東京地判平成11年4月16日(平成7年(ワ)第3841号)

1.判決
 一部認容。

2.争点
(1)相当対価の額はいくらか。
(2)発明考案規定により,原告の対価請求権が制約されるか。
(3)原告の請求権は時効により消滅したか。

3.判断
「第三 争点に対する判断
  一 争点1(相当対価の額)について
    1 争いのない事実に証拠(甲7ないし20(枝番号省略,以下同じ),24,29ないし32,乙2ないし8,12ないし19,21ないし25,29ないし32,検甲1ないし9)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められ,これを覆す証拠はない。
      (一)本件発明の意義・有用性
        (1)本件発明に係る特許請求の範囲は,別紙特許公報一のとおりである。他方,諸隈発明に係る特許請求の範囲は,別紙特許公報二,三のとおりである。本件発明及び諸隈発明は,共に光学的記録媒体に記録された情報を光学的に読み取るための検出ヘッドに関する発明である。
          本件発明は,諸隈発明を前提とした利用発明である。本件発明は,光学的に情報を記録したディスク,主としてビデオディスクプレーヤーのピックアップの改良に関するものである。従来は,トラッキングを行うためにガルバノミラーを相当の高速度で動かしたので,大きな力が必要なため装置の機構は大掛かりとなり消費電力も大きかったが,本件発明により,この欠点を解決して小型軽量のピックアップ装置を設置することを可能とするものである。本件発明は,昭和61年5月12日に出願公告され,平成10年1月5日に満了した。
          なお,諸隈発明については,平成5年に科学技術庁長官から科学技術功労者の表彰がされ,諸隈発明を含む諸隈肇の発明について,同年,発明協会から発明協会会長賞が授与されている。諸隈特許は,昭和62年11月18日に出願公告され,平成7年10月31日に満了した。
        (2)本件発明について,原明細書における特許請求の範囲は,・・・とされている。そして,詳細な説明欄において,・・・とされている。また,図面は,対物レンズを固定し,ミラーレンズを可動としてフォーカシング及びトラッキングを行うことを前提として表示されていた。
          特許部担当者を中心に検討がされて,その特許請求の範囲の記載は,別紙特許公報一のとおりに補正され,当初「リレーレンズ」とされていた点が「レンズ」とされた。また,図面についても,対物レンズを固定した部分が削除された。
          以上の手続補正の経緯によれば,出願当初の明細書には,対物レンズを固定し,リレーレンズを動かす技術思想が開示されていたが,手続補正により,対物レンズを動かす構造を含むかのような表現がされたため,このような補正が,要旨変更に当たる可能性も否定できない。
        (3)本件特許については,平成7年8月4日,パイオニアから無効審判請求がされた。その理由の骨子は手続補正書による補正は,出願当初の原明細書の要旨を変更するものであるから,出願日が繰り下がり,原明細書の公開特許公報等と同一ないしこれから容易推考であるというものである。その後,右請求は取り下げられている。
      (二)第三者の実施状況
        (1)ピックアップ装置の製造各社は,Yとライセンス契約を締結した。各社との具体的な契約状況は,以下のとおりである。なお,各社との交渉では,Yの有する特許権のうち諸隈特許が中心的な交渉の対象となった。別紙各社製品目録記載の製品について,諸隈発明はすべての製品に用いられている(当事者間に争いがない)。
          ア Yは,平成2年10月1日,ソニーとライセンス契約を締結した。なお,アイワ及びケンウッドは,ソニー製品を使用している。ソニーとの契約書の添付書面には,契約対象特許権として別紙特許目録記載の一五件の特許権が記載されていたほか,「上記に掲げる物の他,1989年12月31日迄に甲が出願した再生専用光学ピックアップであって,対物レンズを一次元または二次元方向に駆動させるピックアップに関する内外国特許および実用新案」が対象とされていた。具体的な対象権利の件数は,国内特許528件,外国特許93件の合計621件であった。もっとも,ソニーとの交渉においては,諸隈特許2件のみが念頭に置かれ,その実施料の料率について協議され,契約書の作成の段階になって,実施料を支払う以上は,他の特許権により実施が妨げられるようなことがないようにとの趣旨で,網羅的にピックアップ関連の特許・実用新案を契約対象とすることとなった。契約は,平成7年9月30日に終了した。なお,諸隈特許の満了後,ソニーは,ライセンス料の支払は諸隈特許に対するものである旨主張して,Yに対して実施料を支払わない。
          イ Yは,シャープ,ビクター,松下電器産業とライセンス契約交渉中であるが,まだ契約締結に至っていない。なお,シャープ,ビクターは,諸隈特許満了後の交渉において,本件特許には無効事由があると主張し,支払対象に入れることを拒否している。
          ウ Yは,平成4年3月19日,三洋電機と光磁気再生装置及び光磁気記録再生装置についてクロスライセンス契約を締結し,平成5年5月31日に覚書を追加した。Yが三洋電機に対して許諾した対象特許権及び実用新案権の件数は,718件である。三洋電機はピックアップの売上に対して1パーセントの実施料を支払っている。諸隈特許終了後においても,右契約は自動延長された。
          エ Yは,平成6年4月1日,日立製作所とクロスライセンス契約を締結した。本件特許も対象となっている。
          オ Yは,平成7年12月6日,パイオニアとクロスライセンス契約を締結した。本件特許も対象となっている。
        (2)本件発明の実施状況は,別紙各社製品目録記載の製品について,以下のとおりである。
          ア 三洋電機は,本件発明を実施している(当事者間に争いがない)。
          イ ソニー(アイワ,ケンウッド),シャープ,ビクターについては,右各社製品のフォーカシングコイルとトラッキングコイルは交差し,その交差部をマグネットとヨークに基づく磁束が貫いているので,本件発明を実施している可能性が高い。
            なお,X及びYは,本件発明が実施されていると認識しているが,右各社は,これを争い,非侵害の主張(各社製品のフォーカシングコイルの交差部の導線に作用する力は無視し得るものであるとの主張)ないし特許無効の主張をしている。
          ウ 松下電器産業,パイオニア,日立製作所については,右各社製品は,フォーカスコイルとトラッキングコイルにそれぞれ別個の単独の磁束が作用するものであるから,本件発明の「前記交差部を貫く共通の磁束」を充足しない可能性が高い。
            この点について,Xは,磁束密度ベクトルのベクトル総和の方向に接して描かれた磁束線がフォーカスコイルとトラッキングコイルとを共通に貫通していないように見えても,各磁束密度ベクトルの中にこれらを共通に貫通しているものが存在し得るのであり,右各社製品には,「前記交差部を貫く共通の磁束」が存在する旨主張する。しかし,現実の各社製品におけるコイルに作用する力は,すべての磁極による総磁界により決まり,「前記交差部を貫く共通の磁束」も総磁界についての磁束のみを意味すると解すべきであるから,Xの右主張は採用できない。
        (3)Yがライセンス契約の対価として受領した特許権実施料収入の額は,昭和63年度(会計年度。以下同じ。)及び平成元年度には計上されていなかったが,平成2年度には14億0100万円,平成3年度には18億6700万円,平成4年度には20億7400万円,平成5年度には22億0400万円,平成6年度には27億3100万円,平成7年度には28億9500万円,平成8年度には9億8700万円である。平成7年度の収入には,平成6年度下半期に支払われた実施料分が計上されている。
          平成8年度の収入が大幅に減少しているのは,諸隈特許が,平成7年10月31日に満了し,ソニーが実施料を支払わなかったことによるものと推認される。また,前記ライセンス契約の時期と照らし合わせると,右収入の大半はソニー及び三洋電機からの実施料であると考えられる。
      (三)Yの貢献度
        (1)Xは,「光学式ビデオディスクピックアップ」の名称で発明の提案をした。Xの提案は,従来,フォーカシングは対物レンズを光軸方向に動かし,トラッキングはガルバノミラーを動かして行っていたが,対物レンズ,ガルバノミラーを相当の高速度で動かすためには大きな力が必要となり,装置の機構は大がかりなものとなり,消費する電力も大きくならざるを得なかったので,対物レンズを固定し,ミラーレンズを可動としてフォーカシング及びトラッキングを行うという内容のものであった。リレーレンズをいかにして駆動するかは示されていなかった。そこで,特許部担当者の意見で,本件特許公報の図面に相当する図面が追加され,前記のとおりの内容の出願がされた。
          その後,事業部の開発担当者は,対物レンズの他にリレーレンズを加えることは,機構が複雑化する等の理由から,右出願については審査請求をしない旨の決定を特許部に伝えた。これに対し,特許部の担当者を中心として,リレーレンズという限定を外し,レンズ駆動方式に注目すれば利用価値があると考え,前記のとおり,登録された明細書のように変更を加えた上,特許を取得した。
          以上のとおり,Xの当初の提案では,対物レンズを固定することを前提としていたが,製造各社のピックアップ装置においては,対物レンズの駆動によりフォーカシング及びトラッキングを行うものであるから,各社のピックアップ装置は,Xの当初の提案内容の構成を充足せず,むしろ,特許担当者を中心とした提案で特許請求の範囲を大幅に変更した結果,本件特許を侵害する可能性が生じたものと評価できる。
        (2)Yの研究開発部では,昭和49年ころから,映像光学式再生装置(VOP)の開発をテーマの一つとして研究開発に取り組んできた。当初は,VOPグループは,AチームとBチームに分かれており,Aチームは,VOPの設計に必要な光ピックアップ装置及び機構設計技術の開発を担当し,Bチームは,それ以外に必要な技術の開発を担当していた。Xは,Bチームの中でVOPの電気信号処理系に関わる技術の開発に携わっていた。昭和51年までには諸隈発明が完成し,グループの研究テーマをビデオ動画全体ではなく光ピックアップに集中することとし,研究対象を,レーザーなどを含む光学関係,レンズ,ピックアップの駆動装置,フォーカスやトラッキングの制御信号等に限定した。Xは,昭和51年以降,本件発明をした昭和52年当時まで,フォーカス,トラッキングの開発を担当していた。以上のとおりの経緯に照らすならば,本件発明は,右担当分野と密接な関係を有するものというべきである。
        (3)Xは昭和48年ころから53年までYの研究開発部に在籍したが,当時YがXに支給した給与,賞与,社会保険費用等の人件費負担額は,毎年約500万円程度に上る。また,当時Yが支出した研究者一人当たりの研究開発費は400万円を上回る。
    2 以上認定した事実を基礎として,相当対価の額について検討する。
      (一)@本件発明は,諸隈発明の利用発明であり,本件発明の実施には,諸隈発明の実施が前提となること,AYとピックアップ装置の製造各社との間のライセンス契約においては,本件特許も対象とされているが,各社との交渉では,Yの有する特許権の中で諸隈特許が中心的な交渉の対象となり,本件特許は重きが置かれていなかったこと,B本件特許に関しては各社は実施を否定しており,現に,対象となる期間の特許料収入の多くを占めるソニーは,諸隈特許の満了後は,ライセンス料の支払は諸隈特許に対するものである旨主張して,Yに対して実施料を支払っていないこと,C別紙各社製品目録記載の各社製品について,諸隈発明はすべての製品に用いられているが,本件発明は,松下電器産業,パイオニア,日立製品については,実施されておらず,必ずしも,CD装置の多くに確実に組み込まれているとはいえないこと,D本件発明については,当初出願の記載が変更されているため,要旨変更を理由として,本件特許が無効とされる可能性も否定できないこと,E仮に当初出願の記載が変更されないままであれば,各社のピックアップ装置は,これを実施したと評価される可能性が低いこと等の諸点を総合すると,本件発明によってYが受けるべき利益額としては5000万円と解するのが相当である。
        なお,Xは,CD装置の国内総生産額を基礎としてYの受けるべき利益額を算定すべきであると主張するが,右主張を採用するに足りる証拠はない。
      (二)さらに,Xの当初の提案内容は,各社のピックアップ装置には採用されていないものであったが,これをY特許担当者を中心とした提案で大幅に変更した結果,各社のピックアップ装置の一部がこれを侵害する可能性が高い状況になったこと,本件発明は,Xが発明当時に職務上担当していた分野と密接な関係を有するものであること,その他の事情を考慮すると,本件発明がされるについてYが使用者として貢献した程度は95パーセントと評価するのが相当である。
      (三)そうすると,本件発明によりYが受けるべき利益額5000万円からYの貢献度(95パーセント)に相当する金額4750万円を控除すると,Xが受けるべき職務発明の対価は250万円となるところ,右金額から既にYがXに支払済みの21万1000円を控除した残額は,228万9000円となる。
  二 争点2(Y規定の性質)について
    Yは,職務発明について,勤務規則等により,発明者が使用者たる会社に譲渡する場合の対価を,あらかじめ定めているところ,これに従って処理されたものについては,改めて個別的に請求することはできない旨主張する。
    しかし,Y規則については,Yが一方的に定めた(変更も同様である。)ものであるから,個々の譲渡の対価額についてXがこれに拘束される理由はない。この点,Yは,Xが,Yの諸規則等を遵守する旨の誓約書を提出していることから,Xが相当対価の請求権を放棄したものとみるべきであると述べるが,Xが,就職時に,このような包括的な内容の記載された書面を提出したからといって,個々の譲渡に関して,譲渡対価に関する何らかの合意が形成された,あるいは,相当対価の請求権の放棄がされたと解する余地はない。その他,Yは,Y規則がXを拘束する根拠を何ら明らかにしていないので,Xの前記主張は失当である。結局,法35条が,職務発明に係る特許権等の譲渡の対価は,発明により使用者等が受けるべき利益の額及び使用者が貢献した程度を考慮して定めるべきことを規定した趣旨に照らすならば,勤務規則等に発明についての報償の規定があっても,当該報償額が法の定める相当対価の額に満たないものであれば,発明者は,使用者等に対し,不足額を請求できるものと解するのが相当である。
    また,Yは,Y規則を設けて処理したことの合理性,必要性を云々するが,そのような点は,前記の解釈を左右するものとはなり得ない。
  三 争点3(消滅時効の成否)について
    争いのない事実及び証拠(甲2ないし4)によれば,Y規定においては,Xが本件発明をした昭和52年当時から,職務発明について,出願時,登録時及び工業所有権収入取得時等に分けて,報償を行う旨定められていたこと,Y規定は数回にわたり変更されていること,Yは,平成2年から同7年までの間に,ソニー外数社とライセンス契約を締結したこと,Yは,平成2年から,本件発明も含めて実施料に係る収入を得ていること,本件発明については,平成2年9月29日改正後の規定に基づき,工業所有権収入取得時報償が,平成4年10月1日に支払われたことが認められる。
    以上によれば,Xが,工業所有権収入取得時報償を受領した平成4年10月1日より前においては,算定の基礎とする工業所有権収入の額は,必ずしも明らかでなく,また,XがYからいくらの報償額を受け取ることができるか不確定であったということができるから,右同日までは,Xが法に基づく相当対価請求権を行使することについて現実に期待し得ない状況であったといわざるを得ない(なお,Y規定は,法律上,Xを拘束するものではないが,この点は,相当対価請求権を行使することについて現実に期待し得る状況となった時期についての前記判断に影響を与えるものではない。)。そして,本件訴訟が提起されたのは,平成7年であるから,未だ右時点から10年が経過していない。したがって,法に基づく相当対価請求権については消滅時効は完成していないと解すべきである。
  四 よって,主文のとおり判決する。」