東京高判昭和53年6月27日(昭和52年(行ケ)第46号)

1.事案の概要
 X(原告)は,昭和49年2月7日特許庁に対し,名称を「電荷担体箔」とする発明につき,西暦1973年(昭和48年)2月8日ドイツ連邦共和国にした2件の特許出願に基づく優先権を主張して,特許出願したが,昭和50年6月16日拒絶理由通知をうけたので,昭和50年11月4日手続補正書を提出したところ,昭和50年12月1日補正却下の決定がなされた。
 ここで,本願特許請求の範囲は,次のとおりである。

  (1)本件補正前
    可撓性伝導基質,該基質上の伝導中間層,該中間層は添加剤としてカーボンブラツクを含有するポリ酢酸ビニルからなる・および該中間層上に配置の非伝導セレン層・以上からなる電荷担体箔。
  (2)本件補正後
    可撓性導電金属箔と,当該金属箔上で添加剤としてランプ・ブラツクを含有するポリビニル・アセタールから成る中間層と,当該中間層上に配置の不導体セレン層から成る電荷担体箔。

 Xは昭和51年6月8日補正却下の決定に対する審判を請求し,昭和51年補正審判第30号として審理されたが,昭和51年10月5日に「本件補正は,本願願書に最初に添付された明細書の記載中,電荷担体箔の中間層に使用する樹脂材料として『ポリ酢酸ビニル』を『ポリビニルアセタール』に補正しようとするものである。ところで,その明細書には,ポリビニルアセタールに関する記載はもちろん,それを示唆する記載もない。またポリビニルアセタールが,中間層(感光板の導電性支持体とセレン層とを接着する層)に使用されることが自明な事項であるとも認められない。したがつて,本件補正は原明細書に記載された事項の範囲を越え,その要旨を変更するものといえる。なお審判請求人は,本件補正は,優先権証明書として差出したドイツ連邦共和国原出願明細書の翻訳の際,ポリビニルアセタールをポリビニルアセタート(ポリ酢酸ビニル)と誤訳したことの訂正であり,出願の対象の同一性の範囲内にあるから適法である旨主張するけれども,ドイツ連邦共和国にした特許出願は優先権の主張の基礎となるものに過ぎず,わが国の特許出願の願書に添付された明細書でないので,採用できない。そうすると結局本件補正は却下を免れない。」という理由により,「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり,その謄本は昭和51年10月25日Xに送達された。
 X出訴。

2.争点
(1)外国人が出願人である場合に,翻訳者の錯誤による誤訳・混同等は,明細書原文の範囲内である限り,誤記の訂正または明瞭でない記載の釈明として補正が許されなければならないか。
(2)「ポリ酢酸ビニル」を「ポリビニルアセタール」に補正しようとする本件補正は,出願の願書に最初に添付した明細書に記載した事項の範囲内のものか。

3.判決
 請求棄却。

4.判断
「第四,裁判所の判断
  一 本件補正の対象として考慮すべき明細書について
    パリ条約は属地主義を原則とし,各国特許独立の原則に立つているから,同条約に基づく優先権主張による出願であつても,わが国における特許の成否は,国内法による出願書類によることはいうまでもなく,第一国出願の明細書は,優先権の効力すなわち出願日遡及の有無を検討する資料としての,いわゆる優先権証明書に過ぎず,それ自体ないし翻訳文がわが国特許出願における明細書としての性質もしくは効力を持つものではない。したがつて本件特許出願の願書に最初に添付された明細書に第一国出願明細書の翻訳にあたつての誤訳がふくまれた事情があつても,それ自体明細書の誤記ということはできず,この主張を論拠とするところは採用できない。
    ちなみに,優先権証明書は,特許法第43条第2項によれば特許出願の日から3月以内に提出すればよいことになつており,本件出願においても,それが出願日後50余日である昭和49年4月3日に提出されていることは当事者間に争いがない。このことも,優先権証明書すなわち第一国出願明細書が,わが国出願の願書に最初に添付された明細書を裏付けるものでないこと,すなわち出願による発明の開示と直接関係ないことを示すものといえる。
    結局,本件補正が要旨を変更するものであるかどうかは,わが国出願の願書に最初に添付された明細書のみにより,その記載した事項の範囲内であるかどうかを検討して定めなければならない。
  二 要旨の変更の有無について
    ところで,願書に最初に添付された明細書に,ポリビニルアセタールに関する記載が何もないことは当事者間に争いがなく,成立に争いのない甲第1号証(本件特許出願の公開公報)を精査してみても,当該明細書に「ポり酢酸ビニル」が「ポリビニルアセタール」の誤記であることをうかがわせるような記載はなく,次に認定する両者の性質の異同からみて,ポリ酢酸ビニルでは中間層として使用する樹脂材料としては発明として技術的に矛盾したり,また化学常識として,もともとポリビニルアセタールを示すものとして掲げられたものとみることはできず,もとよりその間に発明の同一性を認めることも,とうていできない。
    すなわち,いずれも成立に争いのない甲第5号証(エンサイクロペデイア・オブ・ケミカル・テクノロジー)および甲第6号証(高分子辞典)ならびにポリ酢酸ビニルとポリビニルアセタールに関するXの主張など弁論の全趣旨によれば,ポリ酢酸ビニルはポリビニルアセタールとは別に実在する樹脂であつて,ポリビニルアセタールとはともに本願発明の中間層に使用できるような性質・用途において類似するところがある反面,引張り強さおよび熱変形温度の値において互いに重複するところがないなど性質において異なるところがみられる化合物であることが認められるのである。
    以上の事実を総合して検討し,さらに,電荷担体箔の中間層に使用する樹脂材料として「ポリ酢酸ビニル」を「ポリビニルアセタール」に補正しようとすることは,まさに本願特許請求の範囲の技術的事項の基本に触れることを考え合わせれば,本件補正は,出願の願書に最初に添付した明細書に記載した事項の範囲内のものとはいえないことが明らかであるから,要旨を変更するものといわざるをえず,これを却下した審決の判断に誤りはない。
  三 結び
    以上のとおり本件審決にはX主張の違法はないから,失当として棄却し,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法第7条,民事訴訟法第89条を,上告のための附加期間につき,民事訴訟法第158条を適用して主文のとおり判決する。」