愛しかた面白ノート
嬉しくて好きで感激なことのコレクション
三宅菊子
じゃこめてい出版 1980.10.11

好きなものや人について、思い出話を絡めながら語っています。たくさんの人が登場します。
出てくるエピソードがゴージャスで、著名人を親に持つお嬢さんだったんだなあという感じ。
テンションは高くもなく低くもなく自然体、でも独特の明るさ。
インドについて、ベナレスでの興奮からカルカッタでの暗転、そしてマザーテレサに会って仕事をして平常に戻るところが印象的でした。
以下引用です。
(セゴビア先生ありがとう)
またもや、涙が流れ始める。どうしてかなぁ、と思うのだが、止まらない。
たしかに、私は感動している。この小さな楽器が、こんなにさまざまの、繊細な音を出す。この小さな楽器が、こんなに力強くて豊かな音を出す。そういう感動はやがて、セゴビアが弾いているのは、言っているのは、神の言葉のようなことだ。美しいとか素晴らしいなどという言葉はやたらに使うべきではない。この音こそが美しいのであって・・・とだんだん内向的になり、ついには自分がいま生きていることの意味についてとか、私はちゃんとしていないとか、ぶつぶつ考えたり。それでも、ちゃんと元気にやりますから、と何に向かってか誓ったりしている。
言葉にすると長いが、そんな一瞬のあったあとにわッと涙が出てきた。そして、昔、初めて聞いたときに流した涙を思い出していた。
(仕事で辛かったこと)
じつは私は、ある雑誌の占い欄を六年くらい担当していた。その間に、当たるような感じの言葉づかいが少しわかった。占うのは西洋占星の専門家で、複雑なホロスコープとか係数表とかで運勢を算出するのである。ライターの私は、その先生からのデータを、女の読者向きの言葉で書き直す。
私が占っているのでもないのに、「ミヤケさん、あたしのことよく書いてね」などと編集部の女の子たちがいう。「当たるのよ、すごく」と評判がよかった時期もある。
面白いのは、同じ数行の占い文に対して何人もの人が「あたしのこと書いたでしょ」と言うときがあるのだ。たとえば−−−「もう一歩の頑張りが足りないのです!」とか、「あの人の視線を気にしすぎ」と書いてあるとすれば、たいていの人はもうちょっと頑張らなくちゃと思っているし、視線が気になる人間の一人や二人(いろんな意味で)必ずいる。
これを単に「頑張りが大切」とか「他人の視線を・・・」と書くと、当たらない。「足りない」と断定して”!”をつける、あの人という言葉が、当たっているような気分にさせるコツなのではないか。
(インドのお店屋さん)
しかし食べもの売り屋さんが多い。揚げだんご、フーセンみたいにふくれる揚げせんべい、コロッケによく似たじゃがいも料理、ヨーグルトを砂糖で固めたお菓子(四角く切って売る)、西瓜やパイナップルの切り身、雷おこし風、玄米パン風、とりの脚、ヘンな魚の干物風、さとうきびの茎・・・買ってその場で食べる用の屋台店がそこらぢゅうに。
沐浴場に近い広場には特別多い。日本の屋台ラーメンみたいに椅子も一応ある紅茶屋も、カレー屋も。私は”買いぐい”が大好きなので、腹痛を恐れつつも誘惑にかられっぱなしだ。
その広場と、河に降りる階段やガートと呼ばれる石造りの岸にかけて、台でも地面にでもに店を構えて売っている人と、手に持って歩いて売る人と。何万人という数だと思う。
(あと書き)
結局、いろんな食べものや事柄や物を愛することも嬉しいけれど、「人」がいちばん興味つきない面白種(ダネ)だと思うのです。それは、たとえば私は”友達の木”も持っている。よく散歩に行く雑木林にでんと立っている樅の木で、そこまでくると道を思い出す(なにしろ天才的に道音痴)、そのうちに道の目印だけでなく「やぁどうしてるかね」などと言ってくれているような気がして、私はその木を友達の木にしたのでした。(略)そういう友達も大切なのだけど、でもいちばんタイクツしないのはニンゲンだ。それで、私が愛することのコレクションを広げてみたら、ぜんぶ「人」の話になったのです。
目次
1
こんな風に愛したことがある
私と犬
馬に乗って上機嫌
京都で舞踏会の手帳
ホヤと弟の愛しかた
Happy Birthday Dear President
2
うかうか歩いていたこともある
メキシコで売春
サギ父娘の流れ旅
絵を買う話
プロデューサーのパイプ
3
ばかなことをして面白がっている
髪を切ること
エイリアンの子供の木
レインコートの男と女
花とおじさん
いい笑い顔に会った
4
いろんな人たちの幸せを見てる
堀切ミロはイイ女
洋ちゃんの天才
金子功さん物語
恐怖の秘境探検
セゴビア先生ありがとう
5
毎日毎日感激していたいと思う
仕事で辛かったこと
タラの芽の愛しかた
東京が好き
市場のコーフン
インドのお店屋さん
インドで乞食
6
インドで感じたり考えたりしてみた
リキシャ・フレンド
マザー・テレサの家で