48-4:宮崎県 宮崎市 平和台公園内 はにわ園   



所在地:宮崎県宮崎市下北方町越ヶ迫

取材時期:2010年10月

ジャンル:展示系?

珍スポ度:☆☆☆(☆五個が最高得点)

はにわ園とは非常にゆる〜い響きがあり、どんな所なのだろう?ということで、事前の取材予定にはなかったが、高鍋大師から陰陽石に向かう途中で寄ってみた。その「はにわ園」は宮崎平和台公園内にあるとのことだったので、県道9号から44号に入り少し進むと、「平和台公園入り口」という信号があった。積極的に標識が出ていたわけではないので、一度は通り過ぎてしまったので、転回しビッツを高台に進める。住宅地を抜け、第三駐車場に到着。高鍋大師と同じで、案内標識がとても不親切なのである。

さて駐車場にビッツを止め、公園案内図を眺めてみると第三駐車場からはにわ園まではかなりの処理がありそう。公園内は当然車両立ち入り禁止なので、近くの駐車場に入れ直すにはぐるっと公園を回らなければならない。それなら歩いて、という決断し、いざはにわ園へ!これがまた失敗であった!何しろ公園内の表示も不親切で、なかなかはにわ園にたどり着かない。さんざん遠回りし、やっと丘の上のはにわ園に到着できた。うーん貴重な取材時間が・・。

まずは「はにわ館」という情報館があるのでそちらで情報収集だ。中にはいるとボランティアのおじいさんが・・・。「あんたらもう搭は見たかい?なに、まだ!あの塔は平和の塔、昔は「あめつちの もとはしら(八紘之基柱)」といってな・・」と始まった。別に平和の塔はどうでも良いので、はにわ園の説明を・・、と思ったのだが折角一生懸命説明してくれるおじいさんに向かって、「もういいから」とも言えず、「ほ〜、そうなんですか」と話を聞かせてもらった。それによると、塔には日本書紀に出てくる四魂像が配されており、それぞれ「奇御魂」(くしみたま)、「荒御魂」、「和御魂」(にぎみたま)、「幸御魂」(さちみたま)という。農民、武人、漁師や商人を現すのだそうだ。持っているものでわかるらしい。一通り説明が終わり、それでは、ということで塔を見に行ってみた。

  

はにわ館は塔のちょうど後ろにあたり、ぐるっと裏から回り込む。ここにも案内標識が不親切で、女郎蜘蛛団地をかき分け進むはめに・・。正面にたどり着くと、それは立派な塔であった。正面には「八紘一宇(はっこういちう)」の文字が刻まれておりなるほど神武天皇のお膝元と思わせる。塔内部には入れないらしいが、入り口扉は青銅のレリーフになっており、神武天皇の出船の模様など、これまた日本書紀から取り上げた題材になっている。調べてみると日名子実三氏という芸術家作ということだ。終戦時にGHQにより「八紘一宇」の文字は切り取られたらしいが、その後復活。まあ、日本の歴史からみれば当然のような気もしますがね。

なんだか、すっかりはにわ館のじいさんの策略にはまり、全然はにわ園の取材から外れてしまったようだと気付き、はにわ園に舞い戻る。ちょっと威圧感のある「もとはしら」と比べて、はにわ園のなんとマタリ〜としていることか。なぜここが埴輪の里なのかに関する説明はほとんどなされていないので、帰宅後調査してみると、本部マサさんというかたが全国の埴輪レプリカを作っており、その人が寄贈したものをここに安置しているとのこと。どうやら、この場所で出土した、というわけではなさそうだ。まあ、そんなことはさておいて、理屈抜きに園内を散策する。メインのキャラは、イヤミさんの「シェ〜!」ポーズをとる埴輪だ。口元は「ふぉ〜」といった、すこしとぼけた表情も見逃せない。土産物屋で良くみかけるのもこのタイプだ。

  

さらに園内を進むと、お約束のウマや銅鐸などもゾロゾロ。ちょっと不気味な首だけ像も転がっていたりして油断ならない。数も半端ないので、じっくり見て回るとかなりの時間が必要だ。「もとはしら」に時間を取られてしまったので、園内はポイントを抑えてざっと見て回り、取材終了。また、延々歩いて第三駐車場に戻ったのであった。


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