石垣イチゴのイチゴ狩り

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海岸線のイチゴ通りに入るとイチゴ農家がたくさんあって、
農家の人が道路に出て勧誘合戦をしていた。
(夏の海の家の勧誘と同じ)

よく見るとそこは我々が目標とする石垣イチゴではなく
普通の平面のイチゴ狩りのようだった。
「だまされないぞ」
と勧誘を見つつ通り過ぎました。

イチゴ通りから1本内側の通りに入ると
山の斜面を利用した石垣イチゴ農家が有りました。
一応受付のおばさんに
「ここは石垣イチゴですか?」
と確認してから決めました。

イチゴ農家のおばさんが、ビニールハウスまで案内してくれました。
↓案内されるネミギ婦人。

おばさんの家の裏がこのようにハウスになっていた。
おばちゃんは案内すると道沿いの事務所(案内所)に戻ってしまい
気がつくと我々はふたりでビニールハウス群のなかにいました。
さあイチゴ狩りのスタートです。


ビニールハウスの中。
中は暖かくて(熱い)Tシャツになりました。


こんな感じに石垣にイチゴの苗が植えられています。
手前に棒きれが刺さっていますが、このような棒で仕切られた3メートル位の区域が我々の陣地です。
この棒から向こうのイチゴは食べてはいけません。
他のお客さんが食べるのです。

すでに狩りに使用されたハウス覗いてみたのですが、
赤いものは全て食い尽くされ、かわいそうなくらいでした。

反対に未使用のハウスはおいしそうなイチゴが鈴なりで、ちょっと手が出そうでした。


 
はち切れんばかりのおいしいイチゴ。
酸っぱい物は一つもなかったよ。
コンデンスミルクもくれたんだけど、ほとんど使わなかった。


こんな感じね。


ここで植物観察の時間。


イチゴの花です。
中心部分がのちにイチゴになります。

 
段々と中心のイチゴ部分が大きくなっていきます。
右の画像はもうほとんどイチゴですが、これから色が付きます。
これらが大きくなる頃には次のお客さんが食べに来るのでしょう。


登呂遺跡

実はイチゴ狩りに行く前に登呂遺跡に寄りました。
東名の静岡インターを降りたのがまだ早い時間だったし、
おなかも空いていなかったのでイチゴ狩りにはまだ早いと判断したからです。

登呂遺跡とは・・・・
1943年(昭和18年)、第2次世界大戦中に軍需工場(プロペラ工場)造成中に発見されたそうです。
それにしても、よく戦時中に発掘して保存したのもですねえ。

弥生時代の米作りが日本で初めて確認された農耕集落の遺跡として世界的にも有名らしいです。

発掘調査によって住居跡や高床式倉庫跡、井戸の跡、
それに80、000平方メートルをこえる水田跡などが明らかにされました。
農耕や狩猟、漁労のための木製道具や火起こしの道具、占いに用いた骨などの
弥生時代の人々の生活の様子を物語る貴重な資料が数多く出土しています。

出土品は登呂遺跡内の博物館(有料だけど安い)に展示されていました。
博物館では弥生人の生活が模擬体験できるように工夫されていました。
火おこし、丸木船作り、田植え、脱穀など。


博物館以外は入場は自由、というか公園になっていて近所の子供や犬が遊びに来ていました。
ちなみに画像の丸い部分は竪穴式住居が建っていたところです。
観光ルートには入っていないらしく、のんびりした感じです。
気に入りました。


復元した高床式倉庫。
ネズミ返しが施されています。


これもネズミ対策でしょうか?

登呂遺跡の周辺に猫が何匹かいて愛嬌を振りまいています。
これは地面でゴロゴロところがっているところを撮影。
餌には事欠かないようで痩せてはいませんね。


登呂遺跡周辺の安倍川餅屋で休憩しました。

きなこ餅といそべ餅(一口食べた後に撮ることを思い出した)です。
なかなかおいしかったですよ。
夕方にもう一度ここの店に来て、今度はおしることおろし餅を食しました。


日本平と久能山

静岡市街から少し離れたところ(20分)に、有料道路があり
それを走ると日本平の山頂につきます。

画像は日本平から久能山東照宮を往復するロープウェイです。

久能山が「徳川三代」というNHKの大河ドラマに使われるということで、
久能山東照宮は非常に混んでいました。
ロープウェイに乗るのに30分くらい待ったかな。

日本平から久能山を見下ろした図。



久能山から海岸線を見下ろした図。
画像じゃわからないですが、ビニールハウスがたくさん有ります。


今回の石垣イチゴ、久能山、日本平は、
東名静岡インターを中心にそんなに遠くないところに点在していて
日帰りでクルマで見て回るにはよかったですよ。

何よりイチゴがおいしかったので来年も行きたいゾ。

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