大阪府箕面市秦野(秦野鉱山)


採集できる石
鉱物名コメント
磁鉄鉱多い磁石ですぐわかります
磁硫鉄鉱多い何というか分かりにくいものですね
方鉛鉱多い紫がかった金属光沢です
灰重石少ない紫外線ランプがあるとすぐ分かります

石を見る


1995年10月10日

 夏の休みに息子が電車に乗りたいというので京都に行くことになった。京都と言えば益富会館に行くのが当たり前(もちろん私だけ)なので、様子を見に行くことにした。特別展示が変わっているはずなので見に行きたかったのだ。もちろん息子には、近鉄電車と阪急電車と地下鉄とバスと乗れるから行こうと誘ったのであるが、それは内緒のことである。
 今回の展示は秦野鉱山の展示であった。私は初めて聞く名前で、金属鉱山といえば、近所の朝町の銅鉱山以外はどこにも行ったことのなかった私は大いに興味をそそられた。しかし、会員でもない私は詳しく産地の場所を聞くこともできず指をくわえるだけであった。
 ところが帰りがけに、一階に降りると会報が置いてあり、自由に持ってかえって良いとのこと。その会報には詳しく場所が書いてあったので飛び上がらんばかりに喜んで持ち帰って、地図で確認をし、採りに行く機会をうかがっていたのだった。

 出発の朝、息子と二人で足もとだけは山歩き用に気をつけて靴を選び出発した。午前中だけで行って帰れる距離であったので気楽なものであった。私の家から西名阪まで10分、松原から近畿自動車道を30分、吹田から中国自動車道の千里まで10分、箕面まで20分、一時間強で到着する予定だった。日曜の朝は車も混んでおらず、快適に走ることができた。予定通り現場近くに着いたものの、なかなか目的の場所が見つからない。後から考えれば、2本ほど手前の道を曲がったらしく、いっこうに目的の場所に到着しなかった。時間ばかりが過ぎるので、地元の人へのリサーチを開始した。
 手当たり次第に出会う人に聞いていった。このあたりは人がたくさん住んでいて聞く人には事欠かないが、新興住宅地で古くからの鉱山のことを知っておられる人はほとんどおられず、いたずらに時間だけが過ぎていった。
 これではいけないと作戦を変更し、山沿いのできるだけ古い家のお年寄りにだけターゲットを絞り、また聞き込みを開始した。すると意外にも簡単に古い鉱山のことを聞くことができた。しかしお話を伺うとどうも秦野鉱山のことではなさそうである。水晶が出る場所や、鉱山技師が来て試掘はしたがダメだったことなどを聞かせていただいた。
 ちなみに今でもその穴があいており品質は悪いが何か分からない金属の鉱石はまだあるかも知れないとのことなので行ってみることにした。名前も付いていない試掘跡の穴はすぐに見つかったが、今は何も残されていないようであった。
 そんなこんなで一時間は経ってしまったが、今日の目的は秦野鉱山である。何とか見つけださなければならない。

 もう一度会報の地図を見ながらさかのぼり、どうやらそれらしいところに到着した。息子は退屈してきたらしく不満そうな顔になってきたので、いけないと分かりながら2本目のジュースを与えることにし、山歩きを開始した。(これが後で大変な事件をおこしてしまうのだ。)
 歩き始めてすぐに左に沢伝いに折れる細い道があって、その上に貯鉱場跡があるはずである。しかし、途中は道なき道で大変であった。もう秋に近いにもかかわらず蚊は多く、ゴルフ場があるらしくアナウンスの声も遠くから聞こえるが、えらく寂しいところである。
 錆ついて今にも中のガスが出て爆発しそうなボンベやら崩れた小屋などが、当時の様子を教えてくれていた。沢の中を歩かねばならぬ場所もあって、4歳の息子にはかなりきつそうであった。しかし、弱音も吐かずよくついて来てくれていた。新しい青いジャージの上着が沢の水の流れに落ちているのを発見したり、彼なりには楽しんでいたのだと思う。(後になって、このジャージは誰が落としたのだろうと考えたが、この山の中に入る用事のある人と言えば石取りの人だけではないかと思うが、どうであろうか。)
 20分ほど歩いてようやく貯鉱場跡と思われる場所に出た。地面を掘った跡などは全くなかったが、それらしい様子があり、全くのカンだけであったが、少し地面を掘ってみるとすべて高品位の金属の鉱石だったので安心した。しかし、そこは表面は厚くヤケており、杉の木が直径25Cm位に育っている。年月の遠さを思い知らされた思いがした。鉱石の量はかなりのもので、元の斜面を想像しながら考えると、高さ8m幅16m厚さ3mくらいはあると思われた。鉱石は最大16Cmくらいだがほとんどが、5Cmくらいの大きさだった。
 息子は蚊に食われながら小さい石をほじくっていたが、私もリュックにいっぱいになったので30分ほどで切り上げた。しかし、大阪のこんなところに金属鉱山があるのは不思議で、それもあまり手が着けられていないのにもびっくりした。初めての鉛や鉄の金属鉱山で、また、わりと採ったなあという実感があり、充実した気持ちで帰ることにした。

 ところが帰る頃になって道が混み始めていた。また箕面駅の近くは道も狭くなかなか前に進まない。抜け道も知らない初めてのところで少しいらだちはじめた頃、助手席の息子が大変なことを言い出した。
 「おしっこ」である。あの2本のジュースが災いしたようである。いつもなら出発前に必ずおしっこをさせてくるのだが、この日に限って忘れていた。背中のリュックが金属でやけに重く、逆に心がうきうきしていたからかも知れない。やっとの思いで横道にそれ、おしっこをさせようとした瞬間、手にかけられてしまった。
 近くの水たまりで手を洗い、元の渋滞に戻ったが、情けない気持ちになってきた。石に夢中で息子を忘れていた。かわいそうな息子である。
 中国自動車道まで50分もかかった。高速道路に乗った瞬間また息子が「おしっこ」と言い出した。しばらくはサービスエリアはない。路肩へ寄せて石のリュックにいつも入れてあるビニール袋を2重にしてそこにおしっこをさせた。さっきしたばかりなのに牛乳瓶一本分はありそうだ。
 車内中をおしっこの臭いでいっぱいにした愛車は、妙なお土産と共に高速道路を家に向かっていた。


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