清正公堂


清正公大神祇「せいしょうこうだいじんぎ」

 武将加藤清正は法華経の大信者でありました。豊臣秀吉に仕え、その出世と共に名を馳せました。

戦地での南無妙法蓮華経と記した旗は有名で、その旗によって朝鮮で救われた逸話も残っています。

清正公は、築城、農耕開発に長け領国経営の模範ともされました。法華経を絶対の信仰としながらも、

浄土宗阿弥陀寺、真宗延壽寺、禪宗禪定寺、はじめ他宗寺院を数々創建されています。また神道では

阿蘇神社建立など一律平等に祀っておられます。

 その御生涯から尊崇が芽生え、誰もが没後、熊本の本妙寺様に墓参するようになっていきました。

特に亨保・天明の飢饉での全国的農村の疲弊、さらに肥後の大洪水は、清正公を「土木の神、農業の神」

として祈り、その御利益を願ったものでした。

今では人が神となった典型的法華経守護神として、全国的に奉られています。

この御堂は、吉井町大村より移築された当山では最古の伽藍です。

長押、梁などからも典型的宮建築を象徴した古き技法が用いられています。

尊像は、天保5年(1834) 京都仏師 和泉源輔作 

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