プーさんについて
1926年にA.A.ミルン(有名な英国の著者)によって書かれた物語「クマのプーさん」。そして、その続編として1928年に書かれた「プー横町にたった家」。誰もが知っているイギリス児童文学の古典です。クリストファー・ロビンがぬいぐるみのプーをひきずって階段を降りてくる。物語はそこから語られ、いつのまにか目の前には魔法の森が広がっています。魔法の森の住人は、食いしん坊でちょっぴりまぬけなプーや、クリストファーロビン、勇気あるコプタ(ピグレット)、いつも気がめいっているロバのイーヨー、そしてフクロ(オウル)、ウサギ(ラビット)、カンガルーのカンガとルー、トラのトラー(ティガー)たちです。彼らは事件を巻き起こしては、いつのまにかまた、おだやかな風景のなかへと姿を消していきます。
プーさんの物語はA.A.ミルン(有名な英国の著者)によって書かれました。イラストレーターはE.H.シェパードです。
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![]() 1882年に予備校経営者の息子として生まれ、学生時代から作家を志しました。 新聞や雑誌に投稿をし、雑誌「パンチ」の寄稿家となり、24歳で「パンチ」の編集部に迎えられ、第一次世界大戦後に戯曲、小説、詩を書く作家として独立。 1922年に出した探偵小説「赤い館の秘密(The Red House Mystery)」が大好評となる。 1920年に生まれた息子のクリストファーのために書いた詩集「クリストファーロビンのうた(When We Were Very Young)」を発表。 1926年に「クマのプーさん(Winnie-The-Pooh)」をまた2冊目の詩集「クマのプーさんとぼく(Now We Are Six)」を1927年に出版後に続編「プー横町にたった家(The House at Pooh Corner)」を1928年に出版する。 子供の本はその4冊のみでしたが、プーさんの世界的な人気からそれ以降は子供の本の作者として扱われることが多くなっていきました。 自らの厳しい信念を守り、作品の質にこだわり続け、1956年1月末、74歳で亡くなりました。葬儀はロンドン教会で行われ、式の間にプーの歌が歌われ「夕べの祈り」が朗読された。 |
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![]() 1879年建築家の父のもとにロンドンで生まれる。 子供のころから絵を描くのが好きで、美術学校を卒業後、油絵画家としてスタートをする。 ミルンと同じく雑誌「パンチ」に線画を寄稿し、その誌上で、後に童謡集として出版されることになるミルンの童謡に挿し絵を描く 「クマのプーさん」の絵を描くにあたって、シェパードは何度もミルンの家を訪ね、クリストファー・ロビン・ミルンやモデルになったぬいぐるみたち、舞台の森などの膨大な数々のスケッチを残しています。 このシェパードの多大な努力の積重ねで、名作の絵は生まれ、1932年に手がけたケネス・グレアム(Kenneth Grahame)の「たのしい川べ」の挿し絵も非常に有名で、イギリスの児童文学を語る上で、なくてはならない存在となっています。 1976年サセックス州ローズワースにて死去。享年96歳でした。
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1920年8月21日、ロンドンのチェルシーで生まれる。 当時生活に余裕のある家庭の常としてミルン家には乳母が雇われました。 9歳まで乳母と密着していました。 父と同じケンブリッジ大学に進みましたが戦争がすでに始まっていて軍隊に志願しました。 無事軍隊から帰り、いったん大学に戻った後、作家を目指しましたがものにならず、いろいろと仕事を次々に試してみたが雇い主を探すことができなかった。 このとき、自分があの有名な虚構の人物、クリストファー・ロビンのモデルであると世間が信じこんでいることあらわとなった。 彼は従妹と1948年に結婚し、ロンドンを離れ本屋になった。そして1996年4月20日、75歳で亡くなった。 |
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![]() 物語中のほとんどのキャラクターは、クリストファー・ロビンが持っていた、ぬいぐるみです。 クリストファー・ロビンがアッシュダウン・フォレストで失ったルーをのぞき、現在はニューヨーク公立図書館(W.40th St.to W.42th St.-5th Ave.)にいます。プーさんはクリストファー・ロビンの最初の誕生日のプレゼントでした。 シェパードの描いたプーは、このクマではなくて、シェパードの息子グレアムのクマ、グロウラーなのですよ!シェパードがクマを描くときにはこのクマをモデルにしていたのです。 イーヨはクリスマスプレゼントでした。ピグレットは隣人からのプレゼントでした。 A.A.ミルンは物語の構成上必要であったカンガ、ルーおよびティガーを購入しました。ラビットとオウルはぬいぐるみとしては存在しませんが、近くのアッシュダウン・フォレストにいた実際の動物に基づいて描かれたのです。
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![]() クリストファー・ロビンの最初の誕生日プレゼントとして、ハロッズで購入されたテディーベアは元々エドワードBearという名前でしたが、クリストファー・ロビンはクマのプーさん(Winnie-the-Pooh)に名前を変更しました。(英国では、エドワードがテディーの共通の愛称なのです。) 名前のWinnieの部分は、ロンドン動物園にいた黒熊のウィニーの名前から名付けられました。 クリストファー・ロビンはよくロンドン動物園に行ってWinnieと遊んだそうです。もともと、このクマは1914年、カナダ陸軍の獣医だったハリー・コールボーン大尉が、オンタリオ州北部のホワイト・リバーという小さな町で下車した際、大尉は黒い小熊を連れている猟師を見つけ、猟師は母熊を撃ったのだった。大尉は猟師に20ドル払って小熊を引き取り、出征地の英国に連れて行ったのです。 自分の出身地ウィニペック(Winnipeg)からWinnieの名前となったそうです。ですから、Winnieはカナダのホワイト・リバーが出生地です。ウイニグペグあるアシニボイン公園にはカナダ軍人さんと手をつないだWinnieの銅像があります。ホワイト・リバーにもプーさんがいます。また、Winnieの銅像はロンドン動物園にもあります。 |
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![]() 最も一般的な答えは10月14日です。 しかしながら、プーさんはクリストファー・ロビンの最初の誕生日の贈り物です。それは、プーさんが1921年8月21日に受け取られたことを意味しています。「クマのプーさん」の最後の章では、プーさんが、「クリストファー・ロビンが100歳になった時に自分が何歳か」をクリストファー・ロビンに尋ね、「99歳だよ」と返答しています。 したがって、プーさんの物語上1921年8月21日が誕生日と推測できます。 10月14日の誕生日は「クマのプーさん」が1926年10月14日にメシュエン(イギリスの出版会社)によって最初に公表されたという事実に基づいているとのことだそうです。 しかし、「クマのプーさん」の第1章は、既にロンドンイブニング・ニュースの中で(1925)公表されています。 (ただし、このときの挿し絵はシェパードではなく、J.H.ドウドでした。) 私は、8月21日がプーさんの誕生日だと思っています。皆さんはどのように思われますか? ちなみにディズニー・プー(くまのプーさん)の誕生日はWinnie the Pooh and the Honey Treeのデビュー(公開日)で、 1966年2月4日です。 食いしん坊のプーさんの誕生日は年に3回あるのです。(私はそう思っています。) |
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![]() クマのプーさん・・・・・・クラシック・プーさん くまのプーさん・・・・・・ディズニー・プーさん 「クマ」 か 「くま」でどちらのプーさんなのかを区別しています。 |
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![]() プーさんたちの言葉で良くスペルが違うものがありますよね!代表的なものをまとめてみました。 わざと幼いプーさんたちの綴り間違いを表しているんですよね〜。
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![]() 橋から、小枝を2つ投げ、橋の反対側に回って、どっちの小枝が先に流れてくるかを待つという遊びが「プー棒投げ(Poohsticks)」です。元々はこの橋はPosingford Bridge(ポスティングフォード橋)と呼ばれていました。ジョン・チャールズ オスマン(John Charles Osman)によってPosingfordからCotchford Laneまで材木を運ぶために1907年に構築されました。1979年5月に修復されて、「Poohsticks Bridge」と改名されました。その時の記念碑には以下のように記されています。。
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![]() 「プーさんとはちみつ」のビデオは皆さんご覧になったと思いますが、当時 このビデオをディズニーが制作した時に、ピグレットの代わりにアメリカ的なゴーファーを登場させたこと、そしてクリストファー・ロビンの発音をアメリカ 中西部のなまりにしたこと、アメリカでは好評だったのですが、本家のイギリスでは不評でした。そこでディズニーは次回作の 「プーさんと大あらし」 では、ピグレットの登場とそしてクリストファー・ロビンの発音をイギリス発音 に変えたということ、ご存じでしたか〜。 |
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![]() なぜ、イーヨーの名前がイーヨーとなったのか 皆さんご存知ですか? それは、鳴き声から名づけられたそうです。 「イーヨー イーヨと鳴きました。。」 と言う詩があります。 先月会社の研修でイギリス人と話す機会があったのでちょっと聞いてみました。 イギリスではロバの鳴き声は「イーヨー」と鳴くの??? 「そうだよ!!」 との回答でした。 前から気になっていたことがひとつ解明しました。。。 |
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