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山口県周南市富田川崎
新南陽駅 から 徒歩 で 20 分
1185年
十一面観世音菩薩
周防三十三観音霊場第18番札所
安産とお乳の観音様として有名である。他に眼病、肢体不自由にも霊験があると云われている。
当観世音は平安時代末期(1183年頃)平家の武士悪七兵衛平の景清が兜の八幡座に戴き数多の戦陣を駆け巡るも観音加護により身に寸傷も受けなかったという御身丈一寸八分(5.7cm)の十一面観世音菩薩である。 景清は源平合戦の折兵士が屋島の戦いに敗れ一門と共に軍船で西海に下る折偶々暴風雨にあい黒髪島裏に避難したが景清は早く西海に下り再起を計らんと思い此の暴風雨を静め給えと観世音に念ずれは観世音夢枕に立たれ「我を向こうの山にある寺門に安置すれば風雨静まらん」と景清是を信じて疑わず直ちに対岸の寺門に安置すれば風雨立ち所に静まり無事西海壇ノ浦さして下向するを得たという。 景清は平家滅亡後も生永らえ源氏に一矢を報いんと計るも目疾をえて果し得ず絶食して生を絶ったといわれている。爾来この観世音を念ずれば必ず応益あり特に、安産、眼病、肢体不自由に霊験あり初めは常に閉扉されていたが後世に至り十二年に一度(子年)開扉され尊像の拝観が出来る事となり地名を取って音羽の観音様として尊蒿されていたが後年川崎観音といわれて現在に至っている。
毎月17日 例祭
2004年1月10日 初詣(安産祈願)
2004年9月20日 お礼参り
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