大久野温泉
休暇村大久野島
大久野島へ
忠海港
を後にしてフェリーは静かに港を離れた。船が進むにつれて
忠海の街全体が見えて、その町の背後に聳える山の偉容が一段と鮮やかに目に映った。10分も走るともう
船は大久野島に近づいていた。第二次大戦の時には毒ガスを製造していたという島には今でもその時の
残骸が残っているという。船から眺める景色にも旧軍の施設らしき建物が見えた。
15分程
の船旅でフェリーは大久野島の桟橋に着いた。夕暮れに
近かったが日差しがきつく暑い。桟橋を降りると小さな動物がちょろちょろと走っている。
近づいてみるとウサギだった。よく見ると居る居る、あちこちにたむろしている。まるでウサギの島
という感じである。先ずはチェックインということで休暇村の方向に歩く。5分くらい歩くと右側に
「毒ガス資料館」が見え、その向こうにまるでリゾートホテルという感じの鉄筋4階建ての大きな建物
が見えてきた。

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休暇村の全景
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部屋
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島内の散策
立派な建物
に感心しながら中に入ると、中央にホテルのフロント
という感じで受付があった。鍵を貰って部屋に行く。早くから申し込んだからであろうか4階の一番
奥の八畳の部屋であった。窓を開けると南国風の植物の向こうにプールらしきものが見えその向こうに
青い瀬戸内海が広がっていた。まるでフランスか何処かの南国のリゾートという感じである。
未だ風呂
に入るには時間が早いので、島内を散策することにする。
先ずは戦時中の臭いが残る「毒ガス資料館」に入る。入館料100円を払って、中に入ると左手に展示室
があり、当時の作業服や毒ガス製造装置の一部などの展示品が陳列されていた。説明によると、

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毒ガス資料館
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大浴場
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ここ大久野島は毒ガスが大量に製造されたところで、そのために多くの犠牲者が出たが世に知られる
ことはなかったとか。悲しい歴史であるが、今は国民休暇村という保養地として開発されているのも
何かの因縁であろう。
「毒ガス資料館」を
出て坂道を上って行くと、展望台に出た。展望台から見る
景色は、島有り橋有りの瀬戸内海を象徴するような将に360度の素晴らしいものであった。景色に
堪能して近くの旧軍砲台跡に行ってみる。戦時中此の島を始め瀬戸内海を守るために造られたので
あろうが、壕状に作られた入り口の左右に高射砲を据えた跡が残っているのがなんとも云えないほどに
生々しく残っていて、いまだに戦後が有るのだなぁーと云う思いに沈むのであった。
展望台から
小さな坂道を下り海岸に出て、遊歩道を歩いて休暇村に
帰ることにする。途中バンガ゛ローが並ぶキャンプ村が有り、これからにぎあうのだなぁーと思いながら
海岸沿いの道を歩いて帰った。
宿舎にて
宿舎に帰り
早速風呂に入ることにする。浴場は2階の西の端に
造られていて、まだ早いせいか入っている人は少なかった。脱衣場も浴室もそんなに大きくはないのだが、
円形状になっている浴室からは瀬戸内海の景色が目の前に見える。全体的には磨りガラスになっていて
立って見ないと景色が見えないのだが、窓の下にある開き戸みたいなガラスの戸を開けると、浴槽からも
海の景色が見え一瞬露天風呂感覚になる。此処は天然ラドン温泉と云うことなのだが温度が低いので
沸かしているが、十分に温泉気分を満喫することが出来た。
夕食は
1階のレストランで食べる。今回は、NHKの
大河ドラマに因んで「毛利元就パック」ということで申し込んだのであるが、1万円の値段にしては、
なかなか凝った料理がでてきた。夏の陣「安芸御膳」と銘打った料理は食前酒から始まり、先付けは
「山クラゲとアサリの有馬焼き」、お造りは鯛、はまち、などの「五種盛り」鍋は「穴子しゃぶ」
焼き物は「白身魚のもと焼き」中皿は「ふぐの香味揚げ」強肴は「牛子角切の土手焼風」その他に
茶碗蒸し、酢の物など13品がついていた。料理が運ばれる度毎に従業員の説明があり、十分に満足
できた夕食であった。
朝、
再び風呂に入る。浴室から見る朝日に輝く
瀬戸内海の景色はまさに素晴らしいの一語である。この景色を眺めることが出来る露天風呂が有れば
最高なのになどと贅沢な思いを抱きながら、大久野島の満たされた1泊を思い返していた。
満足度:風呂*** 料理*** 部屋*** 接客***
施設の概要
住所: 729-2311 広島県竹原市忠海町大久野島
TEL 0846-26-0321
交通 ・JR山陽新幹線三原駅よりJR呉線で約20分、忠海駅下車。
忠海駅から徒歩約7分の忠海港より休暇村客船または
大三島フェリー約12分で久野島桟橋。桟橋より本館まで
無料送迎バス有JR五日市駅より車で60分(送迎あり)
施設 浴室
大浴場
忠海港に駐車場あり
泉質 天然ラドン温泉
効能 冷え性、肩こり、など
日帰り料金 400円 11:00〜21:00