33-10:長崎県 軍艦島



所在地:長崎県高島町端島

取材時期:2006年4月

ジャンル:廃墟系

珍スポ度:☆☆☆☆☆(☆五個が最高得点)
コメント:
長崎野母半島沖に浮かぶ廃墟マニアの聖地、軍艦島。正式名称を端島といい、採炭のために造られた人工島。石炭を国内で採掘するコストが絶対的に見合わなくなった昭和40年中期に全ての島民が引き上げ、現在では全くの無人島となったその島の姿だけでも拝ませてもらおうとR499を長崎市街から南下した。帆船祭りで賑わう中心部を抜けると、3桁国道(酷道とも言う)の例に漏れず、道はドンドン狭く険しくなって行く。しばらく走り、小さな峠を越えたところで海側に視界が広がると、沖に小さく軍艦様の船影が目に入った。おぉ〜、あれが噂の軍艦島かぁ。さらに進み海岸線に出ると大分近くに島を見ることができた。

ここまで来たからには、何とか島に近づく手段は無いかと野母崎までバイクを走らせ、売店に入ってみると、そこに「軍艦島遊覧クルーズ」のポスターがあるではいか。早速尋ねてみると、毎日波が高くなければ朝10:30から遊覧船が出ることのなっている。時すでに夕方4時を大きく廻っているので、明日遊覧船に乗るかどうか迷いながら市街の健康ランドIOSに向かった。

帰路、走っていて偶然に見つけた看板により、軍艦島への渡しが存在すること知ったニカは翌朝5時半、磯釣り客に混じって小さな船の中にいたのだ。釣り道具ではなくカメラやサーチライトを抱えた西洋人4人、サーチライトこそ持っていないが釣りするぞぉって雰囲気ではない姉ちゃん二人、革パンを履いたニカの7名が、船内で浮いた存在になっていたのは間違いない。船長から「8時に同じ場所に向かえに来る、高い建物上・海の見える場所には近づかぬよう!」と忠告を受け、船から岸壁に飛び移った。

3メートルは有ろうかという防波堤に垂直に伸びるステンレス梯子。デカデカと書かれた「立ち入り禁止 長崎県」の警告板を横目に島への上陸開始だ。警告板は「これより先は何があっても自己責任」と勝手に解釈し、内側の梯子を降りた。振り返ると、そこには圧倒的な静けさを湛えた建物群が・・・。す・凄い、凄すぎる。しばらくボ〜っとしているうちに、一緒に上陸した面々は思い思いの方向に散っていったのだ。

   

まずは少し進んでみよう。住居棟群と考えられる一画に辿り着き、比較的侵入しやすい建物を選び内部に入る。既に木で造られた部分の大半朽ちており、高層アパートはその骨格であるコンクリートと鉄枠を露わにしている。床には風化してフワフワになった畳、細かくなった木片などが散乱しており非常に歩きにくい。上階へ向かう階段を発見し、ドンドン登る。船長の忠告完全に無視だ。しばらく探索してみると、この一画はやはり住居棟エリアらしく、各高層アパートが空中回廊で繋がっているという非常にモダンな造りなのだ。建設されたのが昭和初期のハズなので当時としては最先端を行く豪華マンションだったに違いない。面白いつくりである。

   

バルコニーをウロウロしていると、地上から声が聞こえた。「そこまで上がれるですね〜」、さっきの姉ちゃんたちである。建物に入れると分かると彼女たちも早速探索開始したらしい。とうとう屋上まで来てしまったが、さすがに海が見渡せて爽快である。海上から見えた神社の祠も間近にある、残念ながら祠に通じる道は発見できなかったが・・。

住居棟エリアはひとまず退散し、西に向かうことにした。防波堤沿いに進むと視界が開け、採掘した石炭積み出し用トロッコの足場であろうか、妙な建造物が気になる。その先にも変電所?やさらに住居棟もありそちらも探索してみた。この一画は船で言う舳先の部分なので、ここに立っている高層住居の屋上からの眺めは素晴らしいの一言だ。時間も押してきたので、そろそろ引き揚げか、と戻ろうとすると件の姉ちゃん達が旧炭坑跡らしき洞穴を発見した。アクセスが難しい場所ではあったが、壁から垂れ下がっているワイヤーロープ一本を頼り炭坑跡に入る。洞穴の一番奥に直径3mくらいであろうか、明らかに縦穴を埋めた跡があり、ここから炭坑夫が地下に潜っていったに違いない、などと勝手に想像するのも楽しい物だ。

  

約束の8時が近づいたので、名残惜しいが軍艦島ともお別れだ。最後の学校跡も少しだけ取材して時間切れアウト。また防波堤の梯子を登り迎えの船に飛び乗る。まさか島内の取材ができるとは思ってもいなかったので、この九州取材最大の思い出深いイベントとなったのでした。

 


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