麦切の人気はますます高まり、「小さく打つ」では間に合わなくなります。 そうしたことから、3本の麺棒を使う江戸流の蕎麦打ち法ができたと考えられます。 地方の農家などでは1本の麺棒で蕎麦を打つことが多いのですが、江戸流では薄く延してゆくとき、前後を麺棒に巻きつけて表面の乾燥を防ぎます。 ともかく、江戸における蕎麦の消費量は大きく、石臼を使って粉に挽くのは店が抱えている職人ではなく、専門の職人が定期的に店々をまわっていたようです。 麻生花世 題名:ようこそです 投稿日 : 2003年2月22日<土>18時14分 百楽天様こんにちわ、 蕎麦粉の供給源は中野あたりですか・・ 長助親分は、秩父あたりの蕎麦粉も持ってくるようですが、蕎麦の実の状態で届いて、各店で粉にしていた、なるほどです。副産物のそば殻は、枕にでも使われたのでしょうか? 基本的に「ムダな物はない」というのが江戸期の生活だったようですから。 幕末期には、蕎麦屋の数が増えたと書かれている本が多いのですが、米の値段が上がって、代替食として蕎麦の需要が伸びた可能性があるでしょうか? |
[2018] 私も届きました 安寿 投稿日:2003年2月22日<土>15時05分 Rumiさんのメールを見てビックリしてたら、さきほど我が家にもビデオが届きました。 今から、じっくり見るつもりです。(子供も遊びにいって、邪魔する者はいないので) 管理人さんのところももうすぐだと思いますよ。 |
[2017] 待ちに待った、、 Rumi 投稿日:2003年2月22日<土>11時25分 以前一度だけこちらのBBSに書き込みした事あるのですが、それ以来のご無沙汰です、、でも時々お邪魔させて頂いておりました。 ビデオの予約も先日完了し、後は25日を待つだけ、と思っておりましたら何と、、今日(さっき、、)ビデオが届きました! NHKさんの対応の早さに感心すると同時に嬉しくて、、つい書き込んでしまいましたが、、皆さんのお宅にももう届いている頃でしょうか? これからじっくりと見させて頂きます〜〜♪ 管理人 題名:えっーーーーーーーーーー!!?? 投稿日 : 2003年2月22日<土>13時36分 Rumiさん、こんにちは。 もうビデオ届いたんですか??? 管理人のところにはまだ届いていません(泣) 宅急便ですか?それとも郵送?どちらにしても羨ましい〜!うん、もう、待ち遠しい・・・ |
[2016] 江戸町奉行 シロ(犬の話) 投稿日:2003年2月21日<金>20時45分 こんばんは。 はじめまして、先日、このサイトを知りました。 数年ぶりに「御宿かわせみ」を読み返しています。いいですねぇ、ホント。 読み返すうちに、与力ってどんなことしてるんだろ・・・と思い始め、町奉行について興味がムクムクしてきて今日は、本を数冊買ってきました。早速、読みつつHPに綴っていこうかと思っています。 今年の春は暖かいと言う予報が出ました。 かわせみの跡を辿ってお花見するのもいいですね〜。 ビデオ発売楽しみです。 だけど、ホントは全話再放送かビデオ発売してほしいな〜。 シロ(犬の話) 題名:春よ来い 投稿日 : 2003年2月22日<土>14時10分 こんにちは。 近所の公園のオオシマザクラは小さいけれど若葉を出し始めました。いよいよですね〜。 しっかりと一眼とデジカメ準備万端にしておかなくては。 春、かわせみの舞台の何処かでお会いするかもしれませんね?(笑) そうそう、斉藤弥九郎の道場には、桂小五郎(木戸孝光)も通っていたらしく。 同期だったんですかね、東吾と。(笑) 桜・お花見クルージングってご存知でしたか? 毎年運航しているらしいですが、初めて知りました。 船上から大川の桜を眺めるのもいいかもしれませんね。 管理人 題名:はじめまして 投稿日 : 2003年2月22日<土>00時49分 シロさん、はじめまして。 「御宿かわせみの世界」へようこそ。 このHPがきっかけで「かわせみ」の読み返しをされたのかな?そうだと嬉しいですね。 当HPにいらして下さる方って皆さん本当に好奇心旺盛の方が多いですね。「かわせみ」から、その他いろんなことから始まって次から次に興味の対象が広がって行く。そしてそれをちゃんと調べるから素晴らしいです。 ここでもそんな色々な知識が披露されて、とても勉強になります。 管理人も春になったら、「かわせみの舞台」巡りをして写真を撮ってこようかと思っています。 春が待ち遠しい今日この頃です。 |
[2015] 俳人筑邨先生 とまと 投稿日:2003年2月21日<金>08時47分 風邪から、ぎっくり腰で寝込んでおりました。10日ぶりくらいで、やっと社会復帰しています。 情けないお話です。 zmzm様。わたしも長野県のF高在学中に筑邨先生に教わりましたよ。現代国語と、古文も。 >高校の副担で、現国の先生が藤岡筑邨という俳人先生だったの>ですが、俳句の妙は身につかなかったようです 本当に印象的な摩訶不思議な先生でした。 それでも生徒を一人の大人として扱ってくれていた気がします。 そのくせ、全然生徒の名前覚えなくて誰のことも「あんた、あんた」と呼んでいました。 ある日「あんたちょっとおいで」と筑邨先生が言うのでついていくと、田中康夫(今は、知事)にあわせてくれました。 ヤッシーは、松本に帰省して恩師の筑邨先生を訪ねていたようです。 こでまり 題名:学校の先生 投稿日 : 2003年2月22日<土>10時39分 とまとさん、zmzmさん、こんにちは。 同じ先生の教え子のお二人が、このサイトで出会うなんて不思議ですね。(俳句が結ぶ縁、な〜んちゃって!) 昨夜、公民館の俳句教室がありました。この俳句会にも二人のOB先生がいらっしゃいます。お二人とも穏やかで、いい方です。 zmzmさんの言うように、教職時代とは違う一面なのかもしれませんが、やっぱりいい先生だったろうと思います。 そう思えるような句が昨日出されましたので、紹介しますね。 同窓会 子らのおだてや おらが春 私などは同窓会といえば、生徒同士の集まりという視点ですが、教え子に招かれて出席する嬉しさは、また格別でしょうね。 zmzm 題名:びっくり 投稿日 : 2003年2月21日<金>10時36分 かわせみの世界で、同じ先生に習った方にお会いできるなんて・・広いようで狭いですね。 学校の先生というのは、在学中は先生としてしか見ないのですが、違うお顔をもたれていること多いですね。 たまこさんの学校にも俳人先生がおられたというし、真名先生もたまこさんのところで、寺子屋の先生してくださっているなんて、きっと生徒さんは知らないだろうしなあ。 今の娘の学校の校長先生も美術の先生ですが、似顔絵がお得意で、卒業生全員似顔絵を描いて卒業のときに贈ってくださいます。書いていただく番を娘は楽しみにしていました。今年退職されてしまうのが残念です。 ちょっとかわせみからそれちゃってごめんなさい |
[2014] ふと思ったことなのですが・・・ ゆい 投稿日:2003年2月21日<金>00時32分 こんばんは。ご無沙汰しております。皆様予約なさったんですね! いいなぁ!私は・・・もうちょっと辛抱します。 またふと思ったことなので恐縮なんですが・・・こちらと同じようにいつもお世話になっている着物サイトさんで、帯留めの話が出まして、そういや「かわせみ」に帯留め、政吉さん(『御宿かわせみ 山茶花は見た』「人はみかけに」文春文庫)が彫ったすあかのネズミの嫁入りのがあったなぁ、ということで話題になりました。 その着物関連なんですが、次の「夕涼み殺人事件」に畝さまがおるいさんに仕立ててもらった越後上布を着ている、という場面がありました(文庫本222頁)。越後上布というと、今では最低諭吉さん百人は必要なものだと言われています。たしか、呉服屋の大番頭さん格は越後上布を着てよい、という話もありましたよね。 何が言いたいねん、という感じなんですが、当時越後上布って換算したらどのくらいの価値だったのでしょう?よく東吾さまがお召しになる結城紬も、無形文化財保証書付きの「結」印だったらそれこそ諭吉さん百人では済まないくらいですし、同心の方々の制服ともいえる黄八丈も、本場黄八丈は諭吉さん五十人は集まってもらわないと・・・。 古手屋さんが繁盛したということですから、反物買える身分であるということも考えると、今の会津木綿や阿波しじらのように、新渡戸さんあたりで購入できるような感覚ではなかったとは思うのですが・・・。 現代人の私の感覚だと、越後上布をさらりと着ている畝様、「諭吉さん百人・・・畝さま、出世しはったなぁ!」という感覚になってしまうんですよね・・・。 ゆい 題名:ほんとですね。 投稿日 : 2003年2月23日<日>23時08分 こんばんは。お調べ下さったのでしょうか?お手数おかけしてすみません。でも大変参考になりました。ありがとうございます。 仰るように女性は着てないですよね・・・上布だと透けてしまうおそれでもあったのでしょうか?それとも上等の布だから、女性の着用は憚られたのでしょうか??着物好きの知り合いに聞いてみます。 女性だと夏は、下町の方だと浴衣のいろんな種類を着てらしたかもしれないですね。綿紅梅や絹紅梅などなど、普通の着物のように着こなすことが可能な上質の浴衣も今と同じくあったかもしれないですね。 管理人 題名:上布 投稿日 : 2003年2月22日<土>00時39分 ゆいさん、皆様こんばんは。 越後上布の話題で盛上がっていますが、東吾さん源さんとも夏にはよーく上布の着流しでいますね。 「女がひとり」では源三郎は上布、東吾は兄嫁が丹精してくれた白がすりで、どちらも着流しの雪駄ばき「人はみかけに」では東吾は上布の着流しで、源三郎も麻の単衣という同心らしくない格好「持参嫁」では炎天下を狸穴から帰って来て、汗と埃にまみれていたのは、昼風呂でさっぱり洗い流し、仕立下しの上布の絣で「藤屋の火事」では神林東吾は上布の着流しで、手に朝顔の鉢を持っている。 「一両二分の女」では 東吾はそそくさと湯殿へ行った。格子を打った小窓から夏空がみえている。 今日もかなり暑くなりそうだと思い、湯から上ると、お吉がちゃんと真新しい上布を出している。 「お富士さんの蛇」では 次の間へ立って行くと、るいがすぐ乱れ箱を持って来た。上布の着流しに大小をやや落し差しにして素足に雪駄。 そして「源太郎誕生」では その日、東吾は兄に命ぜられて、狸穴の方月館の松浦方斎へ中元の挨拶旁、兄嫁の心づくしの上布の反物、それに加賀の酒を持って出かけた。 これにゆいさんが書いていた「夕涼み殺人事件」の町廻りのあと、八丁堀の湯屋で汗を流して来たらしい畝源三郎が、つい、この間、るいが縫い上げて届けた越後上布の着流しで、颯爽と入って来た。 以上が「かわせみ」に登場した上布のシーンです。これを見ていると夏の着物として普段着的に上布を着ているように思えるのですが。麻のパリっとしたサラッとした感触が夏の暑さに気持のいい着心地でしょうね。 ところで東吾さん、源さんは上布を着ているのですが、るいさん達女性は着ていなかったのでしょうか。「かわせみ」には登場していないのですが・・・(他の老女が着ている場面は出て来ます) ゆい 題名:縮と上布の違いは・・・ 投稿日 : 2003年2月21日<金>12時45分 こんにちは。上布は麻の織物で、縮は布地全体に細かなシボがある織物の総称で、木綿・麻・絹などの種類があるそうです。横糸にヨリを強くかけた糸を使い、織り上がったあとに加工してシボを作るのだそうです。越後上布は雪晒しをする行程が有名です。 縮なら現代でだと、代表的な小千谷縮であれば、諭吉さん4人くらい出したら買えるようです。 幕末でも越後上布はそれなりに高級な夏の着物であったと思うのですが、それをさらっと着こなしている畝さまって・・・。 幕末、庶民に爆発的に流行ったという唐桟も何度か「かわせみ」にも登場している気がします。 たまこ様が仰るように、かわせみの面々って結構ハイソですよね〜。 黒繻子襟、お江戸では結構前からあるんですね。あれに黄八丈を着た江戸娘、なんて典型的ですけど美しいですよね。 たまこ 題名:わわっ 投稿日 : 2003年2月21日<金>08時01分 調べ始めるときりのないS.ファロウ常連の面々がまた乱入して御本家BBSをお騒がせしているようですな。私は、着物の値段とかいっこうにわかりませんが、居眠り紋蔵さんとか、髪結伊左次さんのシリーズに比べて「かわせみ」の与力や同心は、わりとハイソっぽい感じしません? 「かわせみ」も江戸時代の旅籠としては雰囲気的にかなりお上品っていうか格調高いし。麻生家なんかも使用人もたくさんいて、かなり高級旗本ですよね。 麻生花世 題名:越後上布というと・・ 投稿日 : 2003年2月21日<金>03時43分 「はやぶさ新八」にも出てきたような気がしましたが、あれは越後縮の方でしたっけ、「上布」と「縮」に違いは?よくわかっていない麻生です。新八の妻の実家が贔屓にしている呉服屋の話も出てきたような・・ ところで、以前話に出た「黒襟」の話なのですが・・ 江戸期といっても長いので黒襟するようになったのはかなり後のことではないかと書いたのですが、その後わかったことを少し・・「笠森お仙」のポスターでも襟は黒くなっていないと書いたのですが、他のバージョンでは襟が黒くなっているものがありました。 HP「戸越雑話」の管理人留ん馬様が、去年「鈴木春信展」を見たというお話をされていたので、同じ頃麻生も「春信の春、江戸の春」(タイトルが不正確かもです、中公新書だったかと)という本を見ていて、その中に黒襟をつけた女性が出てくるのでその話を持ちかけたことがあるのです。鈴木春信(1725〜1770)は明和の頃活躍した浮世絵師で「笠森お仙」の絵を描いたことでも有名な人です。それまで、黒襟するようになったのは化政期以後と思っていましたから・・ その時の留ん馬様のお説では、最初は倹約的に使われていた黒襟ですが、お仙ほどのアイドルに貧乏くさい格好をさせるとは思えないので、あえて高価な着物を仕事着として使い、結果的に後の流行を先取りしたのではないかというお話でした。私が本で見たお仙の絵もライバルのお藤さんとのツーショットなのですが、この二人をモデルにした女神というか仙女様がお告げをつげにやってくるシーンに見立てたものなのです。 ストーリー性のある続き絵というか、読み本の挿絵なのかでしょうが、そろいで色違いの着物に黒襟をかけた評判の美女二人のツーショット、お告げをつげにやってくる仙女様である以上、みすぼらしい格好をしているとは思えず、この黒襟はしみったれた物ではないのだろうと考えた次第です。 ですから、黒襟をしはじめた時期は三十年以上遡ることになるので、訂正させて下さい。 「守貞謾稿」には「二〜三十年前にはこのような風俗はなかった」という意味のことが書かれていますが、おそらくは守貞はそれ以前は上方にいたので、江戸で黒襟をしていたのを知らなかったのか?とも思います。 |
[2013] 私も予約しました さとこ 投稿日:2003年2月19日<水>22時54分 みなさん、こんばんは。さとこです。 私も遅ればせながら、NHK「かわせみ」のビデオの予約をさきほど致しました。 確認メールもちゃんと届きました。 結構「会員登録」ってめんどうだな〜なんて思っていますが、今後かわせみのビデオが続々と発売されるのかと思うと、楽チンなのかも…。 でも、ひとつかなり深刻な問題が…。 ビデオデッキがない!!…のです。(去年壊れてしまい、廃棄しました) デッキも買わずにビデオ予約とは、私もかなりおバカです…。(;一_一) 先週「はやぶさ新八御用旅」の「東海道五十三次」・「中仙道六十九次」を重たいハードカバーにもかかわらず、買ってしまい、はまっています。 この頃「はやぶさ新八」シリーズも短編が続いたので、久々にあらすじの展開にドキドキしながら読みました。 管理人 題名:続々と! 投稿日 : 2003年2月19日<水>23時16分 さとこさん、こんばんは。 皆さん続々とビデオを予約されてますね。順調に売上げを上げれば、次々とビデオ化(DVD化)も夢ではないかも。 なんたって「願えば叶う!」ですよね。 そして発売後の皆さんの感想書き込みが今から楽しみです。 その前にさとこさんはデッキの方をなんとかしないと(笑) 管理人も今「はやぶさ新八」を読み返しています。通勤にハードカバーは重たいんだけど、せっせと読んでいます。 当初は新八とお鯉の恋の行方を心配したけど、最近の二人の関係はどうなっているんでしょうねぇ。 このままお鯉さんはずっと一人なのかなぁ。大久保源太も大竹金吾も二人とも独り身だし、いい男達だし(顔はわかりませんが性格がね) どちらかと恋したりしないのかなぁ。このまま新八さんを思っていてもどうもなりはしないだろうし・・・ 管理人は早く御用旅を終えて江戸に戻って貰いたいです。 だってお馴染みの面々が登場出来ませんからね。 |
[2012] 「ビデオ」の予約できました!! 都わすれ 投稿日:2003年2月19日<水>21時38分 管理人さん、こんばんわ!! やっと、「ビデオ」予約しました。すぐ、確認メールも届き、ホッとしています。初めて「ネットで注文」をしたので、何回か、やり直し^^;を繰り返し、送信できました。 誕生日に届くと、本当の「プレゼント」になりますが、、、 わくわくの一週間になりそうです!! 管理人 題名:ビデオ予約 投稿日 : 2003年2月19日<水>23時01分 都わすれさん、こんばんは。 ビデオ予約なさったんですね。それにちゃんと確認メールも来たんですね。いいなぁ・・・ 管理人、結局確認メール来ないけど、電話で確認してもらったから大丈夫だと思います、多分。 26、7日頃届くと嬉しいですね。皆さん、何から見ます? |
[2011] 寺子屋クイズ新作! たまこ 投稿日:2003年2月19日<水>18時29分 久しぶりに、真名先生じきじきの出題による正統派漢字クイズです! 正解発表はもう少し先になりますので、皆さんゆっくり頭を悩ませてください〜 真名さま、受験シーズン・論文とお忙しい中、お時間を割いていただき有難うございます。 nikkoさん、はじめまして。HP拝見しましたがフラワーアレンジの作品すごく綺麗ですね〜 宗太郎さんのことなど、これからもいっぱい書き込みして下さいね。 (ちなみに私は源さんのファンで、自分のHPの名前を「畝」からもらってしまいました) 漢字クイズは↓からお入りください! こでまり 題名:クイズ挑戦2 投稿日 : 2003年2月20日<木>09時51分 ホント、正統派漢字クイズですねぇ。 正解発表は、先なんですか。せっかちな私、何回もクリックしてしまいました。(ははは。。。) 管理人さんじゃないけど、書こうと思うとダメですね。 普段は、ついWordを辞書代わりに使っています。 管理人 題名:クイズ挑戦 投稿日 : 2003年2月19日<水>22時58分 たまこさん、こんばんは。 早速クイズ挑戦して来ましたが、真名先生の難しいひっかけ問題で、楽しんで来ました(笑) 読むのは出来るけど、いざ書こうとするとダメだったり、あれ、どっちの字だっけとなったり。PCで打てば便利にすーぐ変換出来るから、どんどん忘れていっちゃいますね。 たまには頭を使って鍛えないとまずいですね。 |