(原審:東京高判昭和36年1月31日)
<事案の概要>
(特許判例百選(第3版)による)
Y(被告,上告人)は,「炭車トロ等における脱線防止装置」の特許権者である。その特許明細書の特許請求の範囲は「(1)本文の目的に於て本書に詳記し且図面に例示する如く(2)車軸を(a)車体に対し廻転自在にも又固定的にも取付くることなくして(b)其の車輪の廻転承部と別の個所に於て車体支持台の遊動孔に挿入し(3)車軸側に於ける小径の弧状座面を遊動孔上部の大径弧状面に圧接せしめ(4)其の両側より下部に亘り充分なる遊動間隙を設け(5)支持台と車軸とが円滑且容易に関係的に移動し得る如く(6)車軸上に支持台を安定せしめたる炭車『トロ』等に於ける脱線防止装置」というものである。
Yは昭和23年8月,X(原告,被上告人)を被請求人として,権利範囲確認審判を請求した。Yはその後,2度にわたり審判請求の趣旨を訂正し,審判の対象は「再訂正(イ)号図面及びその説明書に示す炭車の脱線防止装置」(以下,「(イ)号物件」という。)となった。特許庁は,Yの申立ては成り立たない旨の審決をしたので,Yは抗告審判を請求した。特許庁は,抗告審判においては原審決を取り消し,(イ)号物件は本件特許の権利範囲に属する旨の審決をした。
X出訴。
原審(東京高判昭和36年1月31日)は,上記特許請求の範囲のうち「其の両側より下部に亘り充分なる遊動間隙を設け」について,公知技術と明細書及び図面の記載とから,「単に遊動孔内における車軸の上下移動を容易ならしめる程度では足らず,車軸の両側及び上下の各方向の力に対し,車体と車軸との関係的移動を円滑かつ容易にする程度の『相当の大きさの遊動間隔』」と解釈し,(イ)号物件は本件特許の特許請求の範囲に含まれないとしてXの請求を認容し,審決を取り消した。
Y上告。
<判決>
上告棄却。
「上告代理人弁護士清瀬一郎,同菅原裕,同山田直大,同弁理士D,同Eの上告理由は別紙のとおりである。
上告理由第一点について。
論旨は,原判決が,本件第124514号特許の要旨について,車軸と車体との関係的移動について前後動を除外し,さらに,両弧状面の半径の差異と遊動関係との間に因果関係がある旨を判示したのは,物理学上の法則を無視した違法があるというのである。
しかし原判決は,上告人特許の脱線防止装置について,車軸と車体とが前後に移動しないとしているのではなく,本件特許の明細書の記載等からいつて,右特許の発明が,特に前後動を許容することを目途として考案されたものではなく,この点を本件特許発明の要旨として取り上げるべきでない旨を判示しているに止まるものと解され,そして右判示は十分に首肯することができる。また,車体支持台の遊動孔と車軸の弧面の関係については,原判決も説明するように,本件特許明細書の「発明の詳細なる説明」にも「・・・遊動孔(5)の上部の大径弧状面を,車軸側に於ける小径の弧状座面に圧接せしむることにより車軸の左右両側より下部に亘り,車軸(2)と支持台との関係的移動間隙を充分に存置し・・・」と記載してあり,原判決が,両者は因果の関係を有するものと解したのをもつて,所論のように違法とすべき理由はない。論旨は理由がない。
同第二点について。
論旨は,本件発明と再訂正(イ)号図面の差異は,異径弧面接触の大小と両側の間隙が充分であるかないかの二点につきるのであつて,技術思想又は作用効果の問題ではなく,ただ設計上の問題に過ぎないというのである。しかし,原判決の説明によれば,本件特許は車軸と車体支持台の遊動孔との間に十分なる間隙を設けることにより脱線を防止しようとするのに対し,再訂正(イ)号図面は,左右の間隙は車軸の上下動をゆるす限度に止め,上下動をゆるすことによつて,脱線を防止しようとするのであつて,右再訂正(イ)号図面は,本件特許発明とは,別の考案を基礎とするものと解することができる。原判決の趣旨は十分に首肯することができるのであつて,原判決に所論のような違法はない。
同第三点について。
論旨は,原判決が,本件特許明細書の「充分なる遊動間隙」を「相当の大きさの遊動間隙」の趣旨と解したのを非難するのであるが,所論のように,右の間隙を,車体と車軸との関係的移動を円滑且つ容易ならしめる程度の「相当の大きさ」の趣旨と解しても支障はないのであつて,原判決も,特に所論の点について上告人の主張を否定する趣旨とは解することができない。原判決の趣旨は,再訂正(イ)号図面との対比において述べているのであつて,再訂正(イ)号図面における左右の間隙は,本件特許の場合に比して狭く,従つて,再訂正(イ)号図面の場合は,左右移動を容易円滑ならしめることによつて脱線を防止しようとしているものではないとしているのである。
論旨は,再訂正(イ)号図面のような左右の間隙では,脱線を防止することができないと論じるようであるが,このことから逆に再訂正(イ)号図面の左右の間隙を脱線防止に必要な間隙と解することはできない。
論旨はまた,大審院の判例を援用して,特許請求の範囲に属する事項が公知にかかるものであるかどうかは,特許無効審判において決すべき問題であつて,権利範囲に属する事項が公知に属するかどうかは,本件で定める必要はない旨を主張し,原判決が昭和4年当時の公知事項によつて,本件特許の権利範囲を確定したのを非難するのである。
もとより,特許無効審判と違つて,権利範囲確認審判においては,特許権が有効に成立していることを前提としているのであるから,その審決に関する訴訟においても,特許の内容が公知であるかどうかを論ずることはできない。しかし,いかなる発明に対して特許権が与えられたかを勘案するに際しては,その当時の技術水準を考えざるを得ないのである。けだし,特許権が新規な工業的発明に対して与えられるものである以上,その当時において公知であつた部分は新規な発明とはいえないからである。本件の場合も,原判決の認定するところによれば本件特許の出願当時,炭車等の脱線防止装置として,車軸を車体の遊動孔に差し入れ,車体と車軸を固定せしめず,よつて脱線を防止することは公知であつたというのである。しからば,本件特許は,原判決のいうように,その特殊な構造に対して与えられたものと解するよりほかはなく,再訂正(イ)号図面が原判示のような点において本件特許と異る以上,原判決が,右再訂正(イ)号図面は本件特許権の範囲に属しないとしたのは相当であつて,原判決に所論のような違法はない。
よつて,民訴401条,95条,89条に従い,裁判官全員の一致で,主文のとおり判決する。」