東日本大震災

三月二十六日。立原道造の風信子忌のため、東京に出掛けました。震災による計画停電の影響を考えて、迷ったものの、 やはり出向くことにしました。

東京に到着すると、駅の構内やコンビニ等が節電していて、照明が部分的に消されている状態でした。 上野で昼食に入ったデパートでも、二機ある内の一機のエレベーターが停止となっていました。 でもそれでも見たところは充分に間に合っているようでした。 いかに今まで平気で電力の無駄使いをしてきたか、ということが明るみになり、 逆に考えるきっかけになってのでは、とも思いました。

さて、毎年行われる鴎外荘でのこの会に、今年は宮崎駿さんが講演に来られました。 さすがに存在感のある方でした。会が進み、講演の時間となり、立原道造の何をお話されるのかと思っていたら 「僕はあの写真(銀座ニュートーキョーの)は好きなんですけどね」「堀達夫は好きなんですけどね」と苦笑い。 終わってからの少しの休憩の時に握手をお願いしたら、快く応じて下さってとても嬉しかったです。 ばっしりとした力強い手で「立原道造大好きなんですか。僕はあの写真は大好きなんですけどね」とまた笑っておられました。 講演の内容はここでは触れませんが、私が一番強く感じたことは、やはりプロだということ。 二十九日の新聞にもインタビュー記事が少し載っていましたが、 今自分に出来ることは仕事の現場で、自分の仕事をやり続けるという、そのこと。私はそれにとても感銘を受けました。 これは実はとてもシンプルなことですが、今この時は救済の時だとして、文明論を持ち出すことなく、 その姿勢を貫くことは、ご自身の領域をわきまえているからこそ、ではないでしょうか。 この日はファンで本当によかったと思うことができた一日でした。

話は少し変わりますが、『にあんちゃん』という日記をご存知でしょうか。 東京への行き帰りに読んでいたのですが、私の中ではどうやら、 このまるで戦時下のような震災後の今の状況が重なっていたようでした。 書き手である安本末子さんの小学生とは思えないほどの丁寧な文章や、言葉使いの美しさ、素直さ。 また、そのあまりにも物のない暮らしぶりにページをめくるごとに泣けてきて仕方がありませんでした。 両親もなく、食器も傘も兄妹四人でたった一つきり。けれどそれでも生きてきたのです。生きるしかなかったのです。

この本もそうでしたが、私は震災の後からずっと新聞を読むたびに、涙がこぼれてしかたがありませんでした。 が、こんなふうに、それでも私たちは時に、当事者でなくてもその気持ちを知り、 分かち合うことのできる、人間という種族です。宮崎さんの仰る通り今はこの天災による非常事態を謙虚に受けとめ、 前を向いて行けたらと思います。

がんばれない時があってもいいのです。ただ、しっかりと手をつないでいきましょう。 <2011.04.15 vol.127>

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