1999年ヨーロッパ鉄道旅行記・1日目

3月4日


 同行の2人とは新大阪発6:27の御坊行き快速に乗ろうと約束していた.私は天王寺から乗って合流する予定だったが,京阪電車の始発近い列車に乗ったので時間に余裕ができ,新大阪まで向かうことにした.新大阪にはすでに2人は到着していたがホームがわからず改札付近に立っていた.紀勢線ホームに降り待つことにしたが,御坊行きの案内は無く,関空特急はるか号が停まっていた.はるか号発車後しばらくして御坊方面行き快速が到着した.青帯の113系電車である.1ボックス占領していよいよ旅行のスタートである.私は梅田貨物線を乗るのが初めてだったので,この快速に乗るのを少々楽しみにしていた.わずかの客を乗せて新大阪を出発,淀川を渡るとすぐ本線と別れ,梅田貨物駅,空中庭園の前,福島の踏切を通り西九条に到着,梅田貨物線の旅は一瞬にして終わった.大阪ドームの横を通り過ぎ,天王寺に到着,ここで大勢の客が乗り込んできて,我々のボックスにもおばちゃんが座ってきた.このおばちゃんがなかなか旅慣れた方で,我々が「ベルゲンはよく雨が降るようだ」みたいな会話をしていると,「ノルウェーに行くの? いいねえ.おばちゃんもノルウェーへ行ったことがあるよ.」と話しかけてきた.そしてノルウェーのおいしい食べ物やノールカップへ行ったお話をしてくれた.ベルゲンを知っていて,しかもノルウェーへ行ったことがある人と出会うとはまさか思わなかった.そうこうしているうちに列車は日根野に到着し,関西空港行きシャトルに乗り換える.が,乗り換える列車が隣のホームに停まっていない.なんと階段を渡った反対側のホームに停まっているではないか.JR西日本は何を考えているのか.大勢の乗換客が,大荷物を担いで階段を登り下りする.1分接続で全員が乗り換えられるわけがなく,数分遅れで日根野を発車,約10分後関西空港駅に到着した.
関空のルフトハンザ機
▲関空のルフトハンザ機
 とりあえず,まずチェックインしようとルフトハンザ・ドイツ航空のカウンターへ行き,チェックインした.早めに着いたこともあり,窓側の席を3人横並びで確保することができた.同時にフランクフルトで乗り継ぐオスロ行きの便のチェックインも済ませてくれた.チェックインが終わると,KR山氏が手袋を持ってくるのを忘れたということで,売店で買うことにした.やはり関空ということで高かったが,ノルウェーでは絶対必要だろうということで,しぶしぶ買っていた.次に両替であるが,今回の旅行では基本的に現地で両替する予定だが,万が一のことを考え,最低限の両替だけをすることにした.ノルウェーの通貨は扱っていなかったのでドイツマルクにだけ替えることにし,私とKR山氏は1万円分ずつ両替した.K口氏は両替しなかった.搭乗時刻が近づいてきたので,高い高い空港使用料を払い出発ゲートに入る.出国審査等を終え,シャトルに乗り,出発ロビーで待つ.K口氏とKR山氏は朝食を取っていないこともあり,カロリーメイトを食べていた.アナウンスがあり,いよいよ憧れのルフトハンザ航空の機内に入っていく.
 機内は黄色を基調とした明るいものだった.我々は大きい荷物を多数機内に持ち込んだため(というか全く荷物を預けなかった),荷棚に収まりきらず,座席の後ろの隙間などに押し込んでどうにか収まった.離陸は渋滞していたこともあってやや遅れたが無事飛び立った.飛行予定コースがモニタで表示され,新潟上空から日本海を渡り,ロシア上空,スウェーデンを通りドイツ・フランクフルトへ到着するというものだった.日本海を超えロシア上空に達すると荒々とした山々の続く景色となった.アムール川と思われる比較的大きな川を越えたのも確認できた.ちょうどその頃窓のカーテンを閉めなさいというような内容の放送があった.ロシアの軍事基地の上を通るため見ないようにするためだと思い込んでいたが,後から単に真っ昼間でまぶしいからという理由であることがわかった.しばらくして一回目の食事があり,外人のスチュワーデスからどちらの料理にするか聞かれたが全く理解できず,日本人のスチュワーデスを連れてきて「和食にしますかヨーロピアンにしますか?」と聞かれたので「European」と答えた.しかし英語が理解できず恥ずかしかった.なぜ理解できなかったかというと,予め配られていた食事のメニューが間違って帰りの便(フランクフルト→日本)のものだったため,そこに書いてあったカレーライスがあるものと思い込んでいたためであった(単なる言い訳??).外国語というものはある程度しゃべってくるであろうことを予測して聞くので理解できるのであって予想だにしないことを言われると全く聞き取れないものである.単に私の英語力がないだけだという話だが...しかし上には上がいる.なんとK口氏は紅茶を注文するとコーラが出されてきた.どんな発音をしてんねん.この先,話せない聞けないこの3人で旅行してて本当に大丈夫だろうか?...食事の方はルフトハンザの機内食は格が違いおいしいと聞いていたので相当期待していたが,それほどとびきりおいしいというものではなかった.しかし米国の航空会社のものと比べるとはるかに豪華でおいしかった.今後のことも考えて機内で睡眠をとることにする.睡眠グッズ(目隠し,耳栓,空気枕)を装着し万全の体制を整えるがなかなか眠れない.少し眠ってはすぐ目が覚めてしまうという繰り返しである.KR山氏は映画を熱心に見ていたようだ.そうこうしているうちにかなりヨーロッパに近づいてきて2回目の食事となった.今度は後ろの方の席だったためかメニューを選ぶことができず何も聞かれずに配られてしまった.ふたをあけてビックリ,なんとたこやきが入っているではないか.どうやら電子レンジでチンして食べるやつのようであるが,ドイツの飛行機に乗ってたこやきを食べることになるとは...味はまあまあおいしかったが,せっかくルフトハンザに乗っているのだからもっと別なものを食べたかった.飛行機はスウェーデン上空を通過しているようだ.このままオスロに降りてくれたら近いのにと思いつつも,飛行機はそのまま南下した.スウェーデン上空の2時間後,フランクフルト着陸態勢に入った.眼下にはヨーロッパらしい畑の真ん中に家がポツンポツンとある風景の中を下降していき,無事フランクフルト空港に着陸した.ほぼ予定時間通り着いた.
 飛行機から降りいよいよあこがれのヨーロッパへ上陸する.到着ゲートには,日本語を話せる係員(両目が離れていて,愛想が悪い)が乗り継ぎ便の案内をしている.「マドリードは○番ゲートへ」とか案内していたので,私は「オスロ行きは?」と聞くと,その両目の離れた係員はあっさりと「欠航です.」と答え,「後ほど代わりの便を案内しますので,端の方でお待ちください.」とかいいながら他の客への案内を続けた.かなり待たされた後,「オスロ行きに乗り継ぎの方,集まってください.」と言うので行くと,オスロへ行くのは我々3人だけだった.新人らしきかわいらしい日本人の女性係員が次の便の発券作業をしてくれるが,慣れないせいかてこずっていた.そこへ両目の離れた係員が横から怒ったような顔で「こうするときはここのボタンをこうするんだ!」とか「落ちついてやりなさい!」などと言うので,女性係員が気の毒だった.苦労して発券された次の便はなんとフランクフルト発21:15,オスロ着23:15というとんでもない便だった.どうやら向こうの天候が吹雪で相当悪いらしく,次の便も飛ばせるか微妙だという.次の便も欠航なら明日の朝の便になるという.明朝になったら宿泊とかはどうなるか聞いてみたら,ルフトハンザ側で用意できる場合とそうでない場合があり,それは現場責任者が判断するとのことを,例のおっさんが冷たく説明してくれた.とにかく今後の案内に十分注意するようにとのことだった.
 困った.いきなりのトラブルでどうしたらよいか気が動転してしまった.とりあえず冷静になり,今日の深夜便でオスロへ飛んだ場合,深夜便が欠航で明朝便になってしまった場合の双方の場合を想定しプランを練ることにした.我々は今日のオスロと明日のベルゲンのホテルをすでに前払いで日本で予約しており,これを無駄にしたくなかった.一方,3月9日の晩にドイツのフュッセンのホテルでプラハ組の連中と合流する約束をしており,このためどうしてもその日までにドイツに戻ってこなければならなかった.深夜便で飛んだ場合は,当初明日はオスロ朝一の列車で出発してフィヨルドクルージングの後ベルゲンで宿泊という予定だったが,準備に要する時間(切符の購入や両替)に余裕がないことや体力的な問題からベルゲンへの移動日としフィヨルドクルージングを明後日にし,当初の予定の1日遅れで行動しようということに決まった.深夜便も欠航になった場合は,オスロやベルゲンのホテルに到着することはほぼ不可能であるため,ノルウェー行きを放棄しここドイツから旅行を始めようかという話になったが,深夜便が欠航と決定した段階でもう一度考えようということになった.関空で両替しなかったK口氏はとりあえず日本円からドイツマルクに両替することにした.関空よりレートが1円程度悪かったらしく,両替から帰ってきたK口氏は「損した損した」と連発し,この後何度もこのことについて口にした.合計額でも100円程度しか違わないのに,そんなにしつこく言うか,さすがケチのK口.ここドイツではドイツマルクからノルウェー通貨への両替ができ,ノルウェー到着が深夜でノルウェーの銀行が閉まっている可能性が高かったため,両替しようかと思ったが,ノルウェーへ行くかどうかまだはっきりしないこととクレジットカードを持っているので現金なしでもなんとかなるだろうと思って,ノルウェー通貨への両替はやめておいた.次に今晩のオスロのホテルへ到着が大幅に遅れそうだということを電話で連絡することにした.国際電話をかけることができ,クレジットカードの使える電話機を探したが,よくわからなかったのでインフォメーションの人に聞くと,「That white one.」と教えてくれた.我々の中で一番英語が上手だと思われるKR山氏に電話をかけてもらうことにしたが,電話のかけ方がよくわからない.クレジットカードを入れるタイミングと電話番号を押すタイミングがあるようだが,何度やっても繋がらない.諦めようかと思ったが連絡しないわけにもいかないと思い,ぶらぶら歩いていると,最新型らしき電話機を発見しこれを使うことにした.今度はうまく繋がったが,言いたいことをあまり言えぬままいきなり電話を切られてしまった.失敗原因を考えてみると,慣れない英語で会話しなければならないにもかかわらず言うことをちゃんとまとめていなかったことにつきた.さらに繋がった電話が本当に宿泊予定のホテルかどうかも確認していなかった.どうせ夜までは暇なため,じっくりと時間をかけ,辞書も使い,紙に言うべきことをメモして整理した.再度チャレンジすることにしたが,KR山氏はさきほどいきなり電話を切られたことにショックを受けていたようで電話をかけることを嫌がっていたが,私やコーラ事件のK口氏がかけるわけにもいかないので,もう一度KR山氏にお願いした.今度はうまく会話をすることができ,相手の確認も行え,「午前1時頃着きそうだが,そんな時間に行っても構わないですか」と尋ねると「No problem.」という返事をしていただいた.これでほっとした.たかが電話一つかけるだけで,..とお思いの方もいるかもしれないけど,我々は苦労しながらも,『外国で別の外国へ公衆電話で英語を使って国際電話をかけた』という経験ができた.
 さて夜まで暇である.今いるところは,どこの国にも属さないという中途半端なところである.ドイツ入国手続きをしてフランクフルト市街へ行くことも考えたが,空港使用料がいるのかわからないし慣れないところをあまりうろうろしたくなかったので,入国はしなかった.とりあえずこの中途半端なところで動ける範囲をうろうろしてみた.特にプラハ組のモバイラー2人(K山氏とI崎氏)に当初の予定が変更になるかもしれないことを電子メールで連絡したく,電子メールのできる端末を探したが見つからなかった(大きい空港ではたいていあるものと思っていた.アメリカのシアトルにはあった).うろうろしてはフライトの案内板を見て確認したが,我々の乗る便はいつまで経っても「未定」のままだった.別の航空会社のオスロ行きは飛ぶようになっていたので,ルフトハンザの都合であって,現地の天候は回復しているのではないかという期待がもてるようになった.そのうちに夕食の時間になったので夕食を食べられそうな店を探したが,無国籍地帯にはレストランは一軒しかなく,ほかには売店で売っているサンドイッチくらいしか食べられるものがなかった.そこでそのレストランに入ろうとしたが,結構高価であまり食べたいと思うようなものがなかったので,入るのをやめた.もう少しうろうろしていると,別の旅客ターミナルへ移動できるリニアモーターカーみたいな乗り物を発見したので,時間も充分あったため,これに乗ってもう一つの旅客ターミナルへ移動してみることにした.移動している途中,外の景色が見え,すでに辺りは暗くなっており雨も降っていた.別のターミナル駅が近づいてくると,近くにマクドナルドをはじめとする多数の飲食店が見えてきたので,こちらへ来て正解だと思った.こちらのターミナルは新しいようで,非常にきれいで広々としていたが,ルフトハンザ・ドイツ航空が旧ターミナルを使用していることもあり,人はあまりいなかった.さて乗り物から見えていた飲食店街へ向かおうとしたが,どこにもそれらしいところがない.どうやら無国籍地帯の外のドイツ入国後の領域にあるようだった.ドイツ入国することも考えたが,新ターミナルをうろうろしていると,レストランが一軒ありそこには軽食も扱っていたので入ることにした.そこのメニューにはハンバーガー等もあったが,せっかくフランクフルトへ来たということで,3人ともフランクフルトソーセージを注文した.出てきたものは,オニオンのようなものが大量に付いていて,その上にソーセージが2本のっていた.値段10DM(DM:ドイツマルク,1DM≒71円)の割にボリュームがなく,割高だなあと思っていた.そのオニオンを一口食べると,まずい!!!オニオンが腐ったような味で,今までこんなまずいものは食べたことがなかった.後からこの料理はドイツ名物のSauerkrautと呼ばれる酢漬けのキャベツらしいことがわかったが,味はオニオンそのものだったので,実際はどちらだったか今もはっきりしない.KR山氏はまずいまずいといいながらも,なんと全部食べきった.K口氏と私はかなり残した.ソーセージがおいしかったのにこのオニオンのようなもののせいで,後味は悪かった.隣の人が食べていた12DMのハンバーガーセットはボリュームがありおいしそうだったので,皆こちらにしとけばよかったと後悔した.さて食事が終わり,もう少し新ターミナルをうろうろしているとインターネットのできる端末を発見したので,メールを書くことにする.クレジットカードを挿入し,操作し始めると,どうやらNetscapeのメール機能を使うようだった.宛先(To)の欄に,プラハ組のモバイラー2名だけでなく,この旅行に来ている他のメンバーやヨーロッパには来ていない友人にも送ろうとして,だらだらと書いているといきなり,“回線切れ”と表示され,いきなり終了させられ,“7.49DM”と請求された.くそ〜何もしていないのに金を請求するか!こんなに簡単にネットワークエラーが発生するとは...気を取り直し,もう一度チャレンジすることにする.今度はネットワークエラーが起きないよう,宛先はK山氏と親だけにして,本文も「オスロ行き欠航で,予定が大幅に狂う見込み(もちろん英語で)」という内容の簡単なものにして送った.今度はうまく送信できたようだが,同じように“7.49DM”請求された.このメールだけで約1000円も投資してしまった.さて案内板を見ていると我々の乗る予定のLH3102便は,到着便が遅れているせいもあって出発が遅れそうだが離陸はできそうであることがわかったので,もとのターミナルへ戻ることにする.
 再びリニアモーターカーみたいな乗り物に乗ってもとのルフトハンザのターミナルへ戻る.どうやらほぼ定刻に出発できそうなようであった.だいぶ待った後,搭乗手続き開始を告げるアナウンスがあり,我々3人は喜び合った.長い長いフランクフルト空港での滞在だった.改札を通り,出発ロビーで待つ.ところが出発ロビーで待っているといきなり英語のアナウンス(ドイツ語・ノルウェー語もあったはず)があり何を言っているとよくわからないなあと思っていると待っていた乗客のかなりの人があわてて改札係のおねえちゃんにチケットを見せては改札の外へ出て行くではないか.ひょっとしたら欠航というアナウンスだったのかと思ったが,出発ロビー内にはのんびりと待っている人もいたので,欠航ではなさそうだった.しかし何が起こったかわからず不安だったので,改札係のおねえちゃんに「何が起きたんだ?」と聞いてみるとどうやら出発が数十分遅れる見込みということだったようだ(しかし私の英語力だからちゃんと聞き取れたかどうかは不明)乗客が改札外へ出ていったのは,電話をかけたり物や食料を買うためだったようだ.それから1時間くらい待たされただろうか.午後10時頃ようやく飛行機の中へ入るようにとアナウンスがあり,待っていた乗客は次々と入っていく.日本人らしき人は我々以外にはいなく,ちょっと顔つきが他の欧州人と違う北欧系の人がほとんどであった.飛行機は通路を挟んで左右に3列ずつの座席がある中型機であった.定刻より1時間強遅れの午後10時半ようやく飛行機はオスロへ向けて飛び立った.実にフランクフルト空港には8時間以上も滞在していたことになる.
 飛行機はぐんぐん上昇していくが,シートベルト着用サインが出ていて水平飛行に入る前になんと食事が配られてきた.わずか2時間のフライトで軽食程度はあるかもしれないが,ちゃんとした食事が用意されているとは思わなかった.しかもかなり遅い便なのに.ソーセージだけでは物足りなかったのでちょうど良かった.どんな食事だったかはすでに忘れてしまったが,一つだけ覚えていることがある.それはおいしそうなケーキみたいなものが付いていたが,それが味なしパンみたいなもので非常にまずかったことだ.とてもジャムとかがなければ食べられるものではない.後ろの座席から日本語の会話が聞こえてきたので,ちらっと覗いてみると日本人らしい女性と恋人か夫かはわからないが外国人の男性が座っていた.日本人は我々だけでないことがわかったので内心ほっとした.さて我々はオスロ空港到着後オスロ市内中心部への移動ができるかどうかが不安になってきた.トーマスクックのヨーロッパ時刻表(以下時刻表と略す)を調べるとオスロ中央駅行きのエアポート特急はオスロ空港発0:33が最終で,この飛行機がフランクフルト空港を22時半頃出発したことを考えると,オスロ空港着は0時半頃と予想され,手続き等を考えるとこの特急に間に合わせることは微妙というか無理そうだった.バスぐらいはあるだろうと思いながら,最悪オスロ空港で夜を明かさないといけないなあと思っていた.食事が終わってしばらくすると,もう着陸態勢に入る.午前0時すぎ,無事オスロ新空港に着陸した.ようやくようやくノルウェーにたどり着いたことになる.長い長い一日だった.感動もひとしおである.ところがである.着陸したものの滑走路に止まったままでなかなか旅客ターミナルへ動こうとしない.ついに0時半になり,最終のエアポート特急に乗ることは不可能になった.0時半過ぎにようやく飛行機は動き出して,あるところで止まったが旅客ターミナルへ到着した様子ではなかった.そうするとアナウンスがあったが何を言ったのか全く理解できなかったが,slippyという単語だけは聞き取れた.そうすると乗客は皆,下りる支度を始め,前から順に下りていくので,我々もついていった.出口に来てびっくり,なんとそこは飛行場のど真ん中で,階段状のステップが置いてあってそれで地上まで下りるようになっていた.ステップを使った飛行機の乗り降りは屋久島へ行った時のYSとアラスカで乗った小型機で経験はあるが,このような大きい飛行機では初めてであった.航空ダイヤの乱れで到着ゲートは全て飛行機で埋まっていたためこのような措置がとられたようだ.ステップは雪が凍っていて非常にすべりやすく危なかった.ここでやっとslippyの意味がわかった.一歩一歩注意しながら下りると下には2両連結のバスが止まっていてこれに乗って旅客ターミナルへ移動するということだった.なんとこの1台のバスに飛行機の乗客全員が押し込まれた.皆かなりの荷物を持っているので,ぎゅうぎゅうづめで狭い!日本の通勤電車以上の混雑である.旅客ターミナルの裏口のようなところの前でバスを降ろされ,いよいよノルウェー入国となる.
 入国審査では女性の審査員から「What do you ....?」と聞かれたが,何を聞かれたかよくわからず,「なぜWhatから始まる疑問文なのだろうか.渡航目的を聞く場合はpurposeという単語を使うだろうし」とか思いながら困っていると,審査官はたまたま直前に入国審査を終えた日本人女性(飛行機で後ろの席に座っていた例の女性)「Please translate.」と言われて恥ずかしかったが,その日本人女性は「旅行目的は?」と教えてくれたので,「Sightseeing!」と答えた.どうやら最初に聞かれた質問の直訳は「何をしに来たんだ?」だったようだ.そして次に「How long do you stay?」みたいなことを聞かれたので,後ろからKR山氏が「Two weeks.だ」とか言ってきたが,私はノルウェーでの滞在だと思い,「Two or three days!」と答えた.審査官はやけに短いねみたいに笑いながら,パスポートに入国のスタンプを押してくれて,ようやくノルウェー入国である.我々はとりあえず駅へ向かって急いだ.というのも飛行機が遅れた関係で臨時列車が増発されて乗れるのではないかという若干の期待があったからだ.駅には女性の係員がいたので聞いてみると,「Finished!」とのことでかすかな望みは崩れさった.ちょうどその時駅前の道路にリムジンバスみたいなものが停まったので,「あれに乗れば中央駅に行けるのか?」とその女性駅員に聞いてみたところ行けることがわかった.ついでに「我々はノルウェーの現金を持っていないが,あのバスはクレジットカードは使えるのか?」と聞いてみると,「よく知らない.だけどここの鉄道のチケットはクレジットカードで買えて鉄道のチケットでもバスに乗れる」みたいなことを教えてくれたので,この駅員からチケットを買おうとしたが,その駅員が言いたかったことは,「鉄道のチケットはバスのチケットより25%ほど高い,したがってまずバスの運転手にクレジットカードが使えるか聞いてみて,ダメだということがわかってからもう一度こちらへ戻ってきてチケットを買いなさい」ということだった.そこで今度はバス乗り場の方へ行って運転手からクレジットカードでチケットを買おうとしたが,「使えない.」と断られた.「銀行が閉まっててノルウェーの現金をもっていないんだ.」と言うと,「minibankは開いている.minibankはあっちにあるからまずそっちへ行け.」と言われた.「minibankとは何だろう?小さい銀行のことかなあ」と思いながらminibankを探してみてもなかなか見つからなかったが,やっとこさ見つけたと思ったら“minibank”とは“クレジットカードでお金を引き出すことのできるキャッシュサービスコーナー”のことであった.手数料が恐ろしかったが,ここは勇気を出してお金を引き出すことにした.バスの運賃は3人でどれくらいかさっき運転手に聞くのを忘れたのでわからないが,日本での常識を考えてminibankで引き出せる最低金額の400NOK(NOK:ノルウェークローネ,1NOK≒16円)あれば充分であろうと思い,400NOK引き出すことにした.クレジットカードをminibankに挿入すると暗証番号を求められた.クレジットカードの暗証番号を使うのは初めてであったが,番号を覚えていて助かった.そうすると200NOK紙幣が2枚出てきた.帰国後明細書を見てみると心配していた手数料はわずか179円だった.すぐ隣に両替機があったので200NOK紙幣だけでは使いにくいと思い,また自分の好きな組み合わせで両替できそうな絵が描いてあったので,200NOK紙幣1枚をこの両替機に挿入してみた.すると直ちに20NOKコインが10枚じゃらじゃらと出てきた.20NOKコインは500円玉より大きいので財布がすごく重くなってしまった.さて現金が手に入ったことでもう一度バス乗り場に並び,運転手からチケットを購入する.「Central station. 3 person.」と言うと運賃は3人で195NOK(1人当たり65NOK)であった.20NOKコイン10枚で払うことも考えたがあまりにも失礼だと思い,200NOK紙幣で支払った.領収書を受け取りバスの車内へ入る.ノルウェー国鉄ご自慢のエアポート特急に乗りたいという未練もあるが早くホテルに到着したいのでバスに乗るのはやむを得ない...
 バスは満席になるまで発車しないようだ.午前1時半頃ようやくバスは発車した.バスは雪で凍った高速道路を時速100km以上で飛ばしているようだ.木に積もった雪が樹氷のように輝いて美しい.バスは快調に飛ばし,途中の停留所ではポツポツと下車する人がいるがほとんどの人は中央駅まで行くようだ.走り始めてから40分くらいがたっただろうか,オスロ中央駅前に到着し皆バスから降りる.とりあえず駅の方へ向かうと,知らぬ間に駅ホームの上に立っていた.これが改札口のないヨーロッパの駅なのかと思った.そこから駅舎内へ行こうとしたが,鍵がかかっていて行けなかったので,やむなく来た道を戻り,駅を迂回してホテルへ向かうことにする.気付いたことに,真夜中なのにやけに町が明るい.人はほとんどいないが,店のショーウインドウとかの照明がまばゆいばかりに輝いていて,店がオープンしているのか間違えるほどだ.豊富な水力発電のため電気が余っているのだろうか.ガイドブックをたよりにようやく日本で予約していたホテル『RAINBOW SPECTRUM』に到着した.時刻はすでに午前2時半である.こんなに遅い到着にもかかわらず,ホテルの従業員は笑顔で我々を迎えてくれた.クーポンを渡し,部屋の鍵を受け取る.明朝の食事の時間だけ聞いて,部屋に入る.部屋はかなり広くて豪華だった.トリプル用のエキストラベッドは普通のベッドより広かったので,私はこれで寝ることにした.KR山氏とK口氏は風呂に入ったが私は疲れていたのでそのまま寝ることにする.エキストラベッドは広かったがソファを崩しただけだったので硬く寝にくいものだった.疲れているのに,硬いベッドのせいか時差ボケのせいか興奮しているせいかはわからないが,あまり眠られなかった.
 今日は日本時間午前4時半頃起床してからヨーロッパ時間の翌日午前3時までと非常に長い一日だった.ちなみにこの一日の長さを計算してみると...なんと睡眠時間を除いて30時間30分!

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