奈良県宇陀郡本郷(神戸鉱山)


採集できる石
鉱物名コメント
黄鉄鉱多いずりの中です
白鉄鉱多い黄鉄鉱と見分けはつきません
輝安鉱少ないパンニングで黄鉄鉱の上に出ます
辰砂極少目を凝らしてわかる程度のものです
硫砒鉄鉱極少ごくまれに見つかります

石を見る


黒木からの続き

1986年12月30日

 午前中には、人との出会いもあり、すがすがしい気持ちで午後の部に向かうことにした。といっても、やはり、何かの目的があったわけではなく、この界隈の2万5千分の一の地図に黄鉄鉱の出る大峠のポイントを示し、山の反対側に同じ路頭が出るとすればこの辺りかな、といった線を引いただけで、ここだというポイントは何もなかった。(すごくいい加減で、独身でないとこんな暇も労力もないと今になって思う。)しかし、このライン上には何かありそうで、そこに向かうことにした。だが、国道から入る道もわからずにいた。だが、一回何かの機会で行ったことのある公園の横の道が見えたので、懐かしさも加わりその道を西に向かってみることにした。
 当時、まだ作りかけのその公園を過ぎるといきなり道は細くなり、舗装はされているが車の幅でいっぱいの山道を上って、小学校の前を通り過ぎると、すぐに、右手に6mくらいの斜面が見えてきた。自分としては、何ほどのものでもなく通り過ぎてしまったが、助手席の石友のK氏が「あの崖で、何か光ったように見えたけどな!。」と声を出した。しかし、私には何も見えず、顔を見合わせたが、とりあえず戻ることにした。Uターンできるような道でもなく、交通量も少ないのでバックで戻ったが、誰に迷惑になることもなかった。
 その斜面の下は車2台分くらいの空き地があって、そこに車を止め上を見上げると、大きな柿の木が一本立っている。その下の地肌が出ている斜面は、子ども達が滑り台をした跡があり、よく見てみると確かに小さな粒が光っていた。近づいてみると、正体は小さな黄鉄鉱の粒であった。それは、ふりかけをふりまいたようにあちこちに散らばっている。大きさはせいぜい3mmくらいだろうか。
 しかし、K氏の眼力の凄さにはつくづく感心させられた。今はちょうど2時くらいであり、冬の太陽光線の角度とうまく合っていたことも発見につながったことの一因に挙げられるのだが、それにしても私は全く気がつかなかったのだからやはり凄いの一言であった。この一件以来、私はK氏を「師匠」と呼ぶことにした。

 黄鉄鉱の採集にかかろうとしたが、子ども達の靴でかなりの川ズレ(川ではないが靴ズレと表現もできないので仕方がない。)を起こしているので標本にはなりそうにない。仕方なく斜面の上に上がることにした。車に戻り、100m程上っていくと、斜面の上に出て、横には小屋が見えた。しかしこの小屋が、農作業の道具が入れてあるにはあるのだが、どうも農業用には似つかわしくない。車を止め中を覗いてみると、中にはコンクリートの水槽のようなものがいくつか並んでいる。鉱山施設の跡である。比重選鉱の施設であろう。それを見て、後ろにある斜面の上を見てみると、整地されて畠にはなっているものの、幅30m×長さ80mくらいの広場は全体がズリのように思われる。かなり大きなズリのようである。表面は土が入れられ、畑になっているので本当にズリかわからないが、先ほど横の斜面には黄鉄鉱がびっしり入っていたし、間違いないと思われる。そこで、歩きにくいズリの斜面を二人で一周してみることにした。すると、石垣で囲って見えない所もあるが、どうも一面に黄鉄鉱が混ざっていそうな雰囲気である。上に戻ってみると、またもや農作業のおじさんがちょうど通りかかられ、話を聞くことにした。そのおじさんの話によると、戦時中、絹雲母(おじさんの言葉では「白い粘土」)を採って、ご飯を炊くときに混ぜるとつやつやしておいしく炊ける(量を増やすためでもあったらしい。)ので、これを入れたらしいことや、化粧品にも使っていたらしいことを教えていただいた。だとすると、山向こうの大峠で出た産状と同じだと思われ、黄鉄鉱や輝安鉱が混じっていたはずで、先ほどの比重選鉱で砂粒とともに不要物として大量に捨てられた可能性は高いはずであった。

 そこで、先ほど見た斜面の中で一番きれいで多く出そうな場所に戻り、早速採集を開始した。斜面を削るために中スコップを入れたとたんびっくりした。ドロはあまりなく、砂の集まりという感じで掘りあげた砂の4割くらいが黄鉄鉱なのである。場所によっては黄鉄鉱があまり入っていないこともあったが、それでも1割くらいは入っている。やはりズリのようだ。夢中になって掘り出したが、冬の日暮れは早く、まして山の東側はすぐに日が暮れる。採れた砂は全部持ち帰り比重選鉱するつもりで、1時間くらい収穫したが、わりとたくさんの量が採れた。産地を荒らすといけないので石垣を元の通りにして帰ることにした。

 次の一週間をかけて採ってきた砂を洗い、選鉱することにした。これがまた楽しいのである。不思議なもので、冬の朝の顔を洗うときや炊事・掃除の時には、水の冷たさが身に浸みて感じられるのだが、これをしているときにはいっこうに気にならない。人間というものは都合のいい生き物である。興にのってやっているときなど逆に体が暖かく感じられるときもある。
 ふるいが入る大きめのバケツを用意し、一番目の細かいふるいに採ってきた砂を入れ、かき回すのであるが、少しコツがいる。ドロで不透明になった水の中で重い鉱物だけが下に先に落ちるように、「自分が砂だったらこう落ちる。」と考えながらふるいを上下させていくのである。これで、たいがいはうまくいく。名付けて「石の気持ちになる作戦」である。この後、上の砂を手で掻き出していくわけだが、バケツの中に残った細かいドロの中にも小さい黄鉄鉱が残っているので、これはパンニングで選鉱する。こちらの方は非常に難しい。何回もやって慣れてもらうしかない。コツは口では言い表すことができないくらいで、金ならかなりの比重の差があるので少々手荒くしても大丈夫であるが、こちらは鉄である。比重は金の5分の一くらいであろうか。「優しくやる」以外に方法はないが、優しくやっていたのでは時間がかかる。そのちょうどよい頃合いは何回も失敗して体得していただく以外にはないと思う。
 一週間が過ぎる頃、ようやく黄鉄鉱と輝安鉱と砂を分離することができた。

 黄鉄鉱は大峠とは形が少し違い、長方形がつぶれたような形のものが多く、丸いサッカーボール状のものも多かった。大きさは大きくても5mmを越えなかった。くさび石のような封筒型のものも少し見られるが、どうもこのタイプだけ色が黒ずんでいる。見かけは、まるで乙女鉱山のライン鉱か武石村の武石のような感じがする。硫比鉄鉱だと思うがどうであろうか。大きさは2mmくらいの物ばかりである。
 輝安鉱は4mm程度で、くすんだ灰色の錆のようで、針状結晶の集合体で産出する。
 ただ、砂の方にも黄鉄鉱が脈状・塊状に入っているものや辰砂(紅安鉱か?)がついているものなどが確認できた。

 しかし最近気がついたのだが、私の標本箱の中のこの産地のものに白い粉が吹きだした。湿気を遮断してビンに詰めたものまでがこうなっている。(粉を吹いていないものもあるのだが。)今まで黄鉄鉱と書いてきた物は、どうも、砂の中に数十年間あったせいで、天水により、白鉄鉱に変化したものがあるようである。しかし、この白鉄鉱がやっかいで、油に漬けるなど、空気を遮断しない限り保存はできないようである。私は、粉が吹いたのは白鉄鉱の証明みたいなものでまあいいやといった、いい加減な保存になっている。ちなみに、大峠のものは10年間もタンスの上に忘れられていたものでもなんともなっていず、元のきれいな状態を保って金属光沢を示している。今掘ったばかりだと嘘をついても信じてもらえそうである。


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