東京高判昭和48年1月23日(昭和45年(行ケ)第76号)

1.事案の概要
 X(原告)は1960年(昭和35年)7月11日アメリカ合衆国にした特許出願に基づく優先権を主張して昭和36年7月4日「冷凍の魚切身の解氷滴を防止する方法」という名称の発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願したが,昭和38年9月10日拒絶査定を受けたので,昭和38年12月2日審判を請求した(昭和38年審判第5426号)。特許庁は該審判事件につき昭和45年3月19日,本願発明は,昭和35年3月28日出願にかかる第307217号特許の発明(以下「先願発明」という。)と同一であるから,特許法第39条第1項によって特許することができないとして「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をした。
 X出訴。
 本願発明の特許請求の範囲は,以下のとおりである。
  「魚を切身にし,この切身に約1対1から2対1までのH2O対P2O5のモル比の分子的に脱水されたリン酸のナトリウム塩またはカリウム塩もしくはこれと食塩の混合物の水溶液を付与し,次いでこの切身を冷凍結させ,かくしてこの冷凍切身を油揚その他の調理に付与するときいわゆる「解氷滴」として知られている解氷による魚肉の水分損失を防止するようにしたことを特徴とする冷凍の魚の切身の解氷滴防止方法。」

2.争点
 本願発明と先願発明が目的を異にする場合,両発明が別発明であるとできるか。

3.判決
 請求棄却。

4.判断
「 本件の特許庁における手続の経緯,本願発明の特許請求の範囲,審決理由の要点がX主張のとおりであること,先願発明の特許出願日および特許請求の範囲が審決認定のとおりであることは当事者間に争いがない。
 本願発明の目的が「冷凍魚の解氷滴損失の防止,すなわち解氷時におけるミオシン区蛋白質およびミオゲン類蛋白質等の栄養分の損失防止」であり,先願発明の目的が「赤身の魚のミオシン区蛋白質の変性の抑制によるねり製品の弾力性の保持」であることは当事者間に争いがないから,両発明は目的を異にすることが明らかである。
 そこで,両発明が目的を異にすることだけで直ちに両発明が別発明であるとすることができるかどうかについて次に判断する。この点につきXは,発明は目的(課題),構成,作用効果から成るから,そのいずれか1つが異なれば,2個の発明は同一発明とはいえない旨主張する。しかし,発明が目的,構成,作用効果から成ることはX主張のとおりであるとしても,特許法第39条第1項の立法趣旨が重複特許の排除にあることに照らせば,2個の発明が別発明であるとするためには,両発明の異なることが客観的に識別されうるものでなければならないことが明らかであるから,発明の同一性の有無を判断する基準は右の観点からこれを選ばなければならない。そうだとすると,発明の構成は発明を客観的に表現したものであるから,これを基準として発明の同一性の有無を定めることができる。すなわち,両発明の構成が全面的に一致し,または両者に広狭の差があるだけで部分的に牴触する場合は,構成の面から客観的に両発明を別個のものと識別することはできないのであるから,両者は同一発明であり,また両発明の構成が異なり互いに牴触しない場合は,これによつて両発明の異なることを客観的に識別することができるから,両発明は別発明であることが明らかである。これに対し,発明の目的は発明者の主観的意図であり,作用効果は本来客観的なものであるが,明細書に記載された作用効果は,発明者が認識したもの,または目的との関係で必要と考えたものだけに限られ,これまた主観的なものに過ぎないから,かような発明の目的または明細書記載の作用効果を基準として両発明の同一性の有無を定めることは許さるべきではないといわねばならない。しかも両発明の目的または明細書記載の作用効果がたとい異なつていても,両発明の構成が全面的に一致するか部分的に牴触する場合には,両発明は同一の作用効果を生ずるはずであり,ひいては両発明は客観的には同一の目的を達成するものともいいうるから,かような場合に,ただ単に主観的な目的ないし明細書記載の作用効果が異なることの故をもつて,両発明を別個のものとすることの不当なことは明らかなところであろう。以上の次第で,本願発明と先願発明が目的を異にしていても,それだけでは両発明が別発明であるとすることはできない。よつて次に,両発明の構成が全面的に一致しまたは部分的に牴触するか否かを検討することとする。
 本願発明の特許請求の範囲記載の「約1対1から2対1までのH2O対P2O5のモル比の分子的に脱水されたリン酸のナトリウム塩またはカリウム塩もしくはこれと食塩の混合物を付与し」という構成が先願発明の特許請求の範囲記載の「縮合リン酸塩処理を行う」という構成と同一であることは当事者間に争いがない。前示当事者間に争いがない本願発明の特許請求の範囲と右の争いのない事実および成立に争いのない甲第2号証によれば,本願発明の構成要件は
1 魚の切身に
2 冷凍結前に
3 縮合リン酸塩処理を行う
ことであり,対象魚の種類に限定はないことが認められる。Xは,本願発明は右1ないし3のほかに,死後硬直終了後に縮合リン酸塩処理を行うことを構成要件とするものである旨主張する。しかし,前示当事者間に争いのない本願発明の特許請求の範囲にはその旨の記載のないことが明らかであり,前記甲第2号証によれば,明細書の発明の詳細な説明の項にも魚の死後硬直終了と縮合リン酸塩処理を行う時期との関係については何も記載がないことが認められるので,X主張の右事項が本願発明の構成要件であると認めることはできない。Xは右主張を理由づける事情として,魚を切身にするのは死後硬直終了後であるのが通常である旨主張するが,右事実を認めるに足りる証拠は全くないのみならず,成立に争いのない乙第1号証の2,第4号証の2によれば,魚の死後硬直は漁獲後30分ないし3時間からはじまり,10ないし40時間続くこと,死後硬直終了後は魚肉の自己消化がはじまり,これを冷凍しても融解後に自己消化が一層速やかに起り,鮮度が著しく低下することが認められ,右の事実は本願優先権主張日である昭和35年7月11日前においても当業者間に周知であつたものと推認されるので,右年月日前当業者が魚を切身にしこれを冷凍結するのはいずれも死後硬直終了前であるのが通常であつたことがうかがわれる。したがつて,Xの右主張は採用の限りではない。
 一方,前示当事者間に争いがない先願発明の特許請求の範囲および成立に争いがない甲第3号証によれば,先願発明の構成要件は
1 赤身の魚に
2 魚の死後硬直終了後に
3 縮合リン酸塩処理を行う
ことであることが認められる。Xは,右1ないし3のほかに,魚の全身に(切身としないで)縮合リン酸塩処理を行うことが先願発明の構成要件である,と主張する。しかし,前示当事者間に争いがない先願発明の特許請求の範囲にはその旨の記載がないことが明らかであり,前記甲第3号証によれば,明細書の発明の詳細な説明の項にも縮合リン酸塩処理を行う時点の魚の形態を限定していると解すべき記載はないことが認められる。もつとも,同号証によれば,右発明の詳細な説明の項に,実施例としてイワシおよびサンマについてX主張の各記載があることは認められるが,同時に先願発明の対象魚種にはイワシ,サンマのほかにマグロ,カツオ,サバが含まれる旨の記載および縮合リン酸塩処理法の説明として,「魚体又は魚肉の処理法の数例」および「縮合リン酸塩水溶液の魚体又は魚肉への注入」との記載があることが認められる。そうだとすると,X主張の右各実施例はたまたまイワシ,サンマのような小型魚類を対象としたため全身に縮合リン酸塩処理を行つたに過ぎず,マグロ,カツオ等の大型魚類を対象として先願発明を実施する場合には「魚肉」すなわち切身としたうえで縮合リン酸塩処理を行うことを妨げない趣旨であることが明らかであるから,X主張の右各実施例の記載が縮合リン酸塩処理時点における魚の形態を全身に限定したものであるとはとうてい認めることができない。したがつて,他に特段の事情の主張がない本件では,Xの右主張は採用の限りではない。
 以上に認定した本願発明および先願発明の各構成要件を対比すれば,両発明は,赤身の魚の切身に,死後硬直終了前に縮合リン酸塩処理を行う範囲において互いに牴触することが明らかであるから,両発明が異なることを客観的に識別することは不可能である。したがつて,両発明を同一発明であるとし,特許法第39条第1項により本願発明を特許することができないとした審決の結果は正当であり,審決にはX主張の違法はない。
 よつて,Xの請求を棄却することとし,行政事件訴訟法第7条,民事訴訟法第89条第158条第2項を適用して主文のとおり判決する。」