#2003  Comics 再発! 「I・餓男 -アイウエオボーイ-」[9th] 2
Ver.14. 1. 0 '08/02/24
漫画スーパーワイド (小池書院) 12月25日 発売
 「I・餓男 -アイウエオボーイ-」2巻では、池上先生の描く絵が大きく変わっていきます。

 この一つの理由として、この巻の最初から最後のページまでに2年というの時間差があります。
 最初のページからの「殺愛[4]」は、前回での紹介した週刊現代に掲載されたものです。1973年、週刊現代に連載されたとき、1回分の掲載ページは16ページです。30回で連載されたうち、残りの3回分がこの2巻に掲載されています。つまり、週刊現代の1973年7月19日号、7月26日号、8月2日号に掲載された3回分が収録されています。

 週刊現代(講談社)での連載はここまでですが、「I・餓男 -アイウエオボーイ-」は、1973年10月に週刊現代の別册から独立創刊した「劇画ゲンダイ」(講談社)に引き継がれます。創刊号の表紙はもちろん池上先生の「I・餓男 -アイウエオボーイ-」。この雑誌は、1974年1月号までで消えてしまうのですが、10月号から1月号までの4册に連載が続きます。この2巻では「兇殺行[1]」の分です。

 更に、連載の舞台はGORO(小学館)に変わります。1975年1月9日号からの連載開始ですから、連載再開まで約1年のブランクがあります。1975年1月号に掲載されたI・餓男 -アイウエオボーイ-のサブタイトルは「アメリカ編 兇殺行 アンクル・トド(1)」でした。以後、1回に20ページの連載になります。

 この2巻の最後の作品「地獄を通ってでも行くぜ
!!」は、6月26日号と7月10日号に掲載されたものです。
 1973年7月から、掲載誌を2回変え、1975年7月までの2年間。池上先生の絵が大きく変わるのです。描き込まれる情報はより多く、複雑になっていきます。構成も大きく変化していくことが確認できます。GORO(小学館)はA5版サイズの雑誌ですから、ものすごい迫力なのです。

 少年誌の方では、1974年、週刊少年サンデーに「男組」の連載をスタートさせています。ものすごい仕事量の中で、描き方に磨きをかけていく池上先生に脱帽です。