東京高判平成6年2月3日(平成3年(ネ)第1627号)

1.判決
 原判決取消。

2.判断
「一 請求の原因1,2及び同3のうち,Yが,X主張の期間にわたり,無負荷ボール案内溝5と円周方向部分7(円筒状部分)との間に約50ミクロンの段差のあるイ号製品を製造販売した事実は当事者間に争いがない。なお,イ号製品における部材名につき,X主張の「円周方向部分7」,「プレート状部材11」,「リング状部材31」はそれぞれY主張の「円筒状部分7」,「保持器11」,「リターンキャップ31」と同一部材であることは当事者双方の主張自体から明らかであるから,以下においては,本件発明との混同を防止する観点から,「円筒状部分7」,「プレート状部材11」,「リターンキャップ31」の用語を使用することとする。
二 請求の原因4のうち,イ号製品が構成要件C,D及びEを充足することはYにおいて明らかに争わないところであるから,以下,イ号製品が構成要件A及びBを充足するか否かについて,検討する。
  1 構成要件Aについて
    当事者間に争いのない構成要件Aによれば,同構成要件は本件発明の外筒の構成を規定したものであることは明らかである。そこで,本件明細書に即して,構成要件Aの技術的意義について検討するに,成立に争いのない甲第1号証(本件発明の出願公告公報)によれば,以下の事実を認めることができる。すなわち,本件発明は,軸方向の運動を支持するのみならず,トルク伝達の回転運動を単独又は軸方向の運動と複合して使用することのできる無限摺動用ボールスプライン軸受に関する発明である(1頁1欄下から7行ないし4行)。無限摺動用ボールスプライン軸受に関する従来技術は,トルク伝達用無負荷ボールを外筒の外側方向(半径方向)に循環させるとともに,負荷ボールが接触走行する溝の形状が,スプラインシャフト及び外筒共,V字形状とする構造であったため,トルク伝達に必要な軸径に比し,軸受外径が著しく大きくならざるを得ないこと,大トルクを伝達するためにはスプラインシャフトの外径が必然的に大きくなること,無負荷ボールが半径方向に循環するため,ボールスプライン軸受を高速回転させながらボールを軸方向に移動させる場合,ボールに遠心力差が生ずるため,スムーズな循環運動が阻害され,円滑な直線運動を得ることができないなどの欠点を有していた(前記1欄下から3行ないし2欄20行)。本件発明は,以上のような欠点の解消を課題とし,許容伝達トルクを減少することなく,軸径寸法に比し,軸受外径寸法を極端に小さくすることを可能にするとともに,スプラインシャフトを引き抜いた場合でも,ボールの脱落を防止することを可能としたものである(前記2欄21行ないし27行)。そして,本件明細書には,実施例における外筒に関して,「鋼管あるいは鋼材より旋削した外筒1の内壁に,旋削,研磨工程により断面U字状で幅が比較的広く,かつ内径からの深さが深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝5と,該トルク伝達用無負荷ボール案内溝5よりはやや浅いトルク伝達用負荷ボール案内溝6を軸心方向に交互に形成することによって複数個の分岐帯頂壁16,17,18,19,20,21が形成され,そしてこれら分岐帯頂壁16〜21のトルク伝達用負荷ボール案内溝16(6の誤記と認められる。)側にはボールの曲率を有するボール転走面22,22・・・が形成される。」(1頁2欄30行ないし2頁3欄3行),「前記外筒1のトルク伝達用無負荷ボール案内溝5と,トルク伝達用負荷ボール案内溝6と一致するように嵌挿する保持器の隔壁を介して複数個形成したトルク伝達用無負荷ボール溝とトルク伝達用負荷ボール溝間に多数のボールを充填し,嵌めこむことによってトルク伝達用負荷ボール溝の2列のボール間の台形状の凹部に一致する突出部10,10,10を軸方(「軸方向」の誤記である。)に形成したスプラインシャフト9を嵌め込み,ストップリング17,17によって外筒1から保持器2の逸出を完全に防止することができる。」(同3欄22行ないし32行),「本発明の無限摺動用ボールスプラインは以上のように構成されているので,スプラインシャフト10(9の誤記と認められる。)あるいは外筒1が軸方向に回転しつつ移動すると,外筒と保持器内のボール即ちトルク伝達用負荷ボールは前記保持器2の長孔13より露出し,スプラインシャフトの台形凸部10の斜面部14と外筒1のU字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝16(6の誤記と認められる。)との間に完全なころがり接触をしつつ走行し,その接触角はトルクの伝達方向に近く,そしてアンギュラコンタクトタイプの軸受がスラスト荷重を受けられるのと同様にトルク方向の荷重を確実に受け,しかも,トルク伝達用負荷ボールがスプラインシャフト9の突出部10,10,10をそれぞれ左右から狭み(「挟み」の誤記と認められる。)込むように配設されているため,アンギュララッシュを零にすることができ,また,プリロードをかけることもできるので,ボールスプラインの寿命を増大することができ,かつ,スプラインシャフトの回転方向において3ケ所が有効に働き,ボールの負荷能力を最大限生かせることのできる特徴を有する。また,トルク伝達用無負荷ボール案内溝はトルク伝達用負荷ボール案内溝よりもわずか深めのU字溝を必要とするのみであるから,軸径に対する軸受外径は極端に小さくできる特徴を有する。」(同3欄33行ないし第4欄13行)との各記載があることが認められる。
    以上によれば,本件発明を外筒の構成,とりわけトルク伝達用負荷ボール案内溝及びトルク伝達用無負荷ボール案内溝の構成の技術的意義という観点からみると,本件発明は,スプラインシャフトと負荷ボールの接触形式にアンギュラコンタクト構造を採用することにより,トルク方向の荷重を確実に受けることを可能にするとともに,右接触構造を二条の負荷ボールがスプラインシャフトの凸部を左右から挟持する複列タイプとすることにより,アンギュララッシュを零にするとともにプリロードを効果的にかけることを可能とし,また,無負荷ボールの循環を円周方向に設けたトルク伝達用無負荷ボール案内溝とする構成を採用することにより,スプラインシャフトの軸受外径を極端に小さくして,ボールスプライン軸受を小型,軽量化すると同時に,循環ボールに加わる遠心力差をなくすことを可能とすることによってボールの循環運動をスムーズならしめ,円滑な直線運動を実現したボールスプライン軸受であると認められる。
    また,いずれも成立に争いのない甲第25号証(昭和59年10月31日財団法人日本規格協会発行,【A】編集「日本工業規格 ラジアル形ボールスプライン」),同第26号証(X作成の「発明大賞に輝くTHKボールスプラインの特性」と題するパンフレット)及び甲第39号証(X代表者の陳述書)によれば,本件明細書が指摘したボールスプライン軸受に関する前記の従来技術とは,ラジアルタイプのボールスプライン軸受であり,この種の軸受においては,ボールとボールが接触する軌道面(溝)にゴシックアークの接触形式(V式形溝形状)が採用されていたことから,プリロードをかけると差動すべり量が大きくなり,ころがり接触がすべり接触に変化するため,プリロードをかけることができないという欠点を有していたところ,アンギュラコンタクトの接触形式の場合には,プリロードをかけた場合にも,差動すべり量が大きくならず,良好なころがり運動が可能になるとの事実を認めることができる。
    以上の認定を基礎として,本件発明が採用した複列タイプのアンギュラコンタクトの接触形式の観点から外筒の断面U字状の溝形状の技術的意義をみると,負荷ボールとアンギュラコンタクト接触するのは,断面U字状をしたトルク伝達用負荷ボール案内溝の両隅部(前記実施例ではボールの曲率に形成されたトルク伝達用負荷ボール案内溝の転走面22がこれに当たる。)とスプラインシャフトの凸部(前記実施例では台形突部10の斜面部14がこれに当たる。)であり,前者が二列で一組となって右凸部を左右から挟持する構造であることが明らかである。そして,トルク伝達用負荷ボール案内溝の溝底中央部は,前記凸部を案内して収容することが可能であれば足り,それ以上に負荷ボールとの接触等の役割を有するものではない。これに対し,トルク伝達用無負荷ボール案内溝は,無負荷ボールの円周方向循環を可能ならしめるに過ぎないものであるから,軸受外径を可能な限り小さくすることが可能であれば足り,その溝形状が特定の形状でなければならないとの技術的要請を見いだすことはできず,この意味で,前記の小型,軽量化の要請を満たす限り,専ら,製造上の便宜等に基づいて適宜決定しても差し支えがないということができる。
    本件発明が採用した外筒の構成の有する以上の技術的意義は,本件明細書における前記の開示事項に照らせば,本件明細書に接した当業者であれば,十分に読み取ることが可能というべきであるから,以下,これを踏まえて,イ号製品の構成要件Aの充足の有無について具体的に検討する。
    (一)イ号製品の対をなす「断面半円状」の溝が本件発明の「断面U字状」の溝の要件を充足するか否かについて検討する。
      当事者間に争いのないイ号製品の前記構造に照らすと,イ号製品も本件発明と同様にスプラインシャフトの凸部をトルク伝達用負荷ボール案内溝の負荷ボールが左右から挟み込む複列タイプのアンギュラコンタクト構造のボールスプライン軸受であることは明らかである。そして,かかる接触構造からすると,負荷,負荷,無負荷,無負荷と連続する断面半円状のボール案内溝は,隣接する二列の負荷ボール案内溝が一組となり,右各案内溝の両隅部と前記凸部との間で負荷ボールを挟持するものであることは明らかである。ところで,イ号製品の外筒の負荷ボール案内溝の間には突堤25,27,29が設けられてはいるが,右突堤は,その上方にスプラインシャフトの凸部を収容する場所的空間が確保されているというに止まり,それ以上に負荷ボールとスプラインシャフト凸部との前記の接触に直接の関係を有するものでないことは,前記の接触構造自体から明らかである(もっとも,右突堤がプレート状部材11の側部と共働して負荷ボールの脱落を防止する機能を有し,また,この結果,右突堤とその左右に保持された二列の負荷ボールによってスプラインシャフトの凸部を案内する凹部形成機能を有することはいずれもイ号製品であることに争いのない検甲第5,第6号証及び乙第1,第2号証をみれば明らかであるが,この点は本件発明の保持器の機能と対比すべきものであるから,後に論及することとする。)。また,イ号製品の断面半円状の無負荷ボール案内溝は,負荷ボールを円周方向へ循環させるためのものであってアンギュラコンタクト接触とは何ら関係を持たない点において本件発明と同様であることは,イ号製品の構造自体から明らかである。
      本件発明における断面U字状の溝形状及びイ号製品における断面半円状の溝形状の技術的意義は前述したとおりであり,以上の溝形状を対比すると,確かに,本件発明が「断面U字状」と規定するのに対し,イ号製品は「断面半円状」であるから,その形状が一見相違するかのようであるが,これを両者が採用しているところの複列タイプのアンギュラコンタクト構造の接触という技術的観点からみた場合,スプラインシャフトの凸部を案内する場所的空間を確保するという点において本件発明の「断面U字状」溝の溝中央部と共通の技術的意義を有しているが,それ以上に突堤それ自体の技術的意義を見いだすことはできず,また,スプラインシャフトの凸部案内のための場所的空間の確保という点に限ってもイ号製品の突堤が特に優れた効果をもたらしているものと認めるに足りる証拠もない。この意味において,イ号製品の「断面半円状」の負荷ボール案内溝を複列タイプのアンギュラコンタクト構造という観点から技術的に意義のある二条で一組の溝として捉えた場合,そこに「断面U字状」の溝を観念することが可能というべきで,右の技術的観点からみる限り,イ号製品の二条で一組をなす「断面半円状」の負荷ボール案内溝は,本件発明の「断面U字状」の負荷ボール案内溝の底面に技術的には意義を認め難い突堤を設けたに過ぎないものということができるから,両者の溝形状は実質的に同一と認めて差し支えないものというべきである。そうであればこれと格別区別して扱う技術的理由がない無負荷ボール案内溝についても同様に考えて差し支えないものというべきである。
      Yは,Xのこの点に関する主張は本件発明の出願過程において「断面U字状」の溝形状が必須の要件であると述べていることからすると,禁反言の原則に反し許されないと主張するので,この点を検討するに,いずれも成立に争いのない甲第30号証(本件発明に関する昭和54年5月1日付け特許異議答弁書)によれば,Xは,右答弁書にYが主張するとおりの記載をしている事実を認めることができる。そこで更に右答弁書の記載を検討するに,右甲号証によれば,右答弁書は異議申立人が公知技術として特公昭44-2361号公報(甲第10号証),ドイツ連邦共和国特許第1450060号公報(乙第2号証)及び米国特許第3494148号明細書(乙第10号証)を援用して推考容易を主張したことに対する反論を記載したものと認められるところ,右答弁書中には,一般的な記載として「断面U字状」の溝が必須要件である旨の記載はYも援用するように認められるところであるが,前記の各公知技術との関係において「断面U字状」に限定し,この形状こそが本件発明の特徴であるとして,「断面半円状」の溝形状を意識的に排除したとまで認めるに足りる記載を見いだすことは困難であり,このことは,前記申立てに対する異議決定である成立に争いのない乙第1号証を精査しても同様であり,他にこれを認めるに足りる証拠はない。そうすると,前記程度の記載をもって,Xの前記主張が禁反言の原則に反し許されないとまでいうことはできないから,Yのこの点に関する主張は採用できない。
      また,Yは,イ号製品の「断面半円状」の溝形状は本件発明の「断面U字状」の溝形状が有する製造上の無駄の解消を目的として採用したものであると主張するところ,本件全証拠を検討しても「断面U字状」の溝形成に製造上の無駄が存在することを認めるに足りる的確な証拠はない。
      そうすると,イ号製品は,本件発明の「断面U字状」の溝形状の要件を充足するというべきである。
    (二)イ号製品の「円筒状部分7」は,本件発明の「円周方向溝」の要件を充足するか否かについて検討する。
      本件発明の特許請求の範囲の記載によれば,本件発明においては,外筒内において無限軌道溝を形成し,ボールが180度の方向変換を行う構造であることは明らかである。ところで,前項に認定したように,本件発明の外筒にトルク伝達用負荷ボール案内溝及びトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸方向に交互に設けた場合,その溝間に分岐帯頂壁が残存するため,前記のように外筒内でトルク伝達用負荷ボール案内溝からトルク伝達用無負荷ボール案内溝へと方向変換を行うためには,障害となる分岐帯頂壁を除去し,方向変換を可能とする空間の必要が生ずることは明らかなところである。このように外筒の端部において,ボールの180度方向変換の障害となる分岐帯頂壁を除去し,方向変換を可能とする空間を提供するために円周方向溝を設ける必要があることはボールの方向変換の構造上明らかなところというべきである。そして,この場合,円周方向溝の深さの設定に当たり,これをトルク伝達用負荷ボール案内溝の深さと同一にした場合には,ボールが方向変換の出入口においてシャフトと干渉するであろうことは容易に推認できる反面,可能な限り小型化を図る観点からトルク伝達用無負荷ボール案内溝と同一の深さとすることは極めて合理的な選択であり,本件発明においてもかかる観点から同一深さを選択したものと推測されるところである。
      次に,イ号製品についてみると,同製品においても,外筒内でボールの180度の方向変換を行うものであり,かつ,断面半円状の溝を形成している以上,ボールの方向変換のために残存する壁を除去して,方向変換のための空間を提供するという技術的要請が欠かせないものであることは当然のことであり,イ号製品の円筒状部分7が少なくともかかる技術的要請を充足するものであることは明らかというべきであって,このように外筒内におけるボールの方向変換を図るために必要な技術的要請を充足する点でイ号製品の円筒状部分7と本件発明の円周方向溝は変わるところがない。
      これに対しYは,本件発明における円周方向溝は文字どおり溝,すなわち側壁を有する構造であるのに対し,イ号製品は円筒状であるに過ぎないからこの点において構成を異にすると主張するので検討するに,確かに,一般に「溝」とは,国語的意義においては,左右に側壁を有する構造を意味するものであり,本件明細書によれば,本件発明の実施例では,分岐帯頂壁の円周方向溝を挟んだ外筒端部側に側壁があり,これが溝構造を形成していることが認められるところであり,これに対し,イ号製品の円筒状部分7にはかかる溝が形成されていないことは前掲検甲第5,第6号証及び乙第1,第2号証から明らかである。そこで,本件発明における前記側壁の技術的意義についてみるに,本件明細書によれば,右側壁は外筒に断面U字状の溝と円周方向溝を形成した際の不要部分として残存した部位であることが推認されるに止まり,本件発明の奏する効果と関連した何らかの技術的意義を有するものと認めるに足りる記載を見いだすことはできない。そして,このことは,右側壁が前記のとおり分岐帯頂壁の円周方向溝を挟んだ外筒端部側に不連続状に存在していて完全な溝形状を構成していないことからも窺われるところである。そうすると,この点に関する差異は,技術的な意義を有する差異とは認め難いから,この点において構成が異なるとすることはできず,Yの主張は採用できない。
      次に,イ号製品における円筒状部分7と無負荷ボール案内溝との間に約50ミクロンの段差があることは当事者間に争いがなく,本件発明の円周方向溝とトルク伝達用無負荷ボール案内溝とが前記のとおり同一深さと規定していることからすると,両者はこの点において構成を異にするものといえなくもないところである。しかも,Yは,右の差異は方向変換路の構成に関する技術思想の相違に基づくものであると主張する。すなわち,Yは,本件発明においては,円周方向溝は方向変換路の構成要素であるのに対し,イ号製品においては,ボールの方向変換路はプレート状部材11の端部のボール変更溝とリターンキャップ31のボール変更溝で行うように構成されているから,円筒状部分7はボールの方向変換とは無関係であり,この意味で,円筒状部分7が存在しなくても差し支えなく,前記の段差は,リターンキャップ31との嵌め合いの役割を果たしていると主張する。
      そこで,まず,前記の約50ミクロンの技術的意義について検討するに,成立に争いのない甲第41号証によれば,Xは,本件発明の実施としてボールスプライン軸受を製造するに当たり,円周方向溝がトルク伝達用無負荷ボール案内溝より50ミクロン深く切削されることを加工許容差として容認していること,また,完成品について右加工許容差を実測したところ,平均で約46ミクロンの段差を生じていた事実を認めることができ,他にこれを左右する証拠はない。そうすると,右事実によれば,本件発明に係る無限摺動用ボールスプライン軸受の円周方向溝とトルク伝達用無負荷ボール案内溝との間に50ミクロン程度の加工誤差に起因する段差を生じても,無限摺動用ボールスプライン軸受の機能の発揮に何ら影響するものではないものと推認することができる。そして,成立に争いのない甲第43号証1ないし3(1992年7月30日,日刊工業新聞社発行,【B】編,実際の設計研究会著「続・実際の設計」)には,「寸法には必ず上限値と下限値があり,ある幅をもっている。したがって,機械部品の寸法は図5・1に示すように基準寸法(=呼び寸法)およびそれに対する許容差(=公差)で指示される。」(76頁下から4行ないし1行),「寸法は必ず加工誤差と測定誤差を含む」(78頁4行),「同じ寸法で加工したつもりでも実寸法は厳密には同じにならない。同様に測定の結果が同じでも測定誤差以下の寸法精度は保証できないため,実寸法は同じとはいえない。公差はこのような加工誤差や測定精度を,機能上さしつかえない範囲で許容するものである。」(同頁5行ないし8行),「通常の切削加工には±0.02mm以上の精度を期待してはいけない。」(87頁1行)等の各記載があることが認められるところ,右各記載内容によれば,通常の切削加工においては,±20ミクロン程度の誤差は不可避的に生ずるものであるとの事実が認められる。そうすると,前記の本件発明の実施品にみられる約50ミクロンの加工誤差を右の通常の切削加工において不可避的に生ずる誤差(これを円周方向溝と無負荷ボール案内溝の各切削工程についてみると,それぞれについて±20ミクロン程度の加工誤差が許容される関係上,右両溝間に合わせて40ミクロン程度の段差が許容されることになる。)と対比すると,おおむね同程度の誤差といって差し支えなく,このことからすると,本件発明の実施品やイ号製品の製造に当たっても,±20ミクロン程度の加工誤差が不可避的に生ずるところの通常の切削加工が行われているものと推認されるところである。そこで,このような通常の切削加工の実際を踏まえ,イ号製品に存在する前記の約50ミクロンの段差をみると,それが技術思想を異にする結果であるというのであるならば,前記のような不可避的に生ずる加工上の誤差と区別が困難な程度の段差に止めるということは疑問であり,技術思想の差を説明する根拠の数値としては余りにも僅少であるといわざるを得ない。この点に関し,Yは右段差約50ミクロンは専ら適切な「嵌め合い」の見地によるものである旨主張するに止まり,それ以上に右数値を選択したことについて具体的な技術的根拠を説明していない。
      次に,ボールスプラインに関する発明が成立するためにはボールの方向変換を案内する機能と方向変換中のボールの脱落を防止する機能を有する方向変換路が不可欠であるところ,本件発明においては,円周方向溝が右変換路の一部を構成するのに対し,イ号製品の円筒状部分7は右変換路の構成要素ではないから,この点において構成を異にする旨のY主張について検討する。
      本件発明の保持器の構成を規定する構成要件Bによれば,本件発明においてボールの無限循環を案内するのは,薄肉部と厚肉部の境界壁に形成した貫通孔(実施例では環状孔)及び厚肉部に形成した無負荷ボール案内溝でボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝を形成するものであることは,右構成要件自体から明らかである。そして,同構成要件によれば,無限軌道溝のうち,ボールが180度方向変換する部分の具体的な構成について,これを特定の形状に限定する記載は存しないが,いずれにしても,前記の貫通孔と無負荷ボール案内溝からなる無限軌道溝によって,ボールの無限循環案内が実施されるものであり,本件発明の特許請求の範囲の記載をみても,この無限循環案内に円周方向溝が関与していること,換言すれば,Y主張のように円周方向溝が方向変換路の構成要素であることを窺わせる記載はない。そうすると,ボールの無限循環案内の機能について,円周方向溝と円筒状部分7との間に差異はないというべきである(なお,円筒状部分7がボールの無限循環案内に関与していないことはYの自認するところである。)。
      また,前記のボールの脱落防止の機能についてみるに,前述のように,本件発明の無限軌道溝のうち,ボールが180度方向変換する部分の構成に何らの規定がないことからすると,右部分の構成が実施例に示されたものに限定されると解するのは相当ではないが,この点は一応置くとして,本件明細書によれば,本件発明の実施例として示されたものにおいては,円周方向溝がボールの外筒外方向への脱落を防止する機能を果たしているものと認めることができる。そこで,イ号製品についてみると,弁論の全趣旨により成立の認められる甲第24号証によれば,イ号製品においても方向変換するボールは円筒状部分7と接触している事実が認められ,他にこれを左右する証拠がなく,この事実に照らすと,本件発明の実施例と同様にイ号製品でも円筒状部分7はリターンキャップ31内を方向変換するボールの落下防止のための機能を果たしていることは明らかである。ボール方向変換は同部分が存在しなくても差し支えないとするYの前記主張は採用し難い。
      以上によれば,Y主張の方向変換路なる観点から検討しても,本件発明の円周方向溝とイ号製品の円筒状部分7との間に機能上の差異はないというべきであるから,この点において構成を異にするとのYの前記主張は採用できない。
      このように,前記のイ号製品における円筒状部分7の僅か約50ミクロンの段差が異なる技術思想に基づくものであるとするY主張は疑問とせざるを得ないのであり,そうであれば,右数値に特段の技術的意義を見いだすことはできない。反面,本件発明においても,前記のように円周方向溝が方向変換路の構成要素とされていないこと(なお,イ号製品の円筒状部分7も本件発明の実施例における円周方向溝もボールの落下防止に実質的に寄与している。)ことに鑑みれば,イ号製品における円筒状部分7は本件発明の円周方向溝と技術的意義において,実質的に同一と認めて差し支えがないから,イ号製品は本件発明の「円周方向溝」の要件を充足するというべきである。さらに,Yは,本件発明の特許請求の範囲において,トルク伝達用無負荷ボール案内溝と円周方向溝を同一深さと規定したのは,とりもなおさず,円周方向溝を方向変換路の一部としたことに他ならないと主張するが,既に説示したように,ボールの無限循環案内は保持器の無限軌道溝が果たしていることは本件発明の特許請求の範囲の記載から明らかであるから,円周方向溝が方向変換路として右無限循環案内の機能を果しているというのであれば,Yの前記主張は失当であるし,また,イ号製品の円筒状部分7は無限循環案内及びボールの落下防止機能のいずれにも関与していないとするならば,前記認定のように,同部分がボール落下防止機能を果たしている事実に照らして採用し難く,いずれにしても,この点に関するYの主張は採用できない。この点に関連して,Yは,円筒状部分7を切り取ったイ号製品であることに争いのない検乙第1,2号証を援用するが,これらは約50ミクロンの段差しか有さない現実のイ号製品とは異なるものであるから,これをもって,Yの前記主張の裏付けとすることは相当ではないというべきである。
  2 構成要件Bについて
    (一)本件発明の前記特許請求の範囲の記載によれば,構成要件Bは,本件発明の保持器の構成を規定したものであることは明らかである。そして,右特許請求の範囲の記載によれば,保持器は,無負荷ボール溝を形成した厚肉部,薄肉部,厚肉部と薄肉部の境界壁に形成した貫通孔,及び,厚肉部の無負荷ボール溝と貫通孔との間でボールがスムーズに移動可能とする無限軌道溝を具備した一体構成からなり,厚肉部は外筒のトルク伝達用無負荷ボール案内溝と,薄肉部はトルク伝達用負荷ボール案内溝とそれぞれ一致して外筒に嵌挿されるものであると解することができる。そこで,さらに本件明細書に即して,構成要件Bの技術的意義について検討するに,前掲甲第1号証によれば,従来のボールスプライン軸受においては,外筒とスプラインシャフトとの間に保持器等を介在させる余裕がないため,スプラインシャフトを取り除いたとき,ボールが脱落する恐れが十分にあった事実を認めることができる。そして,本件明細書には,本件発明の実施品に関して,「トルク伝達用無負荷ボールとトルク伝達用負荷ボールを案内する保持器は中空筒体にして,前記外筒内壁に形成したトルク伝達用無負荷ボール案内溝5とトルク伝達用負荷ボール案内溝6に一致するように厚肉部11と薄肉部12を形成すると共に該厚肉部11に複数のトルク伝達用無負荷ボール溝15,15を形成し,該厚肉部11と薄肉部12との両境界部のトルク伝達用負荷ボール溝(「トルク伝達用負荷ボール溝6」は誤記である。)にはそれぞれトルク伝達用負荷ボールが脱落しない程度の即ちボール径寸法よりもやや幅の狭い長孔13を貫通せしめて形成し,さらに厚肉部11と薄肉部12との境界部から厚肉部11へボールの移動可能ならしむるべく環状溝(「環状溝16」は誤記である。)を形成し,保持器に複数個の無限軌道溝を形成することになる。次に,前記外筒1のトルク伝達用無負荷ボール案内溝5と,トルク伝達用負荷ボール案内溝6と一致するように嵌挿する保持器の隔壁を介して複数個形成したトルク伝達用無負荷ボール溝とトルク伝達用負荷ボール溝間に多数のボールを充填し,嵌め込むことによってトルク伝達用負荷ボール溝の2列のボール間の台形状の凹部に一致する突出部10,10,10を軸方に形成したスプラインシャフト9を嵌め込み,ストップリング17,17によって外筒1から保持器2の逸出を完全に防止することができる。」(2頁3欄7行ないし32行)との記載が認められる。
      以上によれば,本件発明における保持器は,厚肉部の無負荷ボール溝,長孔13及び環状溝によってボールの無限循環を案内し,長孔13によって,スプラインシャフトを引き抜いた時の負荷ボールの脱落を防止し,また,二列の長孔13によって保持された二列の負荷ボールによって凹部を形成し,この凹部にスプラインシャフトの凸部を案内する機能を有する中空筒体の一体構造のものであると認めることができる。
      これに対し,当事者間に争いのないイ号製品の前記構造に照らすと,イ号製品は,二列の負荷ボール案内溝間の突堤上端部とその左右に位置するプレート状部材11の側壁によって形成される長孔,同プレート状部材に形成した無負荷ボール溝及びリターンキャップ31に形成した環状溝によってボールの無限循環を案内し,前記長孔によってスプラインシャフト引き抜き時の負荷ボールの脱落を防止するとともに,二列の長孔内にある負荷ボールによって凹部を形成し,右凹部にスプラインシャフトの凸部を案内する構造であるということができる。
      以上によれば,本件発明の保持器は一体構造であり,保持器自体によってボールの無限循環案内,スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有するのに対し,イ号製品は,外筒の負荷ボール案内溝間にある突堤上端部とプレート状部材11及びリターンキャップ31の三つの部材の協働によって本件発明の保持器の前記各機能を実現しているものであるから,両者がその構成を異にすることは明らかというべきである。
    (二)ところで,特許発明の技術的範囲に属するか否かは,法的安定性の見地から,原則として,発明の構成に欠くことのできない事項のみが記載された特許請求の範囲に記載された構成により決めるべきものであって,例えば物に係る特許発明と侵害を主張される物品がその一部の構成を異にする場合においては,当該物品は当該発明の技術的範囲に属さないものというべきである。しかし,その場合であっても,解決すべき技術的課題及びその基礎となる技術的思想が特許発明と侵害を主張される物品において変わるところがなく,したがって,侵害を主張される物品が特許発明の奏する中核的な作用効果を全て奏することとなる反面,これに関連する一部の異なる構成について,これに基づいて顕著な効果を奏する等の格別の技術的意義が認められず,かつ,当該特許発明の出願当時の技術水準に基づくとき,右一部の異なる構成に置換することが可能であるとともに,容易に右置換が可能である場合には,例外として,侵害を主張される物品は特許発明の技術的範囲に属するものとして侵害を構成するものと解するのが相当というべきである。けだし,このように解さないと,新たな技術を社会に開示した代償として特許権を付与されたことを容易に無意味ならしめることに帰し,特許制度の趣旨にもとる結果を招来するからである。もとより,特許権の保護と同時に第三者に対する法的安定性の要請も十分に考慮することが必要であることはいうまでもないことであるが,前述した要件のもとに技術的範囲に属するか否かを判断する場合には,法的安定性の要請も十分に図られるものということができる。そこで,以上の観点から,以下,検討することとする。
      (1)まず,本件発明の技術課題についてみるに,既に認定したように,本件発明は,従来の無限摺動用ボールスプライン軸受が有した,@負荷ボールとスプラインシャフト及び外筒に設けられた溝との接触がゴシックアーク形式であるためトルク伝達力が弱く,アンギュララッシュが生じ,プリロードをかけることができない欠点,Aボールの循環が半径方向であるため,必然的に軸受外径が大きくなるざるを得ず,かつ,ボールが遠心力の影響を避けられず,円滑なボール循環ができない欠点,Bスプラインシャフト引き抜き時におけるボールの脱落が防止できない欠点の解決を主要な解決課題としたものである。そして,右欠点を一挙に解決するべく,前記特許請求の範囲記載の構成を採択したものであり,その中心的構成が構成要件AないしC(外筒,保持器,スプラインシャフト)の組合せにあることは,前記課題と本件発明の構成を対比すれば明らかなところである。本件発明は,無限摺動用ボールスプラインにおける主要な部材である外筒,スプラインシャフト及び保持器を右各構成要件のように構成して,組み合わせることにより,確実なトルク伝達力の確保及び円滑なボール循環並びに小型,軽量化を同時に実現した点にその技術的思想が存するものといえる(なお,この点について,Yは,本件発明は,アンギュラコンタクト接触構造,円周方向変換及び保持器という従来周知の技術の寄せ集めに過ぎないと主張するが,本件全証拠をみても,本件発明が出願されるまでに,単一の無限摺動用ボールスプライン軸受において,右の各技術を有機的に統合し,本件発明が奏する前記の各種効果を一挙に実現したボールスプライン軸受が存在したことを認めるに足りる証拠はないから,右主張は採用でない。)。そして,本件発明は,この結果,許容伝達トルクを減少することなく,軸径寸法に比し,軸受外径寸法を極端に小さくすることができ(アンギュラコンタクトの接触構造及びボールの円周方向変換の採用),アンギュララッシュを零にすることが可能であるとともにプリロードをかけることができ(複列タイプのアンギュラコンタクトの接触構造の採用),スプラインシャフトの引き抜き時に,ボールの脱落を防止できる(保持器の採用)との効果を得て,前記の全ての課題を一挙に解決したものと認めることができ,右効果こそ本件発明の中核的な作用効果であるということができる。
        これに対し,イ号製品が保持器以外の構成において本件発明と同一の構成を具備し,かつ,本件発明の奏する前記の中核的な作用効果の全てを奏することはこれまで述べてきたイ号製品の構造に照らして明らかである。
        そこで,イ号製品のプレート状部材11,リターンキャップ31及び突堤25,27,29の奏する作用効果についてみると,Yは,イ号製品は本件発明に比して製造,組立が容易であるという効果を奏すると主張するので検討するに,イ号製品は本件発明が保持器を一体構造のものとするのに比し,同様の効果を三枚のプレート状部材11,二個のリターンキャップ31と部材点数において相当増加することからすると,直ちに,イ号製品の方が製造,組立上,容易であるといえるかについては疑問とせざるを得ないし,他にこれを認めるに足りる的確な証拠もない。なお,イ号製品の無負荷ボール案内溝間にある突堤26,28,30はプレート状部材11の位置決め機能を果たしていることが認められるが,元来,かかる位置決め機能は本件発明の薄肉部を外筒の突堤に置換した結果,分割構成を採用せざるを得なくなったために生じたものであるから,これを新たな作用効果と評価することはできないものというべきである。
        そうすると,イ号製品は本件発明の中核的な作用効果を全て奏するというべきであり,このことからすると,その基本とする技術的課題及びその基礎となる技術的思想において本件発明と変わるところはないものということができる。
      (2)そこで,以下,本件発明の構成要件Bである保持器とイ号製品の3枚のプレート状部材11,二個のリターンキャップ31及び負荷ボール案内溝間の突堤25,27,29との置換容易性について検討する(なお,両者間の置換可能性はYも自認するところである。)
        両者を対比すると,イ号製品は本件発明の保持器における薄肉部を外筒の突堤に置換することにより,本件発明と同一のボールの無限循環案内,ボールの脱落防止及びスプラインシャフトの凸部の案内の各機能を果たしているものと認めることができる。そして,イ号製品は本件発明の保持器における薄肉部を外筒の突堤に置換した結果,本件発明のような一体構造の保持器の採用が困難となり,必然的に,三枚のプレート状部材11及び二個のリターンキャップ31の構成を採用せざるを得なかったものと認められるから,結局,前記のような機能を有する薄肉部を外筒の突堤に置換することが容易であるか否かを検討すれば足りるものというべきである。
        いずれも成立に争いのない甲第11号証(米国特許第3398999号明細書,昭和43年12月17日特許庁図書館受入)及同第42号証(弁理士【C】作成の見解書)によれば,右明細書の第7,第8図にはボールスプラインが記載されており,右ボールスプラインにおいては,ボールが通過する軌道22,24の間にある外筒に設けられた突出部84とボール保持手段である80,82の縁部でボールを保持している構成が開示されている事実を認めることができ,他にこれを左右するに足りる証拠はない。
        そうすると,右軌道22,24が負荷ボール案内溝に,また,突出部84が突堤に相当することは明らかであるから,右開示事項に基づいて当業者が本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換することは極めて容易というべきであり,他にこれを困難ならしめる証拠はない。
        更に念のため,プレート状部材11とリターンキャップ31についてその置換容易性を検討すると,成立に争いのない甲第13号証(米国特許第3360308号明細書,昭和43年3月1日特許庁資料館受入)には,無限摺動用ボールスプライン軸受において,スプラインシャフト引き抜き時にボールの保持機能を有する保持器に関して,スロット40を有する一体構造の円筒状ボール保持スリーブ38,一体構造の終端キャップ22及び三分割された終端キャップ20からなる保持器が構成される例(実施例第1図ないし第4図),三分割された円筒状ボール保持スリーブ46(その端面であるエッジ64,68によりスロット67を形成する。),一体構造の終端キャップ72,73からなる保持器が構成される例がそれぞれ開示されている事実が認められ,他にこれを左右する証拠はない。そうすると,右の円筒状ボール保持スリーブがイ号製品のプレート状部材11に,終端キャップがリターンキャップ31に相当することは,当業者がみればその機能からみて明らかなところであるから,右に開示されたボールスプライン軸受の保持器の構成に基づいて,本件発明の保持器の構成をイ号製品のプレート状部材11とリターンキャップ31の構成に置換することは容易というべきであり,他にこれを困難ならしめる証拠はない。なお,右明細書に開示されたボールスプライン軸受は,複列タイプのアンギュラコンタクト構造を採用していない等の点において,本件発明やイ号製品と基本的なボールの接触構造を異にするが,既に述べてきたところから明らかなように,保持器の構成は,ボールの接触構造によって根本的に異なるものとは認められないから,これらの差異が前記の置換の障害となるものではないというべきである。
        なお,Yはイ号製品におけるプレート状部材11とリターンキャップ31からなる方向変換路の構成は特許を付与されていることからしても置換容易性ないし自明性がないことは明らかであると主張するので,検討するに,いずれも成立に争いのない乙第12,第13号証によれば,Yは発明の名称をボールスプラインとし,その特許請求の範囲には「円筒内壁に略半円形の断面を有する負荷溝と無負荷溝を形成したアウターレースと,両端部に前記負荷溝と無負荷溝間のボール変向を行わせる軸方向外向きボール変向溝を有するリテーナを有し,前記アウターレースの両端部に嵌合せしめられるリターンキャップに設けた軸方向内向きボール変向溝が前記リテーナの軸方向外向きボール変向溝と相俟ってボールの方向変換路を形成することを特徴とする,ボールスプライン」との記載がある発明について特許査定を受けたことが認められる。しかしながら,右特許請求の範囲の記載によれば,右発明はリテーナとリターンキャップによるボール方向変換路に関する発明であり,前記の置換容易性において問題となる外筒における突堤の問題ではないから,Yの右特許が前記置換容易性の判断を左右するものではないというべきであり,Yの右主張は採用できない。
  3 以上に説示したように,解決すべき技術的課題,その基礎となる技術的思想及びこれに基づく各構成により奏せられる効果が,本件発明においてもイ号製品においても変わるところがなく,構成要件Bについて,これとイ号製品との間に置換可能性及び置換容易性が認められ,他方,一見相違するがごとき他の構成,すなわち構成要件Aについて断面U字状の溝と断面半円状の溝(突堤の有無),円周方向溝と円筒状部分7に関する各構成も,イ号製品について特段の技術的意義も見いだし難い以上,イ号製品は本件発明の技術的範囲に属すると認めるのが相当である。
三 損害について検討する。
 Yが昭和58年1月1日から同63年10月31日までの間に,イ号製品を合計1億4829万6660円相当額販売した事実は当事者間に争いがない。
 そこで,X主張の得べかりし利益について検討するに,いずれも成立に争いのない甲第45,第46号証,第47号証の1ないし4,第48号証及び第50号証並びにX代表者の尋問の結果によれば,Xの昭和59年4月から翌年10月期までの自社製品であるボールスプライン,LMガイド及び他社からの仕入れ商品を販売して得た税引き前純利益率はいずれも売上高の15パーセントを越えていた事実を認めることができ,他にこれを左右する証拠はない。また,昭和57年6月から翌年3月期までの前記各商品を包含した税引き前の純利益率は9.59パーセントであり,昭和58年4月から翌年3月期までの前記各商品を包含した税引き前の純利益率は10.58パーセントであると認めることができる。ところで,昭和61年4月から翌年3月期までの自社製品(ボールスプライン,LMガイド等)の粗利益率は31.66パーセント(同時期の他社仕入れ製品の粗利益率は13.21パーセント),昭和62年4月から翌年3月期までの自社製品の粗利益率は40.40パーセント(他社仕入れ製品は7.41パーセント),昭和63年4月から翌年3月期までの自社製品の粗利益率は40.37パーセント(他社仕入れ製品は6.16パーセント)であると認められ,この事実によれば,自社製品の粗利益率は極めて高率であり,前記三事業年度の状況からみると自社製品と他社仕入れ製品の区別をしていない他の事業年度においても,自社製品の粗利益率は販売価格の少なくとも30パーセント程度を下回らないものと推認することが可能というべきであり,他にこの推認を左右する証拠はない。そして,粗利益率と税引き前純利益率の関係を前記の全事業年度の平均でみると,後者は前者の約70パーセントを下回らないことが認められるから,これを基に前記の昭和57年6月期から同59年3月期までの自社製品の税引き前の純利益率を推計すると15パーセントを上回ることは明らかというべきである。以上によれば,Xのボールスプラインの純利益率は販売額の15パーセントを下回らないものと認めるのが相当である。
 Yは,本件発明の実施品と代替可能なボールスプラインを日本トムソン株式会社及び日本ベアリング株式会社においても販売していたから,直ちに,XがYが販売した分の販路を失ったことにはならないとして成立に争いのない乙第14ないし第16号証を援用するので検討する。まず,右第14号証によれば,日本トムソン株式会社は昭和62年頃から,アンギュラ形ボールスプラインを製造販売していた事実が,また,右第15,第16号証及び成立に争いのない同第17号証によれば,日本ベアリング株式会社は昭和61年8月頃からNBボールスプラインと称する製品を製造販売していた事実がそれぞれ認められるが,右以前において,これらの製品が販売されていた事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると,右販売時期以前においては,代替品が販売されていた事実を認めるに足る証拠はないから,右各時期以降,Xにおいて損害賠償を求める昭和63年10月末日までの間についての代替可能性について検討することとする。最初に,NBボールスプラインについてみるに,前掲甲第26号証及び成立に争いのない甲第49号証並びに前記X代表者の尋問の結果によれば,右ボールスプラインにおけるボールの接触構造はゴシックアーク溝であることが認められるところ,既に説示したように,本件発明の実施品の代替品となり得るとするには疑問があるといわざるを得ない。また,日本トムソン株式会社の製品についてみると,同製品は前記のとおり昭和62年頃から販売されていたものであるが,前掲甲第49号証及び前記尋問の結果によれば,ボールスプラインは工業用ロボットや工作機械等に使用されるものであり,これらの機械の主要な性能に影響を及ぼし,その性能を左右する機能部品であるため,相当年数をかけた試用期間を経て始めて採用の可否が決定されるとの事実を認めることができるから,この事実に照らすと,単に,前記の各カタログ上の数値をもって,本件実施品の代替品となり得るものと認めることは困難といわざるを得ないというべきであり,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。したがって,本件発明の実施品に代替し得る製品が本件係争期間中に,市場に存在したとのYの主張は,未だこれを認めるに足りる証拠はなく,採用することができない。
 以上の次第であって,他に本件全証拠を検討しても,Xの前記利益率を左右するに足りる証拠はない。
 そうすると,Yのイ号製品の製造販売行為には少なくとも過失があることは明らかであるというべきであり,そして,不法行為後の日であることが明らかな昭和63年12月7日付け「請求の趣旨並びに原因変更申立書」の送達の翌日が同月8日であることは記録上明らかであるから,Xの主位的請求は全て理由があるというべきである。
四 以上の次第であって,本訴請求は理由があるから認容すべきであり,これと異なる原判決は相当ではないから取り消すこととし,仮執行の宣言は相当ではないからこれを付さないこととし,訴訟費用の負担について民事訴訟法96条89条を適用して主文のとおり判決する。」