JR堺市 → 天王寺 → 動物園前 → 烏丸四条 → 御池
折角大阪に居るからと、会社をさぼって祇園祭・山鉾巡行を見てきました。 平日にもかかわらずすごい人だかり、しかも例年ですと祇園祭りが終わると梅雨が明けるのが普通なのですが、今年に限って既に梅雨明けして、しっかりと真夏となっていました。
京都の三大祭りの一つである祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、「これは祇園牛頭天王の祟りである」として、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数−66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の境内摂社「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。
八坂神社は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱神子神)を祀ります。
日本神話でも知られるように、スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチ(八岐大蛇=あらゆる災厄)を退治し、クシイナダヒメノミコトを救って、地上に幸いをもたらした偉大な神さまです。
八坂神社の歴史は、平安建都の約150年前−斉明天皇2年(656)に、スサノヲノミコトの神霊をこの地に祀ったことにはじまります。のちに、神仏習合思想により、スサノヲノミコトは祇園精舎の守護神−牛頭(ごず)天王と一体視されました。
都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。八坂神社はながらく、「祇園社」「祇園感神院」などと称しましたが、神仏分離にともなって、明治4年(1871)「八坂神社」と改称しました。