−古文現代語訳の方法を考える−
はじめに
大学入試の古文において、現代語訳の出題は、国公私立を問わず必出と考えてよい。また現代語訳の問題は総合問題として、受験生の到達度をはかる目安のようにも考えられる。しかし、ひとたび立ち止まって「現代語訳とは」という質問を発したとき、的確な回答は用意されているのだろうか。もちろん、古文を現代語になおすこと、というような曖昧なものでも答えには違いないだろう。だがその程度の理解では現代語訳の能力をつけるために必要な学習方法も見つけられない。古文が苦手と訴える受験生の中には、何がわからないのかさえさからないというレベルで迷ってしまっているものも少なくない。現代語訳とはどのような行為なのか。そこで要求される操作を整理することは、古文を学習するものにとって、また古文を教えるものにとって避けることのできない課題である。
初心のほどは、かたはしより文義を解せんとはすべからず、まづ大抵にさらさらと見て、他の書にうつり、これやかれやと読みては、又さきに読みたる書へ立かへりつゝ幾遍もよむうちには、始に聞えざりし事も、そろそろと聞ゆるやうになりゆくもの也。
『うひやまぶみ』
@のこの一節において本居宣長は、「うひ学の輩」は一つひとつの言葉の詮索はしないで、いろいろと読んでいればよい、そうするうちにわからないところも自ずとわかってくる、という。本居宣長が『うひやまぶみ』の中で意識した「うひ学の輩」、つまり初学者と現代の受験生がそのまま重なるわけでもない。また「うひ学の輩」にとっての「聞えざりし事」と、受験生が古文にたいして抱く、わからないという漠とした意識の対象が同じ位相のものでもないことも論をまたない。しかし、現代の古文学習に際して、宣長の発言はレベルが違うという一言で切り捨ててよいものとは思えない。というのは文法学者でもある宣長の推奨する学習方法と、われわれが一般に採用する文法から文章へという指導方法との懸隔があまりにも大きいと感じるからである。つまり、われわれが受験生を指導するにあたって当然のように考えている方法には根本的な誤解が含まれているのではないかという不安が生じるということである。
ではその誤解とはいったい何なのだろうか。ここで古文がわからないと訴える受験生の声が参考になる。古文がわからないという悩み訴える受験生の中には、用言の活用や助動詞の文法的意味であればきちんと暗記できているが文章となると焦点があわないというパターンが少なくない。ここからは次のようなことが窺える。それは文法をめぐっての教える側と教えられる側の意識のずれである。教える側にとっては文法上の重要事項と考えている事柄は、文章を理解するための要点であり、具体的な文章から引き出された分析結果であることは十分に理解されている。それにも関わらず、教えられる側にとっては、文法が単なる暗記事項としてしか伝わっていないということである。なぜこうした事態が生じるのか。もちろん、教える側のテクニックに問題を還元する意見もあるだろうが、私はむしろ何を教えるのかという次元での誤解によるものだと考えてみたい。
用言の活用や助動詞の意味用法などは基礎的な事項である。したがって早い段階で教えておかなければ受験生は平易な文章さえ読めないというのは事実である。だが用言の活用や助動詞の意味用法が重要視される根拠を改めて考えてみるとどうだろう。はたして日本語の文構成における述語の重要性を意識したうえで論じられることがどれほどあるだろうか。自戒の意味からも極端な言い方をするのだが、日本語の特質という以上に、現代語との相違がもっとも顕著であるからという理由によっているようにも思われる。用言や助動詞に限らず、さらには敬語表現、あるいは頻出古文単語と称されるものまでも視野にいれてみても、現代語との相違点があまりにも強く意識されすぎているように感じるのである。その結果、受験生は古文を現代語とはまったく異なる言語体系によっている言葉のように受け取っているのではないだろうか。いわゆる「古文」と呼びならわされている言語体系も、私たちが現在用いている言語体系も、あたらめて同じ日本語であるということを意識しなおす必要があるのではないだろうか。
このように考えてくると、日本語の歴史を論ずる観点について述べた坂倉篤義氏の言葉が思い起こされる。
語彙の面に限らず、音韻の面でも、文法の面でも、文字の面でも、日本語は、極めて当然のこととして、少なくとも歴史時代以来、その大筋においては、変わっていないのである。一子音と一母音との結合による音節の作られ方にしても、主語・目的語・述語という語の配列法にしても、また、漢字と仮名という二種類の文字を用いての文の表記法にしても、すべて現在知られている最古の文献以来、今日まで、ほとんど変わっていない。変化は、それらを根底にして、その上に、常に少しずつ起こってきたのである。だからこそ、まず、そこに「歴史」を考えることができるのである。
A
坂倉氏は、この一節に続いて、こうした不変化を単純化して受け取ることを戒めておられるが、原則としては、古文も日本語であるという点を意識することが重要である。
古文を教えるにあたっては、現代語との相違がまず目に留まるのは事実である。しかし、そのことを最初からあまりにも強調することによって、教えられる側に古文が現代語とは異なった言語体系であるかのような錯覚を与えるのであれば、それは教える側の誤解によるものだと考えるべきである。
それでは古文を教えるにあたってはどのような方法が考えられるであろうか。音韻や用字の問題は措くとして、まずは内容読解の方法である。一つひとつの言葉の詮索にはこだわらず、まずたくさんの文章を読むのがよい、最初はわからなくても多くを読んでいるうちに理解が進むという本居宣長の発言をもう一度振り返ってみる。宣長は同書のなかで次のようにも言っている。
文義の心得がたきところを、はじめより、一々に解せんとしては、とゞこほりて、すゝまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのまゝにて過すぞよき。殊に世に難き事にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、たゞ聞えたる所に、心をつけて、深く味ふべき也。
最初に引いた箇所とほぼ同趣旨ではあるが、さきの部分で「かたはしより文義を解せんとはすべからず」とあったところの理由として、「はじめより、一々に解せんとしては、とゞこほりて、すゝまぬことあ」るということを挙げている。宣長が念頭に置くのは、『古事記伝』や『源氏物語玉の小櫛』等、彼の著した注釈書で注釈対象として触れられている事項のことであろう。注釈が求められる言葉に最初からとらわれていては、前に進めないというのである。それは確かにその通りである。ではなぜ多くを読むうちに理解が進むといえるのか。それ以前に、細部での問題点を保留したまま、全体的な把握がなぜ可能というのか。宣長はこれらの点についてはなにも言っていない。しかし坂倉氏が指摘するように日本語がその大筋においてはほとんど変わっていないことを考慮すると、その答えは自明である。そこには日本語の感覚に対する全幅の信頼が前提としてある、といってよいのではないか。書かれた時代と読み手の時代の間に大きな時間のずれがあっても、日本語で書かれている以上は日本語として読むことでその全体像は理解できると考えてよいだろう。
さて、宣長の意図するところをずらして、現代の受験生のレベルで問題をとらえ直してみる。「聞えぬところ」を現代語的な理解が通用しない箇所、すなわち現代では使われなくなった古文的表現として考えてみる。そうすると、そこで詰まって前へ進めなくなるという受験生の似た状況は予想できる。現代語では使われなくなったさまざまな用言の活用を最初に意識したり、あるいは品詞分解によって助動詞を抽出して、その文法用語による意味分類を考えることにこだわっていると前にすすまなくなる、と読みかえるのである。そして宣長のいう「たゞ聞えたる所」というところを現代語の感覚で理解可能な部分としてとらえてみる。ただし、ここでは単語のレベルをいうものではない。確かに古文単語の中には同じ意味で現代にも通用するものは多い。だが単語の問題に限定するのではなく、前掲の坂倉氏の言葉に「大筋」とあるようなレベルでとらえておく。つまり、文の構造においては、現代語と対立する古文ととらえるのではなく、あくまでも現代語と同じ日本語であるという認識を持たせることが必須であると考えるのである。
ここまで原理的なことを述べてきたが、抽象論に堕するきらいがある。そこで具体例を示しつつ、日本語として古文を読むということを考えてみる。古文解釈の問題ではあるが、現代語との比較が重要な意味を持つのでまず現代語の例を挙げる。たとえば、次のような場合である。
「小田原、一時」という約束の時間に着いて駅前から電話を入れると、すでに電話でだけは何度も話している奥さんが驚いた声で、小島さんは今日は朝から真鶴の方へ出掛けてしまって戻るのは四時か五時だと言うので、ぼくは「それならまたその頃電話します」と答えた。
保坂和志氏の小説「この人の閾」(一九九六年)の冒頭部である。現代語で書かれたこの小説の場面を理解するのには、さほど苦労は要しない。いくつかの状況が絡みあい、たゆたうような緩やかな時間の流れが一つの長い文で表現されるという文体的特徴には気がつくものの、文体という要素を捨象して描かれた状況のみを整理すると、
「小田原、一時」という約束の時間に着いて/駅前から電話を入れると、/すでに電話でだけは何度も話している奥さんが驚いた声で、小島さんは今日は朝から真鶴の方へ出掛けてしまって戻るのは四時か五時だと言うので、/ぼくは「それならまたその頃電話します」と答えた。
となる。「/」を付したところは、日本語による文の基本構造が確認できる部分である。文法的には一つの述語によって統括されるまとまりとして説明できる。そして次には、おのおのの述語に対して各語句がどのような関係をとっているかが分析の対象になる。
いま、現代日本語によって一例を挙げたわけであるが、同じ操作は古文解釈においても求められる。次に挙げるのは『源氏物語』夕顔巻の一節である。平成七年度にとある予備校の大学入試模擬試験で出題された部分を用いて検討し、併せて受験生がどのような捉え方をしたのかも見ておく。
「もし見たまへ得ることもやはべると、はかなきついで作り出でて、消息など遣はしたりき。書きなれたる手して、口とく返り事などしはべりき。いと口惜しうはあらぬ若人どもなんはべるめる」と聞こゆれば、
大弐の乳母を五条の家に見舞った際、光源氏は隣家の女と和歌の贈答を行う。その女に関心を持った光源氏は随身の惟光にその素姓を探らせる。そして惟光からその女に関する報告を受けるくだりが前掲出題箇所である。この場面の惟光の発言の中に傍線がほどこされて「『つかはしたりき』の主体を補って、現代語に訳せ」という出題であった。この一文を日本語として分析するのであれば、さきに見た例のごとく、述語によって統括されるまとまりに着目するのが本筋である。そうすると「作り出でて」と「遣はしたりき」の二つの語句が目に留まる。さらに少し古文を読み慣れている人であれば、この二つに加えて「はかなきついで作り出でて」の直前の「と」の部分に「と思ひて」「と言ひて」などの述語相当語句を想定するであろう。形態的にはとりあえずは接続助詞を指標とすればよいことになる
B。その結果、該当個所は、
もし見たまへ得ることもやはべると(思ひて)、/はかなきついで作り出でて、/消息など遣はしたりき。
として分析され、その上でおのおのの部分を現代語に置き換えてゆく操作にはいってゆく。下二段活用「給へ」や「はべり」、あるいは「ついで」「遣はす」という古文単語の処理が要求されてくるのは、このあとの段階と考えてよい。
ところが一般に通用している古典文法では、文の構造に関する説明はなおざりにされ、一足飛びに活用や助動詞の説明に入っているようである。その結果は生徒の答案にも如実に反映されてくる。たとえば、
ア もしあなた(源氏の君)が夕顔にお会する機会がございますならば、とりとめもないつてをつくり出して、お手紙をお送りになればよい。
イ もし女をご覧になりたいのでしたら、ささいな用事でも作ってこの惟光に手紙でも渡すように命じてください。
という二案を例にあげてみる。内容のとらえちがいがあって問題外となる答案なのはいうまでもないが、こうした誤答が作られる過程を推察してみる。着目するのは「〜はべると」の部分が仮定条件で解釈されていることである。「と」を、「もし」に呼応させて順接の仮定条件を表す接続助詞と解したのであろうか。しかし文末に「つかはしたりき」と過去形が用いられていることを考慮すると、仮定条件になりえないのは明らかである。それにもかかわらず仮定条件で処理されたので、アのごとく「適当」の意味が添えられたり、イのように「依頼」の形が出てきたりするのであろう。つまり一つのとらえちがいを基準として全体のつじつまをあわせているのである。文の構造が看過されて、いわゆる重要古文単語などと称される断片的知識から恣意的に現代語を作り上げる姿勢をここに窺ってみたとしてもけっしてうがちすぎではあるまい。この場合は、恐らくは「見る」「ついで」「消息」「遣はす」あたりがパズルの出発点になっているものと考えられる。この種の答案は、採点者にとってすれば、大意がとらえられていないパターンとして採点対象からはずすことになる。
こうした例に比べ、文の構造をおさえている答案は一応は採点の対象となってくる。
ウ その女性を御覧になれる機会がございますでしょうと、ささいなきっかけを作って、手紙を私が出しておきました。
エ もし、拝見できることもございましょうかと、ちょっとしたついでをつくりまして私が手紙を何枚か届けさせました。
完全な解答ではないが、誤解の箇所は容易に指摘できる。たとえばウの答案では「たまふ」の扱いについてであり、謙譲の意味を添える下二段「たまふ」を、為手尊敬の四段「たまふ」とのとらえちがいをしている、という具合にである。エであれば、古文単語「ついで」を現代語「ついで」と同義に解しているだけで、その点を直せばほぼ完答と考えられる。
このようにア〜エの四例を見ると、文の基本構造を正確に把握するということが現代語訳の第一歩になることがわかる。もっともここに挙げた四例は極端な事例を恣意的に集めたものではないかとのそしりも受けかねないので、文の基本構造をとらえちがいをしているにもかかわらず、大意を一致させてくる答案には、模擬試験採点の中ではほとんど見かけないということも言い添えておく。そしてこれはなにも限られた経験則によって指摘しうることでもないはずである。糸井通浩氏の言葉を借りて、文というものを「言表事態と言表態度とを共に備えたもの」、つまり「意味的なまとまりをなす叙述内容」に「表現者の主体的立場」が付加されたものと定義すれば
C、文の構造をとらえちがえるということは「意味的なまとまり」を誤読するということと同義になるからである。
ただこうした基本構造を理解する段階で特に注意を要するのは、倒置や挟み込みなど、古文で特徴的に用いられる表現形式の存在である。日本語として読むという態度の根幹には、現在われわれが用いている現代語に対する感覚的理解がある。一方、古文で特徴的に用いられる表現形式というものは、その認定基準からして、われわれの感覚的理解と相容れない部分を持っている。とすれば、教える段階では、こうした特殊な表現に関しては、その存在を認識して、とりあえずは別枠扱いをせざるを得ない。そして、いわゆる難解な文として扱うことになるであろう。
ともかく、文の基本構造をとらえることの重要性はみてきたとおりであるが、つぎの操作として、一文内での論理関係に視点を向けてみる。前掲模擬試験の問題に即して見るならば、次のように整理できる。
a・〈もし見たまへ得ることも〉や→はべる
b・〈もし見たまへ得ることもやはべる〉と→(思ふ)
c・〈はかなきついで〉→作り出づ
d・〈消息など〉→遣はしたりき
おのおのの述語、「思ふ」「はべり」などに対して〈 〉部がどのような関係に立っているのかということが、ここでは検討される。cとdについては、その関係のありようを示す装置、格助詞が表出されない場合ではあるが、基本的には格助詞に着目すればよい。そしてこの段階でも日本語に対する感覚におおきく依拠することになる。答案例のア・イのごとく、文の基本構造をとらえちがえている場合でさえ、cとdにおける動詞との修飾語関係は押さえられていることにも、その信頼性を窺うことができよう。ただ動詞とそれにかかる語句との関係は、確かに格助詞を指標として考えるべきものではあるが、落とし穴があることも意識しておきたい。それは、その関係が格助詞によって決定されるのではなく、格助詞は語句と動詞との間に成り立っている関係を明示するにすぎないということである。ある格助詞が用いられていることを理由に、両者の関係をア・プリオリに確定することはできないということである。この問題は現代語訳の限界として項を改めて検討する。
ここまで文の構造ということをことに意識しながら、現代語訳の方法を考えてきた。まとめておくと、最初の操作としては述語によって統括されるまとまりをおさえるということ、次におのおののまとまりの中で各語句が述語に対してどのような関係にたっているからを考えること、という手順が考えられたわけである。そしてこのあとに各語句を現代語に置き換えてゆくという操作が求められることになる。
もとより現代語訳とは、古文で表現された叙述内容を現代語において表現する行為と考えるべきものだから、ここに述べた操作は、古文が、すなわち古い日本語が日本語としていかなる叙述内容を持っているかを確認しただけであり、いわば至極当然のことであるかもしれない。しかし広く行われている古文の授業では現代語との違いが強調され、その結果、用言や助動詞の活用、あるいは単語レベルの意味といったところが古文学習の主眼のように思われてはいないだろうか。もちろん教壇に立つ側の人間がそうした錯覚にとらわれていることはまずないだろうが、生徒の側にはその錯覚が猖獗してるようにも思われる。でなければ「単語さえわかっていれば古文は読めるのでしょ」という類の質問は生まれてこない。
現代語訳とは古文の叙述内容を現代語で表現する行為であると述べた。そして、文の基本構造、語句の関係、単語の知識と続く操作手順を確認してきたのだが、この手順によるだけでは現代語へのうつしかえができない叙述内容も存在する。ここでは現代語訳の限界としてこの問題を考えてみる。
ここまで述べてきた手順は、時代によってほとんど変わっていない日本語の特質に対する感覚的理解にかなりのところを依拠している。しかし、その変わらぬところとは文の構造というレベルであり、ひとたび単語のレベルを意識するとやはり古文と現代語の違いは意識せざるを得ない。ある古文単語によって指向される対象ないし概念が現代においてもイメージできるのであれば、単純に単語をうつしかえるだけの操作が可能である。しかしその対象や概念が現代ではイメージできないものとなっている場合はどうだろうか。さらに現代に生きるわたしたちにとってイメージできないその概念が、語句と述語との関係を左右するような場合であればどうだろうか。現代語訳という営みは不可能となり、説明的に言葉を補うなどの解釈としての操作が求められる。一例として『竹取物語』の一文をあげる
D。かぐや姫が物憂げに月を眺める場面である。
七月十五日の月に出でゐて、せちに物思へる気色なり。
「せちに物思へる気色なり」のところは問題ないが、前半部分にはどのような現代語訳があてられるだろうか。語句と述語の関係ということでは
〈七月十五日の月〉に→出でゐて
となる。ところが「七月十五日の月」を月の形状として捉えて、現代語で「七月十五日の月」もしくは「七月の満月」とするのでは「出でゐて」との関係が判然としない。格助詞「に」のはたらきとしてもっとも一般的な場所を示す用法を適用したところで「七月十五日の月」が「出でゐ」という動作の行われる場所とは考えられない。また「七月十五日の月の光のあたる場所」と考えるのでも強引すぎよう。「七月十五日の月」という語句によって指向される概念がどのようなものであるかまで考えなければ、つづく「に」という格助詞のはたらきも見えてこない。ここでは「七月十五日の月」が時間の概念として解釈する必要がある。『土佐日記』の「月のあかきに桂川を渡る」のごとく、古文では月に関する表現が時間の概念として用いられることは少なくない。太陰暦に基づく時間意識を考えれば当然ではあるが、この「七月十五日の月」も時間の概念として捉えられ、「七月の満月が出た晩」というあたりの解釈が妥当であろう。件の一文の直前には、「春のはじめより、かぐや姫、月のおもしろういでたるを見て、つねよりも物思ひたるさまなり」とあり、さらにあとには「八月十五日ばかりの月にいでゐて、かぐや姫、いといたく泣きたまふ」という一文がある。このような前後の文脈を照らし合わせるならば、一連の表現はかぐや姫の昇天というクライマックス、八月十五日に向かって、「春のはじめ」「七月十五日の月」「八月十五日ばかりの月」と物語の悲劇的雰囲気を盛り上げてゆく方法と考えてよいだろう。結局、件の一文に関しては、
七月の満月がでた晩に、かぐや姫は(月の見える場所に)出て座って、ひどく物憂げな雰囲気である。
という解釈が与えられることになる。「出でゐて」「せちに」「物思ふ」などの言葉は文の構造を維持した上で現代語に置き換えているので現代語訳といえるが、古文の「七月十五日の月」に対する現代語「七月の満月の晩」は訳とはいえまい。古文の「七月十五日の月」という語句によって指向された概念が現代では捉えきれないがゆえに叙述内容を解釈した上で、それと比較的重なり合う現代語を作り上げるという操作が用いられている。
また、形式的には現代語訳ができたとしても、本来の叙述内容を的確にうつしえない言葉もある。これは、言葉によって指向される対象ないしは概念は、それが用いられた文化背景の中ではじめて相対的に捕捉しうるという、言葉本来の性質によるものである。抽象的な言い回しはさけて、卑近な例で示してみる。
衿なしスーツで キメてたあの頃
毎晩女の子から キッスの贈り物
輝いてた リヴァプール
竹内まりやの「マージービートで唄わせて」という歌の一節である。仮にこの歌が数百年後にも記憶されていたとして、はたして後代の人たちがこの歌詞の意味を正確に理解できるであろうか。「衿なしスーツ」や「リヴァプール」という言葉は、服飾の形状やイギリスの港湾都市というだけでは不十分であり、ビートルズの存在を意識してはじめて理解できる一節なのである。「ビートルズのステージ・コスチュームであった衿のないスーツ」であり、「ビートルズの出生地として一躍有名になったリヴァプール」なのである。ビートルズが世界的ブームになった一九六〇年代前半の文化的背景と切り離しては理解不可能な言葉といっていいだろう。
いま古文のほうに視点を転ずると、同様の現象は少なからず指摘できる。たとえば『伊勢物語』の「男」という言葉がそうである。周知のように『伊勢物語』の「男」は在原業平を思わせるものではあるが、いざ現代語訳として考えるならば、もちろん「業平」と置き換えることはできないので、そのまま現代語の「男」という言葉をあてざるを得ない。しかし『伊勢物語』の「男」という言葉によって指向される概念は、現代語の「男」とは重なりあわない
E。『伊勢物語』の「男」は、『伊勢物語』の言葉としての「男」という理解しか受け容れない。こうした例は、現代語訳の限界、もしくは不可能性を示すものと考えるべきであろう。
古文を現代語訳するということは、日本語としての古文の叙述内容を把握し、それを現代語で表現することである。その操作手順としては、時代を経てもほとんど変わっていない日本語の構造に着目することからはじまる。最初に述語によって統括されるまとまりをとらえ、次に述語に対して各語句がとる関係をおさえる。ここまでの過程が古文の叙述内容を把握することであり、このあとに各語句を現代語に置き換えてゆくという操作がもとめられる。古文の現代語訳という行為に含まれる操作は一応は上述のとおりにまとめられるが、その一方で文化背景の変化等により生じてくる限界をも知る必要がある。現代語訳とはどのような行為であって、どこまでが可能で、どこからが不可能なのか、こうした問題を意識する必要がある。
しかし、最後に冒頭で引いた本居宣長の言葉にかえっておく必要もあるだろう。あの一節で宣長は初学者に対して繰り返し読むことを勧めている。本論の主旨に結びつけるためにやや強引に曲解した部分もあったようである。宣長は、いまの言(こと)によって、その心(こころ)を知るようには言っているのでは決してないのである。結局は古文を日本語として読むというだけではなく、古文を古文として読むということが求められるのであろう。