奈良県香芝市穴虫


採集できる石
鉱物名コメント
サファイア少ない現場での採集は不可能に近い
ガーネット多い小さいものだけですが
珪線石少ない工場でもらうしかないでしょう
高温石英少ない母岩の中に少し見えます
サヌカイト少ない昔はたくさん拾えましたが

石を見る


1985年2月29日

 穴虫地区は江戸時代から(もっと古いかもしれない。)金剛砂という名前でガーネットが掘られており、1960年代が一番の最盛期で砂鉱として採掘されていたようだ。このガーネットでサンドペーパーを作っておられる大和研磨材工業所でお話を伺う機会があったので、いろいろと聞かせていただいた。
 二上山から竹田川にかけての川の中、及び水田の下5mくらいにガーネットを大量に含んで赤くなった層があり、それを目的に採掘していたようだ。
 採掘の方法は、水田の刈り取りが終わった頃から採掘の権利を買い、横の水田にシートを引き、水田用の土を取っておいて、ガーネットを掘り上げた後、元通り戻すのである。稲作の時期は掘れないので、一年で冬しか作業ができない上に、他にも研磨材の工業所もあり大変だったそうだ。また、大阪側にも太田川という川があり、同じように大阪の工業所が掘っていたらしい。
 お話によると、この水田の畦道の部分は掘り残されているので、四角に残されているそうだ。ただし5mも掘る気力はないが……。しかし、今でも水田や畑、畦道には小量で小粒ながらガーネットが混ざっているのが見える。大阪側もそうである。ただ、標本にはなりそうにない砕けた小さな代物ばかりである。
 このときに集められたガーネットは今もこの工業所でも他の工業所にも山積みになっている。山の高さは2mくらいであろうか。今は外国産の安い品質の揃ったものに取って変わられているようで、そのガーネットの山は草でおおわれている。もったいない限りだ。このガーネットの山の中にも小さいながらサファイアがほんの少し含まれている。
 このサファイアは故草下氏の「鉱物採集フィールド・ガイド」のコランダムの物である。
 お話を聞かせていただいたときには選鉱に使った機械まで見せていただいた。1980年代にはまだこの機械も動いていたらしく、使っていた後が見受けられた。また、ここのガーネットを溶かして大きなきれいな結晶にすることもされたそうだが、うまくいかなかったらしい。
 ここのガーネットは少し磁力に反応するので、磁力で選鉱する機械や、大きすぎるガーネットは重すぎて磁力をかけてもひっつかないので、大きさに分ける機械などを見せていただいた。その中には1Cmを越えるような物もいくつか見えたが、形は悪く小さい結晶の塊のような感じだった。それはいただくことはできず、見学だけにとどまり、ガーネットを取った後の砂ならあげても良いということで、砂袋に2杯ほどいただいて帰ることにした。
 この砂の中には、なんと最大直径2mmのサファイアが含まれている。青く透徹したこの結晶はいくら見ていても飽きないほどで、結晶面には60度の三角や六角の成長痕が見える。このまま指輪にできそうな物まである。またビールの樽を小さくしたような物もごく小量あり、不思議なことにサイドに行くにしたがって、青から透明になっていく。長い(と言っても、このタイプの結晶は1mm以下である。)結晶になると、端は完全に透明に見える。
 他には完全に算盤玉と同じ形に見える高温石英や紅柱石や珪線石やオリビンなどが見られる。砂鉱から採った物であるので1mm程度ではあるが。双眼実体顕微鏡で見ると、結晶が完全でとてもきれいだ。

 この砂は研磨材工業所でいただくことができたが、丁寧にお願いしても、向こうの方の都合でどうなるか分からない。資材置き場と事務所が遠いので、資材置き場に人がおられるときに限って許されるのでチャンスは少ないし、今ではその量も少なくなり、譲ってもらえるか分からない。
 最近も近鉄下田駅近くの二上山博物館でサファイア探しのイベントが行われていたが、ここで使われていた砂が全く同じものだったので、狙っている人は多そうだ。博物館のイベントを注意している方が手に入る確率が高いかも知れない。
 このサファイアはポケット図鑑「日本の鉱物」のP266に載っている物と全く同じ物である。京都地学会館には益富氏の米寿を祝う「祝」という漢字を、このサファイアでかたどった物が展示され、見る事ができる。

 次にガーネット産地についてである。ここ二上山は、兵庫の玄武洞に負けないくらいの、すばらしい玄武岩の柱状節理が見られるし、ファイアはないがオパールの産出も報告されている。自宅から近いこともあり、よく採集に出かけた。最初に訪れた1970年代には竹田川の上流の二上山の山の中にむしろを引き、上流からガーネットを含んだ川砂を流して比重の高いガーネットだけがむしろの隙間に入る、砂金を採るような採集をしている人をよく見かけたものだが、1980年代になるとそんな人もめっきりいなくなった。
 しかし、川の中にはまだガーネットの粒は見えているので、採集を試みることにした。川の中に岩盤がなくなり、水の流れが緩やかになっているところが一カ所だけあり、見方によっては滝壺のように見えるところがある。そんなに広いところではないが、3m四方で砂が堆積している。前々から目を付けていたところだ。寒い中K氏と共に流れの中に入り採りはじめた。

 大型スコップで砂を掘ってはふるいの中に入れ、大きさも4段階に分けるのである。大変な作業であった。掘る作業とふるいの作業を何回も変わりながら進めていったが、一時間に一個くらいの割で目を引く物が出てくるので体はしんどいが、気持ちは良かった。二上山のガーネットとしては最大と思われる安山岩の母岩にくるまれた2Cm近い物が出たときには飛び上がるほどだった。ただ、形が悪かったのが残念であった。次の一時間で四周完全な24面体の和田峠産に引けを取らない上物が出てきた。大きさは6mm程度だったが、これもこの産地の完品の物としては最大の物と思われる。これが出たときは小躍りするほどだった。(実際にはへとへとで体は動かなかったが。)4時間ほど採った後、大量のガーネットと良い獲物を持って家に帰った。
 次の日からが又大変だった。選鉱作業である。パンニングで全部のガーネットのより分けをするのに2週間はかかったが終わったときには、手はあかぎれて、腰はぎしぎし鳴っていた。
 しかし、その結果、ガーネットの大きさの比率は、
1・5mm以下 85%以上
1・5〜3mm 10%
3〜5mm    4%
5mm以上    1%未満
くらいであろうと思う。
 大きい物はほとんどなく、それを考えても、今回の獲物はすばらしい物であると自負している。
 ただ、残念なことには、もう一つの目玉鉱物であるサファイアは全く見ることはできなかった。あれだけ大量のガーネットを含む場所を選んでの、また場所を絞っての採集で見つからなかったということは、フィールドでの採集は不可能に近いのではないかと思う。たぶん水田の5m下の層にしか見られないものと思う。そのころに風化した含石榴石安山岩の中には割とたくさんのサファイアがあったのであろう。実際、今の安山岩の露頭を調べてもサファイアにはとんと出会わないので、それが証拠であろう。

 1997年までに10回以上は訪れたが、1990年頃になって採石所が本格的に採石を開始したので最近はとれなくなってしまった。
 先ほどのガーネットの産地はダイヤモンド・トレールという、二上・葛城・金剛山麓のハイキング用の道の横にあるのだが、採石のためのダイナマイト云々の看板や巨大なトラックが行き来したり、イノシシの養殖場があったりと、最近は危なくって近寄れなくなった。
 また、他の所から土が持ち込まれてもいるようで、近頃は川の中にガーネットのかけらも見なくなった。上記の産地も野球場とゲートボール場が造成され、その土が1mくらいかぶってしまい、今は採れなくなってしまった。悲しい限りである。

 話は変わってサヌカイトの産地であるが、この辺り一帯はどこででも採れるようである。屯鶴峰(「どんづるぼう」と読む)という火砕流の湖沼性堆積岩(でも、火成岩の分類。)の景勝地があるが、この中にも含まれているし、(国定公園内なので採集はできません。)白い色の凝灰岩の所を探せばすぐ手にはいると思う。大きい石で石器でも作ろうと考えておられるのであれば、大阪側に出て太子町に入ったすぐの所に、観光ミカン園があり、その入り口に車を止めて、歩いて中へ入るとすぐに畑が見える。サヌカイトは畑にはじゃまなのであぜ道に置いてあるのでそれを持って帰ると良い。今(1999年)であれば奈良県側に高山台という造成地があるので、そこにはガラス度の高いサヌカイトが採れるが、もうすぐ造成が終わると採れないのは明白である。
 国道165号線の奈良と大阪の境に大きな火砕流の湖沼性堆積岩の露頭が見える。地質的な事はよくわかるが、鉱物はこれといったものはない。
 ファンシーという喫茶店の前を東に左折すると、すぐに同じ露頭が見えてくる。500mほど行った右側に、明日香村の高松塚古墳で使われたのと同じ凝灰岩が出ている。1990年頃までは、そのころの物と思われるクサビ跡まではっきりわかったのだが、今は造成のために崩れてしまった。説明の看板だけはまだ立っているので一見されても良いと思う。
 ただ、その看板の道をはさんだ反対側にある露頭には、黄色い部分が入っている凝灰岩が出ている。硫黄でもないそうだし、色でいうとウランに似ている。本当は鉄の色かとは思うが、不思議な色をしている。新産鉱物ではないかと思っているのだが、調べてはいない。

 地質については、前出の二上山博物館の中にパネルがあるので参考にされると良いと思う。


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