1.事案の概要
X(原告)は,平成2年3月15日(パリ条約による優先権主張外国庁受理1989年3月17日,英国)に出願された特願平2-065521号の一部を分割して,平成6年9月26日に新たな特許出願をしたところ(特願平6-229807号,発明の名称「ピロリジン誘導体を有効成分とする薬剤組成物」),平成11年9月3日に拒絶査定を受けたので,平成11年12月13日これに対する不服審判の請求をした。特許庁は,該請求を平成11年審判第19751号事件として審理したが,平成13年3月23日,「本件出願の請求項1に係る発明(本願発明1)の薬剤組成物を投与した結果,その薬剤組成物が請求項1に掲げられた適用対象疾患の治療薬としての効果を奏することについては具体的に確認ができないから,本願発明1の医薬としての用途発明が当業者に容易に実施できる程度に記載されているとはいえないので,本件出願は,特許法第36条第3項に規定する要件を満たしていない。」として,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をした。
X出訴。
2.争点
(1)補正の機会を与えなかったことの瑕疵。
(2)医薬についての用途発明の場合,発明の詳細な説明に,該発明に係る薬理効果が薬理データ又はこれに代わり得る具体的記載によって確認ができるように記載されている必要があるか(医薬についての用途発明における実施可能要件適合性。)。
3.判決
請求棄却。
4.判断
「第5 当裁判所の判断
1 取消事由1について
取消事由1に係るXの主張は,審決が,請求項1に記載された化合物におけるRが-CNである本願発明の部分にのみ注目し,この発明部分について,当業者が容易にその実施をすることができる程度に本願明細書の発明の詳細な説明には記載されていないと判断していることを前提とした上,審決は,Rが-CNである場合を削除して,Rが-CONH2である場合に絞るなどの補正の機会を与えなかったことになるというにある。
しかしながら,審決は,「医薬についての用途発明は,特定の物質又は組成についての確認された薬理効果を専ら利用するものであることから,薬理効果が薬理データ又はそれに代わり得る具体的記載によって明細書に確認できるように記載されていることが必要である。
そこで,本願明細書を検討すると,医薬としての物質,適用対象疾患,投与量,投与方法及び製剤形態については記載されているものの,具体的に投与される薬物及び投与量,それによる効果については具体的なデータは何ら記載されていない。」(別紙審決の理由53〜58行)と認定した上で,結論として「本願は,特許法第36条第3項に規定する要件を満たしていないので,拒絶すべきものである。」(別紙審決の理由66〜67行)と判断している。Xが指摘する,審決の「RがCNである化合物についてはムスカリン様受容体拮抗物質として多少の活性を有していることのみしか記載しておらず,この化合物が医薬として請求項1に掲げられた適用対象疾患の治療薬としての効果を奏するのかどうかも不明である。」との説示部分(別紙審決の理由59〜61行)は,上記判断における補充的な部分と位置づけられる。
このように,審決は,本願発明のうち,Rが-CNである本願発明部分についてのみ判断しているものではなく,取消事由1に係るXの主張は前提を欠き,理由がない。
2 取消事由2について
(1)本願発明1は,請求項1の記載からすると,「式:(注;式は省略)〔式中,Yは,直接結合,-CH2-,-(CH2)2-,-CH2O-,又は-CH2S-であり;Rは-CN又は-CONH2であり;そして,R1は式:(注;式は省略)又は”Het”(ここで,X及びX1は,各々別個にO又はCH2であり;mは,1,2又は3であり;そして”Het”は,ピリジル基,ピラジニル基又はチエニル基である)の基である〕の化合物又はその薬学的に受容できる塩,及び薬学的に受容できる希釈剤又はキャリヤーより成る組成物」(以下「本願発明組成物」と表記)をその構成として有し,「平滑筋の変化した自動運動性及び/又は緊張と関連する病気」(本願発明に係る病気)の治療用という,その治療対象とする病気が特定された医薬に係る発明であると認められる。
(2)甲第1号証(本願公開特許公報)によれば,本願明細書の発明の詳細な説明に以下の記載のあることが認められる。
・・・
(3)本願発明は,上記(1)で説示したように,本願発明に係る病気の治療用という,その治療対象とする病気が特定された医薬に係る発明である。そして,本願発明に係る記載・・・には,過敏性腸症候群,憩室病,尿失禁,食道弛緩不能症及び慢性閉塞性気道病が本願発明に係る病気に含まれることが記載され,本願発明組成物を構成する化合物が心臓に対するムスカリン様受容体拮抗物質としてではなく,平滑筋に対して選択的に該物質としての活性を有することが記載されていることから,その記載は,本願発明に係る病気の治療には,上記化合物が,平滑筋に対するムスカリン様受容体拮抗物質であることが関係していると示唆するものである。なお,本願明細書の記載・・・で示される瞳孔の大きさを調整する機能にかかわる疾患は,本願発明に係る病気の例として,具体的には示されてはいない。
次に,記載・・・には,上記化合物についてムスカリン様受容体拮抗物質としての各種組織に対する選択性を測定する方法が記載され,この方法はムスカリン様受容体拮抗物質としての活性の程度を実質的に評価しているのは明らかで,記載・・・によれば,雄のモルモットの回腸,気管,膀胱及び右心房を利用して,これら組織に対する,上記活性の程度を,上記化合物の濃度を指標として評価していることが認められる。一方,記載・・・には,本願発明の実施例に係る化合物が,平滑筋に対するムスカリン様受容体拮抗物質としての有意な活性を有することが示唆されているものの,指標とする濃度を具体的に示す記載は,本願明細書には認められない。
したがって,ある化合物が,それ自体の構造からでは,特定の生物学的な活性を持っているとは必ずしも確信を持って認識し得ないというべき医薬分野の当業者にしてみれば,上記指標とする濃度が具体的に示されていない以上,上記実施例に係る化合物については,これらが,実際に上記の有意な活性を有しているのかとの疑念を生じさせるものと認めざるを得ない。そして,前記のように,記載・・・からは,本願発明に係る病気の治療には本願発明組成物を構成する化合物が平滑筋に対するムスカリン様受容体拮抗物質であることが関係すると示唆されていることからみて,ある化合物が平滑筋に対するムスカリン様受容体拮抗物質としての活性を有すれば本願発明に係る病気の治療に有効であると理解し得たとしても,そもそも,本願発明の実施例に係る化合物が実際に有意な上記活性を有していることについては疑念が生じるのであるから,当該化合物を含む本願発明組成物が,実際に本願発明に係る病気の治療に有効であることにも疑念が生じるものと認めざるを得ない。
また,記載・・・は,本願発明に係る実施例1(B)の化合物が実施例として最良のものであること,そして,該化合物10mg/kgをマウスに経口的に投与しても影響が出ず,20mg/kgを投与すると眼の瞳孔の大きさの増大のみが見られたとの実験結果を記載しているものであるが,瞳孔の大きさを調整する機能にかかわる疾患についてみれば,上記説示のように,本願発明に係る病気の例としては,具体的に示されてはいないことからして,上記の眼の瞳孔の大きさの増大が見られたとの記載からでは,当業者にとって,具体的に過敏性腸症候群,憩室病,尿失禁,食道弛緩不能症及び慢性閉塞性気道病が挙げられている本願発明に係る病気に対して,上記実施例1(B)の化合物を有する本願発明組成物が,本願発明に係る病気の治療に有効であると確信できるものではない。記載・・・には,上記した選択性を測定する方法のほかに,意識犬を利用しての,経口投与による,化合物の心臓,瞳孔や腸についての効果を評価する手法が記載されていて,当該手法と,ムスカリン様受容体拮抗物質としての活性の評価や本願発明に係る病気に対する治療の有効性との関係については明確な記載は認められないものの,当該手法は,経口投与という薬剤投与方法に注目しているものと認められる。上記実験結果も経口投与量に注目していることからして,この実験結果は,被検動物の違いがあるにしても,記載・・・に記載された上記手法を,上記実施例1(B)の化合物について適用した結果のものであると,当業者において理解するものと認めることができる。そして,この実験結果によれば,瞳孔についての効果があるというだけで,本願発明に係る病気として例示された過敏性腸症候群や憩室病のような腸についての効果はないとの評価がされているとの理解が生じるものと認められるのであって,上記実験結果は,本願発明に係る病気の治療に,最良のものと記載されている実施例1(B)の化合物でさえ,有効であることについて,相当の疑いを生じさせるものである。
(4)してみると,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載を読んだ際には,本願発明組成物の本願発明に係る病気の治療用としての有効性,すなわち,本願発明の効果に,極めて強い疑念を持つものと認めざるを得ない(甲第12号証の宣誓書もこの認定を左右するものではない。)。当業者は,本願発明を,本願発明に係る病気の治療用のものとして容易に実施することができないものと認めるのもやむを得ず,本願発明は明細書の発明の詳細な説明に当業者に容易に実施することができる程度に記載されているとはいえないのであって,これと同旨の審決の判断に誤りはなく,取消事由2も理由がない。
第6 結論
以上のとおり,X主張の審決取消事由は理由がないので,Xの請求は棄却されるべきである。」