採集できる石
鉱物名 | 量 | コメント |
キースラガー | 多い | 下の2つを合わせたものです |
磁硫鉄鋼 | 多い | 一番多い物です |
黄銅鉱 | 少ない | 少し探すと見つかります |

2001年4月2日(月曜日)
ほんとに、久しぶりにK氏と採集に出かけた。
インターネットでホームページをアップロードしてから、何かしら石の友達が増えて、ネットの話をmailでやりとりしていたので、石取りの虫が騒ぎ出したのだろう。
ちょうど、「トレジャー・ストーン」と言う本が出版されるので、噂をしていたところでもあったので、よけいに火がついたのだと思う。(ちなみにK氏は創刊号を3冊買われたそうで、私は2冊買ってしまった。)しかし、このトレジャー・ストーンは、買うにあたって、本屋さんにあるもの全部をめくって、一番良さそうなものを探すので、店員さんから変な目で見られる。しかし、中にはクズ(失礼!)としか言い様のないものもあって、また、表紙の写真には劣るが、ルビーであれば、六角柱状のものや結晶の頭が着いたものがあったり、探せば良いものに巡り会えるので、郵送による定期購読ができないのが難点である。もしかして、定期購読者には良い標本を用意しているのだろうか?などと深読み(げすの勘ぐり)をするのは私だけだろうか?私は他の雑誌などはよく定期購読をする。楽なもので・・・。
さて、奈良市から車で五條市まで約一時間強、車でたどり着いて(まだ、メニエルが直っていないのでつらい!)、待ち合わせの吉野川沿いの駐車場へ。
そこで、K氏の車に乗せていただき、まずは、西吉野村の平沼田にある大和鉱山跡へ行くことにした。最近はどこも良い道がついて、走りやすくなっていた。昔(1980年頃)五條の職場にいた頃は細かった道も、今は、農業用の農免道路と呼ばれる二車線の良い道になり、快適なドライブであった。と、思ったのもつかの間で、やはり、鉱山跡があるにふさわしい、車の対向さえ難しい所のある道に突入してしまった。車に弱いものなら10分も持たない道である。
車中でK氏に詳しく話を伺うと、3〜4年前に一度訪れている鉱山跡地で、間違うことはなさそうなお話であったので心強かった。
この辺りは、中央構造線の上にあり、四国の別子銅山と同じ、キースラガー(含銅硫化鉄鉱床群)で、鉄のほか銅や亜鉛などが採掘されていたようである。しかし、奈良県にあるキースラガーの鉱山はどこも規模が小さく、長く採掘された話はとんと聞いたことがない。最大でも三尾鉱山くらいのものであろうか。
20分ほど走ってやっと見覚えのある所へ来たとおっしゃって、車を脇に止めて見に行くことにした。
杉林の道沿いの山側には車に乗っていては見えなかった坑道が口を開けており、土砂でふさがれているのが解った。すぐにその辺りを叩き回ったが、精錬の後の鉱滓があちこちに散らばっていただけで鉱石は全く見つけられなかった。仕方なしに、横に移動して叩き始めたが、坑口の右に20mほど移動したときに、鉱滓の山に出くわした。山の斜面に幅8m高さ15mくらいでズリになっている。しかし、ここの鉱滓は品質が悪く、軽い上に脆かった。その鉱滓のズリの端の石を叩きながら、上に登ると、少し平坦な場所があって、石垣も積まれていた。ここが、たたらの跡なのであろう。
そこから、また上に10mほど登ると杉がなくなり、真新しい地道があって軽四の走った跡があった。そこから戻ろうとすると、杉の木を切っておられる、山の持ち主らしき50がらみのおじさん(私もおじさんの一種であるが・・・。)がおられた。
いつもの通り、お話を聞かせていただくと、台風のために杉と檜がほとんどやられたそうで、今植えている苗木は自分の孫が切ることになるのだとおっしゃっていた。丹精込めて育てた木が倒れて悲しそうな表情であった。
しかし、その後、鉱山の話になると、今お話を伺っているすぐ横にも坑道があって、数十年ほど前に坑道が崩れてしまった事や、車を止めた舗装道路の下にも坑道があることなども教えていただいた。今いる所の坑道は木が倒れて全く地面が見えないので、おじさんにお礼を言って道の下の坑道を見に出かけた。
下に降りると、そこも杉林で、20mくらい降りてみたが、鉱石は見あたらなかった。2Cmくらいの鉱石をK氏が見つけられ、それは私がいただいた。昔はもっと上質の鉱石があったらしい。八宝鉱山のなれの果てと思われる。
まだ、近所に辻鉱山と光陽鉱山があったはずだが、そこも似たり寄ったりのキースラガーだと聞いていたので今回は諦め、今回の目玉、西吉野村の黒淵にある黒石鉱山に向かうことにした。今回はゆったりとした予定で、近い鉱山を二カ所回るだけで終わりの予定であったので、時間も心にも余裕があった。春の気候のせいもあり、ほんとにのんびりした採集であった。(いつもはセカセカとして、目を血走らせての採集であるのだが・・・。)
軽い昼食をすませ、10Kmほど先の黒石鉱山に向かったが、車中でK氏に詳しく話を伺うと、30年近く前に一度訪れている鉱山跡地で、記憶はほとんどなさそうなお話であったので心細かった。
道が分からない上に、道路工事のミキサー車が道いっぱいに止めて作業中の所に出くわし10分ほど待たされたりの道中であったが、時間はあるので、道沿いにワサビの群生を見つけたり、と別にイライラもせずに時間を過ごした。
これは、土地の雰囲気もそうさせるのであろうか?
都会ではこうはいかないと思う。道路工事の人たちも険悪な雰囲気がなく、あう人ごとにのんびりとした印象を受ける。その証拠に、K氏の記憶があまり鮮明でない以上地元の人に聞くしかないと、例のごとく村の人にリサーチに行ったが、1・2・3軒目の家はすべて人が居ず、出かけておられるようだったが、玄関はすべて開いていた。
泥棒はいない土地のようである。
これ以上道のない所までいって最後に人を見かけて鉱山のお話を伺うと、親切にも現場まで案内していただいた。それも、すごい山道(ジェットコースターより怖い!ジェットコースターは絶対死なないが、ここは落ちたら絶対死ぬ!)を2Kmほど先導して下さり、着いてから、「なぜ今頃鉱山に用事があるのか?」と聞かれた。
そんな土地柄なのである。
簡単な説明をさせていただき、丁寧にお礼を言った後、採集に取りかかった。
本坑道の跡は岩で塞がれており、中を見ることは出来ない。しかも、きれいな水が中から湧き出しており、下の住民の水道の源泉になっているらしく、土管が立てて置いてあり、中から黒いホースが2本延びていた。
水を汚すことは出来ないので、そこは手をつけず、暫く鉱石が落ちそうな下の方を叩いていたが、全く鉱石は見られなかった。
そこで、K氏の記憶を頼りに、鉱滓のズリの方に向かった。
本坑道を巻き込んで上に登り、200mほど道なりに歩くと、大きなズリが見えてきた。そのズリ全部が鉱滓の山で、幅25m縦15mくらいの広さでなだれていた。
かなりの量がある上に質も良く、まだたくさんの鉄・銅を含んでいる様子で、持つとずっしり重く、錆(ヤケ)の上に銅の二次鉱物が出ている物もあった。
しかし、ここも見えるのは鉱滓ばかりで鉱石が出る様子がないので、早々に見て回り、周囲を見回すと、ズリの左に鉱石を運んだと見られる道が上に延びており、その上に選鉱所かたたらのあったと見られる広場が見受けられた。と言っても、今は杉林ではあるが、確かに平坦な場所である。
ここぞとばかり叩き回っていると、横の斜面に縦1.5m・幅2.5m・奥行き1.5mくらいの試掘跡も発見できた。そして、待望の鉱石も杉の根元からいくつか得ることができた。
大きな杉の根っこの下から出てくる鉱石たちは、この鉱山が廃坑になった後の過ぎ去った年月が想われ、感慨深い物を思わせた。
鉱石はキースラガーと言うとおり層状(レンズ状)になっており、黄鉄鉱が主体の銀色の物や、黄銅鉱が主体の金色の物などの標本が得られた。叩いている内にだんだん目がついてきて、鉱石の入っていそうな物が判るようになってきた。だいたい、持って重く、錆が厚く被っているような感じの物がそれで、2つに1つは叩くと鉱石が出てくる。最後には30Cmを越える大きな塊に層状に鉱石が入っている物までゲットできた。
帰りがけにもう一度本坑道の下の沢に降りてみたが、小さな試掘跡を発見しただけで、鉱石は発見できなかった。
全体に標本としては小粒の、晶洞などがないので自型の結晶などは望むすべもないのだが、沢の横には小さなワサビの群生があり、誰かが石を叩いた跡もない、この鉱山は静かな風情でとても趣のある所であった。
